喧嘩番長ディック・スレーター死去
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ファンクスより先にか
レスラーの訃報の中でも私的にはかなり堪えるわ、ディッキー 単独でプロレスアルバム刊行されたくらいだから勢いあったんだけどな。
これからって時に事故に遭って…
晩年は殺人未遂かなんかで起訴されたりして。
人生ってわかんないもんだな。 自分的には、79年の第7回チャンピオンカーニバルがピーク。
こないだ、プロレスクラシック再放送で優勝戦のブッチャー×鶴田戦が放送されたの見たが、一度両リンになった後、延長戦はランバージャック状態になり外人総出の中、スレーターのみ鶴田サイド。
優勝はブッチャーがかっさらったんだが、それに突っかかっていくスレーターが最高にカッコ良かった。81年のシン戦もそうだが日本では正義の喧嘩番長が似合ってた。
ご冥福をお祈りいたします。 >>7
プロレスアルバムもってた
家のどこかにあるはず プロレスアルバムといえばスナックでボラれてからホームシックになって
毎日帰りたいって泣いてたってやつか 確かにファンクスより若いのにファンクスより先だとはなあ。
ファンクスも辛いだろう。
鶴田と年が一緒だったのか。
その鶴田は49だったが。 ロビンソン、スレーター組でインタータッグ挑戦する予定がスレーターの怪我で急遽ロビンソン、天龍組に変更され天龍が思わぬ好試合をして一気に株を上げた スレーターが死ぬか・・・馬場・猪木世代のレスラーじゃないところが何だか堪えるな WCWではムタの子分みたいな扱いだったよねw その後すぐに消えたw 星条旗パンツの鶴田とのUN戦は記憶に残ってるけど、他の試合は良く覚えてない >>4
リアルタイムで見てた頃はそのイメージしか記憶にないよな 次期エース候補で売り出してたのか知らんが
同じラフファイター、ハンセンの台頭で日本では埋没したよな 某地方会場でテリー&ディッキーvsヘッドハンターズのデスマッチ見た
倒れ込むテリーめがけて有刺鉄線バットを振り下ろそうとする
ヘッドハンターズだったが
ディッキーがテリーに覆いかぶさって守った
ここで発生したディッキーコールを忘れてないよ
R.I.P. スタンカも死んだしスレーターも死んだのか
どっちも本国よりこっちでのほうが有名だろうな 人気に反して、同じファンク一家のデビアスのほうが総合的な評価は高かったな。 ジャンボ鶴田のジャーマンスープレックスホールドを最後に受けたレスラーでちゅ。
でも最後はノーテレビの大会だったの声もあるでちゅ。
週プロの鶴田インタビューでは(ボックンは3歳でちゅマニアのおっさんから聞いただけでちゅ)最後ってなってたらちいでちゅ。 フレアーがシリーズ後半戦に特別参加するときにタイトルマッチ以外のタッグではパートナーがスレーターのような気がした。 フレアーですら
「何で自分がデビアスより上に行けたのか今も不思議に思う
彼はあらゆる面で私より上であり才能があった」と言ってるからな 土曜8時、最後のレギュラー放送のカードが馬場vsスレーターだったんだよな。
馬場の生誕地三条からの中継で。 そういえばスレーターが初参加のチャンカー第7回大会の開幕戦も文体だったか NWA会長サム・マソニックの秘書ラリー・マティシック
「彼は全くオフのない売れっ子で、リック・フレアーよりもNWA王者に近かったと思う。
ハーリー・レイスの次の王者にスレーターを推すプロモーターも多かったが、
テキサスで交通事故に遭ってから『長い試合』ができなくなった。
事故のあとは試合中に意識が朦朧とすることもあり、
レフェリーに『今、何本目だ?』と小声で聞くシーンを何回か見た。
それを見た時、私は『ああ、これでは(NWA王座)は無理だな』と思った」 ガキの頃、派手さは無いけど典型的な本場アメリカンプロレスの匂いがして好きだったな。
レイスと組んでのハンセン、ブロディ戦は今見ても面白いわ。
御冥福をお祈りします。 >>31
クリスベノイのような慢性的な脳震盪→脳障害みたいな後遺症になったのか
あるいは痛み止めの副作用か 34差しだが、
スレーターは差しの勝負はハンセン、ブロディ以上に強かった。 Cカーニバル決勝の鶴田戦は、友達の家で見た記憶がある。土曜日の夕方からの放送だったな。
もう38年くらい前だっけ?最近、子供の頃に見ていたレスラ−の訃報が多い。ブッチャ−とハンセンには長生きしてほしい。 >>33
ベノワ引き合いに出してるけどベノワは死ぬ前も普通に長時間の試合こなしてたじゃん
単に怪我の後遺症じゃないの 鶴田vsスレーターのチャンピオンカーニバル決勝が行われた九電記念体育館が来年の3月で閉館だってね。 マードックとのタッグは日本では実現しなかったよね? >>31
82年の最強タッグ最終戦でレイスと不自然な衝突をやったのもそのためか
とにかくあの試合では馬場に足四の字を掛けた場面が印象的 ロビンソンとのインタータッグ戦も良い試合を期待してたんじゃないか
開幕のノンタイトルのタッグ戦で馬場がスレーターにピン負けしてる
タイトル戦で星を返すつもりだったろうに、怪我の後遺症が出て途中帰国
馬場さんピン負け損 >>38
末期の藤原組にマードックとスレーターが同時に来日してた。
試合は別々なので残念ながらタッグは組んでいない。 >>42
えっ!スレーターも上がってたの?見たかったな。藤原組のDVDとか出さないのかな?船木鈴木が去ったあとの藤原組の VHSなら昔、クエストから出てたな。
船木鈴木が辞めた後もしばらく出してたはず。
俺もスレーター参戦してたの知らなかったな。
もし、マードックとタッグ組んでたら、WCWのハードライナーズ以来か。 末期藤原組の事わからないけどタッグマッチありなの?
ダブルバウトでなくて 引退してからのディックスレーターは
今でいうと森嶋みたいな存在だったんだろうか?
逮捕歴が何度もあったとか >>45
スレーター&栗栖vsポーゴ&闘竜(マグニチュード岸和田)
とやった試合はタッグマッチでもダブルバウトではなく
ストリートファイトマッチだった。 ☆藤原喜明とレスラーな仲間たち
96.5.23後楽園ホール
岡村隆志VSフェーゲーロ
アポロ菅原VS畠中浩旭
木川田潤VS津島ヒロアキ
つぼ原人VSドン荒川
折原昌夫VS怨霊
ストリートファイトデスマッチ
ディックスレーター、栗栖正伸VSミスターポーゴ、闘龍
藤原喜明VSディックマードック リッキースティムボートとジェイヤングブラッドだけを楽しみに会場まで観に行ったら
なぜかこの人が出ていて非常に悲しかったことを覚えてる 95年8月のIWA川崎大会では最初はテリー×スレーターだった。
しかし土壇場でスレーターからレザーフェイスに変更になり。
スレーターは来日までしてたはず。
トーナメント参加選手の記者会見とやらにもいたと思った。 日本でのテリーとスレーターのシングル対決は80年のチャンカーだけ? https://pbs.twimg.com/media/Dunjqf8UwAAAadT.jpg
交通事故にさえ遭わなければ、ブッチャー、ブロディ、ブリスコの三人を抑えて
優勝間違いなしだったのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています