1991年の新日本、全日本
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新日 G1クライマックス SGタックリーグがスタート、トップオブスーパージュニアの復活の年
全日 超世代軍の人気が大爆発
後楽園のチケットが取れなくなった年 チャンピオンカーニバルが復活したのも、この年でしたね SGタッグの組合せ面白かったな
藤波ベイダー、橋本ノートン、蝶野ビガロとか
武藤馳もここからだったはず >>3
リーグ戦復活は91年じゃないかな?
チャンピオンカーニバルと言うシリーズ名は使ってたけど 大仁田最盛期
SWS迷走
U系3派分列
WING旗揚げ スタイナー兄弟としての初来日
フランケンシュタイナーは技もそうだけど、ネーミングのインパクトが凄かった >>8
ゴング85年1月号だったかな?
他にテリーと三沢タイガーもあった。
しかし1枚目は二人の身長差が凄い。
3枚目が妥当な身長差か。 っちゅうかよく91年スレか。
90年かと思うたが。 全日の1・2後楽園で実況&解説者の福澤・若林・竹内の公約
竹内:今年前半までに鶴田・田上組が世界タッグ奪取する!
できなかったら武道館に自腹で50名招待する。
若林:今年中に三沢が三冠王者になる!できなかったら3日間断食する
福澤:今年中に全日本プロレス中継の視聴率10%超える!できなかったら
小橋のムーンサルト受ける
結果は竹内と若林が公約通り自腹招待と断食行い、福澤は毎分視聴率は10パー
越えてたという理由でムーンサルトはまぬがれた。
アノキの現場復帰でシンニプロレとゼンニプロレの提携が消滅。
ジャイバはサカグには好感を持っていた。
しかしアノキには信用も何もなく提携は自然消滅へ。
あのまんま提携が続けばバンベイやスコノーのゼンニプロレ登場もあったかも。
またテリゴやスティウィのシンニプロレ登場もあり得た。 この年は1月に田上と川田の抗争を4.18まで引っ張れたのが大きいかなぁ?
それと鶴田が最強と言うイメージを上手く醸し出せた上で9月に三沢が鶴田からギブアップ勝ちとこちらも強さと言うイメージを植え付ける事が出来た 全日武道館を武道館四季物語とかてパンフに乗ってなかったか >>14
前年暮れの話だけど、全日中継の90年最強タッグを振り返るみたいな映像で
突然「川田と田上の抗争激化」ってテロップが出て、二人の試合シーンがピックアップされた場面があった
しかし川田が田上に仕掛け、抗争が始まったのは91年1月
あの編集にはどのような意味があったのだろうか。釈然としなかった 大阪府立も91年チャンピオンか〜にばるから、超満員になった 4・18武道館が全日本プロレス初観戦だった。(前年4・13ドームにも全日勢出てたの見たが)
川田 対 田上とか会場も俺も熱狂した。
メインの鶴田 対 三沢 は音響トラブルで入場テーマが流れなかった。
全試合終了後、全日本コールが起きて
帰りに歩いていると武道館の外ベランダ?でチンコ出して騒いでる奴がいた。
神興業見た気持ちで大満足で帰った。
たまたま今年のG1決勝を生観戦する事が出来たが大満足で、この4・18を思い出した。(さすがにチンコ出してる奴はいなかったが)
あの時の鶴田と今の棚橋、同じ年くらいだよね。エースにこだわる所とかちょっと似てるかもね。 超世代の6人タッグって最初から結果が見えてて波乱とか100%起こらないのがなあ
大抵、渕とかジュニアの人がジョバーで入っててほとんど寝る役なんだから、
試合終盤で渕が権利持ってる時に他の二人が分断されて乱闘になると「ああ終わりだな」って即わかっちゃうつまらなさ(実際100%その通りになるし)
これをどうして一切工夫しなかったのか
他の団体だったら、時々クイックとかでも波乱起こして緩急つけつつその後もそれきっかけにお互いもっと盛り上げようとかするのに
ああいう、格上は100%寝ないっていうのはウルトラマンタロウやRXみたいなKBO繰り返すだけのバトルで全然面白味がない
例えば三沢でも小橋でも、渕にスモールパッケージか何かでまさかの敗北とか一回でもいいからやってたら、その後の試合見る客はもっと楽しみになるだろうに エキサイトシリーズ開幕戦のテレビ中継が確か
三沢、小橋対ゴディ、ウィリアムス
鶴田、井上対ブラックハーツ
ランドオブジャイアンツ対アンダーテイカーズと、ちょっと古の全日を感じさせるカードだった…
翌々週の後楽園も日本人対外国人のカードが多く組まれてた記憶が… >>20
ブラックハーツの合体ニードロップでマイティがピンフォール負けしたが地味に痛そうな技だった 三沢、小橋、川田目当てで、女性ファンも増えてきた。 イメージ的に新日は全日・FMWの後塵を拝してたイメージがあったな。
客は一番多く集めていたが。 この年の新日は
3月のドーム大会
4月のスーパージュニア
8月のG1クライマックス
といい形で進んでたのに9月の横アリはメインが不完全燃焼で、10月のSGタッグはノーTVってことも含めて盛り上がりに欠けて92年のドームに向けての盛り上がりを作りきれなかった感じする この年の新日の後楽園は
藤波、武藤、橋本対ノートン、アックス、カナディアンジャイアントのようにメインが6人タッグの特にストーリー性のない大会が多かった… >>25
一般的にはそんなイメージはないと思うが。 カナディアンジャイアントっていたなぁ
内股だったことも有って評判あんまり良くなかったなぁ >>29
あの見た目とコスチュームが全然あってなかった >>21
あの時はマジに鳩尾に入ったらしいから
ああいう雑なことするからハンセンに制裁されるんだよ
ちなみにニードロップじゃなくて、ギロチンドロップね >>31
ブラハはオタクがレスラーになったようなプロレスだったよ G1決勝の日のセミが
藤波、馳、佐々木対ベイダー、ビガロ、ノートンという何気に豪華カードだった >>35
それで、勝った外人トリオが
ベイダーを真ん中にして
入場門の上に立って大見栄を切ったなぁ。 ベイダー ビガロのダブルのボディプレスは良かったなぁ。リキボノスプラッシュが出てくるまで一番説得力のあるフィニッシュだった >>11
竹内さんが招待した6・1武道館で鶴田&田上が世界タッグ挑戦も敗退。この武道館はメインが三冠戦ではなく平日だったため前売りが芳しくなくて招待をこの日に変更したような気がする。
もちろん竹内さんの意向ではなく全日の意向でね。
スパイビーみたいなしょっぱいのがメインだ勝つなんて今では考えられないな。 >>11
視聴率10%の件は、小橋が素人にムーンサルトプレスなんてやりたくないとか選手サイドからダメ出しがあって、直前になって「瞬間視聴率でも」と変更したと思う。
まあ素人の福澤がムーンサルトプレス受けたら駄目だな。 >>19
91年に限らないけど全日って波乱が起きないもんな。大森が万年若手、万年中堅だったり、
田上vs小橋が30分ドローの試合で時間切れ寸前で小橋が丸め込みにいっても近くの客が「新日じゃないから(丸め込みでは)決まらない」と言っていたよw 91年に戻すと、6人タッグで小橋がムーンサルトで勝つ時ってたいてい寝るのが小川なんだよなw ステイトポリスの初登場が91年5月だったかな。キャラはいいけどしょっぱかったね。
サザンロッカーズとか何が良くて呼ばれたのかわからなかった。
俺の中では上手さならマレンコ兄弟>>>>カンナム、ファンタスティックス
サザンロッカーズとステイトポリスは更に下。 >>42
バディリーパーカーはWCWでコーチ業、レスリングスクールを開くくらい上手いの知らないんだな
あとカンナムがマレンコ兄弟より下手も無いな
マレンコ兄弟は技の失敗が多すぎ チャンピオンカーニバル初戦で
川田対クロファット
欠場明けのクロファットが凄い痩せちゃってて川田の攻撃受けてる様子が痛々しかったなぁ
パンタロン履いてたし… >>40
確か、最強リーグで2回対戦した時だったと思うけど、
三沢秋山組が、どこかに負けなかったっけ?
外国人にはたまに負けブックを飲むけど、日本人同士ならこれかな。 >>46
キマラ&泉田が三沢&秋山に勝った時ね。次のシリーズの地方で泉田が菊地にシングルで負けたのを週プロの熱戦譜で見て
この団体バカじゃねえのかと思った。 不自然に格下が格上に勝つのも嫌だが波乱が全く起きないのもつまんないんだよなw この年の4月か9月か忘れたし、今となっては本人が書いていたのかもわからないが・・
武道館大会のパンフレットの最初に馬場の挨拶が書いてあるでしょ?
あれに「日本人対決よりも私は日本人 対 外国人が盛り上がって欲しい」
みたいな事が書いてあって、ずっと印象に残っている。
鶴田と超世代はウケてるが、馬場は嫌なのかな?とか
当初中坊の私は考えさせられた。 G1は91年から。
当初は『グレードワンクライマックス』とそのまんま言っていた。
それも『サマーナイトフィーバーin国技館』と銘打った三日間興行で。
元々は春の『スーパーJ』で保永がまさかの初優勝。
これに因んで意外性を追及。
そこで『蝶野まさかの初優勝』と。
またそれがウケた。
そっからG1は誰が優勝するかわからない、という興味を引き。
G1により蝶野の株も上がり、新日の人気も更に定着。
G1は新日が最も力を入れたシリーズへと。
もし初回G1が長州か藤波が優勝ならここまで人気は出なかったはず。
永島がそう断言していた。
猪木時代の『猪木が優勝』から『誰が優勝するかわからない』が受け入れられる時代へ。
同じく91年にリーグ戦復活した全日のCカーニバルは優勝者は順当だったが。 >>50
最近のG1は強い奴しか優勝しないから面白くないね。91年とか昔は意外な奴が優勝したのにね。 >46 泉田キマラ組だったかな。チャンカンでもキマラが秋山フォールしたのもこの辺りの年だった。 この頃はどの団体も好きだったな
今の新日本はダメだあわない 91年頃は健介もまだ応援のしがいのある選手だったが、
8月に足を負傷して1年近くフイにしてしまった
復帰後は馳に2連敗からのヘルレイザーズにギミックチェンジで
それからはご存知の通り塩街道まっしぐらw >>50
「バイオレントストーム・イン・国技館」だな いちおうスレタイに則って91年の話で進めるけど全日は90年、92年も面白かったな。
93年からは四天王プロレスが始まって、それはそれで見るべきものがあったけど四天王プロレスの一つ前が好きだったな。 >>43
現代と違って衛星放送が無いため観た試合数は少なかったけどステイトポリスの良い印象がない。
92年になるが平塚でカンナムのアジアタッグに挑戦した時は力の差がはっきり出た。
どっちがライトでどっちがパーカーかも印象に無いくらい見るべきものが無かった。 >>50
サマーナイトフィーバーは世代闘争の時の両国二連戦 >>50
サマーナイトフィーバーは名古屋。
両国はViolent Storm ? 国技館。 両国最終日、何故かピンクキャデラックがリングサイドで観戦してたな。
あと、升席に小野みゆき。カメラで抜かれた際に辻が「目頭濡れまくりの女性ファン」とか下品なこと言ってたな。
ゲスト解説水沢アキもこの時だっけ? 野上彰の凱旋帰国もG1の期間だったよね
試合内容が悪くてブーイング浴びまくってたが… 野上はライガーからIWGP獲った試合が酷かったらしく両国3日行ったら物凄いブーイング浴びてたけど、当時はネットとかなくて知らなかったから何でこんなにブーイング浴びてるのか分からなかった >>40
武道館で大森がマイティに勝ったとか
そういう波乱はあったけどね。 両国の大保永コール圧巻だったし感動したな
あのテーマ曲がまたマッチしてたな 全日四天王ブームの頃は、札幌中島でいつも観戦したが、熱さと温かさがある雰囲気が良かった。 >>42
マレンコは兄弟の時はもちろん良いが小橋とかと組んでた時は今一キレが悪かった(小橋が悪かったのか、単に相性が今一だったのかはわからんが)
>>45
あの時はしゃーないね、復帰直後で体も明らかに細ってた
それでも動きそのものは復帰直後にしてはそんな悪くなかったし、早く慣らす意味でも出てきたのは悪くない
しばらくしたら体も戻ったし
どっちにしろ万全な状態だったとしても四天王売り出しの為のジョバーさせられてたことにはかわりないしw >>48
天龍なんかSWS始めた時とか盛り上げる為にジョージ相手に寝たのをはじめ、わかってるなとは思った(天龍個人は良くてもSWSそのものは…だったけどw) >>52
その前のチャンカンで、中堅レスラーに全勝してる秋山が何故かジュニアのクロファットだけには負けるという謎試合があったな
(クイック負けじゃなく、雪崩式リバースブレーンバスターが決まり手)
秋山は小橋と違って格上げ後全く寝ないってことはなかったな >>64
あれはガチなアクシデントらしいね、その時の武道館は行かなかったので週プロで観た。
91年に話をして戻すとアジアタッグで小橋&エースがディートン&ブラックに負けたのは
俺個人の「世紀の大波乱」。おのおのシングルで闘ったら負けるはずない相手に負けた。 テレビ放送限定になってしまうけど、この年の新日のワースト試合は2月の札幌での武藤対アックスデモリッションに1票で マスクドスーパースター時代を全く知らないからアックスを何で使うのか理解できなかった リックルード&ジョニーエースがディートン&ブラックに勝ったのに、小橋&エースがディートン&ブラックに負けたのは不自然だった。
あとルードのフィニッシュのフェイスクラッシャーはしょぼすぎ。 リック・ルードの全日での扱い悪かったよな
そんなルードを翌年のG1で準優勝させた新日は凄いわ リックルードは当時の全日には向いてなかったのかなぁ… >>77
控室でウイリアムスに喰らわされたんだったな
何でもWWE時代の栄光を鼻にかけて威張ってたみたいだし 日本マットを意識しすぎたのか、妙にスピーディなスタイルになってたよね >>73
日本ではマスクドスーパースターで知られてるんだから何でアックス?と思ったな。
本人がそうしたいと言ったのかな? WWF帰りのアックスとかアレンが結構簡単に負けてたのは悲しかったなぁ… >>82
この時期はデモリッションズでやってたから。
日本限定でマスクド・スーパースターでやって欲しがったが。
カナディアン・ジャイアントもデモリッションばりにさせていたな。
カナディアンはその方が良かったかも。 >>83
シン アレン アックスで軍団作って欲しがったわ。
80年代昭和の新日が復活。
でも相手は藤波、長州、木村健吾くらいしかいないか。
あとは昭和新日にはいなかった。
いても前座や中堅で。
せめてシンとアレンは本格的に組んで欲しがった。
そこにドクや栗栖を絡ませて。 千葉のタッグマッチでアックスがマサ斎藤にジャンピングネックブリーカーを決めたがカウント2で返されてた…その後はバックドロップであっさりピンフォール負け…
この頃の新日は10分前後で急にバタバタと試合が終わるパターンが多かったな〜 7月の葛飾区スポーツセンターをター山が観戦しに行ったが手抜きが酷かったみたいなことを暗に匂わせてる文面があったな〜
武藤対シンが組まれてた >>88
シンの息子が来ていた時だね。
友人で葛飾見に行ったのがおった。
シンの息子やたらでかかったと。
まだ二十歳くらいで。 新日の地方に関しては試合内容は見てないので何とも言えないが、カードに関しては「地方なめてんな」ってカードばかり組んでたのは覚えてる 駒ヶ根市体育館大会の収録見ると元ダイエーのカズ山本が観戦してるのが映ってる そういや91年のはずだけど、
地方のTVマッチのメインの6人タッグで健介が試合前にシンに急襲されて
そのまま負傷退場→代理で越中って展開があったけどあれってブック通りなのか?
健介の流血が尋常じゃなかったけど >>92
あれはシンのスイッチが入りすぎたらしい。
さすがにそれだけの大流血だと厳しいと。
それで越中が代わりに二試合やった。
ブック破りっちゅうよりアクシデントだね。
しかしシンと健介ってのも意外な対決だな。
あの頃は極悪人のシンとまだ善良(っちゅうか悪いイメージがなかった)の健介。
しかし今や極悪人の健介と善人のシン。
この頃の健介はまだあまり知名度も浸透してなかったが。 >>92
あの試合後に健介が『シンの野郎!やりすぎだ』
『長州さん(永島さん?)どうにかして下さいよ』と愚痴ったとか。
健介は試合できずに、更には大流血という痛いオマケ。
愚痴るのもわかる。
シンは猪木以外でもスイッチが入った。
しかも復帰後の新日で。 マッドマックスって、ウォリアーズの真似みたいのいなかったかな? 91年の健介は三銃士を追いかけててがむしゃらさが伝わってきてて好きだった
怪我してパワーウォリアーで復帰してから何か間違った方向に行った気がしてならない 91はチャンピオンか〜にばるが復活
大阪府立が爆発 7月の横浜の三沢、小橋vsハンセン、スパイビーで小橋にキレたハンセンはガチ。 91年の出来事。田上7番勝負と田上vs川田の抗争。
テリーゴディーの場外パワーボムで三沢失神。
2月、ブラックハーツ登場。
5月、ステイトポリス登場。
7月の横須賀。小川の逆襲の顔面蹴りで川田が目の付近を負傷。8年後に目の負傷が理由に長期欠場に繋がる。
三沢&川田世界タッグ初戴冠。
9月、鶴田ギブアップ負け。ハンセンが小橋とのシングルでおそらくハンセン史唯一の1試合ラリアット3発。
ディートン&ブラックまさかのアジアタッグ奪取。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています