【ラッシャー】国際プロレスpart15【グレート】
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いわゆる正面から入る閂式なんだよな
あれをやってるレスラーは今はいるのか マサ斎藤と原が対戦してないなんていう
奴は国際を知らないモグリ >>9
デビル紫にTVマッチでケチョンケチョンにされてた。 >>9
何故か関川は剛とウマが合ったようで自分の結婚式に呼んでるな
剛はラジオで競馬中継をイヤホンで聴きながら出席したとか 1979年にジョントロスがシリーズエースとして来日したのには驚いた。
知名度はあるが当時結構年だっただろ。
翌年のクラップもそうだがジョー、ブルックス、スミルノフ等以外では異色だったな。 >>14
ディック・ザ・ブルーザーの最後の来日も国際だね
ぶっちゃけロートルならギャラが安くすむって事情もあったんだと思う >>10 国際でやったかなあ?記憶にないです すいませんモグリで 鶴見「マサ斎藤が原の技を受けなかったから浜口が激怒。
次の試合で浜口がマサの技を受けなかったら、マサ斎藤が控室に乗り込んできた。
ヒト「オマエが先にやったんだろ」とマサを吊るし上げて、
マサ斎藤はヒトが連れて来た外人が数人いたから大人しく出て行った。
ミスター高橋本「浜口vsマサは折り合いつかず、
浜口が「じゃあセメントでやりましょう」と言い、セメントでやった。
セメントと言ってもレスリングのセメントということで総合のようなボコボコではない。
レスリング経験のない浜口がレスリング五輪出場のマサ斎藤と互角に戦った。
高橋本、鶴見インタビューと有名な話だ。 そのエピソードを浜口にしたら「吉原社長にレスリングのコーチをみっちりしてもらったお蔭」 木村、浜口、原vsマサ、上田、ヒトがDVDに収録されてるな 木村、浜口、原vs上田、斎藤、ヒト
これはちゃんとプロレスやっててお互いに受けてるから、問題の試合は違う試合だな。
https://www.youtube.com/watch?v=MMDDWtdIcGA >>15
ブルーザーも唐突だったね。大木入団に合わせたんだろうか?
往年の名勝負が実現したわけだがブルーザーの怖さはすでになく、本来の性格であるひょうきんさだけ目立ってた。
エース格でないが末期はビルドロモ、ルークグラハムなど峠をすぎた名レスラーを来日させてたな。
大木とドロモの対戦は日プロ時代に因縁があるはずなのにあまり話題にならなかった。 >>21
ドロモ戦だったかルダック戦だったかどっちか忘れたけど
プロレス誌に白黒グラビアでインター戦の記事が載ってた記憶があるなあ
X固め掛けてるシーンだったと思う
子供心に正直「ふっるいなあ〜」と思った記憶 >>22
ルダック、ジョー、ドロモ、上田
大木が国際でやったインター4戦はすべてPもGもグラビアで掲載してるよ
IWAヘビーもタッグもすべて
カラーは少なかったが、タイトル戦を無視するほどないがしろにはしていない >>17
高橋本はまた聞きだからな
この件は試合を裁いたレフェリーの遠藤光男のインタビューが一番リアル感あるよ 浜口はブルーザーにも仕掛けて返り討ちにあったって話が有るけどどうなんだろう? マサ斎藤が国際に参戦した時
おい、そこの弱いのよく聞けとかマイクアピールして
国際は舐められているんだと思ったという話が
なんかの本に載ってたな マサ斎藤はフロリダでフットボール上がりの30歳過ぎの新人マニー・フェルナンデスと連日試合していたぶった。
作戦を考えたフェルナンデスが裸足のマサ斎藤の足の裏をくすぐったら、マサはリング上をのたうち回った。
翌日からマサはシューズを履いてきた。 14>>
俺が当時びっくりしたのが、ボブ・オートン・シニアの国際参戦。
その頃でももう忘れかけていたレスラーだったから、まさか国際に
来るとは思わなかった。これもアメリカで選手物色していた大剛の
「安くて良い選手」の網にかかっての来日だったんだろね。 プロレス誌の煽りで全日が成功させたオールディーズ外人を
現役のうちに比較的ひっそりとやってたってことかな。
ブルーザー最後の来日、レジェンドを見逃すな----なんて煽りが当時にあれば注目されただろうに、
単にロートルを呼んでしまった、みたいに思われたのは惜しいな。
その辺も商売下手か。 そういや浜口の異名は和製ブルーザーだったなw つか国際の和製好きは異常。
和製発電所〜ストロング小林
和製マットの魔術師〜寺西勇
和製ハイフライヤーズ〜井上&浜口
あと和風マクダニエルという外人もいたな(違う違う) >>9
居心地は悪くなかったとか群馬の伊勢崎で国プロから買った興行は大成功だったとか
Gスピのインタビューで答えていた。 >>30
オートンはそこまで高齢ではない
オートンより年上のレスラーが全日にも新日にも普通に来ていた
>>29
当時のオートンはアメリカの南側でしか試合をしていないから大剛ルートではないだろ >>33
たしかオートンが来日した75年、新日にはベアキャットライト、ハンスシュミット、
ブルートバーナードら古豪レスラーが来日してるね。。 >>33
この時のオートンとスローターがAWA提携時代最後の選手
前シリーズがガニア、ロビンソン、ニック、スティーブンス、ウォルフだから落差がひどいね
取引き終わる時ってこんなものなのかな >>31
和製発電所〜ストロング小林なんて言われたか?
和製パット・パターソンは聞いたことがある。
外人も試合中にセクハラされて「ジャパニーズ・パット・パターソン」と言ってた。 木村体制時の12ch時代に来た大物は、元AWA王者のバション、ガニア、ニック。
元NWA世界ヘビー級王者ルー・テーズ、元NWA世界ライトヘビー級王者・木村健吾
アンドレ、ビリーグラハム、カウボーイ・ボブ・エリス・・・ アンドレが参戦したシリーズは客の入りはどうだったんだろ。
アンドレが凄い楽しそうに見えたな。 >>39
アンドレは国際が好きだったらしい
ttps://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2018/05/01/___split_11/index_2.php
「ロシモフは国際プロレスが好きだったんでしょうね。(マイティ)井上さんとも本当に仲がよかったですし。
井上さんが心配してロシモフに言ったそうですよ。『国際プロレスの試合に出て、WWFとの契約は大丈夫なのか?
昔と違ってギャラも高くなっただろうが、うちはそんなに払えないぞ』とね。
すると、ロシモフは『金はいくらでもいいんだ』と答えたそうです。ロシモフは男気のある、本当にいいヤツですよね。 そもそもラッシャー木村をエースにしたのが間違いだった
本人は黒タイツで、エセ力道山路線を狙ったんだろうが、あれは武藤敬司を真似た神無月レベル
走り込んでない細い脚を黒タイツでごまかそうとするところからエースの資格はなかった 最末期に食事代500円、実質ノーギャラで連夜、流血試合を繰り返してた頃は
心は荒んだりしなかったのか?誰も文句とか言わなかったんだろうか? 逆に言えば、木村は金網の中で額切って流血してれば金稼げると勘違いしてたから、猪木に利用されてケチョンケチョンにされたのも自業自得だった >>31
俺は本家ハイフライヤーズより
和製ハイフライヤーズの方を先に知ったけどねw ボブ・オートン・シニアは
バーン・ガニアより3歳若いんだな!
で、同じ昭和50年に息子が全日に参加したとは! バーン・ガニアやオートン・シニアは学生結婚してすぐに子供設けているから、
現役バリバリのうちに親子タッグができた。 >>44
ハイフライヤーズは名前の如く、高く飛ぶチーム。
井上はともかく、浜口はほとんど飛ばないだろ。
難波ブラザースの方があってる。 >>47
そう。浜口はあまり飛ぶイメージ無いのよね。
なんで和製ハイフライヤーズだったのか謎
本家の方もブランゼルはともかくグレッグガニアって飛んでたのかなあ? 国際じゃないけど和製アメリカンドリームなんていうのもいたんだから
この業界で「和製」になった時点で、そもそも的に語るのは無意味だよ。
グレッグガニアはブランゼルほどじゃないが飛んでたと思うよ。
リングインとか身軽そうだったし。 ガニア、オートン同様に大物の息子が来日した例に「モーリスバションジュニア」がいたが
まるで記憶にかすりもしない。。 ウイルバー・スナイダーの息子も国際に留学するって記事読んだけど結局来なかった
息子自体も早々にプロレス辞めたみたい >>51
確かカッコいい名前だった気が
スパイク・ヒューバーだっけ? >>48
IWAタッグが草津&浜口になった時、井上&寺西を和製ハイフライヤーズとして売り出せばよかった。
相手は飛べなくてもいい。井上&寺西の技を受けて、ぶっ飛んでくれて翻弄されればいい。
木村の地味な試合に比べて会場は盛り上がったはず。 クイン・ヘスって強力なタッグにIWAタッグ取れせておいて浜口の咬ませにするのは勿体ない。
もう少しこのチームにベルトを持たせて引っ張るべきだった。 アンチ・ラッシャー木村なんていないだろ
むしろ熱烈な木村ファンだから、木村の堕ちた姿がいたたまれない
国際のエースなら仮にも一般映画の女優が、新日でヒール転向
これはもうAV女優に堕ちたようなもの
そこに留まれば、まだ木村ファンは救われた
ところが髪を浜口に切らせて逃亡とか、いままで自分が成敗していた役をなぜやるのか?
上田やキラーブルックスに怒ってた木村は何だったのか?
さらに恥辱にまみれた1対3だぜ
もう単体で売れないからアナル解禁したようなもんじゃないのか?
それも二度も
東城えみが、リングで受けた恥辱を、なぜ木村はやらなければならなかったのか?
金のためか?プライドはどこにある?金のためなら何でもやる男だったのか 若い頃主役をはってた役者が、中年になって敵役や脇役をやる様なもんだよ それは井上、草津、浜口レベルなら許されると個人的には思う
木村は、あんな卑怯で笑われ者の役を、それまで応援してくれたファンのためにもやるべきではなかった
馬場、猪木だったら、そんな役は絶対引き受けないプライドがあっただろう
結局、二人た違ってエースでありながら社長でなかったために、エースとして自覚が欠落してたんだな ラッシャーは金網デスマッチで、骨折しながら試合を務めたりしたが、
マッチメーカーの何とかさんは、チェーンデスマッチのエースを求められながらも、
何だかんだ言って(自宅を担保の借り入れを理由な)、ラッシャーのような
12チャンネル路線のエースを拒否したわけだ。
加えて、ストロング姐さんの居場所を無くす内部工作まで・・・・・・
何とかさんの葬式、祭壇にはラグビー関係のものしかなかったと門馬さんが書いていた。
獅子身中の虫は草津だったんだと思う。 最初のコンバンワ事件では嘲笑されたけど
1VS3の頃は完全なヒールを努めた
国際時代は格が違うとバカにされたけど
親日では猪木の敵役としては一番だったと思う
国際や木村の意地を感じないか 新日時の木村みたいな「朴訥で寡黙、真面目なヒール」は史上でも貴重な気がするし
木村しかできない最大評価してもいいものだと思うがな。
自分を出しながらも好サポートできる浜口もあってのことだけど。
>>58のような気持ちも理解できるが、
国際側を憎むのはいいけど蔑んでいた一部の新日ファンがあまりに幼稚だったから
実状より印象が悪いんだろうなあ。 1970年頃か、木村とベーカーの金網デスマッチで木村は椅子で足を乱打されて複雑骨折、
半年前後も入院させられて、それ以降はランニングがうまくできなくなったが、この試合さえ
なければ木村は井上押さえて早々と黄金時代迎えていたのではないか。
いったい誰がベーカーそそのかしたのか、或いは実際にレスラー殺しているべーカーの
残虐性が出てしまったのか。結局この試合が国際の崩壊の序章になったように思える。
木村の全盛期に1年近くのブランクは、本人にも会社にも大きかった。ホント、バカな
マッチメークだったわ。 >>64
新日での木村はそんなに悪い事はやっていない。
リング下で猪木の足を引っ張ってリングアウト負けさせる、髪を切るとか
悪い事をしてたのは、ほとんどが浜口。
それはヒールとしていい仕事をしたということだが、
浜口が頑張れば頑張るほど、いい仕事をすればするほど、木村が嫌われたw >>58
例えが完全に間違ってるよ
AV女優になるというのは別のフィールドに行くということ
木村をあえて例えれば
新東宝の主演俳優が新東宝倒産後に東映に行って脇役や悪役をやり、主役を喰うような仕事をしたという感じ
悪くはない話だ >>63
のちビデオで木村のマイク事件の模様を見たらネタにされるほどじゃないと思った。
「こんばんわ、あのですねー」と始まりボソボソしゃべっていてよく聞こえず木村の
逆に朴訥な人柄が感じられた。一方、完全に無視する猪木の方が不遜な感じだった。
ただ当時は猪木に向かって来る者は全て敵と言う状態で完全アウェーの中で空気を
読んで不敵に笑いを浮かべて会場をアジ始める浜口はさすがだと思った。
>>67
映画会社のニューフェイス出身でも役者として生き残るために悪役路線に転じた人も
多い。話は違うけど菅原文太、勝新太郎は二枚目路線では全く受けず注目されず
逆張りの泥臭い男臭さあふれる役で大ブレークした。 >>66
右手のサポーターの中に凶器を隠している素ぶりをするってのはよくやってたね。
でもそれが発覚したのはなかった気がする。
当時の雰囲気では、初対決ではファンからかなり見下されていたけど、大阪での髪切り拒否逃亡で「弱いくせに負けを認めないのか」感が
膨れ上がり、大ヒールに昇格したと思う。 皆さんの木村に対する想いもわかるし、国際プロレスの飛躍を阻んだ草津も理解できる
木村ファンとして大分癒されてることには感謝したい
だけど、どこにでも声が掛かれば、ホイホイと出向き、何でもやってしまうという木村のノンポリぶりはやはり解せない
それでは、やってることは、あのせんだみつおと、何ら変わりないでしょう
寡黙で朴訥な人柄だから、何でも許されると勘違いして、やってることは寡黙なせんだみつお
応援してた国際プロレスのエースが、せんだみつおだったと思うと、やはりどうにも納得行かない
吉原社長も泣いているんじゃないだろうか >>22
ドロモ戦だな
昔上大岡の駅前にあった古本屋で立ち読みしたゴングで見た >>67
俺は、R木村が国際の中で
金網デスマッチ要員になった時点で
一般女優がピンク映画に出たようなもんだと思うがな。
というか、70年代の国際は、その時の邦画と同じ。
ピンク映画とヤクザ映画ばっかり作り、
若者から見放され、興行成績がガクッと落ちた。 国際はエログロ異常性愛路線の東映か
全日がなんとなく東宝(馬場=ゴジラ)で
新日はATGか? 木村が「金網デスマッチの鬼」の異名を持つようになったのって後期の大剛ルート時代かな?
それ以前(AWA提携時代)だと木村に限らず、小林や草津もブル&クラやバション、ワフーらと
金網戦を敢行していて、国際自体のセールスポイントとして「金網デスマッチ」があったような。。 >>70
吉原社長が泣いてると書けば何言ってもいいと勘違い。 >>72
女優だと初々しい清純派→ヌードや悪女も演じる演技派といった感じか。
野口五郎もデビューは「博多みれん」での演歌歌手だったが、プロデュースによりアイドルになった。 ロビンソンは、全日本はショーマンの集まり、新日本はゴッチの弟子、
国際はレスリングをやろうという気概は感じた、と述べている。
吉原社長は、国際の選手に自分のバックグラウンドであるレスリングを
教えて、それを売りにしたかったんだと思う。でも、絶対的なエースを
輩出出来ず、チケットや興行が売れないので、デスマッチを売りに
せざるを得なかった。
食い詰めたフラメンコダンサーが、背に腹は変えられずストリッパーに
なって糊口を凌ぐような感じだったのかな。哀しい話だ。 まぁ理想だけでは、
客は来ない。飯は食えん。
新日本はゴッチの弟子とか
ストロングスタイルを標榜する、と言っても
地味な試合だけでは会場に閑古鳥が乱れ飛ぶ。
大流血戦をやったり、
マクガイヤー兄弟のような色物を呼んだり、
新宿のデパートで外人に襲われたりして
話題を作らなければ(苦笑) >>79
昭和新日は前座は技の制限があって弁当タイムで、その後荒川が笑わせるが
中堅でヤマハは沸くが、永源、木戸、藤原、栗栖とか地味でシーンとしてたよ。
むしろ、国際で客が「珍、見えねえ」レフェリー珍「うるせえコノ野郎!!」とか客と遊んで前座から湧いてた印象。 やはり吉原社長は泣いてたと思うんだよな
場所は国際プロレスが遂に単独興行の叶わなかった日本武道館
リングサイドの招待席には吉原社長と八田一朗氏
全日本に移籍したラッシャー木村の晴れの姿を見守る
が、ラッシャー木村と一緒にリングに上がったのはあの永源遙
なんと二人は、永源のつば吐き攻撃を見守ることになる
永源を止めようともしない木村
ただ、試合後、マイクを握るのは忘れない
「おい、永源、今日はありがとう、社長の方にはやらないように気を遣ってくれたな、おい、馬場・・・・・・」
こんな姿を見るために吉原社長は神経をすり減らして、国際プロレスに情熱を傾けたのだろうか?
こんなことになるならコント55号の興行でもやった方が良かったと思っていたのではないか?
木村は自分を支えてくれた人にあまりにも無神経なのではないか? そんな事は無いと思うよ。
木村は、どの団体でもプロフェッショナルだった。 >>82
自分の好き嫌いを吉原社長に押し付けるな。 潰れた時の負債は一億越えてたんだよね?
1981年で億越えの借金はキツイわな、吉原さんはどうやって後始末したんだろ? >>82
勝手に試合を妄想して勝手に人を泣かせるな
いいがげんにしろキ●ガイ >>87 それは言い過ぎだろう
そんなに品位のない言葉口にしてはいけないんじゃない
木村が上田たちに、同じ言葉吐くようなことしておいて、自分がキ〇ガイ役やったのと変わらないよ スパイクヒューバーってブルーザーのムスメ婿だけど、新日全日の色がついてなくて吉原社長の売り出し方次第で化けた可能性あるんじゃない?
ルックスはまあまあだった記憶がある50歳だけど。 負債は2億5千万円じゃなかった?
草津が保証していた分(5千万円?)は、新日本から出た移籍金で
返済したので、草津は抵当に入れていた自宅を取られずに済んだ。
レスラーには未払いのギャラがかなりあったけど、吉原社長に督促
した人はほとんどいなかった。それどころか、木村は新日本から
個人的に貰った契約金を、吉原に当座の生活費として全額渡した。
パンフレットを作っていた田中印刷(全日本と同じ)も、かなり
未払いがあったけど、「今までお世話になったんだから」と請求
しなかった。
吉原は、浦和にあった自宅を売却し、保険の外交員と、友人が経営
していたギフト会社の役員になったけど、あまり上手くいかず、
毎日呑んだくれていた。
3年後に猪木が顧問として雇い入れプロレス界に復帰したけど、
程なくして胃ガンになり、55歳で逝った。 >>89
国際が売り出して上手く行ったら
ダイナマイト・キッドみたいに新日に引き抜かれて終わりw
やっぱり金があるところには勝てんよ 負債の中には会場費とか入ってなかったのかな?
その辺は金銭トラブルがあると貸して貰えなくなるからキッチリ払ってたのかね? やはり今思えば当時、日本プロレス界の三大エースの中でラッシャー木村だけが、オーナー社長じゃなかった
だから、周囲の人間を食わせることや、プロレス界を盛り上げるために何をすべきかと真剣に考えてなかったんだろうな
あの、こんばんわ事件も、マスコミは朴訥な人柄とフォローしてたけど、いまとなっては、実は何も考えてなかったから、つい口から出たとしか思えないよな
ずっこけて当然だったんだよな >>93
木村は「他所に言って最初にするのは挨拶だろう?何故笑われるんだ!」と怒っていた模様 >>90
負債は2億5千万ではなく、2500万ぐらいでは?
新日との全面対抗戦のギャラで返済できると思ったら、
猪木に値切られた・・・ではなかったっけ? 「こんばんは」の時は猪木の表情が見ものw
「何言ってんだこの野郎は・・・」って顔をしている 大枚はたいて引き抜いたブッチャーより国際軍団の方が
いい仕事するんだから世の中解らんもんである 国際がつぶれた影響もあるけど
木村は猪木に負けても執念深く猪木を追う男のイメージで
負けても商品価値が下がらないから新日は使いやすかったと思う やはり人間としての挨拶より、木村もプロレスラーであることが先じゃない
リング上も、プロレスラーやってる限りは、どこでも仕事、職場なんだから
そこでまず挨拶する自分を顧みない神経というのが、理解出来ないんだよな
アメリカでヒール修行もしてるだろうし、それなら普通「ヘイ、リッスン」から入るだろ
それを「グッドイブニング」から入るのか?
何にも考えてなかったんじゃないか、という疑問が深まるたびに木村を応援してたことが虚しくなるんだよな 木村が猪木に綺麗にピン勝ちするとしたら、フィニッシュは何だ?
ブルドッキング1発じゃダャ≠セぞw
そう考えると、浜口が猪木の足を引っ張ってリングアウトとかにしないと先に繋がらないな。 控室で猪木を監禁暴行とか髪切りマッチで試合中に猪木の髪切って
負けて切らずに逃亡とか猪木のセルと仕掛けは悪魔的だったな
当時、テレビで見てた連中は国際は悪だと殆ど信じ込んでたから ID:MsRl+4x+0
なんで同意を求めようとしてるのか理解不能
独りでラッシャーなじりしたいなら日記帳でやれよ >>101 あれをやってしまった上に、お笑いマイクまでやってしまったが故に、あの辺りから見たプロレスファンに、国際プロレスは貶められた存在になってしまったのが残念
草津の大罪はそれとして、木村がやってしまったことは、国際プロレスに泥を塗ったと思うよ
この前、若いプロレスファンに国際プロレス知ってるか聞いたら、悪役がお笑いやるプロレスだったんでしよ、と言われてショックだった 木村は国際時代の全日との経験とかから
会社は無くなったとはいえイメージとしてはあくまで団体対抗の延長的な感覚で
最初はリングに上がっていったんだと思う
木村の「こんばんわ」はその表われと思うし
でも新日側やなによりもうあの時代の新日のファンが
オープン選手権や三軍対抗戦時代の全日のファンと違って
国際プロレス自体名前くらいしか知らず
実際のR木村や浜口寺西のファイトにほとんど馴染みが無いファンが大勢だったので
プレ日本選手権の狼軍団と同じような
しょせん日本マットで食い詰めた浪人の小集団としか見られなかったかんじがしたな
井上原とはいわなくてもマッハや鶴見大位山稲妻米村、
何なら冬木や菅原高杉あたりのまだ弱い若手でもいいので
せめて5、6人くらいの集団だと(元)団体ってかんじがしたと思うけど
3人じゃシン軍団とかシリーズ毎の外人軍団とかいうのと変わんないというか
小林や剛を付け焼刃的に足してもあの二人はもうあの頃の新日ファンにとっては
そもそも新日の選手(それも落ち目の)ってイメージだったろうしね マティ鈴木「12チャンネルに移ってからの国際プロレスは、正直自分の関係した
国際プロレスではない」。
国際プロレス・クロニクルのインタビューより >>107
国際勢をどういうキャラ付けにするかはっきり決めていなかった
新日のあいまいさも一因だろう。
実際、シングル2戦目までは対抗戦の色合いが濃くて試合後に
猪木と木村は握手。年末のシリーズでは木村は戸口、寺西は永源と
タッグを組んだりしていた。
この時点では新日側に組み込むことも考えられていたと思う。
ただ、翌年からタイガーマスクや長州の台頭もあり、新日が大会場での
興行を頻繁に行うようになり、メインの猪木の相手が手薄になっていった。
その頃から体力の衰えが顕著になっていた猪木にとって、木村は
うってつけの相手だったんだろう。 >>106
金網の鬼になれ、ヒールになれ、お笑いプロレスをやれと
上から命じられれば、逆らうことなく黙々とこなす。
それが木村の処世術。
そうでなければ7団体も渡り歩けるはずがない。
変にプライドが高かったら、レスラー人生を全うすることは
できなかっただろう。 >>109
81年最後の蔵前、メインは猪木&藤波vsハンセン&ボックの第4試合で
◯長州&谷津(バックドロップ〜体固め)健吾&●寺西
寺西は10月の蔵前が藤波、11月が健吾だった。
パンフ見て驚いたが、国際との対抗戦は終わりなんだなと思った。
ところが、2月の大阪だかで浜口が猪木の足を引っ張って木村のリンクぜアウト勝ちで
また引っ張り始めて、猪木の糖尿欠場からの田コロでの復帰戦、髪切り、2度の3vs1、5分KOと引っ張った。 >>108
鶴見が国プロに入団したのは殴る蹴るの流血戦の日プロよりヨーロッパスタイルの
スマートなレスリングに魅力を感じたからしい。ファイトマネーの未払いが一番
多かったのは鶴見だったらしく見物支給だったのか?ロシモフが優勝したIWAワールド
シリーズの首にかけるトロフィ?を貰い数年前に闘道館に持ち込んでいた。
木村IWAシリーズ初制覇のマリガン戦が動画サイトに上がってるけど放映時間は土曜の
午後になり地方で打ち切られていた所もあるらしかったけど客が入っている・・・ こんばんわ事件は当時まったく打合せとかがなかったせいだろうと思うよ。
試合がケツ決めだけであとはアドリブという世界そのもの。
今なら少なくとも国際3人でおまえがまずこう言え、そしておれはこう睨む、みたいな
相談をするだろう、練習までするかもしれない。
念入りなら猪木や戸口、レフリーまで交えて稽古しておくけどね。
今の新日マットでなら、だけど。 木村「おい猪木、このタコ」
猪木「誰がタコじゃ」
木村「何コラ」
猪木「何だコラ」 >>114
正直、あの場面こそタココラ問答で十分な場面であって
木村が猪木につっかけて猪木も応戦しようとする
そこで大乱闘になりかけるのを
浜口寺西やセコンド総出で大将の猪木と木村を分けて抑える
最後は半ば(本日の仕事終えて)退場モードの国際軍団に対して
今日のメインの戸口まで揉み合いに割って入り
浜口か寺西をリング外におっぽり投げて気勢を挙げそのままメインエベントへ
国際軍団は場外で悪態つきながらさっさと退場して
リング上の猪木×戸口にバトンタッチで良かったと思う
と、いうか上でも書いたけど
あの頃の新日ファンの大半は
木村たちが全日と対抗戦やってた頃と違って
実際に国際のレスラーのファイトなんて
殆ど見たことのないファンが大半だったろうから
そもそも国際についても不人気で潰れた二流団体、
既に落ち目だった小林剛あたりが昔エース級でやれていた団体
(実際には国際時代の剛は期待の若手でしかなかったわけだが)
というネガなイメージが強かったろうしね
最後まで旧来のおっさんファン中心だった国際と
あの頃の猪木人気から藤波タイガー人気で新規の若いファンが
(それは末期国際だけでなく馬場や小林の全盛期も知らない層)
どんどん入っていた新日のファン層の違いだったんだろうけど >>82
武道館といえば馬場最後のPWF防衛の相手も木村だったな
メイン登場も含めてまさに最高の礼って感じで こんばんはの時は寺西は会場に行ってない
合宿先の秩父で飯作って待ってた
寺西「田コロどうだった?」
浜口「まいったよ、木村さんが『こんばんは』とか言っちゃってさ」
>>82みたいな妄想じゃないぞ
最近のインタビューで浜口と寺西が語ってる 吉原社長が亡くなった直後で、鶴見が国際血盟軍の旗を掲げ、
セコンドの剛・高杉・菅原が喪章を着けての一騎討ち。
馬場が勝ったけど、天下の宝刀ランニングネックブリーカーを
繰り出し、木村の足をロープに掛けたのをレフェリーが見落とす
形にするなど、十分に配慮していた。
馬場なりの、吉原社長に対する惜別の儀式だったのかもな。 >>117
> こんばんはの時は寺西は会場に行ってない
ああそうだったな
実録に書いてた
あれ読んで浜口や寺西、けっこう内心では厳しいじゃんと思ったわw
でもそれならあの時は尚更全員で行くべきだったと思うなあ
そういうのも含めて113の人書いてるように
国際側も事前の準備というか
あの状況で新日のリングに上がって挑むということへの
心構えというか認識自体が
新日側や新日ファンとはズレてたと思う 国際側は「抗争」っていう発想が希薄だったんだろうね。
あの3人を猪木の抗争相手として大ヒールに仕立て上げた新間の
プロデュース能力は凄かったな。 あの時木村が「我々は秩父で合宿を」て言ったら新日ファンに「秩父だってよ!国際らしいぜ」て失笑されたらしいね。 >>118 なるほどね
皆さんの意見で段々と見えてきた
馬場しかり、こんばんわの後を引き受けた浜口しかり、皆で木村に配慮したり、やらかすことの尻拭いをしてたんだな
ところが、猪木なり、新間なり、こんな奴に配慮する必要ない、とことんペシャンコにしてやれ、となると、ああなっちゃうんだな
でも、あのこんばんわをやられた猪木からしたら、こんなのと一緒にされたら堪らないと、グレートアントニオの時と同じ悪意が芽生えても仕方なかっただろう
配慮されない木村は、自力では何も出来ない、なすがまま
ラッシャー木村は、肉体的にも技術的にはプロレスラーでも、プロレス的にはベビーシッターが必要な赤ん坊というか、子供のまま成長してなかったということか
こんばんわをやらかしても、挨拶して何が悪いとなってズレまくってた木村は、プロレスラーになっちゃいけないプロレスラーだったんだな ズレまくってると言えば、オープン選手権でブッチャーの乱入で負けた時から、おかしいなと思ったんだよな
あのシナリオは仕方ない
だけど何で猛抗議してるのが吉原社長で、なだめてるのがなんで木村なんだ
逆だろ
木村の猛抗議を吉原社長が止めてなだめる。そこでブッチャーとの一騎打ちに持ち込む、ならわかる
結局、ブッチャーとやりもしないし、木村納得の負けでシャンシャン
あれはこんばんわ以上のタチの悪い失態だった気がするし、最初からあのシナリオなら、吉原社長もプロレスセンスなさすぎのどちらかだ ついでに言えば、木村が猛抗議して、吉原社長がなだめれば、背広を血で台無ししてまで、と強い想い意思も伝わる
でも、その逆だから、木村が納得してるんだから背広汚してもったいないな、だろ オープン選手権での、木村(両者リングアウト)ブッチャーは、12チャンのプロレスアワーの方で写真付きで報道されていたね
あと馬場にカウントアウト負けした時もプロレスアワーで、裁いたレフェリーに国際でのリングで試合後木村が放送席に立ち寄り文句いってる場面があったな
確かに木村は、セルフプロデュースの能力はあまり無く、流されるまま
生きてきたのかも知れない。
でも、強かったし、プロレスも巧かった。そして、朴訥とした人柄が
周囲から愛された。だから、周りがプロデュースしたりサポート
してくれたし、長年活躍出来たんだろう。
団体のエースとしては物足りなかったし、それが国際崩壊の要因の
一つでもあったかも知れない。それでも、木村が日本プロレス史上に
残る名レスラーであった事は間違いない。 >>127
木村はプロレスうまくないだろw
ロープに走るだけで足がもつれてるし、井上と試合したら足がこんがらがってた。
井上のドロップキックに対抗して木村がドロップキックやったら、井上の土手っ腹に当たって井上悶絶。
1m上がってなく、普通に前蹴りやった方が高く上がる。 >>128
全日時代の馬場とのシングルマッチで馬場が木村をロープに振るとなぜか馬場がコケて
寝転んでしまって行き場に無くなった木村がロープから戻ってきて馬場の足に自ら当たる
という「ひょうきんプロレス」のような攻防があった。
名勝負本で猪木戦の解説を作家の高千穂遥が書いていて「猪木とは次元が違いプロレスラー
のなったのが悲劇だった・・・」と辛辣なコメントがあった。
ネットに上がっている木村の試合で個人的に唯一の名勝負は日本人対決と話題になった
小林のIWA防衛戦くらいかな? 浜口が言うには足を大怪我したのがやっぱりマズかったそうだ>木村
ハンセンに「横の動きが悪い」と言われたのもその後遺症かもしれん もしも、はあれだけど足をやられなかったら
黒のロングタイツは穿かなかったかもしれないな。
黒以外のラッシャーはあまりイメージできないが
紺や深緑のショートタイツのラッシャーとかはありえたわけで
印象がだいぶ違ってくる。 もちろんベーカーに負わされたケガの後遺症もあったろうが、
もともとフットワークが良いタイプではなかったと思う。
馬場との試合に関しては…コケた馬場が悪いのだが、馬場の前で
立ち止まり、ボストンクラブを仕掛けようとして、ロープに
エスケープさせるぐらいの事は出来たと思うけど、突然の事
だったし、相手が相手だから、どうにも出来なかったんだろうな。 >>131
黒のロングタイツは、脚をケガする前から着用してた。
でも、この頃は均整が取れた体型だったね。
http://white.ap.teacup.com/corona/1119.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) ドロップキックやロープワークなんかは足やっちゃったこともあるけど、ラッシャーのイメージには合わないな。
やっぱりラッシャーはリングの真ん中でどっしりしているのがカッコいいいと思う。
いま見れるラッシャーの試合じゃ鶴田線が一番良いと思うな。
対抗戦の緊張感、エースの誇りに先輩の意地、そして熊のように太いラッシャーの身体。対する鶴田の若さや躍動感も素晴らしい。
個人的ラッシャー対日本人の好勝負ランキングは、
鶴田>小林>>馬場>>>猪木だな。対猪木戦はラッシャーも猪木も年取りすぎて内容は最悪に近いと感じてる。 木村もなんだけど、鶴田にとっても木村は良い相手だったね。鶴田があれほど闘志むき出しで向かっていけた相手は他にないかも。
馬場さんには遠慮してたし、長州にはすかし気味だったし、天龍には挑発されて返す感じだったし。 昔見た蔵前の猪木対木村、猪木は、運転手付き高級車で来場 木村は、駅から徒歩で来たんだが、ガキどもは、こんばんはと言って木村をからかっていたな 木村は、くしゃっとした顔をして無言で来場したのを思い出す
またこの日は、長州が藤波に初めて勝ち凄い盛り上がった蔵前でした ラッシャー木村が巧いレスラーって言うのは、さすがに無理があるだろう
国際時代の面白い試合はほとんどラフファイター相手
テクニシャンとの試合は見れたもんじゃない
最後に国際がせっかく高い金出してガニアを呼んで、IWA王座の行ってこいをやったのに、同じ行ってこいの馬場とブリスコ、レイスなんかと比べるのが恥ずかしい塩で悲しくなったし、その後、馬場対ガニア見て、その差歴然
モンゴリアンストンパーなんか相手でも、いきなり試合開始から乱撃戦で盛り上がったのに、突然、なぜグランドの攻防で塩ってしまうのか
試合を作る側に立った木村は、いい試合が出来る相手が限られてたと思うが
鶴田戦も良かったが、いま思えば試合を作ってたのは鶴田 チョップの撃ち合いで鶴田のほうから引くんだよね
あれこのオッサン思ってたより強いぞって表情で 鶴田対木村良いよな。
思いがけずガッツリ好勝負になってる。 脚の骨折前の木村の試合を観た事が無い若者が多いのかな?
骨折前の木村は後年のラフ&パワー一辺倒ではなく、脚の動きもスムーズでテクニックもあるバランスの良いレスラーだった
それだけに骨折したのが惜しまれる ファミ悪前の木村の試合見たことある時点でおっさん… 骨折前からの木村からプロレス見てることを自慢するなんて、自分は世捨て人と自白するようなもんで、よく口に出来る
ターザン山本信者なんだろう 骨折前の木村の映像はまったく残ってないし
だいたい凱旋帰国して2シリーズ目にやっちゃってるから、
骨折前の木村の記憶というのはかなりレアだな
まぁ海外修行前にタッグ王者になった珍しい例だから、その頃も含めればもう少し広がるか 国際は草津、杉山、小林、木村、井上、浜口、原と個性があるが活かせなかったな。
こんな形が理想だったのでは?
寺西が若手相手にテクニックで翻弄する。
浜口が外人にガンガン行って玉砕する。
杉山がユーモラスな試合で笑わせる。
井上がテクニックで沸かせる。
小林がパワーファイトで盛り上げる。
木村が大流血もラッシング殺法で溜飲を下げる。
草津がエースとして決める、いや伸びる。 昔、国際が「古いパンフレット譲ります」つう広告記事で何冊かまとめて応募したんだが
その時書留に金だけ入れて、希望のシリーズかくの忘れて投函しちまって。
で、国際の事務所に直接TELしたの女性w。 事務の女性(おばちゃんっぽい)が対応してくれて
まあ最終的には事なきを得たんだが、懐かしい思い出。80年3月の4大王座戦のポスターみたいな
一枚物プログラムもあったんだが引っ越しの時に誤って?処分してしまった。もったいない・・(泣
カンケーない話ですまん。。 そのターザン山本はラッシャー木村のことをどう評価してたんだろうな?
あまり記事を見たことない
何でも誘われるがままやってしまうという点では、ラッシャーイズムの継承者にも見えるが >>147
単なるパッとしないやられ役って認識だったと思う
たぶんターザンは国際プロレス自体よく知らなかったはず
ファイト時代も単なる井上編集長の茶坊主で
元々プロレス自体それほど詳しかった人じゃないから >>147-148
ターザンってファイト時代は国際(と全日)担当だったんだけどな
ただ紙面の都合で書いた原稿をボツにされ続けたりオマエはこっちの方に詳しいからと競馬や映画の記事を書かされていたのがベーマガに移籍する理由の一つ(本人談)だったそうだけどね
ファイトって俺が知る限り事実上の別冊だった「オフ・ザ・リング」を含めて国際の事はそんな悪くは書いてなかった印象がある >>147
温厚な木村から「君には色々書かれたからねぇ」と言われる男
UWFのスタイルに付いて行けないから離脱したと書いたのも山本 >>147
80年代後半に控え室でポツリと
「君には『木村は向上心がない』と書かれたからねぇ。」と冷たく言われたらしいね。
丁度新日で浜口と仲間割れして、ファンの評価が浜口アゲ木村サゲの時にターザンが便乗してそんな記事を書いたらしい。 >>139
両者初のベストバウトでもあったんだよな
木村にとっては唯一だが 背が低くて妙にスピーディーに跳ね上げる相手や
逆に背が高くてのっそりゆっくりとぎこんばったん式に跳ね上げる相手に
ショルダースルーかけられるのは両方とも怖そうだな >>155
そのスレ見てからこのスレきたから
何の違和感もなかったわw >>154
越中だかが練習生の時の受身の練習で鶴田のショルダースルーが高くて落差があるから怖いと言ってた。 昔月刊プロレス選手名鑑で掲載した得意技部門で、若松は力を主体にした技?みたいなことが書かれていた 当時国際時代テレビで若松の試合見た記憶なくついに不明 後に猪木戦があり、若松がどんな技見せたか覚えてない 得意技普通は、技の名前を出しそうだが 若松は、得意技と呼べる技は無かったと思う。国際では裏方メインの
万年前座だったからね。
チョップ・エルボー・グラウンド…ボディスラムとボストンクラブ
ぐらいは出来たんだろうか?
マッハ隼人によると、「若松は運動神経が無く、回転エビ固めを
教えたら、相手にしがみついてしまい、マスター出来なかった」
との事。
ちなみに、アンドレと組んで猪木&上田と対戦するに先立ち、
ヤングライオンの練習に乱入して野上にアキレス腱固めを決めた
写真が週プロの白黒ページに小さく掲載された記憶がある。 全日本プロレス時代は、ファンからも暖かく迎えられ、「お金の心配をする必要もなく、心地よくいさせてくれた」そうですが
その後ノアに移り、ラッシャー木村が死線を彷徨っているときに、
全日本プロレスが団体保険を解約したいからハンコをくれと言ってきたと憤慨しています。
それは馬場が亡くなってから10年以上たってのことであり、
全日本プロレスを引き継いだ武藤敬司が経営難に陥ったためです。
以前、桜田一男が、全日本プロレス時代に厚生年金を払ってもらったことを感謝する記事を書きましたが
団体保険も入っていたんですね。
しかし、武藤敬司はそれも食いつぶしてしまったと。
そもそもラッシャー木村がやめてから10年も経ってその保険を見直すというのは、
プロレス団体がいかにいい加減な経営かというのがわかりますね。
いずれにしても、ラッシャー木村というのは、人がよく自己表現が苦手な一方、
お金については比較的割り切った人だったのかもしれません。
といっても、それは守銭奴ということではなく、世話になった吉原功社長や
苦労をかけた家族の生活のためだったのでしょう。 吉原社長は、木村の奥さんに不定期に「5万出来たから」「10万出来たから」
と、木村を通さずお金を渡していた。
木村に渡すと、酒代に消えてしまうという危惧があったのかな。
木村も、吉原社長が身を削って家族の生活を考えてくれていた事を
知っていたから、新日本から貰った移籍金を全額渡したんだろう。
全日本や新日本では、あり得ない話だな。 >>151 そんなことを書いたんだ
それはさすがに酷いな
ターザン山本はとんでもない奴だ
ラッシャー木村に向上心があったのはファンなら皆、知ってることなのに
裏足四の字固めなんて、向上心の賜物だろ
学校で皆やってて、デストロイヤーの真似するなと怒ってた先生が、これはラッシャーの新必殺技だ、知らないのかとバカにされてたな
確か全然、痛くなかったけど、どうしてギブアップするのか不思議だった思い出がある マッハ隼人に教わって使うようになった「風車吊り」。全日本で
馬場と組み始めた頃に試合で使い「これは懐かしい」と週プロで
紹介されていた。
後年、チョコボール向井がFMWでデビューして、「駅弁固め」
の名前で使うようになった。 >>165
どうやってかけるの?
ベアハッグ→相手の両足を乗せる→胴に巻いた手を上にズラしてネルソン? >>166
木村の場合は、それで合ってると思う。
向井はロープの反動を利用している。
下記動画の18:45から。
https://youtu.be/wf7dmem1_14 あ、本家の動画もあったのか。
木村もロープの反動を利用してカウンターで決めてたんだね。 >>162
木村は人がいいから、自分よりもっと貰っていない後輩とかに
金を渡してしまったりすることを危惧したんじゃないかな。
息子の証言として、芳の里から頼まれて50万円の磁器入り布団を
買ってしまったこともあるそうだから。 しかし、木村の試合は地味だな。強さは伝わってくるけど。
だからこそ、金網デスマッチというギミックを売りにせざるを
得なかったし、それでも興行成績が振るわなかったんだろうな。
もちろん、木村だけのせいではないけどね。 >>171
MMAだったら木村はジャブ1発で終わりそう。 >>159
若松は怪我で出遅れて若手の中で浮いてて弾かれてた野上と一緒に練習してたんだよ
野上も当時一緒に練習して貰って感謝してるって言ってたな >>171
あの時代はまだフィニッシュホールドとして通用してたってのがあるんだけど
国際の選手ってみんなブレンバスター、バックドロップ、Wアーム、サイドスープレックスあたりを使って
さらにフィニッシュは回転エビか逆エビ率が圧倒的に高いんだよ
井上や寺西が回転エビを決め技にするのは軽快な業師のイメージに合ってるけど
みんな自分のイメージをあまり気にしてなかったのかあるいは第三者とは違う風に捉えてたのか・・・
正直木村なんてラッシャースープレックスとかいってWアームなんかやってたけど
ロビンソンはもちろん鶴田なんかに比べても明らかに見映えが悪いわけで
木村に限らずだが国際の選手はなぜか
「うちの選手もスープレックスや技巧的な回転技や固め技くらい出来るんですよ」風に
やっちゃうんだよなあ
まあマッチメーカーのあの人が四の字コブラ回転エビジャーマンドロップキック吊り天井・・・
思いついたように他人の技を無節操かつ不細工に真似しちゃうタイプだったからなあ 若松らしい話だな。
冬木の事も「彼は入門する前は運動してなかったから、腕立て伏せや
腹筋が出来なくて、毎日泣いていましたよ。でも、優しい言葉を
掛けたら、めげてしまって辞めちゃうと思ったから、あえて厳しく
したんです」と言っていた。一方、冬木は「若松さんは、俺に腹筋を
1000回やらせる時は、自分も1000回やるんだ」と言っていた。
一緒に練習しよう。俺も頑張るから、君も諦めずに頑張りなさい。
それが、若松の若い人に対するスタンスであり、彼なりの優しさ
だったんだろうな。 >>173
野上は若松さんマネージャーでヒールやりたいと話してたよ >>174 逆エビ固めのフィニッシュっていうのが一番萎える
特に晩年、せっかく木村の金網見れたのに、逆エビフィニッシュはないだろう、KOの完全決着だから金網の意味があるんだけどわかってないなと思った >>174
>四の字コブラ回転エビジャーマンドロップキック吊り天井
句読点入れろよ。どんな技かと思ったわ。 でも、3カウントフォール・30秒経過・10カウントでKO成立は
間延びし過ぎだったな。少なくとも、タイムキーパーによる30秒は
必要無かった。
ボストンクラブは、第一試合のフィニッシュになる技だから、
メインのデスマッチやタイトルマッチの決まり手としては、
たしかに物足りなかっただろうね。
ただ、バションが木村のボストンクラブでギブアップした試合は
リアリティがあった。と同時に、いくら極東のローカルマーケット
の試合とは言え、あのバションがよく受け入れたものだと感心する。
ある程度、木村の強さを認めていたんだろうか。 プロレスで強いとか、木村が強いって表現には、スマンがちょっと違和感あるが >>179
S50年以降、日本ではフィニッシュになるがアメリカではダメな技として逆エビ、バックドロップ。
逆エビよりも4の字、バックドロップよりもブレーンバスターの方が見た目が大きいからか?
だからか、木村は逆エビでのフィニッシュが多かったが、意外と大物外人が受け入れている。 木村は、昭和45年の秋に凱旋帰国した時は
「回転4の字固め」を新兵器にしたが、
これが浸透しないうちに、金網デスマッチをやらされ、
2度目の海外遠征の後は、人間風車や裏4の字とかも
公開したが、どれもパッとしなかった。
結局,張り倒して逆エビ固めが似合わっている。 >>181
昔のアメプロのバックドロップって片足持ち上げてヨイショッと投げるみたいなカッコ悪い投げ方が主流だったし、モーレツにダサかったよな 自分は馬場と仲間割れした最強タッグの天龍に決めたクロスチョップが好きなんだよな
あの武骨で見ようによっては不恰好だけど重い一発のかんじが
ラリアートなんかより木村のイメージに合ってた気がするんだよ
ブレンバスターもバックドロップもWアームも回転四の字も風車吊りも器用にできる木村じゃなくて
クロスチョップも逆エビもありふれた技だけど
木村がやると(他のレスラーと違って)必殺の一撃、フィニッシュホールドになるって方が良かったんだが 木村の技は、不格好なカッコ良さがあった。
ブルドッキングなんて、真骨頂だったよ。 >>178
ワロタwww
少なくとも「片翼の翼」って技名よりは必殺技感が強めだよね >>184
自分もラッシャーのクロスチョップが好きだった。
何て言うか体全体を使って、薙ぎ倒すような感じで説得力があった。
新日でアンドレをダウンさせたシーンが良かった。 >>185
他のレスラーならポーンと大きく飛んで叩き付けるのが格好いい技なんだけど
木村だと飛ぶってより体重かけてグシャってねじ伏せるかんじなのが
なんか重量感あっていいんだよな >>184
最強タッグ、あの試合は仲間割れまでの馬場木村組が本当押してて興奮したんだよなあ。
木村のそのクロスチョップ、ブルドッギングヘッドロック…
「チャンスだ、行け、行けー」て観てて燃えたなあ
天龍なんか顔面蒼白になってたから…
段取りかもしれないが剛が出てきたときはガッカリだったなあ。
でもあのとき馬場は剛に引っ込んでろ的な言葉やゼスチャーしてたんだよね…?! ラッシャー木村の不満な点は、額をカットするカッターの刃を、いつもセコンドに渡してもらうところだよな
猪木だって自分で持ってくることもあるし、首を切ったりとか危ないことやって見せたり、大木戦の流血なんか見事だった
ラッシャーはいつもセコンドから渡されて、律儀にまた返すからいつもバレバレなんだよな
またグーの握り拳作って、リング下でうつ伏せのワンパターン
流血を売り物にしてるんだから、自分で隠し持ってくるくらいの努力はして欲しかった
せっかくキラークラップと試合したのに、ブレーンクローで流血しないんじゃ意味ないだろと切に思った >>187
上田とかヒトがやるクロスチョップが正面から真っ直ぐひょいと突き出す
いかにもスキニーな痛め技や局面を変えたりつないだりする技ってかんじだったのに対して
木村のは上半身半身に捻って振りかぶるかんじで斜めから叩き付けるのが重量感あってねえ
あれハンセンのラリアートみたいにロープに振ってやるぞ!ってアピールもやりやすいし
もっともったいつけてフィニッシュ技として使えば
無骨な重量感溢れるかんじが木村の場合は逆に説得力になった気がするんだけど
>>189
あの試合(途中までは)良かったよねえ
言い方悪いけど鶴龍という絶対エースのわりにというか
それ故にイマイチはじけないコンビに対して
馬場木村が闘志と貫禄で押してるってかんじで
ホント仲間割れする筋書きだったとしてももっと後にして
あの試合はまさかの馬場木村という古武士が若い鶴龍をストップするってので良かった気がする その前の馬場木村対ハンセンブロディ戦もなかなかだったじゃないか!
ハンセンブロディの攻撃を真正面から受け続け、タフネスぶりを証明した。
木村対ハンセン、木村対ブロディのシングルも見たかったな。 向かうところ敵なしだった超獣コンビにさえ技をパクらせるウォリアーズって
どこまで注目されてたんだって思ったな >>191
そうだよねえ。ラッシャーのクロスチョップ上半身を捻って、相手の首筋
に右横から思い切り叩きつけてるから、威力十分なんだよね。新日ではあ
まり使わせてもらえなかったのが残念だった。
個人的な感想なんだけど、新日の時、ロサンゼルス遠征から帰国してきた
とき、ラッシャーの体が一回り小さくなったような感じがして、何か残念
だった。 新日でやった木村とアンドレ・ザ・ジャイアントの試合を改めて見たが、クロスチョップ一発しかやらせてもらえなかったんだな
井上はボン中だったから色々やらせてもらえたとはいえ、木村は、あれでは国際プロレスの元エースというより、ジョバー
なんで自分を応援してくれた国際プロレスファンがいたのに、あんな試合しか出来なかったんだろうな
ああいう試合があるのに、木村が強いっていう意味がわからない >>195
その試合のブックを決めたのは木村本人じゃないだろw
アンドレを貸したんだから、新日側からの試合に関する条件もあっただろうし >>196 勘違いしてると思うよ
新日の清水でやった試合のことだよ 木村は完全に負けても猪木のライバルでいれたのが凄い
執念の男のイメージなんだろうが、他にそんなのはいない
案外と猪木は手の合うライバルとして重宝していたと感じる >>194
井上とのIWA戦でのチョップ、クロスチョップはかなり当たりが強い。
新日での浜口戦の張り手も凄い。 >>197
国際が潰れて新日の雇われレスラーになったんだから
尚更、新日のいいように使われただけだろう。 勤めていた会社が潰れたのを拾ってもらった上に、ギャラが格段に
アップして遅配も無かったんだから、多少人使いが荒くても、それは
仕方が無いよ。 >>200 それは分かるんだけど、ここで言われる木村が強いっていうのが、何とも合点がいかないんだよ
例えば、原とか上田がハンセン相手に木っ端微塵のジャブやるのはわかるんだ
お仕事だし
だけど木村は仮にも国際プロレスのエースを張った男だろ
今日は、アンドレに10分以内で、最後はケツで潰されて下さい、と言われて受けるのもわかる
だけど、そのケツ決めの中で、相手にここまでやらせたらお終いとか、この一線は超えさせないとかあるわけじゃない
そこでギクシャクする部分で、こいつ強いから怒らせたらまずいから一歩引こうとかがありつつケツ決めに向かうだろ
そういう意味で木村はなすがままで、いいところも売らないで、アンドレのケツの下敷きになるジャブやってるだけで、どこに強さとかプライドがあるんだろ、って思うんだよ
ひょっとしたらアンドレに屁をかまされても平気なくらいプライドがないんじゃないかって疑問なんだよな 新日時代の負けるにしても高野俊二とか滅茶苦茶駄目だったな
結果以外不甲斐なさまで支持されてたとは思えない
前田はその点負けという事になってる試合でもガッツを見せてた >>203
アンドレの事、クロスチョップでぶっ倒したじゃないか。
坂口なんて、それすらやらせてもらえなかったんだよ。 >>203
ここで言うプライドって何だよ、プライドってw >>206 簡単にジョブ負けしないことよ
クロスチョップと、蚊が指すようなストンピングだげでは、寂しいじゃない
アンドレにほとんど相手として無視されてるような試合
木村は国際プロレスのエースだった男だよ
浜口も新日の途中で木村と別の道行ったけど、木村が国際プロレスのエースのプライドもなく、とことんジャブるから、このままだと道連れと思ってたんじゃないのか?
それより悪いけど、木村の強さって何か教えてよ 木村さんの試合で、一番好きなのって、
全日本・世界最強タッグ1985年開幕戦の木村・原vs長州・谷津。
国際の最後のエース木村さんと時期エース予定だった原さんが、
維新軍(ジャパン)の看板タッグチームと当った試合。
木村・原組って、そんなに長くタッグを組まなかったかもしれないけど、
地味ながら、いいタッグだったなぁ。 >>207
木村は一敵役であって猪木でもアンドレでもない。 >>208
個人的には84年最強タッグでのファンクス戦がなかなかいい。
特にテリーと木村は結構手が合ってたと思う。 木村対テリー、オープンタッグでシングル戦やって両者リングアウトだった 木村が鉄柱?に短髮のテリーを、叩きつけようとする写真は、両者の表情が良く撮れており迫力あった >>207
なんかこいつプロレスラーをプライドの部分だけ格闘家かなんかと勘違いしてるな
頭悪いのかな 木村はエースになりたかったんじゃないんだろう。
他に適役がいなかったから仕方なく押し出されただけ。
力はあるけど偉ぶらない渋い脇役みたいなのを望んでいたんじゃ?
おれがおれがみたいな性格じゃないんだろう
だから常にオレがエースだ、みたいな自己顕示がない。それが歯痒いんだろうな、彼は。 でも、国際時代は「末雄の背中を流す気は無い」とか言って、
自分が一番強いしエースに相応しいと思ってたんじゃないか?
それも、マスコミ向けに言わされた発言だったんだろうか? >>214
> それも、マスコミ向けに言わされた発言だったんだろうか?
ほぼそうだろ。
あとはエース云々は関係なく「後輩に負けるのは嫌だなあ」くらいのものじゃないか。 人間だから後輩や自分よりガチンコやったら弱いと思う人間の後塵を拝することに
内心忸怩たる思いの全く無いってことはないだろう
たとえマスコミの誘導でも井上へのその発言や小林に対する発言などにはそれは感じられる
ただそれを表に出して発奮材料にするかとか
自らのキャラやストーリー作りに上手く活かすかとか
いや、それはそれで団体内のレスラーとして普段は極力自分の中に収めて
与えられた役割や序列に忠実に徹するのかとは本人の性格や処世感次第ってことだろう >>212 プロレスラーでプライドが極端に高いのがブロディやマスカラスだろ
その爪の垢くらいあっても木村にあってもいいんじゃないかな
それより頭悪いオレに木村の強さがどういうものか、わかりやすく説明してよ >>217
俺は木村が強いなんかアピールしたことないけど国際のレスラーの中ではガチンコが強かったってだけじゃね?
関取にはなれなかったけど幕下中位まではいったんだからプロレスラーの中じゃ普通に強い方だろ
ただ、アンドレにいいところなく負けるブック飲んだぐらいで、何をそんなに気にしてるのかサッパリわからんな
プロレスラーの見た目の強い弱いに無意味にこだわってるのはお前じゃん
何プロレス業界の作ったムラ社会の格に馬鹿みたいにいつまでも縛られ続けてんだよ(笑) CS放送のG+で鶴田とラッシャー木村戦放送するな。鶴田試練の10番勝負 >>216
後輩に負けるのが嫌なら馬場みたいに永久トップになりたかったのかな?
高杉「木村さんは相撲は強いけど、グランドはそんなに強くなかった」
木村は新日での中西みたいな位置がよかったのでは?
相撲でのガチは強そうだが、MMAだと秒殺されるな・・・みたいな感じ。
プロレスラーとしては自己プロデュースも含めて井上の方が上だと思う。 >>220
たぶんそこまで具体的なイメージとかは無かったんじゃない
自分が自分がって出ていきたい人じゃないし
ただ「自分は後ろに下がる=後輩や弱い奴がエースでも100%納得できる」かってのは
これ人間の感情の問題なんで合理的論理的に「だったら納得して〜」って言っても詮無いことかと
国際には木村以上に
自分はエースに立たないけどマッチメーカーになることで
エースの負けブックやセミ前登場とかをさんざんやった一方
自分はエース外国人を颯爽とKOしてみせたり
タッグマッチでさえ負け役を頑なにやらなかったり
メジャー競技で世界選抜に選ばれたほどの自分がスカウトしてきた後輩を
「(その世界では)自分の方が上だ」とか放言しちゃうような人だっていたわけでw 木村も小林も大人しい性格だったからインタビュアーがそれをかなり誇張して記事にしてたみたいだな。2大エース様揃って控えめで自己プロデュースがなかったのも国際の悲劇 下記エースの条件として当てはまるのは
@カリスマ性 小林>井上>木村=杉山>草津
A他格闘技からなめられない程度の強さの実力を持っている 杉山>木村>井上>小林=草津
B人気(集客、テレビ視聴率が取れる等) 小林>杉山>井上>木村=草津
Cプロデュース力 井上>小林>杉山>木村>草津 >>223
とどのつまりドングリのナントカだよな。
結局集団エース制にならざるを得ないわけか。
@のカリスマで小林が最上というのが若干気になる。
セックスアピールみたいな感じととるなら似たようなもんかと思ったのだが
小林ってその世界でモテるタイプなのかよくわからんな。 >>221
どうしても草津を貶めたいようだが
木村エース時代の草津は、木村に挑戦する外人にタイトル戦の前にフォール勝ちしたことは一度もない
末期は数少ないテレビ登場の際も木村とのタッグでスミルノフやルダックにKOされ
シングルではグラハムにギブアップ、ストンパーのスリーパーに失神と、ジョバーを務めている
>>221はリアルタイムで見てないし、記録をチェックもしていないんだろ >>219
リングサイドから見上げる吉原社長の胸中も気になる一戦なんだよな
あるいは鶴田がウチに入ってくれていたらとかも考えていたかとか リングサイドから見上げる吉原社長で思い出すのは、オールスター戦で荒川が奄美に勝ち、喜びを爆発している感じの荒川に対し、ダウンしたままの奄美を見つめているリングサイドから腕組みしていた?吉原社長の写真が印象に残る >>225
S50年6月8日、IWA世界タッグ王座決定戦・草津、井上vsカマタ、サベージ
決勝の3本目、草津(4の字)カマタ
やっちゃったw
カマタは初来日で木村のIWAに挑戦してノーコンテストのドロー。
この試合前にジェフ・ポーツにフォール負けした前王者井上がリングインして勝者に挑戦宣言。
何でいま負けた選手が勝者に挑戦なんだ? ここはポーツが挑戦だろw
http://white.ap.teacup.com/corona/1227.html
S52年8月4日、IWA世界タッグ選手権
○草津、浜口(22分50秒足4の字固め)●カマタ、ジョー 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) もしもTBSがまだ付いている内に鶴田が国際に入っていたらどうだったか
あるいはTBSもまだ様子見を継続したんだろうか >>229
草津(4の字)鶴田
小林(アトミックドロップ〜体固め)鶴田
木村(逆エビ、ブルドッキング、Wアームスープレックス)鶴田
井上(サマーソルト、回転エビ)鶴田 >>230
サマーソルトから回転エビって効率悪い。 珍(ゴムパッチン〜体固め)鶴田
珍(レフェリーのブラインドで下駄で殴打〜体固め)鶴田 むしろTBSの打ち切りが早まりそう
もちろん最初はAWAのガニア教室に長期修行か
そしてワールドシリーズに凱旋帰国で ラッシャー木村の国際プロレスのエースとしての資質に疑問符を付けたくなるのは、UWFインターの高田と比較するからなんだよな
高田もUで借金背負って、やむなく精算するために、新日に自分を売ったじゃない
ドームで自分達がやってきたことを自己否定するように、プロレス技で武藤相手に寝て、Uを応援したきたファンをガッカリさせた
ところがどっこい、その後、高田は負けたにせよヒクソンと闘って、プロレスラーがガチンコやるところを見せてケジメをつけたんだよな
そうなると新日に負けたことも、プロレス上の勝ち負けなんて実は意味なしってことで新日にしっぺ返しして、新日は没落していった
食うために寝っ転がっても、ただじゃ転ばないところが高田のプライドというか、ファンに対するケジメ
となると、新日にケチョンケチョンにされて、何のケジメもつけないで、最後はお笑いマイク芸人に堕ちた木村は何だったんだと思うんだよな >>234
AWAから帰国して草津&鶴田でIWA世界タッグ君臨だな。
AWAガニア、ロビンソン、ニック、スティーブンス、ラシクらが来るが善戦マンに終わる。 鶴田がファンク道場へ行かなかったら四種類のスープレックスは?だろうから
ガニア道場ではスリーパーホールドを会得することになるな。
ドロップキックはそっちでもOKだから
ジムブランゼルとグレッグガニアを足して2で割ってでかくしたようなレスラーになるよ。
井上浜口と和製ハイフライヤーズトリオだな。
ついでにリングネームは「ジャンボ」とはならない。
アニマルなセンスからならば、葡萄からとってグレープ鶴田。
阿修羅なセンスからならば、鶴田信玄。 >>235
その誰かを貶めるために誰かを持ち上げる論法、すっげえ無理があります(笑) >>238 貶めてるわけじゃないんだよな
むしろ貶めてるのは、貶めてると言ってるキミの方なんだよ
国際プロレスのエースとしての相応しい男だったのか、問うてるだけなんだよ
1対3だって、新間なり、ミスター高橋からやるかどうか打診があったはずだろ
その話が、浜口や寺西にいくか?結局、受けるかどうかを決めるのは大将の木村で、他の二人は従う方
こんな屈辱的なことを、ホイホイ受けちゃう木村は、元国際プロレスのエースとしての自覚が足りないんじゃないかね? プロだったんだよ。
雇用主の要望なら、「金網の鬼」にもなったし、3人掛かりで
エースと闘う引き立て役にもなったし、体力が衰えてきた
社長 兼 レスラーの対戦相手にもなり、後にはタッグパートナーに
なる一方でマイクパフォーマンスで観客を喜ばせた。
俺は、「プロとして良い仕事をした=会社の売上や顧客満足に
貢献した」と言う観点では、
新日本>全日本≧国際>ノア
だったと思う。
木村が国際のエースとして奮闘したのは分かるけど、結果的に
会社が倒産した事実を踏まえると、役目を果たしたとは言えない。
もちろん、木村だけのせいではないけどね。 >>240 なるほどね
説得力あるな。こういう意見を聞きたかったんだよな
すぐに貶めるとか、難癖だけつけてくる輩は、自分の好きなレスラーのことを触られらるだけで過敏に反応して捨て台詞になるから困る >>241
ヒクソンに何にもできずに負けて、プロレス界全体を貶めた高田を持ち上げて
木村に文句をつけるのは無理があるだろ >>239
あ、またお前か
持論を通したいが故に木村を貶めたくて貶めたくて仕方がなくて他のレスラーを使って評価のアゲサゲしてるんだろ?
程度低いね、お前(笑) >>243 キミは反応過剰だよ
お前の母さんデベソと言われたら、ムキになる子供だな
いい歳して(爆笑) >>242 キミは何もチャレンジしない人間を評価するんだね
行けばわかるさ、じゃなくて、行かないでマイクを握れ、の方かな
まぁ、それも一理ある
多くのUファンが高田の心意気に共感したから、その後、プロレス、格闘技界に様々な変化があって、今日があるんじゃないのかなあ
そうなると木村のマイクが、今日のプロレス界に何をもたらしたのか、そこをキミが語ることが重要だろ
ぜひ、そこを教えて欲しいんだよ 友美さん、鶴田と木村の試合アップしてくれてるね。三軍対抗戦の時のかな? >>246
素晴らしい、試合後のラッシャーのマイクまでアップされているね。
「まったく私はツイてないですよ!」 木村がパイルドライバーだったかな?鶴田にフォールで勝った試合が見たかった ノーテレビが悔やまれた >>228
よくわかんないけど、これは>>225への反論のつもりなのか?
両方とも木村とのタイトル戦が終わった後の試合で、それもタッグだろ
最初の方は草津とカマタが1本ずつ取り合ってるし
つまり草津が木村のIWAヘビーへの挑戦者を同一シリーズのシングル戦で
KOしちゃったなんて一試合もないんだよ >>249
あるよ。1978年1月18日、栗駒大会。
翌日に木村の王座に挑戦を控えるセーラークレイジーホワイトに、堂々のフォール勝ちw >>250
後、草津は1975年7月27日富士大会でも、翌日に木村に挑戦を控えるビッグジョンクインに、2対1の勝利。3本めはリングアウト勝ちなのが、せめてもの救いw
後、1976年3月26日には、木村への挑戦後とはいえ、看板エース外人だったトーアカマタに、クリーンフォール勝ち。後先考えずに、その実力ぶりを見せつける草津w ラッシャー木村のマイク・パフォーマンスは殺伐とした会場の雰囲気をほのぼのとさせ、ファンは大笑い。
人気を集め、木村の話を聞きに会場を訪れ、テレビ中継を楽しみにしていたファンも少なくなかった。
「俺はな、これだけ馬場と試合をすると、とてもな、他人とは思えないんだよ。
だからな、1回でいいからな、今度な、お前のことを兄貴って呼ばせてくれ。いいな、コノヤロー!」
「渕、秋田美人はどうだ? 秋田美人はいいぞ。渕、秋田美人をもらえよ、コノヤロー!」
「渕、お前な、いい加減にしろよ。こんなタイツのなかにマイクを入れて。
マイクが病気になったらどうすんだ、コノヤロー! そんときはな、お前いいか、病院に連れて行けよ!」
ラッシャー木村の、伝説のマイク・パフォーマンスは尽きない。 >>252
厳しい練習、理不尽な先輩後輩関係に耐えている若い選手は、
木村のマイクを見てどう思ったんだろう? >>253
「俺も早くラッシャーさんみたいになりたい」 谷津
「長州さんはラッシャー木村さんのマイクが大嫌いで
他のレスラーが素直に笑っている中
苦虫を噛みつぶしたような顔をして聞かないようにしていた」
なんてコメントを谷津がしてたけどジャパン・プロレスの末期には
木村はすでに笑いをとってたんだっけか >>251
その人はスレが盛り上がってると出てきて
うすーい知識で他人のコメントに難癖ばかりつける例の人だからあんま相手しちゃダメ
自分からは何もろくにネタ提供できずに
でも単に自分が付いていけないだけなのに
ハブになってるって勝手に思い込んで
スレ盛り上がってるのがとにかく許せないってメンタルの人だから >>255
まだ敵対してる時だと思うから、こんなマイクの時では?
「馬場この野郎!! 最近な〜んか元気だと思ったら、やっぱりオマエはジャイアントコーン食べてるな」
「馬場この野郎!! お前なハワイでグアバジュース飲んで鍛えたかもしれんが、
俺だって日本でポカリスエット飲んで鍛えてんだ。そうはいかないからな!!」 俺は全日な中継は八割がた見てたんだけど、
木村がウケ狙いのマイクやるようになって、
それが初めてオンエアされたのは87年のエキサイトシリーズ開幕戦の後楽園大会のようなきがする。
輪島がフレアーに挑戦したシリーズ。
生中継でオンエアと同時に馬場タイガー川田対木村原鶴見戦。
両リン決着の後木村が「今日は生中継で後の
試合が詰まってるからあまり多くは語らないが」で大爆笑だった。 俺が1986年の夏に地元で生観戦した時は、試合前に「馬場、俺は
お前を倒すまで死んでも諦めないからな」とか言って、笑いには
走っていなかったけど、シリアスな感じでもなく、試合会場では
お約束になっていた。
テレビではオンエアされなかったけど、1987年の新春バトル
ロイヤルで三沢タイガーが優勝した直後に、「タイガー、賞金は
無駄遣いせずに貯金しろよ」みたいな事言って、笑いに走ってた。
シリーズ開幕戦で試合後に「馬場、俺はなぁ、今日、久し振りに
馬場に会って、興奮しちゃったんだよ」と言って笑いが起きてた
のが1986年の秋だったような気がするけど、記憶が定かではない。 ラッシャーとストロング小林(金剛)の80年代中期以降の迷走ぶりは甲乙つけがたい。
この時代でもライバル関係だったんだと痛感する。(嘘w >>260
サンダー杉山は早いうちからタレントやってたし
浜口は後に「気合いだーッ!燃えろーッ!」で一世を風靡するし
意外とバラエティとは相性が良いんだな >>261
井上は唄とテレビ、映画出演か。剛も警視庁殺人課でレギュラーだったし、
国際のレスラーって一般人が思うプロレス観に浸透しやすいキャラを持ってるのかも。
これがガチ系のUWFとかだとまず無理だしw 幼少の頃、井上の奥さんは若尾文子だと勘違いしてたな
尾しか合ってない 俺は、アカシアの雨に打たれてを歌ってた人がマイティの嫁だと思ってた。西田違い >>264
マイティの当時の奥さんは西尾だろ、西しか合ってないなw >>245
木村のマイクはその後のプロレス界に何ももたらしてないが
高田の無謀なチャレンジはUWF系を潰した 前田日明は木村の亡くなる少し前に人伝てにその病状を知り、面会を望んだが出来なかったのを木村の事を思い出す度未だ残念がっていると言う
UWFでの僅か2ヶ月と言う期間だけの付き合いで、木村はあの気難しい前田日明の心に溶け込んでるのは凄いと思う プライベートでの経歴や服装や出で立ちだとマイティがエースとして相応しいな。 国際のDVD観ると、浜口と井上の試合は外れが無いんだよな。 >>267
新日の時代もあるんだから、もっと長いだろ。 いや木村はビクトリー・ウィークスまで出てただろ
2ヶ月じゃオープニング・シリーズだけで終わりだよ ラッシャーの人柄なのか、はたまた実は流石の前田も兜を脱ぐ陰の実力者だったことを
肌で感じてたのか。。w 第一次UWFに木村が居たって図式は全学連の中に陸軍上等兵上がりの学生が混じってるようなもんだろうか? ポスターには「UWFの重鎮」と書かれてたね。東京プロレス時代に
世話になった新間に頼まれて参加。旗揚げ戦でドロップキック
やってる写真の必死の表情が印象深いな。 例えば建築現場に置き換えると現場に立つ人間じゃないと曲者の若い衆の心は掴めない
どんなに現場の事を知ってる職人上がりの社長にさえ若い衆は本心を明かさない 団体の主力選手の中で、グレート草津だけは良い事はほとんど聞かないね ギャラの遅配・未払いについては吉原社長に対する不満もあった
だろうけど、恩義もあるから言えず、その分草津に矛先が向いた
部分もあっただろうね。
まぁ、どこの世界でも、酒癖が悪い人は良く言われないか。 >>266 あの話がちょっと違うんだよね
キミが最初に貶めてると受け取ったところから、違う方向にね
こっちが言いたいのは、木村と高田という団体のエースをやった二人が、自分を応援してくれたファンに対して、どう筋を通したのか、ということ、エースとしての自覚があったかということ
木村は国際プロレス時代から応援してくれたファンに対して
高田はUWFインターを応援してくれたファンに対して
二人とも金のために新日に自分を売ったのは変わりないだろ
もし高田がその後、普通にプロレスで食っていったらUインターのファンはどう思った?
最強だ、なんだと言いながら、結局、ガチンコから逃げてただのプロレスラーだろ、で非難されただろ
そこでヒクソンとやることでUインターを応援してくれたファンに対しては彼なりケジメをつけたじゃない
つまり高田には団体を背負ってきた人間として自覚があった
負けてプロレスを貶めたとかいうのは別の話
ところが木村には、そもそも自覚がないから、ケジメをつけようとか、筋を通そうという発想自体ないだろ
例えれば一昔前のアメリカでオレゴン地区で他にエースがいないからトップベビーをやって、東海岸でヒールやって、フロリダ行ってマイク芸人やるようなもんだろ
その場その場でキチンと仕事する外人レスラーと同じで、団体のエースとしての自覚はない
とすれば、木村は国際プロレス崩壊後から自覚がないんじゃなくて、元からそういう自覚すらない男をエースに仕立てたところに、国際プロレスの不幸があったんじゃない 木村・浜口×上田・斎藤で、乱闘必死にもかかわらず
晴れ着の子供を花束嬢としてリング上で待機させるとは。
案の定・・・・・。 >>278
理想ではメシは食えないよw
>>278は木村みたいな切迫した状況に置かれた事のない理想的な職場に身を置く坊ちゃんなんだろうね >>280 プロレスラーってのは虚業だろ
夢を売る虚業、そんなことすら自覚しないで、食ってくなら何でもいいなら、プロレスやる資格ないんだよな
一般人と同列に語ってしまうことが、実は木村を貶めてるというのに気づきなよ
人間性が良かったとか、そういうのもプロレスラーとして語るにも関係ない
リングの上で見せてるのが全て >>281
だから現実社会にに則したクレームを付けなよ
我々はもう中高生じゃないんだからさ >>282 そういう捨て台詞だけで、何の具体的な反論も出来ないんだね
あなたが一番、木村を貶めてることに気付きなよ
あんたも鼻水垂らして、後楽園ホールで12チャンネルのタダはがき握り締めて開場を待ってたカメラ小僧だったんだろ 演者と観客では立場がまるで違うってのが貴方には理解出来ないのかな?
演者にだって生活は有るだろうし個人個人の立場都合と言う物が有るだろう
貴方は還暦近辺の年になってそんな理屈も分からない内面中高生の中高年なのかね? ケンドー・ナガサキの自伝を読んだ。全体的に国際フロレスには辛口だったけど、
マイティだけは「引き出しが多くて、プロレスが上手い」と褒めていた。鶴見も
「金に細かい」みたいなことを書いてたけど、貶すような表現じゃなかった。草津
のことはボロクソだった。 >>284 どうして話をすり替えるのかな
木村が自分の置かれた立場、エースとしての自覚がないって話だろ
例えば王や長嶋が、野球を続けて食って行きたいから阪神に移籍するか?
そんなことするわけないのは自覚があるからだろ
プロとして公の場で客相手に商売してる人間は、その立場を問われるのが当たり前
食うのは大変だから食うために何だってやっちゃったっていいのが、キミと木村の理屈
食うためだからといって、プロとして応援してくれたファンがいんだから、それなりの分別が必要だよなと思うのが自覚ある人の理屈 >>286
貴方の理屈は現場の苦労を知らないで方々の得意先からのクレームだけを現場の社員にあげつらう総務のする事と一緒だよ >>287 木村は一般人なのか、人に見られてナンボのプロなのか?
そこをはっきりしてよ
ついでに木村にエースとしての自覚があったのか、答えてよ
それにしてもお前、面白い奴だな
スーパーでトマトを選んで買う時に、現場の苦労までいちいち考えて評価するんだ? 俺はそこまで考えるけどね
多少セミマクロに見た方が世の中の事がよく分かるよ 団体内部のバランス的にキャリアで最も古い木村を立てるのが無難というのもあったかもな はぐれ国際軍団で猪木の敵役だった木村
鶴見とのタッグで馬場の対戦相手を務めていた木村
馬場のパートナー兼マイクパフォーマーとして観客を楽しませた木村
ずっと好きだったなぁ。 >>289 それはよくわかるな
結局、プロとして客から金を取って見せたものに対しては、何を言われようが、それは受け取り手の自由
それがプロレスであり、プロレスの面白さってキミは言いたいんだろ >>292
その事を分かってるのなら貴方がなんでそこまで木村を悪し様に言うのかその神経が俺には理解出来ないんだよ >>246
前年のオープンタッグで激しくやってた決着戦という意味もあったかな 国際プロレスが存続していた時には木村は団体のエースとしての自覚はあった
団体が潰れたらそんなもの持つ必要はない
家族や路頭に迷った盟友のためにどんな事でもする
何の責任も負わなくていい無責任な第三者の戯言も聞く必要はない ラッシャーを悪く言う人は、新日に上がった後のストロングをどう思っているんだろ?
坂口とのタッグでいつも負け役になったり、藤波や長州を売り出すための踏み台を
心良く引き受けることが、元国際のエースとして相応しい生き様だと思うのかな? >>292
基本木村は不器用な男なんだよ
その不器用な木村が中原無理矢理エースの座に据えられ彼なりの努力です国際の選手のトップとして奮闘して来たんだ
なんで国際が崩壊してまで国際のエースの看板に義理立てしなきゃならないんだよ
自分を守ってくれるはずの会社は倒産して最早ない状態でだぞ
そんな相当に健闘してきた木村にそこまで無理強いする貴方みたいな了見が俺には全く理解出来ないね >>292
基本木村は不器用な男なんだよ
その不器用な木村が半ば無理矢理エースの座に据えられ彼なりの努力で国際の選手のトップとして奮闘して来たんだ
なんで国際が崩壊してまで国際のエースの看板に義理立てしなきゃならないんだよ
自分を守ってくれるはずの会社は倒産して最早ない状態でだぞ
そんな相当に健闘してきた木村にそこまで無理強いする貴方みたいな了見が俺には全く理解出来ないね >>297 そこの認識が違うんだよな
自分を守ってくれる会社とかいう話になること自体がおかしいんだよ
確かに木村は馬場、猪木、前田や高田と違って、社長レスラーじゃないよ
木村は新日で坂口や藤波が社長になった後のエースたちと同じ立場だろ
でもリングの上では、会社の社長が誰だろうと、その時のエースが会社の看板として屋台骨になるんだろ
世の中は木村を馬場、猪木に対抗する団体のエースとして見てたんだから
そういう自覚もなしに、押し出されたエースだったから潰れた後は知らねぇは木村の勝手だか、それで応援してくれたファンを悲しませるのはない
キミはあの浜口の親殺しともいえる蔵前決戦を見たのか?
どう見たのか感想を聞かせて欲しい >>299
木村はリング内もしくはリング周辺でしか物を考えられないレスラー(職人)なんだよ
瓦解し各団体のオファーが有ればその指示に従いブックも飲む
それが間違ってるのかね? >>299
俺の言い分が間違ってると言うならどう間違ってるのか分かりやすく説明してくれたまえ >>302
結局あれだけ言い散らかしてリングの上から逃げるのかよwww 応援してくれたファンが見に行かなくなったから国際は潰れた
見に行かないファンのために木村が気を遣う必要なんかない
木村がエースの時の国際プロレスを見もしなかった>>302に何も言う資格はない >>304
<< 302の彼って本当に国際ファンだったのだろうかしらん? >>303 目が覚めたぜ
寝込みを襲って捨て台詞とは、卑怯者だな
ID使い分ける必要ないよ
木村がエースの国際は腐る程見たよ
見てたからこそ言うんだよ
あんたたちこそ本当に見てたのか?
見てて悔しくないつまてのもおかしな話たみろ
見てたなら浜口戦の感想聞かせてよ
もう少し起きてるから、頼むぜ >>305 結局、あんた捨て台詞とか、人格攻撃とかばかりだな
具体的なことが何にもないよ
また明日から、国際プロレス時代のラッシャー木村についてガンガン検証するから、お付き合い頼んだぜ >>306
だったら>300で言った俺の言い分が間違ってると言うならどう間違ってるのか分かりやすく説明してくれたまえよ >>308 浜口戦や遡って高田との比較について、キミの意見を言ってみてよ >>309
その前に俺のクエスチョンに答えくれないかな? >>310 まずキミがIDを使い分けたり、寝込みに捨て台詞の卑怯者だということについて、どう思ってるの? >>311
俺の言い分が間違ってると言うならどう間違ってるのか分かりやすく説明するという設問に答えてないよね >>312 まずキミがIDを使い分けたり、寝込みに捨て台詞の卑怯者だということについて、どう思ってるの? >>313
その前に俺の言い分が間違ってると言うならどう間違ってるのか分かりやすく説明するという設問に答えてないよね! >>314 まずキミがIDを使い分けたり、寝込みに捨て台詞の卑怯者だということについて、どう思ってるの? >>315
その前に俺の言い分が間違ってると言うならどう間違ってるのか分かりやすく説明するという設問に答えてないよね! いや、横から口出して悪いけど、考えが合わない人と論争しても
平行線だよ。
木村は、雇用団体から任された役目を果たすべく、一生懸命ファイト
していたし、良い仕事をしていた。だからこそ、いまだに多くの
ファンの記憶に残っているんじゃないだろうか。日本プロレス史上に
名を残すレスラーだったと思うよ。 >>316 答えてません
寝るから、捨て台詞頼んだぜ、卑怯者よ >>317 お騒がせして申し訳ございませんでした
おやすみなさい >>318
俺は寝るなんて卑怯な事はしないでひたすら貴方からの返事を待ってるよ >>318
こう言う状況で寝るなんてとんでもない
彼は今置かれてる自分の立場がまるで分かってない
戦場から勝手に離脱した卑怯者だよ 三沢、川田、田上、小橋。に秋山
小林、草津、杉山、木村。に井上。
資質では決して劣らなかったな! 全日本の五強は三沢がトップと誰でも認めるが国際はというところかもな >>253
新弟子物語って元全日練習生のブログに
あれだけの大レスラーに付け人がいないのはおかしいから
僕らがなると言いだしたのが二人いたって 後のFMWが大仁田エースで成功したんだから
料理の仕方が重要なんだろうな
国際に新間の様な優秀なプランナーがいれば 木村は、新日本サイドから付き人を付けると申し出があったけど、
「俺の付け人は、勇(スネーク奄美の本名)が最後だから」と
言って断っている。
全日本の練習生2人は、羽田や小鹿のイビりに耐えかねて、
国際血盟軍に入れてほしいと木村に直訴。それを木村から
伝え聞いた佐藤昭雄に大目玉を喰らい、そのまま退団した。
余談だが、海野レフェリーがリング屋として全日本に入った時に、
国際血盟軍の雑用係?も任されて、試合時はサングラスとマスクを
着用して軍旗を持ったりしていた。 あと、その練習生2人のうちの1人は、畠中浩旭だったはず。 >>55
井上&寺西といえば小林&永源とのIWA世界タッグ決定戦
とにかくあの試合の映像で一番良かったのは寺西で駄目だったのは小林の印象 思い入れのあるベテランが現役を続けられるのもプロレスの魅力のひとつではあるが、
やはり体力と共に、試合のクオリティの劣化は否めない。
だったらシニアリーグを作って別枠でやらないと
「40過ぎて腹の出た元上司や先輩を接待して負けないとならない若手選手」
なんて、金払って誰も見たくない。 国際のエース時代や猪木との抗争を知ってる者からすると、
動けない者同士の馬場との試合やタッグ、漫才みたいなマイクをやる木村を見ると
寂しい気持ちでいっぱいだよ・・・引き際の美学ってあるはず。 ノアでは補助具を着けないと歩けない、ほとんど動けない
コンディションでリングに上がり、脳溢血で倒れた後に
東京ドームのビデオレターで引退表明したのも「あれは
無理矢理言わされた。俺は引退なんかしていない」
…たしかに引き際は良くなかったね。だからと言って、木村の
評価が下がるものではないとは思うけど。 >>333
> 「あれは無理矢理言わされた。俺は引退なんかしていない」
いつこんなこと言ったんだよ嘘つくな
ビデオレター以降は姿も言葉も表に出なかっただろ
ノアはラッシャー現役引退後も名誉選手会長として雇用続けてた ラッシャー、病気してからの公の場って三沢のお葬式の時だけ? >>333
>「あれは無理矢理言わされた。俺は引退なんかしていない」
寺西の間違いじゃないのか >>334
Gスピリッツのインタビューで、木村の次男が言ってたよ。 嘘つき呼ばわりして悪かった
じゃあGスピリッツ読んでみよう
とはいえビデオレターの時点で
かなり体壊してるのがうかがえたがな >>335
三沢の葬儀に来たらしいが写真は出てないよな? 本人は人前に出たくないから行かないと言ったのを、次男が
「あれだけお世話になった三沢さんの通夜に行かないのなら、
自分はもう介護をしない」と言って、強引に参列させた。
でも、色んな関係者と久し振りに再会し気遣ってもらい、本人も
「やっぱり、行って良かった」と言っていたとの事。
マスコミも、木村が車椅子に乗って参列した事実は報じたが、
写真は掲載しなかった。ただ、三沢の通夜を報じたテレビの
ニュースに、小さく映り込んでいたらしい。 ルー・テーズ杯争奪戦に参加予定だったキングコング・コジャック。杉浦アナウンサー
が「まだ見ぬ強豪」って煽ってたけど、個人的にはハズレ感がプンプンしてた。実際は
どんなレスラーだったんだろう。 >>342
コジャックの来日が中止になった事を、テレビで専務だったかな?おわびしていた 鈴木だったっけ?名前忘れたけど
コジック俺もハズレ感匂わせたけど、来日中止は、ファンとしては、寂しかったな 顔が刑事コジャックに似ているからキングコング・コジャックって安易だな 本国ではマール・カークとかキングコング・カークだったみたいだね。 >>343
>>344
ありがとう。
うーん、何か微妙だな。 東京12チャンネル時代の国際の試合って、1会場で2週撮りをしていて、それを月曜日に
放送していたとGスピで読んだ。このパターンだと、放送されない会場での選手入場シーンの
テーマ曲って、『忘れじの国際プロレス』で上げられていた曲以外にもあったのだろうか?
前に教えてもらったのが、ザ・USSRが入場した時にビートルズの曲が流れたが、放送されていない
というのがあったんだけど。 キングコング・コジャックの最後はビックダディとの試合で亡くなった >>348
つかビッグダディと同じで典型的な英マットのキャラレスラーだからね、コジャック >>349
まあTV放送で勝手に会場でビートルズ使ってるのばれたりしたら大変なことになるからな
下手したらオノ・ヨーコの必殺技「私じゃなくて天国のジョンがなんて言うかしら」ホールドが炸裂する
※厳密には「Back in the U.S.S.R.」はポールの曲だけどクレジットは当然「レノン=マッカートニー」
まあ例えれば謎のネズミ覆面レスラー「ミッキーマスク」登場させるようなもんだ
そのへんは国際側じゃ恐らくよくわかってないだろうけどw
さすがに12chとはいえテレビ局の人間はやばさわかってるだろうから タイガーマスク関係なら梶原がうるさいてやばいからやめとくけど
ミッキーマスクならDから言われるまでこっそりやる、みたいな作戦もあるかもしれない。
テレビには出さなきゃいいんだよ。 吉原さんならもしDにバレてある日突然内容証明が届いても
オープン選手権や三軍対抗戦の時のように
「全国中継の電波に乗ることで宣伝になるからいいじゃないか」とか
平気で言いそうでなあw
ミッキマスク ミッキマスク ミッキ ミッキ マスク♪ >オノ・ヨーコの必殺技「私じゃなくて天国のジョンがなんて言うかしら」ホールド
三沢と対立した元子夫人みたい・・・ 杉浦アナの「木村時代の到来ですね」という言葉が41年経っても何故か忘れられない。 >>355
大量離脱後は“ハンセンに連絡します”ラリアットが決め技だったな。 >>355
和解して長電話する仲になってたんだって
井上譲二昭和プロレス版悪魔の辞典 >>237
4種類のスープレックスって指導いるか?
俺でも全部出来るぞ。 あのゆっくりしたジャーマンは、ダメージは少ないけど背筋が
強くないと出来ない。しかし、ドリーはジャーマン出来たのかな? >>361
鶴田のジャーマンはテリーから教わった。
このテリーのジャーマンは鶴田が蔵前でテリーに見舞ったのと同じ。
背筋が強いのではなくて、頭打つのが怖く下半身で踏ん張って勢いを止めてる。2:30〜
https://www.youtube.com/watch?v=O62XINXhMwA >>362
ありがとう。テリーのジャーマン、初めて観たよ。 >>362
> このテリーのジャーマンは鶴田が蔵前でテリーに見舞ったのと同じ。
同じではないだろ。鶴田のジャーマンの方が腰が反って綺麗なブリッジをしてる。 >>361
> ドリーはジャーマン出来たのかな?
ジャーマンだけはマスターできなかったと言われてるな。 草津は誰の真似してジャーマン使ったんだろう。
杉山・ロビンソン・はたまたゴッチか。
ミック博士のサイトで写真を見ただけだから、使っていた時期すら
分からないし、上手ではなかったみたいだけど、使い手自体が
少なかった時代なんだから、使い続ければ良かったのにな。 マツダはどうだろ、接点はなかったのかな? >草津のジャーマン。
草津は回転足折り固め(ジャパニーズレッグロールクラッチ)も早いうちから使ってたしな。 なるほど。旗揚げ当初は関わっていたから、マツダかも知れないね。
サンクス。 だけどアメリカのマツダの弟子ってスープレックスのスの字も無い筋肉パワーファイターばっかりなんだよな
ポール・オーンドーフ、ホーガン、レックス・ルガー、ロン・シモンズ・・・ 大剛って、交通事故に遭ってなければ、どのポジションに
置かれたのかな?
身長が無いからエースにはならなかっただろうし、性格的に
タッグ王座は無理だったような気がするし。
ちなみに、学年は木村と同じで、大相撲での最高位は大剛が上
(大剛が幕下6枚目、木村は20枚目)、プロレス入りは木村が
2年先輩。吉原からは気に入られていたけど、後輩からは嫌われて
いたから、早めに退団して廃業するか、海外に行ってフリーに
なっていたかもな。 >>369
スレーター
マイク・グラハム
スティーブ・カーン
ブライアン・ブレアー >>366
>草津のジャーマン
確認できる一番早い試合は昭和43年4月8日、
英国西部選手権でTチャールスから決勝フォールを取っている。
というか、この試合くらいでしか披露しなかったのでは?
私は翌44年の夏くらいから国際を見たが、草津のジャーマンを
見たことはなかった。
で、この4月シリーズにロビンソンが初来日したが、
彼から教わったということはないだろ?
タイミング的にも、ロビンソンはジャーマンをやらないし。
ゴッチとも、この時期以前に接触はないし、
>>367
旗揚げの時には、もうマツダは国際から手を引いていたし、
アメリカ遠征時にコーチは受けたかも知れないけれど、
教わるとしたら杉山からだろうね。 なるほど。プロレス入りはほぼ同期だから、杉山の影響かな。
草津の事だから、杉山に教わったのではなく、見よう見真似で
使ったんだろうな。
ちなみに、ロビンソンは投げっぱなしのジャーマンは使ってた
らしい。若手だったマイティが、ハンディキャップマッチで
ロビンソンと対戦した時にやられて首を強打し、数日間
身動きが出来なくなった事があるとインタビューで語っていた。 小林が猪木挑戦でフリー宣言。
国際は大剛を帰国させて故郷仙台で開幕戦を組んだが、
奇しくも帰国直前(日本時間で猪木vs小林戦の日)に交通事故で片足切断してレスラー生命が断たれた。
IWA王者かは分からないが、国際は大剛を売り出すつもりだったはず。 ごめん、アンカーふり忘れ。>>370
小林が猪木挑戦でフリー宣言。
国際は大剛を帰国させて故郷仙台で開幕戦を組んだが、
奇しくも帰国直前(日本時間で猪木vs小林戦の日)に交通事故で片足切断してレスラー生命が断たれた。
IWA王者かは分からないが、国際は大剛を売り出すつもりだったはず。 草津は最初の海外修行でカナディアンボールにチャレンジしてまともにプロレスしてないとか言われるが、これも嘘
最初の半年はフロリダでみっちり試合をしており、マツダやケムオカとのタッグが多い
ここでジャーマンを教わるか盗むかしたと推測するのが妥当だろう
この時期にルー・テーズとシングルで対戦した記録もある
その後単身バンクーバー転戦し、ここでフットボールにチャレンジした
もちろんプロレスもやっており、ブッチャーやシンとも戦っている >>374
>ちなみに、ロビンソンは投げっぱなしのジャーマンは使ってたらしい。
猪木戦で使っていたよ投げっぱなしジャーマン(実況ではバックドロップと呼んでたけど) >猪木戦で使っていたよ投げっぱなしジャーマン
あれは脇に頭をいれないバックドロップだと思ったけどな。
カツカレーが発明されてメニューにのる前は、
カレーにカツが乗ってしまったもの、っていうような話だけど。 投げっぱなしジャーマン
とかいう言葉が出る前、
昭和46年日本プロレス暮れのシリーズで
ドリーも使っていた。
マードックとのコンビで、猪木&坂口と対戦、
坂口のバックを取り、後ろに投げた。
私は、テレビで見ていて、投げた瞬間
「お!ドリーが原爆固めか!?」と思ったのだ。
ブリッジをせずに自分は腰砕け状態になったが、
すぐにカバーにいって、決勝フォールを奪った。
雑誌でもバックドロップと紹介されていたと思う。 “投げっ放しジャーマン”という呼称が初めて使われたのはいつなんだ? 90年代にスタイナーズが使ってたのを投げっぱなしジャーマンと言い出した記憶が >>381
リック・スタイナーが新日に初来日(昭和62年2月)に
公開したとき、そう呼ばれたと記憶している。
彼の場合、危険な角度で投げとしていたから話題になった。
相手のバックを取り腰に手を回し、後ろに反り返って
投げる技はアマレスにあるから、アマレス出身のレスラーは出来るだろね。 >>383
アマレスラーは投げた後ホールドしたままフォールするから投げっぱなしはやらない。
スタイナーズが見栄えのいい投げっぱなしにしただけ。 投げっぱなしにしろドリー式のWアームにしろ
会場の後ろまで見えるように大きくゆっくり決めるのが
昔のアメプロのスタイルだからね
あとアマレスの各種の反り投げは
投げてそのままブリッジで固めてフォールを取る技(投げでダメージ与える技)ではなく
あくまで相手を仰向けに倒して自分が上に乗っかった体勢を作るための技なので
アマレス出身だからってそのまま固めて云々は実はあまり関係ない
実際にアマレスで比較的よく使われるスープレックス系?の投げ技は
バックをとって後方への投げではなく
サイドスープレックス(横抱きにしてひっくり返す所謂「俵返し」〜カレリンズリフトもこれ)と
腕を閂に極めてのフロントスープレックス
(これもブリッジして頭支点で巴投げの要領で引き込んで「裏返す」ための技)
アマレスではバックを取った場合でも
取られた方が前重心で四つん這いになって防御するケースが多いのと
ジャーマンやバックドロップのような高く持ち上げて後ろに投げるより
ローリングしてポイント取る方が攻める側にも有効&合理的なため
そもそもアマレスラーが首やブリッジを鍛えるのは
第一義的にはスープレックスで投げてそのまま固めるためではなく
プロレスと違い両肩が付いた瞬間フォールになるため
グラウンドの攻防で上から乗られてフォールされるのを逃れるためだから 今日は木村の武道館での初メイン日
国際出身での武道館のメイン経験者はあとは原だけか 投げっぱなしよりホールドした方がダメージは厳しそうじゃないかと思うんだけど
ランニングネックブリーカードロップを改良、衝撃力メインにしたラリアットってのがあるから
そういう見地からの流行かな。
……東三四郎と馬の助の遣り取りを思い出した >>388
それは虎吉とのやりとり
馬之助はジャーマンを狙ったら相手が防御の為に
腰を屈めたところを頭から前に落とすと言うセコイ技w 馳が投げっぱなしジャーマンは投げられたら受け身取れば良いだけな技って言ってたな 78年頃の木村VSオックスベーカー、かつて木村がデスマッチで足を折られた姿を
ベーカー本人が?プラカードで漫画チックに描いて入場w おまけに放送席の前で
生肉をガツガツ食って野人キャラを演じるサービスぶり。その他、翌年はスミルノフと
チェーンマッチでIWA挑戦権を争ったり、国際外人エースの一角を担ったが親日も全日も
まったく彼の個性は生きなかった。。 決め技がハートパンチではなぁ、日本ではちょっとな。
同じパターンでマリガンも新&全では良くなかったな。
この手のタイプは試合以外で頑張らないと難しかったんだろうね。
西部劇の酒場の喧嘩的に会場全体を荒らし回らないと。
それらが国際にはあったからいくらかは陽の目を見たんじゃないか?
そうなると新日ではシン、全日ではブッチャー&シーク以外は認められなかったのかと考えてしまう。 >>391
ベーカーとスミルノフが仲間割れしたタッグマッチ、草津のノックアウトされっぷり
が見事だった。その後のストンパー来日シリーズ初戦のスリーパー失神といい、
急に目覚めたような仕事ぶり。もっと前からそれができれば良かったのにね。 Gスピのヤス・フジイ特集後半は、買って読むか立ち読みか、判断に迷う。 立ち読みなんて10代20代の若人?
ある程度の年齢になったら立ち読みするのは恥だよね >>390
ジャーマンは受け身を取る準備ができるけどテーズのバックドロップは受け身を
取る暇がなく危険と鶴見が話していた。 >>397
テーズ自身はジャーマンをイリーガルな技だって言ってたと
流が書いてなかったっけ? >>397
あのドン・レオ・ジョナサンでさえも、テーズのバック・ドロップで
半失神状態になってたからなあ。 >>396 いい歳してるからこそ立ち読みだよな
まともにいい歳してたら他に読みたい本は山ほどあるはず
プロレス本を最優先で買うのは、いい歳の取り方とは言えない >>398
イリーガルと言ったのはパイルドライバーだな。
バックドロップは落とした方をコントロールできるが、ジャーマンは落とす角度を調整できないから危険。
ゴッチもマットがひいてない板張りリングの時代だから、置きに行くようなジャーマンだったはず。 戸口がアトミックドロップをアスボムと呼ぶのが、何気に格好良い。
戸口と言えば、木村とのシングルでガンガン攻めまって最後は負けた
試合があって、テレ東のディレクターが戸口が攻めてる場面を全カット
して放映したら、戸口がテレ東のディレクターに文句を言って、
馬場が戸口に「馬鹿野郎。テレ東さんが木村を立てるのは当たり前
だろう。カットされたくなければ、カット出来ないような試合をしろ」
と説教したエピソードが好き。 正直見た目中年以上が立ち読みしてると惨めったらしく見えるから止めた方が良いよ 正直見た目中年以上になったらプロレス本買ってるところ見られないようにした方がいいよ 立ち読みが許されるのは購入を前提とした品定めとして
最初から買う気のない立ち読みなど無銭飲食と同じ
>>407
最下層ほど無駄に人目を気するんだなw プロレス関係の書籍の品揃えは昔後楽園に有った山下書店がピカイチだった プロレススレ、それも37年前に潰れたマイナー団体のスレにわざわざやってきて
プロレス本買うのみっともないとか、他の本買えとか書いてる奴って・・・
ヒマとかバカとかニートとか、生易しい言葉で表現できない異常さだ そもそも年取ったらGスピみたいなゴツい本立ち読みしたら腕が疲れる。 >>411 わざわざ自白しなくていいよw
平気でエロ本買えるような羞恥心がない奴にな >>409 無教養な奴には、そもそも羞恥心も欠落してるとはw ローランボックも木村健吾戦で投げっぱなしジャーマン使ってたような。 >>392
個人的にオックス・ベーカーは好きなレスラーだったんだけど、 決め技が
欲しかったよな。ラッシャーとの試合でも、ラッシャー が試合の組み立て
に苦労していた(ように見えた)。「じゃあベー カーに相応しい決め技は」
って聞かれても思いつかないけど。
対照的だったのがスミルノフで、何でも器用にこなすけど、どれも決め技と
しての説得力に欠けるんだよな。全日に来た時のジャンピンク・キックはな
かなか良かったってと思うけど。 若輩者ですまないが決め技といえばモンゴリアンストンパーってフィニッシュ何だった?踏んづけるだけでフォールなの 踏みつけってちゃんとだせば説得力あるフィニッシュになると思うが
ストンパーのは遠慮丸出しで説得力がなかった >>421
G・馬場の16文キック(全盛期)より
モンゴリアンストンパーの踏みつけの方が
フィニッシュとして説得力(迫力)があったなぁ。
それを言えば、G.バレンタインは、ただのエルボードロップだし、
ブラジルはただの頭突きが決め技だった。 >>422
でも若き日の猪木に特製の人参ジュースを御馳走してくれるいい人 >>424
「その後、勃起が収まらなかった」って聞くけど、人参は下半身に効くのか? >>421
普段多いのは仰向けに倒れた相手の両足をつかんで股越しにみぞおちあたりを踏みつける
胃袋蹴りというか胃袋潰し的な踏みつけ
でも木村とやった時のフィニッシュは
転がってる木村のパンチ頭を無造作に連発で踏ん付けるように蹴飛ばしたw
完全にヤカラのステゴロ戦法w 鶴田の試練の10番の木村戦観た。
全日主催なのに、客は国際ファンも多いし花束贈呈も圧倒的に木村の方が多い不思議 IWAミッドヘビー級選手権って
認定開始時点(昭和44年)から
「世界」とか地域が限定されていない
タイトルなんだな。
後にNWAに加入して「世界」を外されたタイトルは
いくつかあるが、WWWF,PWF,NWF
その理由とは違う日本最初のタイトルではないかな?
「世界」をつけるのはおこがましいと考えたのか? >>433
IWAは名目上、吉原社長がヨーロッパのプロモーターを回って、
国際のメインタイトルとして創設した経緯がある。
国内的には、国際とヨーロッパのプロレス社会が作ったタイトルで、
当時の日プロがNWAのアメプロを突っ走っていたことへの対抗策でもあった。
だから、名目上IWA本部はパリにあることになり、タッグチャンプ決定戦は
フランスで行われた。
このシナリオ作者は吉原社長。シングルチャンプは日本で作り、結果として
ロビンソンが日本側エースと国際のコーチにまで引き上げている。
IWAのタイトルに『世界』が付くか否かは、まず国際がヨーロッパ路線を作らざるを得なかった
背景と、AWAとの提携によって国際が『AWA極東支部』の看板を掲げて、ヨーロッパ路線から
フェードアウトして行ったことに関係があると思う。
自分としては、AWAとヨーロッパの2つのルートを生かしていればなぁぁぁと。
結論は、お金とお金を生み出す根拠としてのテレビ局の意向なんだろうけれど。 >>434
いや、レスをもらって、こういうことを
言うのも失礼だが、、
8行目までは知っている。
問題は。なぜIWAの
ヘビーとタッグ王者は「世界」なのに
軽量のミッドヘビーは「世界」も付かないし
地域名がないのか?
ということ。
WIKIには「IWA世界ミッドヘビー」となっているが
当時の雑誌やその後の資料にも、単なるミッドヘビーと記されている。
9行目以降の理由は、
IWAミッドヘビーがAWAと提携した後に
認定され、その影響で「世界」を外したと言うなら
それは時期的にオカシイ。
同タイトルの制定は昭和44年2月。AWAと接近したのは
同年の秋以降だろ? 案外答は他の諸々の行き当たりばったりな事項でもわかるように
「吉原さんが細かいことには適当で無頓着だったから」
あたりだったりしてw >>432
稲妻次郎とのlWAミッドヘビー戦で決めたな。
あと新日で前田にもやった。 寺西のジャーマンって結構ブリッジがグチャっと潰れる確率が多くない? >>432
フィニッシュにはならなかったけど、新日でキラー・カーンに決めた試合。
スーパーヘビー級を相手に互角に渡り合って、改めて「寺西は巧いなぁ」
と思った。 >>439
寺西はワンハンドバックブリーカーもカーンに決めてたな。
藤波がドラゴンバックブリーカーと称して使ってた時期があったが
寺西の方が遥かにうまかった。 寺西のジャーマン
日本リーグ争奪戦、蔵前で小林邦昭をフォール。
新日vs国際初戦、浜口、寺西vs長州、木戸で木戸とジャーマン合戦。
新日に来て2戦目の蔵前で健吾に見舞うもロープブレイク。
佐山タイガー最終戦の蔵前で一発 >>441
日本リーグ争奪戦じゃなく日本リーグ争覇戦。 IWAのミッド・ヘビー級という呼び名は、ヨーロッパのマット界ではヘビー級のすぐ下として
設定されていた。と言うことは、国際プロレスのヨーロッパ路線に移行せざるを得なかったことと
無関係ではないだろうな。
ただ、世界ミッド・ヘビーから単なるミッド・ヘビーに呼称が変わった原因は、AWAとの提携を
社長が大きく考え、AWAとの提携以外の細かいことはどうでも良いと思ったのが大きいんじゃないか。
IWAヘビーのベルトにしても、ロビンソン・ベルト、小林がミラーから奪ったベルト、グラハムのベルトと
何回も変更しているし。 >>444
事実誤認がヒドイ。
訂正してやろうかと思ったが
バカらしくなった 原のWWUジュニアベルトはまんま寺西のミッドヘビーをリニューアルしたやつか?
それか全くの新品なんかな? WWUジュニアのベルトは、テレビ東京の負担で新調した。
本来なら200万円するところを、テレビ東京のディレクターが値切って
80万円で作らせた。 ミッドヘビーのベルトは初代IWAタッグベルトで代用してたからベルト自体ない 「国際はマイナーな団体なのにヘビーもタッグもジュニアも世界王座を保持してて凄いな。
全日も新日も世界王座は一個も保持してないのにな。」
とプロレスファンになりたての頃は思ってた。 >>448-449 サンクス。
あのデザインはオリジナリティがあって好きだな。各団体の代表王座ではNWFや後期IWA世界はWWFぽいし、
PWFは昔からの世界王座の標準的な形だし。 WWUヘビーってボックが王者じゃなかった?ジュニアは国際が作らせたに違いないが。 キッドやマーク・ロコも初来日は国際だったんだよな。 グラハムからのIWAベルトは真ん中にパンチパーマで大仏みたいなレスラーがいるが、
木村に見えるよな。 >>122
秩父特訓で編み出した延髄斬り対策の肝臓破り水平打ちって結局ださなかったな 「実録・国際プロレス」を読んでいるけど、やっぱり面白い。
国際の選手はほとんど海外遠征を経験しているし、それぞれ苦労人だから
話の内容に味があるね。
それにしても、TBS打ち切りの時から
すでに給料の遅配が始まっていたというのは驚いた。
よくそれから7年も持ったもんだな。
阿修羅原が入団した時、こんな状況だったというのを
知らされていたのかな。 国際は小林が猪木に負けてTBSに切られた時点で実質終了していたようなもんだったんだと思う
その後は12チャンネルという生命維持装置で生きながらえてただけ
井上の「うちじゃお前(アンドレ)のギャラは払えないぞ」で分かるように外人レスラーにも
全日新日レベルのギャラは出せなくなってたみたいだし 大人になって5年、10年なんてホントあっという間に過ぎ去ってしまう感覚になって、
その上で考えると国際が存続したほんの?10数年ってどれだけ凝縮された月日だったんだろうと思う。 でも、実質終了して延命していた12チャンネル時代の方が
語り草になっている。 今でこそ12chってステイタスと評価があるけど
当時は番外地だからな。
12chが放映って言っても
今なら、MXテレビで……みたいな感じかな。 でもTBSの末期も土曜午後の14:30から30分でカードも
金網が放送出来なかったからショボかったんだよな TBSと放送交渉してる時に、NETとフジ共交渉してたらしい
NETかフジどちらかが先に放送OK出したけど、その3局で1番放送網が大きかったTBSを選んだらしい
後の事を新日や全女の事を考えたらNETかフジで放送してた方が長く放送してくれたかも 12チャンネルとしては国際プロレスアワーより世界のプロレスみたいな番組の方が安くあがるのかね?
WWFのレッスルマニア3の放送は予算が掛かったようだけど 世界のプロレスって海外のプロレス番組を買って日本語実況を追加しているだけでしょ
そんなに金はかからんと思う
12チャンネルは同じような形式で海外のサッカー試合の番組もやってたね >>464
三菱ダイヤモンドサッカーね、前半と後半を二週に分けてやってた テレ東が、世界のプロレスで流すのに、フリッツにダラスの
試合映像を売ってほしいと持ち掛けたら、フリッツは当時ダラスに
いたカブキに相談し、カブキが「関東地方はカバーしている地上波局
だから、怪しい話じゃないし、乗った方が良いですよ」とアドバイス
した。だから、世界のプロレスはダラスの試合が多かったし、カブキの
試合も数多く相談されていた。
ダラスや、当時下火になっていたミネアポリスの映像は安く買えた
だろうけど、マクマホンは強きだっただろうから、レッスルマニアの
映像は高かったんだろうな。 最後の方は経費のかかる外人は呼ばず、日本人抗争というアイデアは浮かばなかったのか?
鶴見と大位山じゃしょうがないので、木村に対して、井上を中心に反乱軍という形。
原を木村側にするか、井上側にするかでその後も変わり、原をエースにするのなら、
木村側に付けてから仲間割れさせて対戦という手もある。
選手は揃っていたんだから、好勝負続出だったはず。 あの頃は、興行的にも、テレビ的にも、外国人が目玉だったからね。 >>450
当時として「世界」を名乗るのはむしろ「NWAに加盟できなかったから」というのが正確なんだが >>466
その先行放送のおかげでダラスのマイナー怪奇派レスラーのカブキが凱旋した時日本で大カブキブームが出来たんだからカブキとしてはしてやったりだろうね
ダラスにいたらフレアーのNWAに挑戦とか絶対無理だろうし 幻想が膨らんで語り継がれているけど、全日本や新日本に比べたら
華が無くて場末感満載で、お金を払ってまで観に行こうという人は
少数派だったんだろうな。
もちろん、俺は観に行くけど。 >>470
世界のプロレスはカブキが凱旋帰国してから1年半後に放送開始だぞ >>469
今さらそんな誰でも知ってる解説いらん。 世界のプロレスでカブキの試合が放送される事は、アメリカでも
トップで活躍している事を日本のファンに知らしめて箔を付ける
というメリットがあったね。ただ、それで得をしていたのは馬場と
日本テレビ。本人は試合給500円アップだったのは、確かに気の毒だな。
先行放送で得をしたのはウォーリャーズだね。
テレ東も、いきなり放送を打ち切るのではなく、世界のプロレスと
国際プロレスアワーを1ヶ月交替で放映し、世界のプロレスでは
ジョーやスミルノフがアメリカで暴れまわる姿を放送し、国際
プロレスアワーでは木村や井上がジョーやスミルノフを迎え撃つ
姿を放送すれば、どうにか持ちこたえたかも、とか思うけど、
テレ東が国際にそこまで協力する筋合いは無いよね。
あと、はぐれ国際軍団にしろ、全日本移籍組にしろ、国際プロレスが
潰れた後の方がレスラーとして脚光を浴びたし、経済的にも豊かに
なった。国際が潰れて良かったとまでは言わないけど、あのまま
ジリ貧で存続しても、誰も幸せにはならなかったような気がする。 >>474
ラッシャーにしても国際所属期間が15年、
全日本に上がった期間も15年なんだよね。
いつから全日本に正式所属になったかは知らんけど。
貰ったファイトマネーの総額は全日本の方が多いんじゃないかな? 大日本プロレスのデスマッチ見たら、国際のデスマッチは全然デスじゃないもんな 国際プロレスのDVD見たけど、昔の人はよくラッシャー木村とかむさくるしくて鈍臭いプロレス見れたんだな
馬場や猪木と同時代で、わざわざ国際を見に行くのは、余程、物好きだったんだろう >>477
見に行くというのは会場というなら俺は地方住みだったし、巡業が訪れば団体関わらず
観戦に行ってたぞw。もちろん茶の間でも三団体見てたな。国際アワーは度々、別番組に差し替えられたり、
ともすればいつ打ち切りになるから分らんしw、むしろ貴重な視聴体験だったな。 >>475
国際の15年間は若手〜エースの時代だし、ギャラの未払いも
あったから、貰ったお金の総額は、全日本の15年間の半分以下
だったでしょうね。 >>454
マスカラスのIWAベルトも同じ人が作ってたんだよな >>463
あの時代のアメプロは
まだ自分のテリトリー内のローカル局(CATV)向けのTVマッチに関しては
ビッグマッチの客寄せ用の素材でしかないから二束三文のはず
日曜の昼にやってたC級ゾンビ映画とかと同じでパックでひとやまいくらで買い付け
おそらく日本向けに編集する手間と金のほうが高かったはず
マクマホンがレッスルマニアでPVビジネス導入できたのも
やっぱりNY、ニュージャージー、ボストン、フィラデルフィアとかの東部大都市をカバーしてたから
逆にいうと各地のプロモーターの互助組合であるNWAだと
いくらフレアーは知られててもビッグマッチで戦う相手が各テリトリーのローカルエースだから
広域向けの商売にならなかった
結局全米を自らカバーしてるT・ターナーのものになって
WCWに看板架け替えるまでNWAってローカル興行だったからね フレアー対ローデスのNWA世界戦を世界のプロレスでやってたけど
二人のリングコスチュームが妙に豪華で、ファッションショーみたいだった >>481
世界のプロレスはTVマッチは少なかったぞ >>466
プロレスアワー時代に東郷から買い付けたフィルムが枯渇してWWFから記録用の
サンマルチノの防衛戦の試合をJrとは違いw シニアは「WWFの宣伝代わり」と
破格の低価格で提供してくれた。でも王座転落の試合はダメだった。
>>483
それはローカル局で放映されていたTVスタジオ収録のWCWワールドワイド
じゃないかな?ケロの解説が不快だったw 夜中に酔った草津にみんな起こされて説教
他団体のサクラダも草津の酒癖の悪さに
カチンと来たとか メジャーな他団体のレスラーにも臆せず説教とか
さすがプライド高きトップアスリート 草津も酷いが、どんくさいラッシャー木村がエースじゃ国際は潰れて当然
どうも木村政の名前にろくな奴はいない フリークの馬場と猪木よりも木村の方が好感持てたけどな そう思う奴か少数派だから潰れて当然
木村はギザギザ額しか売り物なし 国際のDVDを観ると、木村は強いけど地味だし試合が退屈、
井上と浜口の試合は外れなく面白い、草津と寺西は技の
1つ1つは見るべきものがあるけど試合運びに難がある印象。
意外なところでは、後にフィリピンに渡った大磯武の試合が
なかなか面白かった。 最期の足掻きで大木と木村のアジアとIWAのWタイトル戦を組んで欲しかったなぁ 国際入団時、大木はインターは保持してたけどアジアは馬場に敗れて保持してなかった >>494
国際崩壊時、大木はインター返上のバーターで貰ったアジアヘビー王者だったよ。
でも防衛戦は韓国内のみだし、大木は既に国際退団後だからあり得ないけど。 Wタイトル戦を組まれたら実直な木村は試合の最初は大木に遠慮して受けに徹するんだろうな 最後は場外で大木の金的を食い秒差できわどいリングアウト負け
「私は負けてない、今までは先輩と思ってたがあんな汚い手を使うとは…
次は遠慮無しだ!社長すいませんでした、もう一丁お願いします」
といつか聞いたことのあるようなマイクアピールでリターンマッチを本部席の吉原さんにアピール カマタが乱入して木村が大流血→大木の頭突きでフォール負け。
レフェリーに抗議する吉原を止める木村・・・逆だろ!! IWA、インター統一戦で乱入有りの不透明決着ながら木村が辛勝
「わたしはこんな試合で勝って伝統あるインターまで巻くわけにはいきません!」
結局、インター、IWAともに下の鞘へ。 シンが国際参戦して木村からIWA奪取→猪木がシンからIWA奪取→新日が国際との提携解消。 >>500
>猪木がシンからIWA奪取
→国際のマットで「王者猪木vs挑戦者木村の」リターンマッチ決定!
→当日は負傷の猪木の代役という名目で永源が登場!タイトル戦は王座決定戦に変更
しょっぱい試合ながらリングアウトで木村が王座に復帰も当然ながら大不興買いまくりに
しかしここで試合後の酒席通じてまさかの永源と吉原さんが意気投合!
永源が国際に人脈と営業力ごとまるっと電撃移籍!
以降団体は10年繁栄を続けるのであった
木村大木戦のさなか二人の対戦にケンドーナガサキが乱入
木村大木両名をノックアウトし試合はノーコンテスト
リング上で雄叫びをあげるナガサキに阿修羅原が国際勢から対ナガサキ戦に名乗りを上げる
木村大木両名共負傷の為王座返上し後日九州辺りの巡業でナガサキVS原でインター&IWA戦が行われ新王者には阿修羅原が就く 国際に参戦してIWAを強奪するのが再び上田で、それを奪還したのがストロング姉さん
だったらもっと悲惨だな。新日所属のストロングにラッシャーが挑むという構図。 国際が新日の川崎市体育館に殴り込み
第2試合・浜口(エビ固め)栗栖 ※栗栖のラフに押されるも辛勝
第3試合・井上(逆さ押さえ込み)荒川 ※荒川の円月殺法に苦戦も辛勝
第4試合・パワーズ(足8の字固め)草津 ※完敗 国際を格下扱いするのは共通してるけど、馬場は鶴田を対抗戦の
エースにしたり、IWAタッグとアジアタッグを同格扱いにしたり、
それなりの配慮はしていた。
新日本は、小林や剛を引き抜いて徐々に飼い殺しにしたり、
永源をタイトル戦線に出したり、配慮がまるで無かったな。
でも、崩壊後にお金を出したり、吉原社長を顧問に迎えたり
したのは、新日本なんだよな。 >>505
> 馬場は鶴田を対抗戦のエースにしたり、IWAタッグとアジアタッグを同格扱いにしたり、
> それなりの配慮はしていた。
それは… そもそも配慮と言えるのかなあ…w 新日は国際との業務提携時に、国際との絡みをテレ朝で放送することは
ほとんどなかったもんね。原が藤波のジュニア王座に挑戦した試合くらいかな? >>506
全日が配慮するならオープンタッグは、馬場&鶴田=木村&草津=大木&ドク、
馬場=木村、木村>鶴田、鶴田=井上にするはず。 >>508
オープンタッグの木村草津に関しては配慮していた。馬場鶴田がフォール負けした
ブッチャーシークとは両リン引き分け、ファンクスが引き分けた欧州コンビから
フォール勝ち。馬場に草津がフォールされたのは、あの試合を日テレの放送網で
全国中継させる、ってのが吉原社長の希望だったんだから仕方ないだろう。 全日のオープン選手権内でのNWAジュニアヘビー選手権、マツダが井上をドロップキックでフォールしたり、
オープン・タッグで馬場が草津を16文キックでフォールしたりと、国際の選手は全日よりも下に扱われたのだろうか?
それとも70年代プロレスは、シンプルな決め技、それも得意な選手の持ち技を重要視して結果に繋げたのかが解らん。 >>510
3本勝負でマツダがドロップキック、井上がサマーソルト、マツダがエビ固めだった。
昔は基本技で繋いで痛めつけて大技一発で決めていた。
今は最初から最後まで大技だから印象に残らない。 まああの時代の全日はまだ鶴田=若大将で
No,2とはいえ馬場、ファンクスとの格の差も大きかったし
アジアタッグもインターという格上タイトルありきのものだから
全日的には鶴田が木村にあるいは極道がナニワに敗れても
内容的に互角にやってれば相手エース(タッグ王者)に対して
我々は若大将や中堅タッグで同格ってアピールになるからなあ
そこはベルトがNWFと北米一本被りでNo,2も坂口の新日とは違うのもしょうがないだろうねえ ナンバー「No」につくのはコンマ「,」じゃなくてピリオドまたはドット「.」だろw ラッシャー木村vs 猪木、星野、荒川の1対3が見たかった
猪木の出番がなくて、荒川の浣腸攻撃でピンされるラッシャーが目に浮かぶ >>507
小鉄の引退試合であるヤマハvs独立愚連隊はワールドプロレスリングで
放送されてなかったっけ? 小鉄の引退試合は当初、井上&浜口にオファーが来たが、鶴見&大位山になった。
吉原が木村vs猪木戦実現ならと飲んでたら、井上か浜口が小鉄のダイビングボディプレスでピンされていた。 >>515
国プロ崩壊後に不遇だった吉原氏を見かねた早大レスリングの先輩だった人物が
テレ朝から新日に出向していて猪木と坂口に顧問として迎える事の了解を求める
と二つ返事でOKしてくれたらしい。
>>505
「燃えろ!新日プロ」のDVDに入っていたから放映されたはず。 蔵前の対決で、鶴田が木村のIWAに挑戦、となっていたら
木村>鶴田と不等号がつけられたのになあ。
鶴田は当時無冠だからやってもよかったのに。 木村はエースとしての自覚もなく、カネで星を売る力士体質が染み付いてた人だから、本人は金にさえなれば勝ち負けなんて気にしてなかったと思うよ マジキチはスルーするに限るよ
そいつOベーカーみたいに本屋で立ち読み禁止のプラカード掲げてる国際ファンだろ >>522
少なくとも「国際ファン」じゃないと思う。 小林、井上時代に全日と提携して馬場と頂上決戦やったら、どんなオチを付けたか?
乱入したブッチャーを小林が追いかけて攻撃中にリングアウト負け。
井上のショルダーアタックを16文かランニングネックブリーカーでカバーも
井上の足がロープにかかっているのにジョー樋口が3カウント入れて吉原激怒、井上が止める。 馬場と井上、シングル対決チャンピオンカーニバル公式戦であるのか 国際から全日移籍翌年の82チャンカンで当たってるが、結果は酷いかな。
馬場、鶴田、天龍、佐藤、小鹿、トンガ>井上
井上>石川、大熊
原、羽田とドロー 今日は寺西がタイガーに初挑戦した日
木村は坂口にリングアウト負けだったらしいが浜口のカードは何だったんだ >>518
まあ一応は鶴田の十番勝負と言う形で木村の格上感を出してはいたが
そういえばIWA王座に挑戦した全日本勢はダブルの時の極道コンビだけか 全日提携時に鶴田か戸口のIWA挑戦
新日提携時に長州のIWA挑戦はあってよかったと思う。 提携切り替えが無ければ日本リーグ争覇戦からの流れでドクの挑戦はありえたかも
そういえばノンタイトルながら新日本のテレビマッチで長州&木戸や星野&健吾が当時の新日本系王者とやってるんだよな >>527
前座のイメージしかない佐藤やトンガにも負けてたのか。
かつてのIWA王者がなあ。 井上はエースとしての自覚もなく、カネで星を売る体質が染み付いてた人だから、本人は金にさえなれば勝ち負けなんて気にしてなかったと思うよ >>536
82年でのこのメンバーなら馬場、鶴田に負け。
原、天龍と30分ドロー
佐藤、小鹿、トンガ、石川、大熊、羽田には反則含めても勝ちだよな。 >>538
その時の天龍との試合は、延髄蹴り食らってバッタリと前に倒れ、エビ固めで負けたのは
覚えてる。 馬場としては、タッパのない井上を売り出す気はさらさらなかったんだろね。 井上新日嫌いからなのかジャパン軍にはフォール負け少なかった気がする。
対抗戦のカーンくらい?
勢いある長州とは絡んだのかな。 >>527
間違ってるぞ
井上はトンガとは両リン、原は全戦欠場で井上の不戦勝扱いだ
この年は日本勢の参加が多く、馬場、鶴田、天龍以外の中堅は星のつぶし合い
11点=井上
10点=羽田、トンガ
9点=石川
8点=小鹿、大熊、佐藤
なので馬場は中堅の中ではギリギリで井上の顔を立ててる 大仁田のヒザ負傷からの戦線離脱から井上のジュニア王者抜擢は誰が考えたんだろう
試合ぶりを見て、渕、ドラゴン、セブンでは役者不足、ベテランの井上が適任と判断したとして
それを馬場が決めたとしたら、やはり井上は優遇されていたと見て良いかな
三沢タイガーまでの繋ぎだとしても >>539
フィニッシュはもっさりしたパイルドライバー。
健吾のジャンピングパイルドライバーに比べると、はぁ!?って感じだった。
>>540
長州とはテレビマッチでも当たってて、倉持が初対決と言っていた。
ヒロ斎藤「全日の誰とでも絡めたけど、井上さんだけが硬くて技を受け付けなかった」
マシン「言うと思ったw」 >>543
> フィニッシュはもっさりしたパイルドライバー。
> 健吾のジャンピングパイルドライバーに比べると、はぁ!?って感じだった。
いや、ジャンピングパイルドライバーだった。
延髄斬りからの連携だったから説得力あったよ。 ラッシャー木村はキラー猪木の魅力を存分に引き出した名レスラー
あそこまで徹底してボコボコにされてから使い捨てにされるところは凄い >>542
絶対王者になりつつあった「チャボからインターJrを奪回するのは井上しかいない!」
と減量を命じたのは馬場だった。 ただ減量をやって計量パスとかあったのかはすごく疑問だ。
仮にチャボ戦で計量し、パスしていても後の数度の防衛戦の時には
明らかに体重オーバーで王座剥奪状態だったと思うのだが。 ケン・マンテルのNWAJr王者に鶴田が挑戦した事があったが、いくら当時痩せてるといっても
絶対105キロ以上あったはず、プロレスのタイトルマッチの計量なんてあてにならない ジョニースミスが初来日?した時に百田のジュニア王座に挑戦したのも
明らかにオーバーウェイトだった。 新日でコブラとヒロ斎藤がいなくなった途端に、急に計量を始めたことがあった。
しかし高田や越中の計量に使用されたのは、家庭用のヘルスメーターだったな。 IWGPジュニアのリミット、最初は99kgだったのが、後に102.5kgになったような。 IWAミッドヘビーのリミットって何キロだったんだろう。
寺西は、国際時代は公称95kg、新日本では100kgだったような。
原がWWUジュニア王座になった時は、83kgしか無かったから
リミットは関係無かった。 >>549
それも、当時のジュニアヘビーは
220ポンド≒100`以下だったと思う。
105`って、その後、昭和の終わり頃、
新日本で勝手に決めたリミットでは? >>594
ヒロ・マツダはNWAジュニア・ヘビー級チャンプだった頃、95キロだったと言っていた。
その後、ジュニア・ヘビーでヘビーのレスラーと互角に戦うには105キロが、自分としては
ベストだったとも言っていた。
マイティ井上も95キロは無理としても、105キロ以下のウェイトで戦っていたのではないだろうか。 昔のレスラーのプロフィールは本当わからんからなあ
一方ではでっかく立派に見せるためどう見ても100sチョイぐらいでも
115とか120sとか言っちゃう一方で
こういう時は厳密に見せるため?
「○sの減量を行いこの試合にコンディションを合わせてきました」
とかも言っちゃうし >>560
ボクシングだと、ヘビー級の試合でも計量するんだよな。
東京ドームができたばかりのころ、タイソンが来日して防衛戦をやっていたが、
挑戦者のトニータッブスってボクサーが、来日後に5キロ太ったのは笑えた。 コブラは出てきた時から明らかにベビー級だったもんなぁ
アレでジュニアなら武藤くらいまでジュニアで通用しそう 三沢がタイガーマスクになった時、背は高いが筋肉もほとんどない一般人みたいな体だった。
新日にコブラがいたので体のショボさが際立っていた。 IWGPジュニアが制定されたとき、99.88sと設定された。
越中対ケビンが唐津でタイトルマッチ組まれたが、ケビンの体重が当日の計測でオーバーしたのでノンタイトル戦になった。
ウィリアムスとバーバリアンが仲間割れした日。 >>561
ボクシングの軽量は軽量時までに徹底的に落として、パスしなければ血を抜いて体重を減らす。
軽量終わって食うと人によっては10kgぐらい増えるそうで、試合時には規定体重よりかなり重い。 >>554
原はその時そんなに軽かったのか。
全日本時代のヘビー級のイメージしかなかった。 >>561
確かに体重別の競技は「何s以下」という括りだから理屈ではヘビー級は無差別ということになるな。
ただ、あまりに体重差があると試合の許可が下りないこともあるから、一応は体重を確認してヘビー級の体格であること
(と、ある程度身体を仕上げてきたこと)を示すためにも計量は必要なんだろう。
タイトルマッチだと段取りとして調印式や会見を一通りやるように、ヘビー級だからといって行事を省く理由がない
ということじゃないかな。 >>565
ボクシングは体重が落ちない時はガムを噛む、下剤を飲む、マスターベーションまで
すると経験者は話していた。ジョー山中は下剤を飲んでトイレで倒れて医師から
ドクターストップがかかってボクサーを諦めた。
過酷だね。なるんだったら相撲がいいやw >原がWWUジュニア王座になった時は、83kgしか無かったから
>リミットは関係無かった。
えらく軽いな。大学生はおろか高校生のラガーマンだって100`あるのに。
日本に何人もいないクラスのラガーでプロレス界でもやってた原が83……。
なにかラグビー引退後に妙に落ちたりしたのかなあ。
オレだって(単なるデブだが)重いときは92`だったのに。 原って元々は痩せマッチョだったんだよ。でも、天龍同盟時は137kgまでいったらしいね。
国際時代?に宍倉記者が憧れて、本人に、どうやったらそんな体になれるのかを訊いたら
「納豆を食べてればなれるよ。納豆は好きかい?」と答え、宍倉記者がしばらく納豆を
食べるようにしたエピソードが、個人的には好きだったりする。 腹は入団時は90数キロだったと思うが、練習で落ちた、それから上がった。
吉原「プロレスの練習やって一度絞れて、そこから付く筋肉がプロレスにあったいい筋肉」 >>567
海外のボクシングはギャンブルと切っても切れないからね
ヘビー級含め計量行うのは言ってみりゃ
競馬でレース前に馬体重測って発表するような意味もある ジ・アベンジャーも宣伝用の写真で似たようなのかぶってたな ジ・インベーダーも、セカンドコーナーから反転してのダイビング
ボディアタック出したんだから、木村も受けてあげれば良いのに、
受け止めてオクラホマスタンピート決めてピンだからなぁ。
…まぁ、偽物だからしょうがないか。 マツダのNWA世界Jr.に挑戦した時の井上は明らかにJr.のウェイトじゃなかったよね >>577
あれはデカかったよな。
木村より分厚くて110kgはあった。 鶴見五郎はNWA世界ライトヘビー級王座を奪取した時、試合前じゃなく、
試合後に計量して、体重超過でタイトルを剥奪されたって言っていた。
何で試合前じゃなく、試合後に計量するのか、よく分かんないルールだな。 こういう蒸し暑い夜はキラー猪木がラッシャー木村をボコボコにした試合を見てスカッとするに限るな このスレではキラーブルックスやキラートーアカマタ、ザ・キラーを観てさらに蒸し暑くなるのがお約束 「おおきー おおきー」と自分で言って観客に大木コールを促す大木金太郎 ネルソン・ロイヤルのNWA世界ジュニアのタイトルマッチは
馬場と新間が揃ってクレームを入れるという珍しい事態になった >>587
馬場が新間に「この件で相談が・・・」と呼び出されたらすでに会見が設定されていた。
>>585
馬場は大木からインターを奪回するために全日への出戻りの了承、
封印したはずのアジアヘビーの復活と王者決定戦の韓国開催とレスラー派遣等の
全面的な協力ともちろん協力金・・・とここぞばかりに大木に好条件を出してインター
を手放す事を了解させた。大木が韓国国内で行っていた海苔の事業の失敗でメンツに
拘ってはいられなくなった苦境が無ければインターとアジアのバーター取引は
成立しなかった。 >>588
当時そこまで敢えてやったのは大木がインターベルトを新日本に売却するのを防ぐため あと今日は井上・浜口が小林・永源からIWA世界タッグを奪還した日 >>591
インターナショナルを取り戻した後の全日のトーナメントの豪華メンバーを見ると
取り戻すのが念願だったのがよく分かる
馬場を含めて元NWA世界王者が4人+ブッチャーとブロディだからな 大木に返還させた後に、馬場が自分で巻かなかった事に、
愛着とプライドが垣間見えて好きだったりする。 当時、倉持が日本プロレス界の至宝、インターナショナル選手権のベルトが
全日本プロレスのリングで遂に復活する事になりましたとか言ってた記憶 >>594
全日本設立以来のPWFベルトへの愛着と拘りも
翌年からのハンセンとの抗争で大いに活性化するし >>596
そのわりにはその愛着あるベルトを、外様である長州に巻かせたのは解せないな。 インター鶴田、UN天龍、だったから長州にPWFを割り振っただけだろ 自分が日本プロレスのエースとして防衛を重ねたインターヘビーこそが
日本プロレス界の至宝。しかし、大木が長年巻き続け、稲妻二郎が
挑戦したようなベルトを、俺が巻くわけにはいかない。
ドリーとブロディに垢を落とさせて、鶴田に巻かせよう。
馬場はそう考えたんだろうけど、自分がもう一度巻きたいという
気持ちも多少はあったような気がする。 >>569
原はラグビーのプロップで世界選抜に選ばれたくらいだから、100kg前後はあっただろ。
83kgじゃ世界級のプロップ(スクラム最前列)に対抗できないはず。
その83kgってジュニア時代の藤波のことじゃない? 俺が小学生の時に読んだ「プロレス大百科」に、83kgと書いてあった
覚えがあるんだけど、間違いだったのかな? 原がジュニア王座を奪取した試合の実況で
リミットは220ポンド(99.8キロ)、原は218ポンドといってる
99キロ弱だな >>598
それでベルトの格差が事実上なくなり三冠統一につながる感じ >>591
日プロ残留組を受け入れたのは力道山家スポンサーと日テレの意向で馬場に意志を
挟めなかったが日プロ管理のベルト一式が全日管理になるという計算もあった。
もちろん費用がかかっているけど。大木の横やり新日との合併が破談になったのも幸い
だった。大木が手放さないの計算外だったけど・・・
>>599
インター王者の1967年頃の馬場が全盛期でレスラーとして光り輝いていたとのちに
猪木派になる東スポ・桜井氏が述べている。 >>604
1967年が全盛期で32年後の1999年まで現役続けたのは凄いというか、いい加減に辞めろというか・・・ 日プロ合流時なら防衛期限みたいな建前においても
インターも「生きて」いたからね。
何回か防衛戦をさせた後に転落させればよかったんだろう。
当時の全日の来日外人で言えば
モロウスキー、ハリケーン、テリーに防衛してドリーかレイスに負ければ大木も納得したかも。 PWFとアジアヘビーのダブルタイトル戦(馬場が勝ってアジアヘビー封印)が、
PWFとインターヘビーのダブルタイトル戦ならスッキリ移動していたんだが、
その時は金銭などの条件が折り合わなかったんだろうな。
だから大木がインターを強制返上→代替にアジアを返還、という歪な形になった。
当時としては、タイトルへの幻想を壊す残念な出来事だったな。 全日本におけるアジアヘビーは実質的に日本で防衛戦の出来ないインターの代替という感じだったからな
それに当時の馬場はベルトに金を掛けるなどPWFこそインターの正統な後継王座というくらいの気構えだった感じだし IWA世界ヘビーだって、歴代王座の顔ぶれは、PWFヘビーにも
引けを取らない豪華さ。
やっぱり、当時のTBSの力は絶大だったんだよな。 杉山・小林・井上・木村・そして浜口。
国際って、以外と芸能活動で活躍したレスラー多いんだよな。
なぜ集客に繋がらなかったかなぁ。 >>609
IWAを取れなかったカマタがPWFを取った時に国際ファンの反応はどうだったのかな カマタが全日本に移籍したシリーズで挑戦させ、反則負けでPWF王座を
明け渡し、自らの防衛記録をストップさせた馬場の意図が、いまだに
分からない。
あと、流血に血袋を使っていたカマタに、馬場が「ウチはもう血袋は
使ってないんだ。カミソリで切って本物の血を出してくれ」と言った
エピソードが好きだったりする。 >>611
国際ファンにとっては、国際>全日本と思える、数少ない記録だから、
溜飲を下げただろうね。 >>610
杉山、小林、浜口が芸能活動したのは国際離脱後。
木村は芸能活動したか?
国際にいる時に芸能活動したのは井上で人気女優との結婚、
デュオは大きく売り出すチャンスだったが、リング上は木村だった。
井上の公私共のファッションセンスは芸能向けだった。 そうなんだ。井上を除けば、国際離脱後なんだよ。
杉山は「おはよう子供ショー」にレギュラー出演するなど露出が多く、
知名度も高かった。
小林は、映画に出たり、お笑い芸人を痛めつける役で多数出演し、
長年に渡って芸能界で活躍した。
木村は、マイクパフォーマンスが受けてからイカ天の審査員・
ゴールデンタイムのドラマにレギュラー出演。
浜口は、娘・夫人といまだに露出が絶えない。
要は、それだけのポテンシャルを持った芸達者?な人が多数いたのに、
国際プロレスはそれを生かせなかった。それが惜しいと思うんだよ。 >>612
あの頃既に馬場限界説は出てたから、アクシデント的な不本意な王座転落を印象づけたかったんだろうね。
得体の知れない未知の強豪という意味ではカマタは最適。
これが今まで負けてなかったマードックやルーインあたりに負けたら「馬場も弱くなった」と思われかねない。 監獄レスラー マサ斎藤・・・いいレスラーだったよな
あのバックドロップは当時の鶴田と双璧だったよな グリーンボーイの原を相手に舐め腐った試合をしたマサに怒った浜口が、
ケツ決め無しでシングルマッチを闘って30分ドロー。試合後の控室で
外敵仲間のミスターヒトがマサを叱責、のエピソードが好き。
後年は負け役も厭わなかったマサも、その頃はまだ尖っていたんだろうな。
良いレスラーだった。
合掌 >>623
ケツギメなしでドローって何だ?リアルファイトじゃなくプロレスごっこみたいな? 浜口とシングルで闘う直前に、マサがブック(浜口の勝ちだったのか
引き分けだったのかは不明)を拒否。
レフェリーが浜口にそれを伝えたら、顔色ひとつ変えずに「じゃあ、
セメントでやりましょう」と答え、そのまま試合に。
ラフな試合にはならず、バックの取り合い・グラウンドの攻防が
延々と続くスパーリングのような内容のまま、タイムアップドロー。
後年、ミスター高橋が浜口にその話をしたら「え、いや、ウァッ
ハッハッハ」と笑うばかりだった、との事。 アマレスでオリンピックに出ていて、プロレス界でも先輩だったマサを相手に、
ケツ決め無しで闘って互角に渡り合った浜口は、やっぱり凄かったんだよな。 国際プロレスのリングで真剣勝負が行われていたとは…!国際プロレスって凄い団体だったんだな >>627
吉原社長だったからこそレスリングもできたんだよ
全日じゃ一番うまいといわれた渕 正信もやっぱりどことなく
動きがぎくしゃくしてたしね トップの影響はでかいよ 渕は元々高校大学時代レスリング部出身だよ
別に学生時代大した戦績は残してないけどw
さすがにその渕とプロレス入り後練習でアマレス習った浜口を比較して
渕のレスリングの動きがぎくしゃくは贔屓が過ぎるというもの 浜口は練習量が多かったし、自主的にやっていた。
もちろん渕も練習していただろうけど、桜田ら日プロ残党に
しごかれて、やらされていた感が強い。
この差は大きいと思う。
まぁ、俺は浜口も渕も好きだけどね。 >>629
淵がレスリング出身だったのは俺も知ってるし強かったのは認めてるけど
先輩からぐしゃぐしゃにされて教わるどころではなく自己流で実践の技を覚えたと
淵本人も述懐してるし 論理的に教わった浜口との違いを言いたかった >>629
多分、本田多聞の動き見てこいつはレスリング知らないとか言いそうだな >>632
まるで見てきたように言う>>630もだな でも国プロってサンボやったり先進的だよね
ビジュアルは全員アレだけど ラッシャーとマサの関係はどうだったのかな。もともと東京プロレスで
同じ釜の飯を食った間柄だけど、仲が良かったって話も聞かないし、仲
が悪かったって話も聞かない。国際プロレスで対戦した時も、何となく
あっさりしたように見えた。 菊池孝「国際の道場を覗くと、いつも浜口がいた。
浜口はバーベルを上げるのは得意だったが、レスリングでは吉原にヒイヒイ言わされていた」 >>629
馬場 鶴田 全盛期の全日はブッチャーに代表される タフ自慢 我慢自慢のモンスターファクトリー
人並外れた基礎体力があれば関節技なんて馬場や鶴田には関係ない
そんなところでレスラー人生を全うした渕はある意味えらいな 新日や国際で活躍したほうが光ったかもね >>637
渕がもし新日や国際だったら全日では体格的に目立たないハンデは
相対的に無くなるから面白かったかもね
でもあのルックスや地味さというかスターとしてのオーラの無さは
やっぱりメインエベンターとして客呼ぶのはきつそうか
新日ならケンゴと木戸の中間あたりのポジション、
国際なら寺西渕組vs鶴見大位山組、
シングルなら二郎さんとの対決が休憩時間前後の名物になるくらいとか 渕はロビンソンの指導は受けてないのかな?全日は国際みたいにロビンソンをコーチとして使わなかったのかな?もったいないよな >>639
ロビンソンは練習でも自分が技をきめることばかりで人にはまったく教えなかったそうだ
結構まわりから嫌われていたと淵本人が述懐してるね 桜田(ケンドーナガサキ)も同じだった
新日でいう藤原や国際の吉原社長といった人が全日にはいなかったらしいね
本人もゴッチ道場に行きたかったとも言っている >>640
いじめでひたすら腕立てやらせる人とかしかいなさそう >>640
渕はゴッチに特別な思い入れがあった訳じゃなく、アメリカ修行中ゴッチがやたら来い来い言うんで、断りきれず付き合ってたんじゃないの?
指導料とかはどうなってたかは知らないけど。 >>642
渕は若手の頃からゴッチ道場かバーンガニアのレスリングキャンプ行きが希望で
新日的な考えの持ち主だった >>640
藤原「自分の関節技の研究のために若手とスパーやってるので教えない」
高田「新日で技を教わったことはない。やられて必死に逃げる。下が入ってきたら見よう見まねで技をかける」 >>640
ロビンソンは外人レスラーの間でボロクソに言われているからな
B・アレンいわく「若者を虐待することが好きな惨めな人間」
K・パテラいわく「AWAの外でロビンソンと仕事をしたがる人間は一人もいなかった」
フレアーいわく「バーンはロビンソンをチャンピオンにしなかった。バーンはロビンソンを全く信用していなかった。」 >若者を虐待することが好きな惨めな人間
当時の日本の先輩全員だろ。 >>646
亡くなった初代貴乃花の証言では、大相撲の世界でも、将来有望な若手が
先輩力士のかわいがりでかなり廃業してるそう。
今は知らないが、日本のスポーツ界も結構陰湿な面があった。 マサ斎藤はイジメ好きで練習しない相撲出身レスラーが
相撲界の悪い所ばかり持ってきた連中としか思えなかったって >>649
年寄株を手に入れると、一生食いっぱぐれない。プロレスにはない世界。 木村がアメリカ遠征中、シャチ横内とインベーダーズという覆面タッグで
活動してたら、日本プロレスのブッカーから「良いタッグチームがいると
聞いた。日本に遠征させないか?」と誘いがあったというエピソードが
あるけど、もし日本プロレスに逆上陸してたらどんな扱いだっただろう?
若手中堅には勝って、アジアタッグに挑戦して負け、ぐらいか。
無理な話だっただろうけど、実現してたら面白かったな。 >>649
・他のスポーツよりも入門の条件が緩くてアマの経験も不問なので、プロになりたい奴はたいてい挑戦できる。
・どんなに成績が悪くても年をとってもクビにはならない。
・給料が出ない下位の選手(幕下以下)でも待遇が安定している。
(住むところと飯が保証されている、厚生年金に加入できて掛金は相撲協会、医療費は相撲部屋が全額
負担してくれる、など) >>643
アイアンシークからレスリングのコーチを受けた。かなり熱心だったらしい。
ゴッチが話しかけて始まった念願のゴッチ教室の参加だったが試合会場の往復で数時間
使い試合後でバテているのに休みなしのハードトレーニング・・・音を上げそうになる
と「ババのトコのボーイは元気がないなあ〜」と言われてしまった。
渕曰く「藤波さんや藤原さんはトレーニングしかしていないんだから当然だよ・・・」
と語っていた。ゴッチはフロリダにいてもプロモーターとも弟子のマツダとも付き合いは
無かった。そして実の娘とも絶縁状態だった・・・ 実の娘から絶縁されるなんてゴッチはよほど変人なんだろう >>653
全日系でゴッチの指導を受けたのは日プロ時代の馬場、戸口と渕ぐらいか?
藤波、佐山、藤原ら新日選手は試合はなくトレーニングだけで行ってるが、
渕は試合して明け方帰宅しするも8時頃にゴッチが部屋をノックして練習させるから大変だったらしい。 猪木の日本プロレスのクーデターは相撲出身者を全員追放するってプランでも
あったって話だね >>655
シリーズ中は藤波佐山藤原だってデビュー後は試合はあったろうから
試合が無いからって意味じゃなく
試合以外の試合前試合後の雑用係としての仕事や
オフザリングでの付き人としての上の人のお世話やあっちこっちへの同伴とかのことじゃない?
新日に比べ若手が殆どいないうえ定着しなかったあの時代の全日だから 菊池孝の国際話は、かなり盛ってたよな。
木村がアメリカ遠征した時、強かったので抜擢されて、ドリーのNWA王座に
複数回挑戦したとあったけど、小鹿の著書によると、ドリーとシングルで
試合したのは事実だけど、タイトルマッチではなく、テレビマッチの
ジョバーを務めただけだったとある。
まぁ、菊池さんの説の方が、夢があって好きだけどね。 >>659
ネット時代になるまではプロレスマスコミの情報操作は多かったよ。
前田がイギリスで150戦無敗とか煽ったが、実際はデブにボディプレスで10カウントKO負けとかあった。
ムタもスティングにフォール負けしたのに反則負けにしたりとか。 >>655
日プロ時代なら轡田や百田も
特に百田は巡業に連れて行ってもらえず残り番だったので
ゴッチと接する機会が多かった 日プロ時代の杉山は、ゴッチ教室のメニューを熟せた数少ないレスラーだった。 永源「ゴッチ教室は苦手だった。相撲やってたから瞬発力はあるが、長くやる持久力がないからキツかった」
自重トレ中心でロープ登りとかもやるゴッチの練習は相撲出身者には厳しそうだ。 >>659
アメリカで本当に、NWA世界ヘビーに挑戦した日本人って、
どのくらいいるんだろね。馬場、マツダ、佐藤昭夫、桜田、たったこれだけか。 >>664
ドリーが転落寸前に鶴田が挑戦してる。最後の挑戦者かもしれない。
ムタがフレアーに挑戦してる。
ブリスコ、レイス時代だと意外と戸口、マサ斎藤、高千穂あたりが挑戦してるかも。
佐藤、桜田が挑戦してるのか? レイス? >>666
鶴田がアマリロ?で挑戦してたね。
佐藤はレイスとカンサスで対戦したのが昔のゴングに載ってた。
桜田は自伝で書いてた。確かカルガリーでレイスと。 >>664
真偽は別として、記録には
力道山が1953年12月6日、ルーテーズ
豊登が1957年7月4日、ルーテーズ
場所は、ハワイ
あと、シャチ横内も69年の秋に来日した時
「ドリーのNWA王座に数度、挑戦した日本人は私だけ!」
とか言っていた気がする。
それと、坂口が70年頃、アマリロあたりで
ドリーに挑戦したのをゴングが伝えていた気がする。
大木は一応、日本人からは外そう。 戸口も外そう、挑戦してないかもしれないが星野勘太郎も外そう。 力道山と家系、長州、前田、健吾、高岩
金・高とか隠れ在日も外そう。 今日はスミルノフのIWA戴冠日
当時の国際ファンの反響は 国際が、地方のノーテレビ会場でIWA選手権防衛戦やって、
公式記録には残っていない隠れ試合が結構あるそうだが、
そういうの足すと、木村の防衛記録も50回くらいいってるかもね。
立会人の選手権試合宣言がなく、ただリングアナがその旨コールするだけの試合。 >>676
鶴見「小林さんが25回連続防衛と言われるが、地方で連日タイトルマッチやってたのでもっと多い。
俺が生涯で金網2回やってる? 独立愚連隊以降は1シリーズに2回はやってた」
地方でのタイトル戦は昔のアメリカでのNWA,AWA世界戦と同じで地方のプロモーター、ファンのためでもある。 スミルノフに取られたのは屈辱でもガニアに取られたのはタイトルにとって名誉か >>678
両方ともリターンマッチの組める日程だったから、負けブックを考えただけだろ?
当時のスミルノフは新日のシン、全日のブッチャーみたいな扱いだったんだし。
上田に奪われて以降、ずっと王座移動がなくマンネリ化していたのもあった。 外人エースはスミルノフだと明確にする意味もあったかな
人気的にはジョーに嫉妬していた面もあったというし IWA世界ヘビーの歴代王者を見ると結構凄いメンバーなんだよな
ジョー、ブルックスあたりだと格落ちする。
AWA王者ニックとのWタイトル戦で渡すのならよかったかも。
木村が井上と3回やるんなら1度は渡した方が新しい流れができたと思う。
浜口、寺西あたりが挑戦すれば木村のデスマッチとは違った好勝負間違いなしだった。 まだテレビがある内に凱旋の原を挑戦させてほしかった
国際は崩壊寸前でもあの頃の原は肉体的には間違いなくピークだったと思うから >>682
肉体的にはピークだったが、木村、浜口の体力には敵わなかったかな?
藤波戦では全てにおいてまだまだということを露呈した。 >>683
藤波に挑戦した時期じゃなくて、井上と組んでタッグ王者になった頃の話では?
ジュニア王者だったから藤波に挑戦したわけで、崩壊寸前は返上しちゃってるし。 秋にルー・テーズ杯やったら木村vs原も実現したかな。12chがあと1年辛抱してくれてそれでも
打ち切りされたら吉原さんもきっぱりとプロレス界から足洗うことが出来たか。 吉原さん、国際プロレスを畳んだ数年後に新日本に入ったよね。顧問か何かで 国際崩壊後の3年後の昭和59年に新日本の顧問に。
翌年、ガンで55歳で死去。 1年弱の雇用だったけど、ワカマツ及びマシーンズのブレイクや、
大剛のブッカーとしての活躍など、新日本は元を取ったと思う。 >>685
当時、木村vs原が実現していたら、原はどうやって木村に勝った?
原は肉体的にピークだったが頑丈な木村には通じないだろ。 >>691
プロレスなのに何言ってるんだよ、三沢も鶴田に勝っただろw なんで土曜8時なんかに放送したかね
月曜に地味にやってれば、あと三年は持ったよね >>692
バカ!!
エースが下の日本人に負けるのは団体として相当な覚悟と方向性が必要。
ましてや潰れそうな国際なんだから、原が勝っても、その後の国際を背負えるのかという部分が大きい。
プロレスだからというなら、当時ヒールだった鶴見が木村に勝ってもおかしくないが、それはない。 >>693
金網デスマッチを放送することに批判があり、テレビ東京に移行する直前だったから。
東京12チャンネル側としたら、打ち切りのタイミングを測っていたんだよ。 >>694
覚悟も何も、その時点から3ヶ月も持たずに潰れちゃったんだが? >>696
国際時代、浜口は木村、井上、草津に1度も勝てなかった。
健吾だって藤波に1度も勝てなかった。
メインクラス同士の試合でも格やキャリアが物を言っていた時代のエース交代は簡単ではない。
ましてや3ヶ月後に会社が潰れる可能性があるなら、原>木村でエース交代なんてできない。 刺激と軋轢があるから木村→原のエース交替は直接は難しかっただろうな。
スミルノフに負けて獲られた木村のIWAに原が挑戦して奪取、
その後スミルノフ、井上に防衛、木村が挑戦しするも引き分けで奪取できず
エースも交替、みたいな感じがよかったように思う。
倒産云々を考慮しても捨て鉢になるか萎縮するかだから考えない方が……。 テーズ杯決勝戦
木村対ジョージで木村が勝利、木村優勝テーズベルト保持
IWA世界ヘビー選手権
木村対ジョージでジョージが勝利、ジョージIWA奪取
IWA世界ヘビー選手権
ジョージ対原で原が勝利、原IWA奪取
IWA世界ヘビー王者の原、テーズベルト保持者の木村の二大エース時代へ >>700
バカじゃねえのオマエww
>>698 >>699 みたいなことを考えろ脳なしw 原が木村に雪崩式ブレーンバスターをきめるのを観たかった… >>691
1980年ごろの阿修羅原は確かに体も大きくなって覚悟も感じたけど何といっても龍原砲の頃のほうがピーク
デビューの頃にアヘアヘ言わされてたジプシージョーを全日マットで気の毒なほど痛めつけて溜飲を下げてた
背中パイプ椅子と頭パイプ椅子を ひん曲がるほどジョーに打ち付けていたよね >>691
> 原は肉体的にピークだったが頑丈な木村には通じないだろ。
この一文がバカじゃないの?って言われる原因 バカと言われても
ラグビータックルが力士に通用するか知りたいんだよ >>705
プロレスなんだから頑丈だから通じないとか関係ないだろって話なんだがw >>707
オマエなに言ってんだよ・・・プロレスに肉体の強さが関係ないわけないだろ 木村なんか、その後、売れないAV女優ばりに金のために、新日で何でもやっちゃたんだから
博打でも阿修羅に負けるくらいやってもらいたかった
木村かエースじゃ潰れるのも時間の問題だった レスラーをAV女優にたとえるの止めてくれよ純粋に気持ち悪い >>708
じゃあ何で木村は猪木に勝てなかったんだよ。 頑丈なはずの木村は馬場にも勝てなかった。
キラー・カーンにはフォール負けした。 >>711
トータルで猪木のほうが強かったからだろ >>701
後からどう言い訳したって無駄だよ
>頑丈な木村には通じないだろ
ガチンコとプロレスの区別も付かないのかよ、低能(笑) >>715
> ガチンコとプロレスの区別も付かないのかよ、低能(笑)
だったんだな>>714はw >>716
フェイクとリアルが混在する摩訶不思議世界がプロレスなんだよ
国際プロレスはスパー強ければ上で使うチャンス与えてくれたと
高杉正彦が言っている夢のある話じゃないかね >>717
>>714と総合するとストロング小林はガチで国際最強だったということになるな。 勝手に人の意見をまとめる卑怯な論法ですね
プロレスラーに必要なのは強さであり
分かりやすいこともしなければいけないんです >>719
勝手にまとめられるのが嫌なら、小出しにしないで一度に全部まとめて書けよ。 37年前に潰れた団体で起きた事を回顧したり、たらればの話を
してるスレで、言い争いするのは止めようよ。 買いなはれ、買いなはれ。潰れた理由も、後年まで語り継がれる理由も、
なんとなく分かるよ。 デビル紫 スネーク奄美 稲妻二郎・・・ 名レスラーの数々
B級ホラー映画の傑作みたいな国際プロレス最高っす! 若松市政のことを馬場が気に入って、桜田+金銭でトレードを申し込んだって話は
本当かなぁ。国際プロレス当時の若松の裏表のない働きぶりと馬場の性格を考える
とまんざら嘘でもないような気がするけど。でも、桜田は不満だったろうな。 テレビ東京が国際プロレスを打ち切ったあとにフジテレビが中継する予定だったと竹内本に出ていたが、
全女と抱き合わせでもするつもりだったのか? 馬場は裏方としての若松を欲しがっただけで、全日本に移籍したら
レスラーとしては試合をさせてもらえなかったと思う。 全女が全国ゴールデン30分枠、国際が関東ローカル深夜60分枠、
といったところかな。 >>730
抱き合わせならテレビ東京初期のようになってたか
ぎゃくぱたーんで
ジャガー横田vsデビル雅美のWWWA選手権の前座が阿修羅vsジョーの金網とか >>728
全女は芸能班が番組制作、国際はスポーツ班が番組制作予定で、週末の夕方関東ローカルで放送するつもりだったらしい >>732
やっぱりフジテレビ系全国ネットは無理か
東海テレビや関西テレビはプロレス嫌いらしいが
テレビ東京時代のようにサンテレビや三重テレビでも続けて欲しかった 国際の泥臭くB級感満載の雰囲気と当時、視聴率番外地と呼ばれていた東京12チャンネルが
絶妙にマッチしていたから「楽しくなければテレビじゃない」がキャッチフレーズの80年代
にはいってからのフジテレビは国際には似合わなかったと思う。 >>734
東海テレビは昔はわからないがドラゲーの中継したり事業部が四天王時代の全日名古屋大会を主催したりイベントにJWPをブッキングしていた時代があったよ。
青柳館長とも繋がりがあったと思ったけど。 テレ東も、放映権料下げても良いから、日曜夕方ぐらいで
放送を続けてくれていたら、どうなっていたかな。
ただ、レスラーにとっては、潰れてくれた方が良かったんじゃないか。
いくら吉原社長に情があっても、ギャラ未払いでは話にならないよ。 テレ東にとって国際プロレスは
ヤンヤン歌うスタジオやおはようスタジオみたいな有益コンテンツだったのか、あるいはただのお荷物だったのか >>740
木村の試合、流血戦はライブ向けでテレビだと放映しづらく、一般層の人気は出ない。
国際末期でのテレビ向けエースなら、井上、次点で浜口、原かな。 >>740
国際を放映していた当時は東京12チャンネルです、国際を打ち切ってからテレビ東京になりました。 >>742
社名変更に備えてイメージの悪い番組は終了させたかったと言われるね。
テレビ朝日も社名変更に備えてNET時代に始まった低視聴率やマンネリ化した長寿番組
を終わらせたり衣替えして新番組をスタートさせている。
例として挙げると特別機動捜査隊⇒特命最前線、がんばれロボコン⇒ロボット110番
秘密戦隊ゴレンジャー⇒ジャッカ―電撃隊となっている。ただ特捜最前線以外は
失敗して短命だったのはテレ朝の今に続く編成の悪さの伝統www >>740
まあ当時の12chの番組の中ではそれでも平均以上の視聴率だったんだけど
平均以上といってもしょせん1桁の中での平均よりマシ程度
それより問題はプロレス中継はイメージが悪く営業が難しいということ
全日や新日のようにタニマチ筋の大手企業がスポンサーにつくわけでも無く
ヤンヤンや大江戸捜査網のように人気タレントや有名俳優が出て高視聴率というわけでもないので
地方局に外販するにも大してヒキは強くなかったはず
あとスポーツ中継って現地に中継車出さなきゃいけないから
ちゃんとシリーズフォローしようとすると局からすると意外と制作費かかる
なので12ch時代の後半の多くは同会場で2週撮りだし
何より近距離の関東近郊(静岡東部含むw)の会場での興行の割合が増えた
といっても関東が増えたんではなくその他の地方巡業が減ったわけでw
関東近郊と木村の後援会のある北海道。あとはその間の移動の道中で
売り興行が成立したところでだけ東北での興行
西は大阪以外はめっきり数減ってしまった
まあ後期には地方巡業は宿泊や移動費も厳しかったんだろうけど
皮肉なことに数少ないローカル局中継は西の方が多かったというちぐはぐ >>698
あと木村と原のIWA以外で見たかったのが原・井上と浜口・寺西のIWAタッグ
結局は双方とも全日本でアジアタッグを取ったが >>744
>12ch時代の後半の多くは同会場で2週撮りだし
色々詳しいようだけどこの点は逆だよ
12ch時代前期は2週分まとめ撮りが基本だが末期は1会場1週分
まぁ末期で時には2週撮りもあったし、特になぜか80年ビッグチャレンジSは多かったけど たしか最期は北の果てで終焉を迎えたんだよな……雑誌で見て凄く寂しく感じた記憶 >>744
カリスマ性のあるスター選手(馬場、猪木)もおらず、本家本道のNWAとのパイプもなく、
強力なスポンサーも付かず、テレビも全国網羅の大手キー局が放送してくれないのなら、
いいところは全て全日、新日に取られて、最後は貧乏旅芸人一座みたいになるわなあ。 >>734
フジが放送した東映不思議コメディシリーズなんかは関西テレビは放送せずにサンテレビが放送してたな >>744
当時の12chの平均視聴率は2〜3%でテスト放映した木村vs.ロビンソン戦が7%近い
数字が出てレギュラー放送のゴーサインが出た。しかし日経の社長からの放映検討の
指示を受けた12ch・白石運動部長でも編成部を説得するのは苦労して生み出したのが女子部の
創設と並行放映だった。女子プロは人気番組だったのにエロ番組の大批判を受けて泣く泣く
打ち切った過去があって「いつか復活したい!」と小畑等と白石氏が約束して別れた。
ヤンヤン歌うスタジオは数字も良かったがデビューした新人を万遍なく出演させたので
各芸能プロに恩を売って強力なパイプづくりに貢献して番組放送開始○周年記念ドラマ
には多くの人気歌手が恩返しで出演した。
金八ワープロの後番組で数字は大した事がないのにいまだに続くミュージックステーション
は歌番組冬の時代の頃でも続けたのはステーションイメージもあるんだろうね。
日ノアのPとテレ朝の船橋アナも「スポンサーが付きにくく通常より数字が良くないと
局内では評価は低い」と話していた。 12チャンはヤンヤンもいいけど
凸凹大学校も忘れないでねw >>746
そんなことは吉原か草津が決めることで
お前が決めることではない。 >>756
マサ斎藤は吉原、草津の決めたことを拒否したな。
入ってくるな能なし、無知。 >>757
それは斎藤が拒否したことを吉原、草津が受け入れることを決めただけだ。
アホだなお前は。 ついでに言えばフリーの斎藤と所属の木村、原では立場が違う。
一緒に考えるのがアホ。 業務提携していた新日の新間−吉原ので井上のメキシコ遠征話が出たが井上は拒否したな。
アホ!! >>758
受け入れてないからセメントでやったんだろ。
アホ!! >>761
それも含めて吉原、草津が受け入れなかったらやるわけないだろ。
本当にアホだな前はw >>760
それも井上の拒否を吉原が受け入れただけだアホw タッグとはいえ木村と原の対戦は全日本に入ってからだと思うが初対戦はいつかな
やはり別パートナーで参加した86年の最強タッグか 86年の最強タッグ、原はマシーンと組んで出たけど、マシーンがケガで
欠場して、ほとんど不戦敗だったはず。木村とは公式戦では当たって
いないと思う。 87年の最強タッグは、龍原砲 vs 木村&鶴見で実現しているけど、それが
木村と原の唯一の対戦だったかも知れないね。 原はハンセン戦(ハンセン全日移籍初戦)のやられっぷりが印象深いなぁ。国際だと原の良さが活かせなかったのかな エースにしたかったわけなので、あのやられっぷりの見事さはキャラが違うけどな
ただ変なラメタイツとかわけわかんないリングコスチュームとか、本当に売り出し方が下手糞だよな国際って マシン原×木村鶴見、観たかったな。
マシン原×馬場タイガーもどんな結末だったのか。 【WAR vs FMW】 天龍 & 原 vs 大仁田 & 後藤 結構いい試合してたんだな しらんかったわ
https://www.youtube.com/watch?v=O4BynieNGns >>770
タッグでフォールされて、シングルでリベンジするって天龍は結構あったな。
たしかSWSの旗揚げ戦と2戦目も、ジョージ高野相手にそのパターンだった。 >>769
86年では木村・鶴見が鶴龍に勝ってるんだよな
85年では木村と原のコンビだったが国際ではどんなチームとやってたのかな >>770
1994年の東スポ・プロレス大賞の年間最高試合を取っている。 >>773
福岡の鶴田、天龍対木村鶴見は生観戦したけと、
いきなり鶴田がイスを持ち出して反則負け。
あからさまな得点調整試合だった 85年大会でも木村、原が鶴龍にリングアウト勝ちしなかったっけ
天龍が腰を痛めたかなんかで ブッチャーのフォーク攻撃でテリーがブレイクしたんだから、国際もカマタにスプーン攻撃で二郎を大流血させたら大二郎ブームが起きてたかもな 鶴田、マサの前に小林がAWA王者に短期間でもなってたら、ああもあっさりTBSも白旗挙げなかったんじゃないかな
当の日テレもまだNWAの勝ちも意味もしらないでいた時、「エース・タレント」が欲しかった国際としては権威付けが大事。先手を打って欲しかった >>763
鶴見「末期に原をエースにという話が出たが、木村さん、井上さんらが反対した」
吉原、草津の言うことを聞いてるなw >>778
ガニアがもう少し業務提供先の国際のこと考えてたら、小林AWA世界戴冠も
有り得たが、ガニアは目先のカネ儲けしか頭になかったから、国際を潤わせて
自らももっと潤うという発想はなかっただろね。 むしろ、国際がWWWFと提供
してたら、サンマルチノの格好のライバルになり得ただろね。背格好も似てるし。 ストロング小林は体つきや得意先(カナディアンバックブリーカーとか)がサンマルチノに似てるけど、サンマルチノのカリスマ性が小林には全くなかったw ガニアがケチだって言うけど
ボクはプロレス界の役に立ちたいんですという若者には
気前良かったとも聞いたよ フレアーの自叙伝に書いてたけど、ガニアキャンプに参加してデビューした選手はデビュー後、ギャラの数十%をガニアに納める事って契約させられてた
クロケットJr.に業界では普通の事なのか聞いたらクロケットJr.はそんな話は聞いた事無いと答えた
フレアーは今後数十%納める代わりに、まとまった金額を払って話を付けた
スティムボートも払っていたが、クロケットランドに転戦してきた時にフレアーが助言して一括でまとまった金額を支払った
パテラ等は現役時代ずっと払い続けていたらしい ホーガン自伝によればガニアはホーガンが知らない間にホーガンTシャツを売って儲けていた
ガニアを問い詰めたら「あれはわたしのTシャツだ」としらばっくれた >>768
二度目の凱旋の時はガッシリとした身体に黄色のコスチュームだったな
あれは物凄く良かった
全日本に行ってもしばらくやってたはずだがいつまでだったか AWAとの提携が続いてたらホーガンの初来日が国際なんてこともありえたかな? >>779
それも木村、井上の反対を受け入れることを
吉原、草津が決めたというだけのこと。
最終的に決めるのは社長の吉原であるのは当たり前だろ。バカなの?w そういや倒産した時もよくルー・テーズに払うギャラがあったな
セッド・ジニアスの話を聞くとテーズがギャラ後払いでは納得するとは思えない 木村は基本的に文句や不平は言わないだろうからな
だからいざそれをやった時は重そう
あとどこかで末期の国際のマッチメイクは草津を外した合議制だったという記事を読んだ記憶も >>796
まさかこんな変わり果てた姿になるなんてな・・・
親御さんもさぞ驚いたろうね 羅臼大会後に社長とラッシャーが、『とど鍋をつっいた』という話を何かの記事で読んだ。
この時に食った『とど鍋のとど』ってのは、怪獣みたいなとどなのか、それとも出世魚のとどなのか・・・
どっちなんだろ? 大木がいつの間にかフェードアウトしたのもギャラの問題だろうな。
浜口も肝炎で欠場していたけど、新日本に出た時の元気いっぱいの
姿を見ていると、ギャラが満足にもらえないと
いうことで復帰を見合わせていたのかも。
その間、密かに新間と交渉していたということか。
仮に国際が存続していてもそのまま新日に上がっただろうから。 大木が契約していた相手は12チャンネルだからギャラもそっちからかな
どちらかといえば半年の期限切れで延長なしといった感じ >>802
最後のシリーズには後楽園も入っていない >>792
ない
ホーガンがAWA入りしたのはWWFでヒールとしてブレイクして新日に来た後 >>803
ヘーシンクと同じでギャラと契約金も12ch持ちみたいね。
契約金は1000万円でそのうち国プロへ10%がマージンとして入った。
吉原社長との相談なしに12chの田中Pが独自で進めた入団でマージンが入ったので
つんぼ桟敷に置かれた吉原社長は黙認したが田中Pとの間でかなり距離ができた。
ただ大木自身は先輩風を吹かす事もなく合同練習にも参加したりサンボの技を練習
したりして選手との関係は悪くは無かったらしい。 そもそも吉原が12チャンネルに相談なしに交流戦でもなんでも決めてしまうから
それに比べれば馬場や猪木の方がよっぽどテレビ局に配慮している 新日と全日にはそれぞれ、NETと日テレが資本を入れていたから国際とは状況が違う
TBSプロレスの時に痛い目をみたから、テレビ局の言いなりにはならないと吉原社長は公言してたらしいしね >>799 >>802
> 羅臼大会後に社長とラッシャーが、『とど鍋をつっいた』という話を何かの記事で読んだ。
俺がデラプロや別冊ビッグレスラーで読んだ記事での話に限ると
ラッシャーがせめて最後の思い出作りにと他のレスラー関係者全員の分まで奢る形でトド肉料理を御馳走したという事になっていたけどね >>806
大木が入団したことで、観客動員数も僅かながら増えたらしい。
タニマチとかいただろうから、それなりに効果はあったみたいだね。 >>811
そりゃ大木と言えばビッグネームだから
ついでにフェードアウトしていた豊登にも復活してもらいたかったがもう連絡がつかなかったのか >>809
貴重な品をどうも。
この4大タイトルマッチ、よりによって最後の木村戦が生中継できなかったんだよな
テレビ東京12chはどうせ9時からの番組も低視聴率なんだから延長してでもやってもらうわけには行かなかったのか
当時はスポンサーの縛りが厳しくて、王の756号も日テレで生中継できなかったぐらいだから無理か >>810
鶴見のインタビューでは、試合終わって控室?に帰ったら誰もいなくて、トボトボ宿まで
歩いて帰ったらみんな飯喰い終わってた、
となってたな。 >>810
まあよくある作り話じゃないかな
プロレスってだいたいどんなエピソードでも嘘か膨らましすぎてるホラ話しかないから >>812
当時の豊登は関係者ですら消息が分からない状態
当時のプロレス雑誌には
「新日本プロレスは豊登の行方を捜しています」という広告が
よく出ていたよ >>808
その極端な姿勢に井上あたりは疑問があったらしいが >>817
テレビ局の言いなりにならないって言ったって
テレビ無しじゃやっていけないんだから程度問題だよな。 テレビ局に二度切られたのもその辺りにも一因があったような気も >>811
井上話だと在日が多い街での動員力はあったらしいね >>817
まー井上はよく心の中で不満抱えてる奴だよな(笑) >>818 >>819
末期に入団したマッハが言ってるよ
優秀でよくやってくれる12chのスタッフに対して吉原やレスラーが酷い態度を取るのが理解不能だったと
2度もテレビから切られるのも当然の結末 馬場も猪木もTV局を敵にまわすことだけはしなかったからね
「ギブUPまで待てない!」が始まった時にロッキンオンのライターが
「なんで「こんな番組ならTV中継なんていらねえ!」と猪木は言えなかったのか?」と
バカな事を書いていたがそんな事を言って打ち切られたら
新日本が潰れてしまう 当時の東京12チャンネルの指示で大木の入団が決定したのなら、局側が国際に対して延命策を施したと取るべきなのか
それとも打ち切り前に国際に最後の見せ場を与える為の はなむけと取るべきなのか 大木が国際でインター防衛戦やらなかったら全日に戻る大義名分は無かったな 12chがいくら払ったかのかわからんが国際的に大木のバリューは
本人の価値1、インターのベルトの価値9くらいじゃないのかなあ。
特に木村と「不器用なくせに器用な技を使ってみせる」とかが被ってるし。 テレビ東京が1000万円出して、国際が経費として200万円取って、
大木の手には800万円渡った。 >>824>>813
新日との対抗戦と言う「毒まんじゅう」を食う事と大木の加入で一時的に持ち直し
田中Pも特番用、アンドレ、テーズ。ガニア等招聘で特別費用を局から出してもらった。
特番も当時の12chの平均視聴率を上回る高視聴率を取るも息切れしてしまった。
巨人戦中継で日テレ以外の局が30分の放送延長を始めたのはこの特番の数年後からで
放送回数の多い日テレは地方局との調整に手間取り中々、放送延長ができなかった。
あと夕方の全国放送のニュース番組もこの影響なのか他局より遥かに出遅れた。
>>811
近江八幡大会の特番用に大木の対戦相手にカーペンティアを用意して海外武者修行時代
に世話になったので対戦を楽しみするも来日中止で相手は上田に変更されたが大木が拒絶。
吉原社長が「選手がプロモーターに逆らうの許されない!」と大喧嘩になり生中継の
時間が迫り青くなった12chスタッフがなんとか説得してリングに上げたがこれで
二人の関係悪化は決定的になった。 日プロの末路を見れば判る通り、馬場猪木あっての大木だったので、
大木、上田、小鹿、松岡で客が入るわけがなかった。大木対ブルーザーとか
やってたが、時既に遅しでロートル同士の盛り上がりのないストレート防衛。 >>829
一応大木対上田は前年の特番で、井上&浜口対大木&上田のIWAタッグ選手権で仲間割れという伏線があった
日プロ時代最後の日本組のインタータッグ選手権保持チームでもあった
大木は反則ばかりの上田はインター挑戦者として相応しくないと拒否したらしいけど、全日時代末期はブッチャーの子分で金的攻撃したり小悪党演じてた大木こそインター挑戦者としていかがな者だったのか 大木はインター挑戦者じゃなくて、王者だったんだよ。
その時その時で役割が違うんだから、それはしょうがない。
後年のインタビューで、国際でやったニック戦がベストバウトと
言ってたね。
馬場や猪木や坂口の敵役としてではなく、自分が主役として光れた
数少ない日本国内でのビックマッチだったんだろうね。 大木「政男の背中は流したくない」
木村「末雄、進の背中は流したくない」 大木は若手時代に猪木と仲が良かったはずなのに坂口が持ってきた合併話も拒否したし
やっぱり自分がエースでいられるってのは麻薬の様な魅力があったって事かな
だがエース大木、No.2高千穂なんて体制をNETがバックアップしてくれるわけがなかった 猪木はレスラーの見舞いとか滅多にしないが
大木が病床にあった時はわざわざ韓国まで見舞いに行ったからな。
新日参戦が短期間で終わったのはギャラの問題なんだろうが
もう少し猪木との絡みを見たかった気がする。 日プロ時代の大木を殆ど知らない俺は
ガキの時にW大リーグの開幕戦で
ゴングともに猪木を場外に落として頭突き連発、
20カウント直前にリングに滑り込んで1分半で勝った大木を見て
まだプロレスはガチだと信じてた子供心にも
さすがに「いや、それはあかんだろう」と思ったもんだ 「早すぎたインディ―ズ」今なら充分生き残れたのに・・・木村さんが最後に全日でマイクパフォーマンスで注目浴びたのがせめてもの事でした。
浜さんも京子ちゃんや教え子たちが成功してよかったねぇ ブッチャーの子分だった大木が国際に入団した途端、日本陣営に組み込まれたのは違和感があった
どうせなら韓国軍団で乗り込んできて、独立愚連隊と結託しての軍団抗争を見たかった
独立愚連隊の格上げにもなったしその方が良かったと思う >>839
マスコミに発表しないで行った隠密シリーズが黒字だったから「規模を縮小して
興行を行えば生き残れたかも・・・」と国プロ関係者が述べるも「吉原社長は
力道山の弟子のプライドからそれはできなかった・・・」と結んでいた。 >>829
> 近江八幡大会の特番用に大木の対戦相手にカーペンティアを用意して海外武者修行時代
> に世話になったので対戦を楽しみするも来日中止で相手は上田に変更されたが大木が拒絶。
> 吉原社長が「選手がプロモーターに逆らうの許されない!」と大喧嘩になり生中継の
> 時間が迫り青くなった12chスタッフがなんとか説得してリングに上げたがこれで
> 二人の関係悪化は決定的になった。
嗚呼あの試合やっぱり私怨と様々な思惑が入り雑じった不穏試合だったんだな
杉浦アナが東スポと専門誌のコラムやあちこちの懐古記事の取材で語っていたから憶えている人も多いだろうけど
試合前からこの一戦は荒れると記者関係者が口を揃えて言うから
解説の門馬忠雄にどうしたら良いのかと聞いたら
「大丈夫、私が杉浦さんを守りますから安心してくださいよ」
なんて軽口を叩いてたクセにいざ場外乱闘で大木と上田が放送席に迫ってくると門馬サンが真っ先に逃げ出して姿が見えなくなった事は当時からよくネタにされていたね
で、杉浦さんは今更職場放棄する訳にもいかないから実況を続けていたら案の定上田に押し潰される形になって失神→病院送りにされてしまったのだと
その後国際が崩壊して杉浦さんもテレビ大阪に出向して現場を離れた後も折に触れてこの話を持ち出して門馬と上田への恨み節を口にしていたくらいだから
12チャン(当時)の中継クルーにとっても相当ショッキングな出来事だったんだろうねあの試合と舞台裏のトラブルは >>842
吉原氏は日プロ時代に馬場、猪木の先輩だったからな。
全日や新日と張り合って
無理に豪華外人を揃えたりや大会場を使ったりせず
身の丈に会った興行をしていれば生き残れたのかもしれない。
実際、全日や新日が来ないような東北地方の田舎なんかでは
客もよく入って儲かったそうだからな。
最後の興行となった羅臼も客入りはよかった。
ドサ回りも厭わないぐらいの覚悟が吉原氏にあったらなぁ…と思う。 >>843
大仁田はそうかもね。全日本出身だしw ただ、小林や浜口はしてただろうし、プロレスラー全員は言い過ぎじゃないかw >>843
格闘技の経験が無いだけで問答無用で追い返された小橋建太の事を全く触れないとか 遠藤光男って安田大サーカスのクロチャンに似てる人かw プロレスラーの肉体もピンからキリまであって、
アンドレみたいにバーベルトレ全くやらないレスラーもいるからなあ。
馬場は、あの腕の細さだったら、ベンチプレスは大して上げられないだろ。 ボディビルの人って筋肉や身体のことはだれよりも自分達がよくわかってる、
みたいに思ってるからなあ。下手すりゃ医者よりも、くらいに。
そりゃあバーベルの使い方もわからないプロレスラーなんて
は? みたいなもんだろう。 >>846
俺が昔通ってたジムにさらにその昔、木村健吾が来てたそうだけど
トレーニングのこと全然わかってなかったそうだから、
団体関係なくわかってなかったけど一応やってたってことなんじゃないの。 昔のプロレスラーの運動は腕立て伏せとヒンズースクワットが中心だったイメージ >>852
上田馬之助が、昔自伝で、「オレの練習といったら、ランニングと腕立て伏せと
縄跳びくらいのもんだ。」と書いてた。バーベルは筋肉が固くなるから嫌だそう。 >>851
友達の友達がア●カイダの鳩山邦夫みたいだなw
>>852
上田はそんなバランス悪い練習だから、あんな幼児体型してたんだな。 ひと昔前はWWWFとか筋肉お化けが主流だったけど
今は中邑みたいに割と自然な奴増えたよな
やっぱりみんな早死にしたく無いだろうしね 遠藤光男は例えば小鉄藤波ライガー辺りとは交流が無さそうだしなあ
>>843の記事は遠藤がどうこう以上にインタビュアーか構成を担当したライター或は編集者がプロレスに詳しくなさそうなのが問題なんじゃないの?
松木安太郎や大仁田の話題には字数を割いている一方関本やTAJIRIの事は遠藤が喋った内容をほぼ丸写ししただけの印象で註釈一つ付けてないし
たぶん遠藤自身はレフェリーをやっていた70年代から80年代にかけて知遇を得る機会のあった
昭和のベテランレスラーには筋トレやマシントレに積極的でない人が多かったと言いたいんだろうけど
それを編集側が十把一絡げにレスラーは練習しないと「超訳」したんだと思うんだけどね まあでも他のスポーツ選手も指導してたんだろ?
その後プロレスラー見りゃ、そりゃ程度低く見えるよな 首がマッチ棒で腰回りも細いボディビルダーは強そうに見えない
盛り上がった僧帽筋に太い首が埋まってると上背なくても強そうに見える 吉原、五輪選手の杉山、ラグビーの草津、ボティビルダーの小林、浜口、柔道の井上、相撲の木村、大位山、大剛・・・
体力がないとは思えないけどね。
遠藤が国際のレフェリーやってた時、とにかく遠藤の体型が普通でないから気持ち悪かった。 >>861
と、いうかボクシングの軽量級の試合とかでもそうだけど
選手より明らかにガタイのいいレフェリーって
やっぱ見映え考えるとあんまり…だよねえ マンモス鈴木も大男で体格よかったよな、少々気持ち悪い感じだったけど。 中期〜晩年の国際の特にレスリング面でのコーチって誰だったんだろう。
吉原氏じゃさすがに年だしw、選手にもアマレスの有名どころはいなかったと思うし。 高杉が言うには先輩で強かったのは鶴見
剛は「これは1年もすれば勝てるな」と思ったそうだ 田中忠治がいなくなるまでは、田中がコーチをやっていた。
若松は、かわいがりを受けたとの事。
その後の新人…高杉・原・菅原・冬木・秋吉は、基礎体力は若松・
レスリングは鶴見あたりが教えてたのかな? ああ、レスリングは鶴見がいたか。まあ面倒見も良さそうだしw
田中忠治は忽然と姿消したな。内臓疾患ということだが、ホントはなんかヤバいことに手を出したんでわw。。 高杉が入門した時点で、田中はまだいたけど、選手間で浮いていて、
吉原代表からも「いいギャラを出してるんだから、近くにアパート
でも借りて、合宿所に住み着くな」と注意され、ふて腐れて飲んだ
くれていたとの事。
そんなある日、「俺は国際を辞めてヨーロッパに行く」とバッグ
一つの荷物を持って合宿所を出ていき、その足で全日本に行って
入団を直訴したけど馬場に断られ、その後は消息不明。
ちなみに田中は、日本プロレスでは吉原代表よりは後輩で、馬場
よりは先輩。吉原代表からすれば、国際にも力道山直弟子のレスラー
兼コーチがいる事を、箔付けに
したかったのかもな。 Gスピで複数人が証言してるけど、帰国したデビルムラサキが道場で田中忠治に一喝した後で辞めていったらしい
田中は一応現役の中でキャリアが1番長かったけど、相当癖の強い人間だった
言ったムラサキも変わり者だったらしいけどね ビリーグラハムとの腕相撲対決にヤオ丸出しで負ける遠藤光男 畑違いのボディビル出身の遠藤光男にレフェリング教えたのは吉原さんかな? >>850
ボディビルダーにバーベルブリッジ、コシティ、ライオンプッシュアップはできないだろうな。
>>862
ミスター高橋のことを言ってるのか? 田中忠治、伊藤正男、松岡厳鉄
三大消息不明元相撲取りレスラー 田中忠治ってあのタダシタナカと紛らわしい名前だよなw >>858
だからスポーツ選手見た後にプロレスラー見たら程度低く見えるって意味だよ >>861
それはプロレスじゃなくて前にやってた競技のお陰ってだけだろ >>870
田中、ムラサキ、若松、草津・・・この辺って、みんな同い年だろ? >>878
遠藤が言ってるは、ラグビーやってた原が腕立て6回しかできなかったという話だろ。
他も相撲は腕立てなんてやらないし、腹が出てるから腕立て、腹筋はできない。 >>880
♪腕立て〜 腕立て〜 無理だワニの腕立て伏せ〜
無理を承知でやってみな!
腹筋 腹筋〜 無理だカメの腹筋〜
無理を承知でやってみな!
・・・カンケー無いが爆風スランプの「無理だ!」思い出したw >>875
伊藤は海外で結婚して料理人に転職したと、Gスピの誰かの
インタビューに書いてあったような… そういえば菅原は最近多いレトロレスラーの回顧インタビュー企画とかに
あんまり出てこないよなあ
国際時代は新人だったとはいえ経歴的には
末期国際の混乱をある意味新人ゆえのわけのわからないまま渦中で体験したうえ
その後の全日パイオニアSWSインディとプヲタ的にはなかなか興味深い道のりのうえ
元々はアマレスのきちんとしたキャリアもあるアスリート
まあ良くも悪くも常識人っぽいからもうあまり関わりあいになりたくない、
昔のことは触れたくないのかもしれないけど
少なくとも松岡や田中と違って連絡付かなかったり
轡田のように本職の人になっちゃってるような類の人ではないと思うんだけどどうなんだろ >>883
紙プロだかでロングインタビューで話してたよ。
みのるとの試合のことも話してた。 高杉も菅原もなかなかいい男なんだが、いかんせん国際という「番外地」だと女性ファンを
囲むのも難しいよねw まあ親日の平田みたいな例もあるし(どういう例だw)、イケメンだからという
免罪符が通じるわけでもない。 >>866
若松は「プロレス取調室」で「先輩方は皆さん本当に優しかった。ただ、田中さんはまったく優しくなかった」「100年早いと竹刀で滅多打ちにされた」と言っていたね。
ただし若松は「田中さんは私がおとなしすぎるから『このままだとモノにならない』と考えて徹底的に厳しくしたんだと思う」「田中さんが鍛えてくれたから
素人の私でもデビューできた」と付け加えていた。
練習時以外の田中の人となりはどんなだったんだろう。 >>884
なるほど
でも菅原のインタビューってどうしても焦点は鈴木戦関連になるんだよねえ
今となってはあの件はほぼ結論出てるわけで
どちらかというとそれ以外について今だからこそ話してほしいなあ 菅原は仕掛けても逃げてもいないよ
つかまれた手を鈴木が焦って引き抜こうとして指折れたのを勘違いした >>883 >>887
鈴木戦に関しては当時のバッシングが凄かったからなあ
後の検証でもう汚名は返上されたといえ菅原にしてみれば「あれだけ言っといて今さら持ち上げても遅いわ」
みたいなマスコミ不信的なふしがあって距離をとっているような気がする
片や高杉は聞いてもいない事でも吹いてくれるのにwうまい中間は無いんかいw >>882
グレート小鹿が、モントリオールに住んでるって言ってた。
伊藤正男も、やぼったくて、全日よりは国際向きだったね。
木村・伊藤のタッグなど、面白そう。 鶴田が菊地にやってた、アトミックドロップの体勢から放り投げて
尻餅をつかせるムーブは、元々は伊藤がやってたんだよね。 大位山のインタビューが面白かった。
ロビンソンにグランドで極められたが、スタンドから始めたら何もさせなかった。
早い時期から井上、浜口をエースにするべきだった。
幕内まで行ったのに蔵前で前座に出すとか草津のマッチメイクが下手。
海外遠征に出る際に先輩の大剛が嫉妬して試合で仕掛けられた。 局アナ時代の小倉智昭が実況陣に加わっていたら面白かったかも 場外乱闘のときに、放送席に雪崩れ込んできたセーラーホワイトにヅラを剥ぎ取られちゃう小倉アナ 同じ若手扱いだったのに冬木だけ残して自分だけ解雇した馬場への恨みとか
パイオニア戦志での剛のしょーもなさとか、
TPGでベイダー&マサとまったく絡めなかった事とか
菅原には聞きたいこと沢山足るなぁ 結果的にだけど、アポロが邪道外道デルフィンの最初のコーチだったのは誇らしい。 菅原は、ほんの短期間だけど新日本の所属選手になってるから、
国際・全日本・新日本・SWSのメジャー4団体に所属した、
数少ない選手なんだよな。
でも、花開かないまま終わってしまったな。 なんかいつもスカしてるんだよな菅原
しかもスカしてる内容が「俺はその辺のレスラーと違って普通の感性を持っている」だから、そんな奴人気出るわけないだろとしか言い様がない >>898
紙プロでも「鈴木と俺では人間としての器が違う」みたいなこと言ってたが、
オマエが人間としてプロレスラーとして、どこが器が大きいんだ?と思った。 >>899
ああ…たとえそうでも自分が言ったら駄目だなあ… ビートたけし「菅原さんはしっかりした人なのに、なんで解雇されちゃうんですかね」
しっかりした人だから解雇されたのかな?ある意味非常識じゃないと
プロレス稼業は務まらないのかもしれない >>902
単純にしょっぱいからだと思う
ちょっと顔は良かったがプロレス自体は全く印象に残らんレスラーだった
上手さを比較したら冬木を残した馬場の目は正しかった
ただその冬木も国際的な3、4番手が似合うレスラーでエースは無理なんだよな 馬場の好みに合わなかったに尽きるんじゃないの?
桜田、トンガ、伊藤、後藤、越中と、みんなそう。 >>904
プロモーターのお気に召さないっていうのはプロレスラーとして致命的じゃない?
それにそこに挙げられた選手の中ではトンガや後藤はむしろ馬場に気に入られていた部類に入らないか?
菅原が首になったのはジャパンが大量に来ちゃって選手余りになったからで、もし来なかったら地味な中堅として全日で一生を終えたかもな。
地味な中堅でも藤原みたいに人より優れているものがあれば、後々ブレイクする可能性もあるんだろうけど、マミーの失態見ると可能性は低いよな。
剛とつるんで馬場のマッチメイクに文句言ってたという話もどこかで聞いたけど、もし本当なら馬鹿すぎてなんの擁護もできない。 >>881
「無理だ〜ミイラの献血!」が懐かしいw
>>893
入社試験での模擬競馬実況が評価されたらしい。新人なのにすぐに競馬中継の録画分
の実況を担当した。日劇ファイナルの映像では取材記者としてカメラ前に立っている。
杉浦アナは口調が緩やかなのでスピードが速すぎるサッカーや競馬には向かずプロレス
とボクシングでアナとして花が開いたと12ch・田中Pが語っていた。 >>893
スレチだけど小倉さんは吃音持ちだからあの独特の喋りを編み出したんだと思う。今でも時々、言葉詰まりそうになる時があるね ようつべに菅原と羽田のシングルマッチが上がってるの見たけど、
しょっぱかったな。羽田がバックドロップとネックブリーカー
ドロップを決めた後、菅原が反撃して、最大の大技?である
サードロープからの雪崩式バックフリップを決めたけど、羽田の
せいもあって上手く決まらず、最後は菅原のショルダースルー狙いを
羽田が小包固めに丸め込んでピン。
キャリア的には冬木や三沢と近かったけど、歳が離れていたから
切磋琢磨するライバル関係になれなかったのも、大成出来なかった
要因の一つかもね。 冬木が生前インタビューで菅原の事を、「俺と違って中途半端にアマチュアで実績があってプライドだけは高くて駄目だった」って言ってるのを読んだ記憶がある >>909
>>911
あの当時は、越中、三沢、冬木、後藤、川田とタマが揃っていたから心がけ一つだったろうな。 >>909
こうやって語られるだけ全日解雇された三人の中では菅原が一番惜しかったんだよな。
顔や体型がブサイクならばもう少し自身の立ち位置を客観的に考えられたのかも。
>>912
こうしてようやく揃った全日若手を見ると越中良く辛抱したなと思える。日プロ残党の整理もあらかた済んだしな。
ここに菅原も食い込めればよかったのにな。 ルーテーズ杯までは、越中や三沢よりも上にランクされてた。
テーズ杯でも、越中とドロー・三沢に勝ちだったけど、百田兄弟に
負けて決勝進出を逃したんじゃなかったっけ?
まぁ、それが昭雄の方針であり、評価だったんだろうな。 >>913
菅原が一番惜しかったとか当時も今も聞いたことがない
ファンからしても「なんの魅力もないから辞めたんだな」程度の認識しかなかっただけの話
語り継ぐものがないレスラーだから後のファンが辞めさせられた理由がよくわからなくてたまに話題に上るだけ
惜しくもなんともないレスラーを無理矢理意味深げに語るの止めようぜ
意味ないから 井上は無理だが、浜口あたりと小林の対談とかできないかな?
小林も寝たきりだから、旧国際勢との対談は見たい。 小林に話を聞いても、草津への恨み言か
新日の批判になっちゃうからなぁ。
浜口はいいけど、小林の方からみれば
今更国際のことなど話したくないっていう思いだろう。
小林自身、田中忠治以外は会いたいと思うレスラーなんていないと
言い切っていたしね。 マイテイは新弟子時代に炊事洗濯まったくやらない
ヤス・フジイに閉口していたと言うが
温厚な小林すら激怒して、フジイのパンツを引き千切ったんだっけ 国際のトンパチ話って聞かないな。
井上vs浜口で、藤原vs荒川のようなトンパチエピソード対談が聞いてみたい。
木村が酔ってコイダメに落ちて、みんな触りたくないから冬木が引き上げたとか。
井上の花柄パンツがコインランドリーで盗まれたとか。 小林のインタビューって「だわね」が多い。
オカマ言葉ではないけど、微妙な語尾ではあるね。 大剛が浜口の急所を掴んで20分引きずり回した話は怖い。 今日は新日本での木村と浜口の対戦日
この二人は国際でも戦ってたか >>905
アポロはサードロープに乗っかってのバックフリップというなんとも
すごいのかすごくないのかよくわからん技を使ってたな
高杉はよくわかんねな >>915
言ってる事は正論だが、国際スレでその論法は救いが無さ過ぎる
草津も杉山も小林もマイテイも木村も原も
馬場や猪木に叶わなかったから国際は潰れたみたいな
身も蓋も無い無味乾燥な結論になってしまう 全日、新日は東京デズニーランド、
国際は浅草の花屋敷みたいな感じだった。 >>927
新日がディズニーランド、全日が後楽園遊園地だろ。
浅草花やしきのそばに浜口が住んでるな。 国際プロがあった時期に東京ディズニーランドはなかった 新日が豊島園かサマーランド。
全日は二子玉川園かな。 国際は昔靖国神社に出てた見世物小屋のお化け屋敷じゃないか 馬場、鶴田、小鹿、大熊、羽田、伊藤、百田、カブキ、大仁田、渕、マジックドラゴン、
ブッチャー、シーク、キマラ、ワンマンギャング、デストロイヤー、イヤウケア・・・
全日の方がお化け屋敷だぞ。 全日は大型遊園地の中の大きな箱のお化け屋敷
国際はテキヤが仕切る縁日のお化け屋敷 >>893
ちなみに小倉はプロレス嫌い
それでもフリー以後に「世界のプロレス」のナレーション実況をやったことはあるが
そこでベタなアメプロをさんざん見せられ余計プロレスを馬鹿にするようになったという 新日=マジンガーZ
全日=ゲッターロボ
国際=ガ・キーン >>937
新日=東映
全日=松竹
国際=日活ロマンポルノ >>937
新日=角川映画
全日=東宝怪獣映画
国際=大蔵映画 新日 仮面ライダー
全日 ウルトラマン
国際 スペクトルマン 新日 イエス
全日 キング・クリムゾン
国際 ゴング >>926
草津も杉山も小林もマイティも原もそれなりに語るところがあるレスラーじゃん
原なんて特に素晴らしいレスラーだった
菅原と一緒にすんな >>941
>>943
キャンデーズや
新御三家のメンバーに例えられないくらい
国際は、新日、全日に水を開けられていた。
野口五郎というなら、プロレス団体で
一番、テクニックがあったというのか?ww
ミキもそうだな。実は一番音楽的素養があった。 >>947
プログレにたとえるなら全日ムーディブルース
新日キングクリムゾンじゃないかなあ
国際はなんだろう 五郎は70年代末には失速したが全盛期の人気は他の2人に劣らないから国際とはちょっと違うかな
ミキは人気の面では他の2人と差があったからその点では近い
ただ歌唱力やダンスの正確さと切れなんかは一番だけど 新日=七人の侍
全日=スターウォーズ
国際=死霊の盆踊り 全日=トシちゃん
新日=マッチ
国際=よっちゃん
これが一番しっくり来る。 新日 コカコーラ
全日 ペプシコーラ
国際 お米屋さんでしか売ってないプラッシー 新日・・・東京サマーランド
全日・・・花火大会があった頃のとしまえん
国際・・・東京マリン 新日 アシックス
全日 アディダス
国際 キャピタル 新日=ジョン・サイクス
全日=ジェイク・E・リー
国際=アトミック・トミー・M 1975年前後の日本プロレス界3大エース
新日 アントニオ猪木
全日 ジャイアント馬場
国際 マイティ井上
終了!! この遊びでしっくりくるものを見つけたいのなら以下3点が条件
・同時代に存在したこと
・比較する対象が3つしかない、もしくは3つだけが際立って存在していること
・そのうちの2つがメジャーで均衡しており、1つだけマイナー感が強いこと
1950年代映画界の新東宝のイメージは国際に大変近いが、他に4社あって新日と全日に割り振り難いのがネック
>>939の少年誌も似た状況だがジャンプ、マガジンに対するキングというのはイメージに近い まだ言わせてください。
全日 ピンク・フロイド
新日 レッド・ツエッペリン
国際 ジェスロ・タル プロレス界でやらんかい
新日=マスカラス
全日=ドスカラス
国際=サイコデリコ 新日 松田聖子
全日 小泉今日子
国際 甲斐智枝美 新日 ムーディーズ
全日 エスワン
国際 まぐろ物産 新日=横浜ナンバー
全日=品川ナンバー
国際=土浦ナンバー よく「3大なんとか」と称されるものがあるが
たいてい1位と2位が超有名で、3位はたいしたことがない。
あるいは意見が分かれるモノが多い。
3大ロックバンド、ビートルズ、Rストーンズ、ザ・フー
(異論あり、前二者に比べ明らかに劣る)
アメリカ自動車メーカービッグ3、フォード、ジェネラルモーター
クライスラー(←倒産危機から、フィアットの傘下に)
プロボクシング · 昭和の三羽烏 - ファイティング原田、海老原博幸
まではしっているが青木勝利の知名度は低いだろ?
日本三大私学、慶應、早稲田、同志社大学(これも異論あり、
上智、ICU説がある。いずれにしても早慶とは距離がある)
1970年代半ば以降、男子プロレス3団体と言っても、
新日、全日と国際はかなり距離があった。 >>991
三羽烏で思い出したが
新日=山本浩二
全日=田淵幸一
国際=富田勝
って感じもする >>992
プッチモニ
新日=後藤真希
全日=市井紗耶香
国際=保田圭 ふぞろいの林檎たち
新日=石原真理子
全日=手塚理美
国際=中島唱子 新日=長作
全日=じゅん
国際=三波春夫でございます >>995
確かに
新日にヤマハブラザース
全日に本田多聞
はいたが、
国際に川崎っていう選手がいたか?
とボケてみる。 想い出づくり。
新日=古手川祐子
全日=田中裕子
国際=森昌子 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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