昔プロレスの両リン、反則勝ちのお決まりが廃止されたのって誰の功績なの
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今昭和プロレスの動画たくさんみてるんだけど激減したんだね 海外団体の大物が定期的にシリーズ参戦するようなことがほぼ無くなったからな
実質勝ってたのにルールで負けたって体にする必要もなくなった テレビゴールデン撤退
SWS大量引き抜き
大物外人来日無くなる
この辺の市場の縮小で村社会化したプロレス村がとった措置が
「3カウント完全決着」 やっぱ安定した状態でストーリー作りできなくなったのが原因なんかねぇ でもG1でもファレがやりまくってるし矢野も使うよな 三冠統一で鶴田ーハンセン戦だっけ? 両リンで観客キレたの >>9
やつらがメインでそれやってたらあっという間に人気なくなるでしょ 両者リングアウトは今でも時々あるけど、両軍リングアウトと言うのはここ30年無いような気がする。 WWEではしょっちゅうだけど、日本のプロレスでもこんな汚いことをしていたのか 80年代前半あたりから客が両リンを許さなくなり、完全決着を求める傾向が強まった気がする。
客層が普通のサラリーマンから目の肥えたオタク中心に変化したのが一因かな。 夢のカード→両リン
80年代はこれの繰り返しだったもんな UWFブームが起きて、
それに対抗するために、
全日も新日も不透明決着をなくした
ってのが事実なんだが、
知らんやつが多すぎてビックリ。
新しいファンは仕方ないにしても、
オールドファンらしき人間までとんちんかんなこと言ってるなあ。 猪木ブロディはシングル7戦やって、全部両リンや反則絡み。一度だけ時間切れ引き分け大物同士で勝敗つけるのが重かった時代だな。
馬場も両リン全盛時代にファンから批判浴びても、簡単に勝敗なんてつけられるかと逆ギレしたとか。 特に昭和50年代の全日の場合、両リン・反則
決着でなく完全フォールだったとしても
・2連戦でのいってこい
・ジョー失神
・急所か喉をアクシデント的にロープに痛打
・こっそり乱入or凶器攻撃
がセットでの完全決着だったからなあ。
よほどの実力差がない限り完敗なんて
ことは無かった。 リングアウトによる勝敗も激減したよな
場外乱闘に突入したら場外カウントもストップ >>20
ゴールデン生中継が88年3月で無くなって放送時間と帳尻合わせする必要がなくなったからだよ
あと選手の数が減った=試合数が減ったからというのもある
その反動として試合数が多い大会では短時間決着が増えた >>22
でもドームでのハンセンvsベイダーは両リンでもみんな大満足
長州ジョージvs天龍三沢タイガーのリングアウト決着もな
Uがどうって話ではない >>11
リング上に、アサヒスーパードライの空き缶が投げ込まれたんだよね >>29
Uがどうって話なの。
その頃から完全決着の流れになってるだろうが。 両リン、反則決着で会場内が盛り上がったのは
84年3月の蔵前でのAWAタイトルマッチ
王者 鶴田vsニック 挑戦者の試合で鶴田のレフリー暴行で鶴田が反則負けになった時と
84年4月の蔵前での新日本正規軍vs維新軍の5対5勝ち抜き戦での
藤原vs浜口が両者リングアウトになった時だよね。
前者は、AWAルールにより鶴田防衛、今まで逆のパターンで散々フラストレーションが
溜まってたファンにとっては、ある意味最高の防衛パターンだったからね。
後者は、副将の藤原と副将の浜口が両リンで両者失格になったから
大将の猪木と長州が無傷の状態でシングルマッチを迎える事が出来たからね。 >>32
その時代はまだ反則決着もリングアウト決着もあった
減ったように感じたのはゴールデン生中継撤退で割合が減ったから
本格的に無くなってきたのは全日では超世代軍の台頭の頃
これは選手が減ったのが理由に入る(新生Uブームはとっくに下火)
新日ではその後もムタの反則決着とか結構あったよな
無効試合も含めるなら橋本小川戦とかドラゴンストップの試合とかもある 89年の鶴龍対決が盛り上がってた頃、ブリティッシュ・ブルドッグスとカンナム・エキスプレスの5番勝負で両軍リングアウトの記憶があるんだが… >>37は現存の熱戦譜スレで見たんで記憶にあったんだな
いま見直したら同時期に高野俊二とディック・スレーターが連日両者リングアウトとかあるぞ >>35
だから、ゴールデン撤退でリングアウトがなくなるのとなんの関係があるんだっての。
第一、全日はとっくの昔に撤退してるのに、なくなってないだろうがよ。 >>37
そりゃ、何試合かはあるだろう。
ましてや5番勝負なんて特殊な形式なら。
メインカードがしっかり決着つく「傾向」に、なった話のことだろ。ここで話してるのは。
不透明決着が全く無い年なんかねーよ。 >>39
Uの影響で、完全決着が主流になったってのは、何度もプロレス雑誌に書かれていることだ。 >>29
実際にUはプロレスと差別化してファンも支持した
それに対抗するためにプロレスの悪いところを改善しようと話し合った
その結果両リン、失神、反則など激減
フォールされても選手に傷を付けないやり方に変えた
昔は大物同士ならかなりの確率で決着付かなかったもんな
ロードウォリアーズと鶴竜コンビの試合は帰り道客が文句言ってたよ
三番勝負、生中継って時点で嫌な予感したんだよな >>42
Uドーム大会の真裏の全日札幌大会の記事を脳内で勝手に美化して拡大解釈してるだけでしょ?
当時のター山信者なのはわかったけど >>43
あの試合は、3本目やらなかったからな。
元から完全決着なんて期待して無かったんだから
例え1分で終わったとしても3本目はやるべきだった >>40
全日も88年3月までゴールデン生中継やってたんだが… >>40
メインのタッグで生中継放送時間ギリギリ試合時間4分程度で両者リングアウト〜番組終了とかってよくあったけど? 全日の試合結果が生中継の影響を受けてたのは、当時の全日社長が日テレの松根光雄氏だったからというのもあるかもしれない
そして1989年4月から馬場が社長に復帰、これでしっくりくるだろ? 不透明決着は昭和で葬り去ったはずが、ドラゴンストップとかでまた不透明決着を
復活させて大ヒンシュクを買ったね。不透明決着なんてやるぐらいなら最初からそのカードは
必要ない。平成のプロレスファンが昭和のファンとはもう違っていることに気が付くべきだったね。
ドラゴンストップの時なんて客が怒って途中で帰りだすんだぜ。
あの昭和ののりを平成に持ち込んだらいかんよね。 U関係ない言ってる奴は頭がおかしいのか?w
違う世界線から来たのかな 全日がちゃんと決着つけるようになったのは、ターザン山本が馬場に進言したから >>53
ターザンが言うこと真に受けるなよ。
不透明決着なくせ、なんて誰もが言ってただろ。 >>54
でも全日は不評なのに続けていたんだぞ
メディアが進言して重い腰を上げることはあり得る
プロレスを独占させていただきますとか
メディア側の発想がないと出ないフレーズはあったしな 不透明決着が無くなった代わりに即イーブンにするようなカードも増えたよね
猪木チョチョシビリとか 橋本長州、小川健介、小川藤田みたいな不穏試合ぽく偽装した無効試合は最悪だな。 全日だと鶴龍対決、ハンセンブロディの四強で
三冠統一する時期に少しだけ白黒つけるようになったな
ただまだまだ両リン、反則決着が大量にあった 四天王時代は両リン反則できないから
代わりに30分時間切れが大量生産されてた 鶴田の垂直パワーボムでプロレス新時代のスイッチが入った 馬場が亡くなって三沢体制になってからリングアウト決着が出てその事で京平は馬場に対して泣いて謝罪をし元子は再び現場に目を光らせるようになった事があったね。 >>60
その時代は地方民としてめちゃくちゃありがたかった
それまでなんて地方のメイン級の試合なんかほとんど10分以内で終わってたからな。
決着つかなくても、長く見れて得に感じたわ。 >>57
無効試合じゃなかったけど
藤田健介、藤田ノートンもその三試合に匹敵するダメ試合だったな >>33
後者に関しては、勝ち抜き戦がただのシングルに
なっちゃった感が強くて、あまりノレなかったなあ 小学生で初めてのプロレス観戦。
「ハンセンのラリアットが観られる!」と期待して
行ったのに、当日のカードは「ハンセン・ブロディ組vs
シン・上田」。子供ながらに天を仰いだね UWFの影響を受けつつ、1989年4月の後楽園のハンセンvs鶴田の不穏な雰囲気が決定的だったね。
そして数日後の大田区で三冠統一。
新日本は同年秋の後楽園、蝶野凱旋試合でヤバい雰囲気になり、ケロが必死に訴えた。 昭和50年代中盤頃までは、最強タッグで外人同士の夢の特別試合が組まれても全て両者反則、両者リンクアウトだったよ >>61
いや、的を射てると思うけどね
正確には全日本プロレス新時代だけど >>70
あんなもんで新時代のスイッチが入るか?
鶴田が下手なだけやろ? >>70
そもそも何をもっての新時代かよく分からんが、そういう表現なら三沢がマスク脱いだとか、鶴田超えしたとか、第一回G1で座布団が舞ったとかで使うべきだと思うけどな。 天龍革命の影響がいろんなところに及んだっていうのはあるでしょ
天龍が輪島蹴りまくったら前田が新日クビになったり >>61
アクシデント込みとはいえ、鶴龍対決で初めて3カウントが入ったのは大きかったと思う。
団体側ももはや不透明決着で関心を引っ張る時代じゃないんだと気づいた。 マジレスするとアンドレザジャイアントが居なくなったからだろw 馬場全日本で最後の不透明決着よなったのが田上vsブッチャーのシングルだったね。寺西乱入によって田上の反則負けとなって会場から不満爆発、これで馬場は安易な決着を止めにした。
その後三沢体制となり川田vs高山がリングアウト決着となって当時の掲示板からクレームが殺到し元子は三沢に現場を任せられなくなったそう。 鶴龍対決の時も1回不透明決着(たしか天龍の反則負け)の試合があったと思うのだが
あの時の会場の雰囲気ってどうだったのかな 全日と新日だったら
意外にも全日が先に止めたけど
新日もフェンスアウトという謎の決着方法があっただけだからな >>78
天龍、リングアウト勝ち
天龍、反則勝ち
鶴田、反則勝ち
鶴田、パワーボムからの3カウント勝ち >>11
「三冠統一戦」とうたっておいて統一されないから客が怒るのは当たり前。
早い話が客を舐めてんだよ。それでもチケットが売れる時代だったから。 小川vs健介の中西乱入とか
よく暴動にならなかったな >>42
プロレス雑誌でもでたらめというか事実と違うことが書いてある場合もあるぞ。 俺の解釈では、90年にSWSができて全日が危機に陥ってそれがきっかけだと思う。
90年5月から天龍退団後の全日が始まった。不透明な決着はすぐには無くならかったが徐々に完全決着に移行したイメージ。
90年7月の金沢の三冠戦ハンセンvsゴディ。武生の世界タッグも第三者が乱入することで王者が負けても価値を落とさないように配慮したイメージ。 >>87
1989年、後楽園でビールが投げ込まれたハンセンvs鶴田がきっかけ。
その年の最強タッグも史上初めて、すべてクリーン決着だった。 >>85
会場に行ってみてたけど俺も周りの客も怒ってたよ
1年前にドラゴンストップしたのもあったし
試合後、ブーイングも罵声も飛んでたけど何事もなかったかのように次の試合の天コジ入場してきて、何か色々怒ってるのが馬鹿馬鹿しくなった 88年のブロディvs天龍の三冠戦は両リンだったけどブーイングは無かった。大阪だったけど。
30分の激闘だったからかな?
89年の後楽園、鶴田vsハンセンの大ブーイングがきっかけとしか考えられない。 >>88
そういえば最強タッグのブッチャー&シン組2年目の年にブッチャーもシンも3カウント取られた試合があった気がする。
彼らが負ける時は決まって反則負けだから3カウント取られて少し驚いたよ。 日本プロレス時代はメインとセミが3本勝負だったから(60本3本勝負、45分3本勝負)
地方大会だと最初両リンで3本目は日本人が勝つというパターンが多かった。
日プロの時代ってテレビ放映がない大会はかなり手を抜いてたんじゃないかなあw
早く試合を終えて馬場、吉村、坂口らが麻雀をしたいもんだからさぁw 影響は直ぐに出るわけではないから、否定してる人が結構居るけど、Uの影響は確実にあるんじゃあないかなあ。
実質、新日全日だけの寡占状態からU・S、後にはK1・総合と色々出てきたり、ファン層が一般人からコアなオタが増えてきて、子供騙しかつ客を舐めた結末の乱発が出来なくなって来たんだと思う。
週プロの台頭もでかいんじゃ無いかなあ、不完全燃焼の結末だとターザンが編集長の頃のエッセイ・小説見たいな(蝶野に作文と揶揄された)試合紹介の記事にしにくいから、扱いが小さくなるし。 UWFブームがマスコミに取り上げられる際、必ずといっていいほど、
「従来のプロレスとは違い、不透明決着をなくした」というフレーズがついてきたので、全日や新日も殿様商売ができなくなった。
そして、ハンセン鶴田などが決定的にした。 全日に関してはNWA世界ヘビーより
三冠統一を上の王座に据えて鶴田に初代王者にする流れからだろうなあ
後楽園で帰れコールが決定的に排除するきっかけになったんだろう 鶴田vs天龍がメインで、セミで三沢タイガーがNWA挑戦とかあったなあ >>94
俺は90年、91年あたりのU系は知らないし、違う競技をやっている印象だったからU系に興味も無かった。
ただ、あなたが言うように多かれ少なかれ影響はあったと思う。実際に馬場さんの「独占」の広告も存在したわけだし。
>>95
鶴田、ハンセンで思い出したけど彼らってレスラーとしては凄いけど長州なんかもそうだけど昔のレスラーって往生際が悪いっていうか。1勝1敗で星を取り合えばいいのにね。
長州とかJWPにいた尾崎なんかがそうだけど、レフェリーが3カウント目を叩くのと同時にキックアウトしてレフェリーを悪者にする、そういうずるい人間がたまにいるよね。今ではかなり減ったけど。
ロードウォーリアーズも不透明決着ばかりだったような。負ける時は反則負けw テレビ観る層はUWFの試合なんか一切知らないし、会場で暴動起こす層は結構知っていたかもしれない
まぁ、実際のところはよく分からん ロードウォリアーズがWCWでスタイナーズにピンフォール負けした試合も両方の肩が付いてるようにも見えて、試合終了の段階でどちらが勝ったのか分かりにくいという決着だった 新日では
ホークが木戸に、
アニマルは蝶野にピンフォール負けしてるな。 ウォーリアーズは全日ではピンフォール負けしなかったね。だいたい反則負けなんだよなw
93年だったかな。ノートン&ヘルナンデスvsヘルレイサーズでホークがノートンに負けた時は驚いた。 >>109
ホークはそのノートンのタッグパートナーの木戸にも負けてる。 誰からでもピンとってほどよくピン取られるレスラーが一流だよね 両リン無くした1989年の最強タッグ開幕戦
五輪コンビと最凶悪コンビの対戦は、僅か6分半余りで、シンが鶴田の緩めのバックドロップ食らってフォール負け
でも観客の反応は今一つ
前年の最強タッグでは、最終戦でこのカードが組まれ、乱戦の末に鶴田がシンにリングアウト勝ちだったにも関わらず、とりあえず反則以外での勝ちに場内は凄い盛り上がりだった
全日の不透明決着排除が露骨になったのは1989年 猪木vsアンドレのエプロンカウンテッドアウトでも当時は歓喜だった。 ハンセンvsアンドレ、ハンセンvsベイダーは不透明決着だったけど誰も文句言わなかったし 両リン、反則はまだ譲るとしても、フェンスアウトはマジ糞ルールだったと思う。 >>120
内容が激闘なら文句は出ないんだよな。ブロディvs天龍とか ニックのスレにいたけれど
1980年前後からプロレスを
見始めたファンは痛いよなぁ。
世界王者は「反則」で防衛するもの
それがプロレス、世界王者だと
思い込んでいるwww
結局、二ックとかレイスとか
ダーティー王者が少なくとも
日本では、さらにプロレスを退廃させたって
気づいていないwww >>33
対ハンセンで馬場の反則負けも追加。
消える間際の蝋燭の炎の様な馬場の闘志が良かった。 谷津とか木村健吾がよくリングアウト負けしてたイメージ >>98
1989年3月武道館、
メイン、天龍&ウオリアーズ対鶴田&谷津&高野俊二
セミ、NWA世界戦Rステムボート対三沢タイガー
(あの有名な「馬場さん、これでいいんですか!?」)
はあるが、1987年8月以降でメインが鶴竜対決、
セミにNWA世界戦はないよ。
もうこの頃は、同選手権は行われなくなった。 レスラー本人たちがバカらしくなってやめたんじゃないの 今になってみると当時は嫌っていた両リンや反則決着が無性に懐かしくなるんだよな 同格だと勝敗で格付けが決まるから不透明決着でお茶を濁すのって便利なやり方だよな
リアルファイトで無いし 全日本は週プロ=ター山が興業のブレーンやるようになってからなじゃないか?
新日本は社長が猪木から坂口に交替したとき、正式にフェンスアウト反則を撤廃し、替わりに2戦で一勝一敗で星を分けるようにした。
長州vs天龍とか、武藤vs高田とか、いわゆるドル箱カードではあったけど、星取りに関してはミエミエ。
ヘルレイザースvsジュラシックパワーズだったか、ビッグマッチで両リン決着なんかもあったので、時には痛み分けもあったけど。
全日本や新日本が不透明決着を無くした後も、ケンドーナガサキ体制のNOWで両リンとか普通にやってたのは印象に強い。
アメリカに不透明決着の撤廃を持ち込んだのは、WCWやWWEのフロントとして活躍したジョン・ラリナイダス。
ジョニーエースとして全日本で活動してた頃の現場ルールをアメリカで採用した。 ドームのスタイナーズvsヘルレイザースはどうせWWFに行くスタイナーズが負けるんだろって思ってたら両リンでふざけんなって思った 最強タッグのハンセンゴディvsブロディスヌーカも両リンだったけど満足だったな >>120
文句はなかったけど、普通に延長コールはあった。 >>132
メインが五輪vs龍原。セミがヘニングvsタイガーのAWA戦ならあった。 全日が両リン、反則をフェードアウトしていった。
人気、駒数で不利な全日が鶴龍、三沢らで始めていった。
完全決着。 >>148
越中・高田・小林・馳・オーエン時代。
この頃の新日ジュニアは不透明決着がほとんど記憶がない。 当時(70年代)の観客ってそれで満足して帰ってたのかな? >>14
新日は両者リングアウト
全日は両軍リングアウト 大量離脱後の馬場全日の功績やろ
あの時明るく楽しいプロレス標榜して両リンやめた >>121
ホーガンとバンディがフェンス際で揉み合ってたから「まさか」と思ったら案の定・・・ 全日は89年の三冠統一戦の鶴田vsハンセンで両リンやって暴動起きて激減した
最後に見たのは90年のシンvsブッチャーかな WWEとかって意外に両リンってほとんどないんだよな
その代わり乱入→反則は多いけど >>164
スタイナーズWWEに行くことが決まってたからどうせヘルレイザース勝つんだろうと思ってたら両リンでふざけんなと思った そのわりにテリーマンvsアシュラマンの両リンには誰も文句付けんのよね 俺の記憶だとUWFブームでプロレスも完全決着になった記憶がある
でSWSの一発目のドームのメインで両リンやってどっちらけ
ヘルレイザースが負けブック飲めば済んだ話なのに 全日は大量離脱の前から両リン反則はほぼなくなってたぞ
天龍ブロディの3冠とかあの辺が最後だろ
統一後は全部クリーン決着してる 全日は鶴田が3冠統一した前後から不透明が激減してる
新日は確かブロディ離脱の後ぐらいから激減してる気がする
てかよく考えると全日もブロディが死亡直後から激減してるからブロディが癌だったのかもw 全日は初の三冠統一戦の両リンが大不評でダメージ
新日はTPGの暴動でダメージ
そこにUWFブームが来てしまって完全決着にしないといけない流れになった気がする むしろ四天王、三銃士対決で両リンなんてあったのかって nwoブームの頃のWCWは酷かったなあ。
大抵nwoが乱入して反則裁定。
普通に決着が付いた試合のほうが希少なくらいの印象だった。 >>182
ナイトロの話でしょ?
PPVが本番なんだからしゃーない 藤波がホーガンと両リンで引き分けた時に歓喜した俺には余計なお世話だけどな。
健吾がエリック兄弟にリングアウト勝ちとかも 藤波対フレアーで初めて知ったがNWAルールは相手を
トップロープから外へ出すの反則なんだよな。
オーバーザフェンスとかもあるけどやっぱりアメリカは
アスレチックコミッショナー関係の規定があるんだろな >>180
91年4月武道館の田上vs川田は
リングアウト決着だった。
あとノアになるけど小橋vs秋山も
秋山のリングアウト勝ちだった。
どちらも決着がついても不満の声もなく
普通に盛り上がっていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています