おそらく自分だけが覚えてること
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
「99%の渦の中に1%の可能性がある限りあきらめない」という西村修の言葉 PWFタッグ王座決定リーグ優勝戦の時、倉持さんが実況中にゲロを吐きそうな感じにむせた。 アンダーテイカーVS人生が糞試合だったこと
なんであんな設定にしちゃったんだろ WWFに下水道掃除屋?かなんかのギミックのレスラーがいて、たぶん作り物のウンコ食ってた事 週刊ゴングに携帯の着メロに入場テーマを打ち込むための
楽譜みたいなのが載ってたけど毎回毎回デタラメすぎだったこと 週刊ゴングの94年G1の勝敗全部当てたら賞金100万円の企画
蝶野vsパワーの決勝予想した読者がいなくて結局当選者なしで終わった事 >>8
ジュニア時代のAKIRAの話題になると大抵語られてる気がするんだが…
外道「次のPPV、静岡大会でよ、てめぇら全員叩き潰してやるからよ!! あぁ!?」
のバクステコメント中、下に表示された(※次回の静岡興行はPPVではありません)のテロップ ジャイアント馬場がタッグマッチでフォールをカットしようとして上になった選手を蹴飛ばそうとしたら、
反動で自分が倒れてしまい場内大爆笑になった事。 週プロのイラストでレスラーを表すコーナーで、
川田が引いて開けるドアなのに無理に押そうとしてドアが開かず、
「引くことを知らないレスラー」とか書かれていたのが、
子どもながらに溜飲を下げた。 邪道と外道とアキラが6人タッグベルト作れと言っていたこと 天龍が作った「プロレス連合會」
「會」の字を使ってるあたり、昭和のヤクザが興業に絡んでたいい時代のセンスだなと思った とっちのイラストの人は強烈だったな
会社を起こした奴がいる→三沢
会社に残った俺がいる→川田 安田の動作が遅すぎて相手が完全に立ち上がった後のマットにエルボードロップを繰り出して客席から笑いが起こってたこと はぐれ国際プロレス軍団がテレビカメラに向かって
アオリをしたとき
アニマル浜口が、よだれを垂らしたが素早くよだれを戻したこと >>9
ぎゃはははははははははぁ〜〜〜・・・
ソレ、覚えてるわぁ〜〜〜・・・
たぶん、WWEを意識してたんだろな・・・
邪道&外道 がG1タッグ・リーグ優勝して、缶ビールで乾杯するところを
ジュースで乾杯して、「俺たちはアスリートだから、ビールは飲まないから」
って、言って誰からも突っ込まれなかったコト・・・ WWEにオーランドジョーダンという黒人レスラーがいたこと ゴング見開き1面の「高野俊二、全日本退団!」
次号で目測誤りのフライングであったことを謝罪したが
結局のちにSに移った WCWワールドワイドにて松崎アナがビッグボスマンのスクラップバスターを脇抱え込み落としと実況していたこと “ザ・モデル”リック・マーテルのハゲを隠しきれないオールバック 週ゴンの全日のページになぜか松尾芭蕉の俳句が毎週掲載されていたこと。 ハッスル人気絶頂時に小川直也が新日へ参戦した際、
『我々が見たいのは暴走柔道王だ!腰ふりコスプレレスラーじゃなぁい!!』と実況で絶叫したテレ朝のアナ。
すげー印象に残ってるんだが、あんまし覚えている人がいない。 新日地方大会のTV中継
橋本がチョップ受けた反動で緑色っぽいゲロを客席に飛ばす 週刊ゴングの熱戦譜にはフィニッシュの記載がなかった
→後からついた フラワーズと言う外人オカマユニットが試合中にエルサムライにキスをした事 全日85年第1戦での倉持
「全日本プロレスは世界最強のプロレス団体です」 実況アナが突如、
ミスターBの正体は竹内さんとバラしてしまい
しばらく竹内さんが沈黙したこと 1980年頃、健吾がアイドル的存在で女性客が「健吾さん、健吾さん」と甲高い声を張り上げていた。
当時の女性人気は健吾>藤波>猪木>ジョージ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>藤原、荒川、永源、星野、前田 鈴木鼓太郎対平柳玄藩のGHCジュニアのタイトル戦で、腹にエルボー喰らいまくった平柳が試合中に泡吹いたこと コブラのタイツはほつれやすい。vsフィッシュマンの時はひどかった。 >>19>>32
それなんとなく覚えている
タッグマッチで、熱狂的な中西ファンの女が試合中に「なかにしー!」としつこく叫んでいたら、対戦相手の天山が「うるせー!」と怒鳴ったこと 田鶴浜の馬場選手に16文ラリアット使ってくださいと聞いたと。
倉持「馬場さん、なんておっしゃってました?」
田鶴浜「それっきり苦笑いして何も言わなくなってしまいました」
倉持「。。。。。。。。。」 キラーカーンは凱旋帰国と紹介された時はマスク被ってる
写真がTVであった。 なんでフラワーズを覚えてるんや
その他の試合結果のVTRでほんの少し流れただけやで オカマコンビvsサムライキャットの試合DVDでしかもノーカットで発売されてるし
俺たちの新日本プロレス 驚愕の外国人レスラー100撰ってのに入ってる 週プロのあぶ木で、担当のお姉さんが
「宍倉次長の若い頃はリッキー・スティムボートに似てるんだよ」
と書いたこと 佐山タイガー対コバクニの試合で「アホー小林のアホー!」という野次がはっきり聞こえたこと
それがジャンプ放送局でネタになったこと 85年にニックが最強タッグ出た時に何故か組違いのレイスと組んだ試合で客席に飴を投げてたこと マイティー井上の最初の嫁が、離婚後にかなり年下の役者と再婚し、離婚後にその元旦那が浅丘ルリ子と付き合っていた事‼ カラー新聞 ザ プロレスに載っていた
マスクを自作したい人用の原寸大型紙 更にザ プロレスに載っていた
アンドレのTシャツを着た山田恵一の姿 健悟が襟足伸ばしてゴムでチョロっと結んでた。シャンプーしてない中国人みたいだった 倉持さん「ご覧ください、これがタイガージェットシンの、お〜〜きなお尻!」 80年代初頭の新日レスラーの体に付いていたビール瓶の底の様な丸いアザ >>57
うわーなつかしいwww
でもそれは他誌でもあつかってたかも 新日ドームでのエンセン井上VS村上和成で
試合後に 幾度か書いても反応ゼロなので
おれしか覚えてないのかもしれない
↓
世界のプロレスで「短い試合特集」というのをやって、
バーズマン・ココ・ウェアのミサイルキックが
両足そろえて相手選手の側頭部にきれいに入り
相手選手の首がまともに60度くらい傾斜し、
倒れてそのまま試合が終わった件
誰だったんだろう、大丈夫かな 新日ドームでのエンセン井上VS村上和成で
試合後にエンセンの上だか下の歯が全部折れてたとかいう話 二宮清純がジャンボ鶴田を覚醒させる会を主宰してて
最後内ゲバで乱闘になって解散したとゴングに書いてたこと。 天龍の延髄斬りがガチで痛かったらしく
試合中も後も頭をしきりにさすっていたこと。
んで鶴田の握手は何故か拒否してたこと。 T2000時代の蝶野が記者に肩組んで絡んだ瞬間、記者がヒッ!ってマジでびびってた様子 風間ルミの付録ピンナップ、腋毛がちょろちょろ生えたままだった >>73を見て前田が鼻血を出した、というマンガを書いたあおやま英雄 >>10
クラッシャーブラックウェルに乗っかったらバランス崩して倒れたんじゃなかったっけ?
会場から失笑され馬場も引退近しと言わてた >>73
毎週購入していたのに完売して買えなかったので
ものすごくよく覚えている
仲間で、専門誌は1年〜半年くらいで廃棄処分の奴がいたので
頼んで譲ってもらった >>49
ビッグボスマンの訃報スレだったがスレ主が誤字ってしまい3スレくらい続いてた(T_T) >>67
同じ番組かは分からないが膝が悪くて自分からは積極的に動けないのでマグロだと話してたね
ダウンタウンDXに神無月と一緒に出演したとき自分は話術がないから素顔よりもムタのが楽でいいとか言ってた 木村健悟がロープに振られたときにトップロープが切れたこと
それを見た小徹が興奮して説明してたこと 宍倉が鈴木みのるのインタビューを載せなかったこと
読者置いてきぼり エル・ヒガンテがデビューした当初、
週プロでの表記が『エル・ジャイガンテ』だったこと。
89年秋頃の週プロだ。 ゴングが流行らそうとしたけど、定着しなかった、スーパー・デンジャラス・デュオ、SDD トムコのあとのバーナードのパートナー リック・フーラー 髪が薄くなった時期の武藤、頭頂部が写る写真は黒く修正されていたこと 坂口憲二は新日本プロレスのリングに上がったことが
ある。学ラン坊主頭で。 AKIRAが蝶野と合体した時は平成維震軍に所属していた。 全日時代の阿修羅が試合後に花道でマイクアピールをするもマイクのスイッチが入っておらず、スタッフから「もう一回」と促され再度アピール コブラがローンウルフ時代の武藤とタッグマッチで対戦してエプロンの武藤をリング内にブレーンバスターで投げ入れるも、途中で反転した武藤からバックドロップで投げられ脳天から着地した事。
後にも先にもあれ以上の受身失敗は見たことがない。これは自分以外も覚えている人は多いだろうね。スレ違いすまんです。 昔のワールドプロレスリング
蝶野のテーマ曲CDの発売のお知らせと、そのCDのプレゼント企画のコーナーで
真鍋が蝶野のガウンを着て、応募方法を紹介していたこと 週刊ゴングのキャプションの2行目以降が1行目のおしりに合わせて設定されてたこと 初期週刊ゴングで日高のり子のコーナーがあった頃、プロレスショップの紹介の時だったか、胸の谷間がモロ見えだった。 >>99
エッチューさんと対戦した際に
スペースフライングタイガードロップを披露するも飛距離が全く足りず、
慌てたエッチューさんが両手を前に出して拾いに走った件なら
まるで昨日のことのように目に焼き付いてる >>105
感想求められて
ただただ目をつむって聞いていたいですと言ったやまちゃん 山崎一夫の肩こり解消グッズをワルプロで天山で実演してみせて宣伝 2006年頃の週プロで一瞬で消えた編集長になったとたんに誌面の内容が変わりすぎて買うのをやめようと思ったこと 週刊ゴングで猪木の娘のデビュー記事が掲載されたこと
確か最終ページだった 木村健吾がタイトルマッチ宣言で思い切りコジマサトル! >>113
猪木引退試合の前座でのJr.選手権のタイトルマッチ宣言。
坂口「宣言、この試合はケンドー・ナガサキが(ドーム失笑)あ、ケンドーカシンが」 三沢がノーテレビ田舎興行で試行した赤タイツ青タイツ。 >>95
ファイプロGはゲームアーカイブスで配信されているから覚えてそうな気がする 三沢はマスク脱いだ次の試合からしばらく素顔にタイガーマスクのタイツで試合してたね >>115
1回青タイツで試合したTVマッチがあったはず。
93年の夏くらい。 三沢が赤タイツ青タイツの頃に掟破り的な感じで川田にパワーボムしようとしたら
タイガードライバーとパワーボムの間みたいな落とし方になって変な空気になったこと
もしかしたらそれが118の言う試合だったかもしれん 96年半ばごろの全日の試合で
エースがペディグリーを出して小川をフォールした事 健吾のデビュー戦は喜界島、橋本は練馬の中学校庭でまったく期待されていなかった。
ジョージのデビュー戦は武道館で佐山とドロー、俊二は蔵前で勝ち、谷津はMSGで勝ちで期待されていた。 カッパ武藤といえば、
あるファンこ子供が武藤の写真を見て、
「カッパさん…」(カッパしゃん…)って言った、みたいなネタがどこかでなかったっけ?? 中邑の初期の入場テーマ曲
『Moving City』が後の入場テーマより良すぎた事
当時、着メロを有料でDLして着信音にしてた俺w >>35
俺は生で見たよ。シリーズ開幕戦の宇都宮大会。
当時は大学生だった。懐かしい事を思い出させてくれて、ありがとう。 両国の六人タッグで
大先輩・長州の渾身のラリアットを
気丈に受けてしまった若手・長尾
『効いてねー!』アピールをした後
周りを見渡し、焦った顔で自分から
場外にトペw
爆笑したし俺の中で未だ
伝説ww >>112
安定のバックフリップw
あんな地味なレスラーは
おらんw >>37
若林アナが、実況陣を紹介するとき、
「週刊ゴングのミスターB、竹内宏介さん」
て言ったんだよね。あれは反則だったな。 >>122
分裂後の全日本の武道館でやったやつ?
生で観たよ。どちらかが太鼓持って入場してきて、リング上で叩いてたな。 80年代全日本の海外遠征のテレビ中継で観た
ランディ・スコット、ジェン・ボネロ組 バイオレンス松崎さんが、今どうしているのか気になる。 >>135
あの人が急所攻撃をナットショットー!とファールズで使い分ける基準がよくわからなかった 棚橋が若手のころスターダストプレスみたいな飛び技失敗したこと 船木誠勝がまだ19歳で欧州遠征時、
試合で初の流血(額より)をやったこと 高山善廣が初めて解説した試合は
神宮での高田ベイダー戦 紙プロの山口日昇が無名時代、自費で、
欧州遠征中の山田恵一の追っかけ(公認追っかけ?)を
していたこと 87年の猪木イタリア遠征時の通訳は
坂口の実姉だった
当時イタリアでは新日の試合が放送されており
猪木は知名度・人気があった 高山選手は喘息と戦いながらプロレスしてすごいですみたいなドキュメンタリー 弾丸 〜D・A・N・G・A・N〜 (version SQUARE ENIX) >>133
それそれ。自分も生で観たよ。
あの全日本プロレスの変容ぶりに絶句した。 2000年1月4日の東京ドーム大会で、リングを2つ用意し同時にメーンの試合を行えと武藤が言い出したこと 藤波激怒!っていう見出しの週刊ゴングの表紙で
藤波のネクタイの柄がミッキーマウスだったこと スペルデルフィンが地味に初登場した時の週刊ゴングの写真のキャプション。
「まだまだ青い」 高山がワールドプロレスパワーアップ!と絶叫して番宣した
次の週ぐらいから番組が60分から30分になったこと 皆川良二原作のアニメ映画スプリガンの声優に高野拳磁 ザ・プロレスの読者イラストコーナーの担当が藤原で特に上手い作品は特待生の称号が与えられていた事 2003年秋頃の週刊ゴングで、当時GHCヘビーに挑戦する永田が王者小橋と向かい合ってる写真で、(たしか地方の前哨戦だと思う)
見出しの文の「アナタ」の部分が「アタナ」と盛大に誤植していたこと ゴングの「今週のノア中継放送予定のカード」というページで
三沢光晴、小川直也、丸藤正道組と誤植してたこと 東スポのテレビ欄でスラムダンクがアラムダンクに間違っていたこと 週プロの4コマ漫画(作:レオナルドいも)で差別用語モロ出し事件
「チ○バ」 「エ○ヒ○ン」
日本障害者協議会から猛講義
部落解放同盟から糾弾され多額の慰謝料 >>161
何年の話ですか?笑
部落側もまぁアレなんだけど、こんなの載せたらそうなるってわかるだろうに笑 テレ東の関ジャニの番組に、ブレイクしかけの友近がゲスト出演。
それを紹介していたTVライフが、大きな見出しで、
「ゲストは右近」と書いてたこと。 パイオニアだったかオリエンタルだったか、剛の団体の道場でファンの集いがあり、客が5人しか来なかったこと。
しかも、最後の質問コーナーではゲスト(取材?)で来ていたターザン山本にだけ質問が集中したこと。 子供の客なんてほぼいない頃の新日で、ヒートがやたら「ちびっこファン」と言ってたこと ライガーが試合後インタビューで、もんぺを履いたような農家のおばあさんが何人か通りかかり「おばちゃんも応援してるよ!おばちゃんも応援してるよ!」と連呼していたこと テレ東で放送されてたマンデーナイトロで実況の人がローディーパイパーのことをローディーパイパイとかなりの頻度で間違えていて、解説(確か服部)がその度に黙る回 中丸だったかな
ジョーニーローラーをジョーニーローターと言い間違えて変な空気になったこと テンタ、タイフーンのコンビが双子みたいに瓜二つだったこと >>167
ヒートがどんなに頑張っても
全否定するライガー 試合中に金本にガチギレしてガチンコしかけたのはエルサムライだったけかな 狼軍団の蝶野が放送室に絡んできたことにムカついた解説のマサさんが
その日解説にいた馳にテメーがなんとかしろ!と八つ当たりしたこと テンコジがTBSの感謝祭に出演
休憩中も飯食いに行かずずっと席に座ってたこと 別冊ゴング83年8月号
(9月号?)にウォリアーズが初めて紹介された時の記事。
『左が1号のホーク・ウォリアーズ』
『右が2号のアニマル・ウォリアーズ』
印刷ミスにしてはお粗末すぎた。
まだペイント前。
ハンセンと対戦してる試合を紹介された。
『あのハンセンもタジタジ』と書かれてた。
あとウォリアーズが1号 2号と形容されたのもこの記事しか記憶にないな。 四虎のミレニアムスープレックス
チキンウイング→スープレックス
なんとゆう荒技w
俺は好きやったなぁ この手のスレではドヤ顔で「ダッダーンボヨヨン」とか誰でも覚えている事を書き込む奴が多いのだが、ここはレベルが高いな ヨネ原人のペイントしたセーラー服の女子高生。ターザン山本のファンクラブを作りたいって言ってた。 水沢アキがゲスト解説の時、新日は武藤印のパンティーを販売した。 ノアがスポンサーらしき温泉センターの屋外駐車場で行ったTVマッチ。
メインで天龍&小橋&秋山的な6人タッグが組まれ、
選手コールされるたびに花火が上がり、それを選手が見上げる…といった光景。
あの時がノアの絶頂期だった。 ノアのファン感謝デー的なイベント?で、
手土産がカプサイシン入り育毛剤だったこと。
いまだ封を開けてない。 全日のTV中継ゲストがハイヒールで「ハンセン半ケツや!」 >>180
その女がアニマルの愛人で、全日初ドームショーの舞台裏での乳繰り合ってたのを
パパラッチに撮影され、フライデーだかフォーカスだかに掲載されてたのを
覚えているのは少ないかな。
アニマルもベネットも全く悪びれず開き直って満面の笑みで並んで写真に収まってた。 >>68
本当はグァムに行きたいんだが、当時、親分だった長州が韓国籍だから、
アメリカ領のグァムには入れないからサイパンに行くって話があったな。
韓国も玉虫色とは言え一応アメリカの同盟国なのに不思議。 1999年の猪木祭りで武藤が初スキンヘッドを披露したときの
客席からのピスタチオーというヤジ ワープロで浜さんと小原が酒飲む会
ビールの泡がどうとか言われてる小原の顔が困っていたこと FSRがFSWだとFMWと被るから
WをRにしたと力説してるジョージ高野 >>178
テレ東の「世界のプロレス」の実況も、ホークとアニマルを逆に
呼んでいた事が複数回あったね。 確か世界のプロレスで放送されたと思うがハンセンがシャツにジーパンのウエスタンスタイルで試合してた >>191
団体のTシャツには「FSwR」と小さくwが入ってたな。
あとジョージは「ボム」という飲み屋?を開店した時に「BOMB
だと ボンブ と読み間違える人がいる」という理由で「BOM」と表記
した事もあった。彼特有のこだわりがあったんだろうな。
そんなジョージが、今でも大好きだ。 >>161
しかもコレ、漫画の中で差別用語連呼させられたのはムタw ゴングで中邑と棚橋の漫画があったんだが
たしか話の始めが棚橋が女に刺された後汗かきながらスクーターで帰宅してるところから笑 へえー。青山さんのジャングルリングと言えば
高阪の絵がそっくりで前田が腹抱えて笑ってた 川田&小橋vsハンセン&スパイビー
当時の実力差は、小橋はまだまだ外人四天王から、紙一重でピン取れないレベルだったかな?
ストレッチプラムが出てきたかどうかの頃
スパイビーが小橋を押さえつけて、ウエスタン呼び込んだが、川田が横から押したために立ち位置がずれて、スパイビーにウエスタンが誤爆
そのまま小橋にフォール負けた あおやま英雄と言えば、北尾がルーテーズ道場で練習してた頃、
テーズがゴングに載ってた自分の似顔絵を見て激怒。「作者に、
もっと男前に描くよう伝えてくれ」と記者に頼んだ。 馬場元子が2ちゃんの書き込みプリントアウトして
社員に見せて発狂 あおやま英雄の例の漫画はひどかったけれど
古山一朗?ハゲのおっさんの漫画のほうが毒にも薬にも
ならなくて不快だったな
中島タイイク千太氏の漫画が好きだった カッキー、浪花の越境タッグ。
浪花がカッキーに「(自分が)カニなんだからエビのマスク被れ!」と理不尽すぎる要求をしていたこと。
カッキーがキレて先に帰ってしまった後、記者連中に同じ主張を繰り返して記者ドン引き(^^;; 週プロの笑える闘魂?レオナルドいもは酷かったぞ。
ブッチャーが鶴田に地獄突きを見舞って得意気になってると
鶴田が不敵な笑みを浮かべて
「地獄突きだと?こっちはオンナ好きだぞ(ニヤリ)」
いもよ、ギャグ漫画で事実を暴露しちゃ洒落にならん。 インディー統一機構 FFFのロゴが結構カッコ良かった事 全盛期の天コジがタッグリーグの公式戦で飯塚さんの腕ひしぎでギブアップ負けしたこと >>204
前売り券買って、当日までやるかどうか分からずに後楽園に行ったら、
女性スタッフが入口にいて、チケットと引き換えに代金3300円と
ポスター貰ったよ。 >>203
根本的にセンスないよね。
地獄突きがそもそも受け取り方によってはエロく受け取れる言葉なのに
それを女好きとかけたところでふくらんでない マンガの話か
読者コーナー常連作品だった「それゆけ中山香里」が
プロレス4コマ雑誌で正式に商業作品になったこと
しかし、その雑誌はすぐ休刊になってしまった 1996年チャンピオンカーニバル出場のスタンハンセンが週刊ゴングで
開幕前予想から「年齢的な衰えを隠せず優勝は無い」と断言され
中盤で三沢に勝ったりしても「この勝ちはあまり意味がなく今後も苦しい」とか異様にネガキャンされまくってたこと 自分が週プロとゴングを病み始めて90年代の両紙の漫画は、どちらも糞つまらなかったなあ
明らかにプロレス愛が感じ取れない内容だったし、基本的な知識にも欠けている始末だった >>174
× 狼軍団
○ 狼群団
× 放送室
○ 放送席
>>189
× 1999年
○ 2000年 >>215
坂口は引退試合で健吾と組んで外人とやったが、健吾が稲妻でフィニッシュしてしまった。 金本VS安良岡のベストオブで金本のフィニッシュ前のアピールが指揮者みたいだったこと 安良岡が金本にメチャメチャに壊されて途中欠場に追い込まれた
次の日、小倉でライガー組vs金本組があって結果は忘れたけど
試合後に安良岡が飛び込んで行って金本とやりあってた。
ライガーやサムライが抑えて引っ込ませたけど、
客の見えないところでライガーがヤスにカミナリ落として
思いっきり張り手かましてた。アゴ骨折してるのに。。 新日が主催してるもちつき大会のもちを
近隣住民に振る舞った上で
衛生上よくないからといって食わなかったライガー >>94
兄も征夫も一緒だったよな。
その時は、征夫の方が背が高くて
俺は、どっちか将来プロレスラーに
なったら面白い、と思ったよ。 田上のバカ
新年早々、後楽園ホールで田上に浴びせられたヤジ 客に喜ばれる客を喜ばせる試合をしたいという田植えのモットー 来日初期のディートンが「にせデビアス」と野次られてた事。
確かに、ハンセンのパートナーに起用された時は、意識的に風貌を
真似していた。 ゴングの巻末モノクロページで紹介されていた、
藤原組長AV初監督の紹介で、おっぱい丸出し女優たちに囲まれてる組長の姿。 路上プロレスのアジャパンダが
日テレの元気が出るテレビに出てた事 最後のダーが
ア!ジャ!パ!ダーーー!
だったような…
多分ここにも一緒にやってた人いるんだろうね あから始まるポケモンなんだ? あ、あ、アチャモ!というルビサファの頃にあったポケモンのCM。 タッグマッチで澤がニュートラルコーナーでタッチを受けて
そのまま技決めて勝っちゃったこと もうずっと昔からだけどタッチロープって有って無いようなもんだからな
今の新日の場外カウントくらい曖昧や >>242
昨日YouTubeで小橋−川田の三冠戦かな、見てて、
実況がタッチロープが揺れてるとかなんとか言ってて、微妙な実況だなと思った笑
律儀に持ってる姿は木村健悟ぐらいしか記憶にないなぁ >>242
ZERO-ONEでコリノのタッチロープ延長芸を見て
タッグマッチにそういうルールあるって知った。
それからはそこらへんも注意深く見るようになって
けっこうそのルールを真面目に守ってる選手や
レフリーいることわかった。 タッチするときサードロープに乗って、より身体を前に出すのは無効になるはずだが、ヤングライオンとかは完全に無視して身を乗り出してるな ロープネタで言うと手首より向こう、足首より向こうに手や足がそれぞれ行かないとブレイク出来ないんだよな
足先や指先でロープ触ってもロープブレイクじゃない 新日暗黒期に退団が決まった成瀬が、当時若手のぺーぺーだった裕二郎に対して
打撃でボッキボキにしばいてアゴを骨折させたこと >>249
それ和田京平がやたらこだわってたけど、新日とか他団体だと普通にロープ掴んだだけでエスケープになる ロープネタで言うと攻められる方がロープに達して拍手起こるけど、
あれ昔は違うでしょ?
ロープに達して攻めてる方がクリーンに技を外して初めて拍手というムーブというか
会場を巻き込んだお約束だったのにと思う 前田がカレリンに自分の技を受けてもらって
ロープブレイクする動きを打ち合わせ通りにやって貰って
それを何故か一本勝負だと俺の勝ちとか訳の分からないことを
試合後(エキシビションか)のインタビューで語ったこと >>251
日本プロレス時代では、
ロープを掴んだだけではロープブレイクにならず
さらにロープを掴んで身体をロープの外に
引き出す行為が反則とされ、ロープを掴んだ時点で
その手をレフェリーが蹴飛ばすシーンが多々あった。 国際プロレスにシリーズエースとして来日した覆面レスラー
「ザ・UFO」が、後に新日本に素顔で来日し、海外遠征前の
武藤にムーンサルトで負けた事。 >>249
くいしんぼうやボリショイは帽子が届けばエスケープ 十何年も前の小学生の時に
プロレスラーの怨霊がやった怨霊クラッチを真似したが
真似したからこそ、その技のクオリティの高さを実感できた。 >>254
ジャイアント台風で説明されてたルールだ!! 俺がいとことのプロレスごっこ中に
何故かヒロ斎藤を思い出し、畳に
思いっきりセントーンかましたら
背面じゃなく、肺辺りが痛くなり
3分くらい悶絶した事w >>257
動いてる怨霊一度しか見たことないけど、選手名鑑の写真がカッコいいんだよね 大仁田が一度目の引退後に、武田鉄矢主演の映画、刑事物語とカトちゃんケンちゃんごきげんテレビに、ほとんどエキストラ状態のちょい役で出てたこと。 2003エキサイトシリーズで行われた王道伝授7番勝負で週プロが「若手の中でMVPが決まるらしい」と書いたが実際はMVPなど選定されず、もっと酷いのは若手vs武藤の7番勝負、若手vs小島の7番勝負が行われるはずだったがなんの告知も無く消滅したこと。 2005年8月4日に両国で行われたレッスルワン、その続き。トーナメントは準決勝まで進んだのかな?秋山vs柴田ってあったけど。
あと自然消滅したレッスルランド。AKIRA&田口組が実現するはずだった。 諏訪魔のデビュー直後の必殺技キッチンディスポーザ。 >>226
それ93年だな。相手がゴディとスリンガーだっけ。 >>259
馬場がアメリカでザ・シークと対戦し
キャメル・クラッチを掛けられ、
ロープを掴んだら、レフェリーに
蹴飛ばされたシーンだね。 三沢vs小橋の三冠戦の『放送席のジャイアント馬場さんが泣いています!』の金子アナは実は副音声実況で、主音声の実況は平川アナだったこと。 ミヤギテレビの水本アナが、週プロに全日本プロレスの宮城大会の映像(宮城県限定放送)を贈ったこと。 レスラーは芸人だ
芸人にプライバシーはないんだよ
ってSASUKE(ザ・グレート・サスケ)のマイク nWo、TEAM2000にいたスーパーJとかいう外人。ノートンやドン・フライと違って、地味で全く目立たなかった。いつの間にか本隊に移り、いつの間にか新日から去ってた。 >>280
紫か、赤オレンジみたいな色の2択しかなくない?
むしろ紫の方が多かったような T2000蝶野 vs nwo武藤 頂上決戦で武藤が敗れた後
天コジが記者会見して小島が「まだ武藤は終わってねえ!」といつものノリでフォローしたが
天山はいつものキャラではなく冷静に「もうアイツとはやりたくない・・」とマジっぽく発言したこと >>279
引くべきところを押してしまい、鉄柵を倒したのか。 Jってこの前来てたしな
JってT2000裏切って本隊合流アングルでちょっと押されてた時期あんだよ
これは覚えてないだろうな スーパーJのファイプロネームがナスティJOEだったこと オレは覚えてるからドヤるレベルじゃない
そんなんじゃなくてあのときのJのリアクションがどうだった
とかそういうことを書くスレだよ >>88
川田タウエに勝手に付けた頂闘軍というのもあったね。 ゴングが鶴藤長天の二匹目のドジョウを狙って、真誠藤光とかいうのをはやらせようとしたけどまるで流行らなかったな
ここの住人なら覚えてるか >>292
超世代軍というのもゴング考案だった筈。 そもそも真誠藤光って何と掛けてんだ
真誠邦敬とかなら分かるけど 小橋に新技に名前を付けてくださいと言われて
うれしくていろいろ考えてるすきに
週プロ記者が勝手に「健太ッキーボム」と名付け
あまりにも酷くて小橋が技を封印してしまった
というへんなコラムも印象深い ちょっと説明不足だねw
ゴングの編集後記にそんなのがあったんだ >>258
なお「ムチは体の一部」のため手から離れていてもロープブレークは認められる模様 新日本の鉄柵を真似て取り入れたのが卓球のフェンスだった全日本 岡村隆史(99)が番宣でゲストに来たら
会場の余りのブーイングに心が折れたこと 東京ドームのハンセンベイダーvs小橋エースで
小橋をボディスラムで投げてコーナーに上ったハンセンが足を滑らせてそのまま小橋に落下したシーンが
日テレ「えらい人グランプリ」の「人は力を入れていない状態の方が力を発揮できる」という実験の
例えVTRで紹介されたこと 広田さくらがブラジャー被った写真が、週刊プロレスに掲載されたこと。 金本が試合中にボッキしていたこと
もしかしたら射精していたかも >>297
なんで、そこに小林邦明が入るんだよ?ww >>298
健太ッキーボムって週プロのファン公募みたいな感じじゃなかったっけ。一方の週ゴンはクラッシュボムというこれまたベタな名付けをした覚えがあるが。SDDとかもだがゴング系の命名は定着しないイメージ。 >>308
そうなんだぁ
ゴング買って、週プロはすこし立ち読みという日々だったから
ファン公募の名前とは知らなかったよ
ちなみにSDDもいい名前だと思うけど
「殺人魚雷コンビ」は名称として秀逸すぎたし
負けてもしかたがないよねw >>309
なんか公募だったイメージなんだが、気になって調べてみたら記者の命名とも言われてるみたいなんで、間違えてたらごめん。
殺人魚雷コンビって2人のフレーズを合わせただけなのに妙にハマってたよねw いや、週プロの佐藤が勝手に決めて
それに小橋が反発してというのが正しいよ
あの頃は週プロの方が圧倒的に売れていて
調子に乗っていたからな 80年代の試合がなくてインタビュー多めの週刊ゴングの絶望的つまらなさ 晩年の三沢が説得力皆無のエルボーをフィニッシュにしてたこと >>286
てめーが消えろゴミ。蛆虫が息してんじゃねーよ。 鶴田のグラウンドで足極めるヤツ
回転地獄固めって何だったんだ。
痛くなさそうだし回転も地獄もねー。 紙テープの代わりにトイレットペーパーをリングに投げたが栗栖正伸が投げ返して来て俺のプリティーなフェイスにヒットしたのは自分だけしか覚えてないw 1992年のスーパーパワーシリーズ仙台大会
セミファイナルの三沢・川田vsパトリオット・スミスの実況&解説が
本来は
解説・渕正信
実況・福沢朗
なのに
解説・ジャイアント馬場
実況・福沢朗
と出ていたこと。 スタンハンセンのトランクスが一時期濃紺で個人的にすごく嫌だった。 デルフィンが3回目のSATO戦をするにあたって、
マスク戦、カベジェラ戦で負けたSATOはもう
賭けるものがないから 負けたらリング上でパンツをおろして
尻の穴にエンピツを刺してもらうと発言したこと ハンセンのテーマ曲が、日本語の歌詞入りで、美保純のデビュー作
「制服処女の痛み」の挿入歌になっている事。 健太ッキーボムは秋山のデビュー戦で小橋が出した新技に、週プロが勝手につけた名前
ネーミングが寒すぎのうえ小橋がその後ほとんど使わなかったので全く定着せず、結局ストレッチボムという名称で落ち着いた
クラッシュボムは小橋がブレンバスターのフォームで持ち上げた後ボムの形に落とす新技を披露した時、週ゴンが
「あの技はウチの記者が小橋と考えて出来た技だから命名権がある」と発表した名前
しかし、その技を週プロが「読者からの要望があった」としてオレンジクラッシュと名付けた
当然、二誌間で対立になったが曖昧なまま決着つかず
当時は週プロが勢いがあり、語呂も良かったことからオレンジクラッシュの方が定着していった 健太ッキーボムの命名の件で小橋が難色を示してた時に
同期の菊地毅が「K2ボムって技名はどうですか?」と提案して結局採用されなかった事
K2って世界no.2の山の名前がK2だった気が
プロレス技でno.2の名前は流石につけられないよねw 健太ッキーボムとオレンジクラッシュがゴッチャになってたわ 週プロの鈴木健といしかわじゅんの誌面を使っての醜い言い争い 多いと思うけど
一時期使っていたジャンボ鶴田のレッグラリアット 全日離脱直後の三沢は、当初スポーツ紙や雑誌の記事などから、
全日信者の認識が「三沢たち=正しい。元子=悪い」というのが多数であることに気を良くし、
或る大学の文化祭で呼ばれた講演で、調子に乗って元子の真似を交えてその悪事を論ったら、
それを見に行った一人に「悪口の好きな男だねえ・・・」と
呆れられたような蔑まれたような書き込みをプロレスカフェにされてしまった。 ジャンピング二ーの足を伸ばしたやつね。一々やる事が格好悪いなw >>329
つか、「プロレスカフェ」という時点で
「おそらく自分だけが覚えてること」と言えるような。。。
こうなるともしかしたら、
「イノセントな全日信者たちが『怪しい噂の真相』を攻撃して
閉鎖に追い込んだこと」なんて書いたら反響あるのだろうか 鶴田のショルダースルーは失敗するまでがムーブ
試合の勝負どころでショルダースルーの体勢に入った瞬間、アナウンサーが呆れ気味になった試合があった プロレスカフェと言えば
馬場が亡くなる一週間ほどまでに
「馬場は癌だよ」という捨てハンの書き込みがあった。
それに対して「また、こんなバカな書き込みをしやがって!」
というコメや「いや、全日が全く馬場の手術後の経過を
発表しないのはオカシイ。もしかしたら、、」
という意見もあった。
「ガンだよ」の投稿はその後、すぐ消されたが、
あれは関係者のリークだったのか?
あるいは、誰かがデタラメを書いたのが
「瓢箪から駒」だったのか? >>332
トーキックで蹴り上げられるか、スモールパッケージで丸め込まれる
パターンが多かったね。回転エビ固めで切り返される事もあったけど、
それは「失敗」という印象は持たなかった。
試合前のトークショーで観客から指摘されて、「今日は成功させます」と
答え、その日の試合ではショルダースルーを決めた写真が週プロに掲載
されてたな。 >>324
小橋健太のイニシャルとかかってるのでは? 武藤が頭剃ったあたりの時期T2000のイベントで武藤の変貌について聞かれた蝶野が
アートネーチャーの広告塔にでもなれと弄りまくってた、その横にいた小島は終始苦笑いだった 武藤が新日離脱した後すぐにたしか東野コウジ司会の深夜の番組に蝶野が出てた
武藤のこと聞かれた蝶野が「何も聞いてない、あいつは逃亡した」ってマジで切れてた >>308
ゴングだと
ケンカキック→ヤクザキック
俺が田上→オレガタウエダ
リストクラッチ→ワンハンドクラッチ
とか、あえて違う呼び方してたイメージ ちん ってリングネームのレスラー。
1998年頃のゴング選手名鑑に載ってた。
聞いたこともないインディー団体所属っぽかった サン・ポール
今でも日本のどこかにいるんだろうか? プロレスカフェといえば
馬場が亡くなった時に顔面ウォッシュという怪奇派のコテハンが居て猛威を振るい
もはや馬場が亡くなったなんてどうでもよくなったこと
あの人は長文で下らないこと書き殴って凄かったな インターネット黎明期(今から20年前)に「後楽園ホールの壁」
みたいな名前の掲示板があって、プロレスファンが色んな書き込みを
していたな。
俺以外にも覚えている人はいるだろうけど、「言われてみれば
そんなのがあったな」という感じではないだろうか。 三沢たちが離脱する直前の武道館ワンナイト・タッグ・トーナメント興行で
館内に貼られていた次期巡業のポスターに載っているのが三沢たち日本人だけで、
しかも当時の家庭用インクジェットプリンタで刷ったような仕上がりのショボいものだった。
「おいおい、こりゃ嫌な何かがいよいよ来そうだな」と思っていたら、来た。 >>338
ヤクザキックはテレビで使えないからケンカキックになったんじゃなかったっけか そう。テレビはね。
でもゴングとか東スポはヤクザキック、シャイニングヤクザで貫き通した >>316
と、蛆虫が喋ってますwww
生きてる価値ないんだから早く死ねよwww 昔の新日で花束嬢が待ってるとこにタイガージェットシン入場
それにビビった嬢がロープの間から逃げようとして頭から落下
テレビ中継にバッチリ映ってたけどあれ大丈夫だったのかな レフリーが花束二つもらった
選手より多くてレフリーも苦笑 >>349
俺は、花束嬢がシンの蹴りを
まともに食らったシーンを覚えているよ。
当然、崩れ落ち、他の花束嬢は逃げて行った。 90年代のテレ朝の深夜番組、プレステージ。
その新日特集のエンディングで、健介が中條かな子をお姫様抱っこをしたら、スカートがめくり上がり過ぎて、パンティーがモロ見えだった。 >>348
うるせーばーか
てめーもしかしてマーチ以下じゃね? タイナーが初期だけアルティメットクラッシュと呼ばれてた事 >>285
入場の時に武藤が火薬にビビって試合中はヨダレがアゴに張り付いたままでそれを天コジが汚ねーから愛想尽かす漫画が投稿されてた ドームで新間ってオヤジがIWGPよりNWFが上だってマイクで言ったらケロが「それは違う!!」って切れたこと >>352
俺はシンに花束を渡すかどうか迷った挙句
シンとにらみ合って最後は花束を投げつけて
花束嬢が脱兎のごとく逃げた場面を見たことがある
場内が大歓声だった WARの両国で2代目加勢大周のプロレスデビュー発表
って無かったっけ? 蝶野が対長州戦用に開発したスライディング・ケンカキック >>366
覚えてるよ
正月のドームで披露したやつだろ
ちょこんと蹴るだけで全然痛くなさそうだった
あまりにもしょっぱすぎて封印された技 花束嬢といえば、入場して来たハンセンが居並ぶ花束嬢4人の前で左右にロープワークをしていたら、
端にいた一人がハンセンの突入に巻き込まれてしまっていたのを映ったのを見たな。
1990年代前半、まだ鶴田軍対三沢軍の全盛の頃だったと思う。
140キロくらいあるデブとワイヤーロープに挟まれてしまった彼女、
確実に結構な怪我をしたと思うが、全日なり興行主なりは何かお見舞いしたのだろうか?
なんとなく被害者女性だけが泣き寝入りして終わりのイメージが強いが・・・。 >>367
ヤクザのしのぎのひとつに「花屋」があって、縄張り内の飲食店などに高額な値段で花を購入させる(それがみかじめ料になる)
全ての興行師がヤクザというわけではないけれど、興行中に嫌がらせや難癖をつけられても困るのでそうした花屋から花束を購入することで丸く収まる >>371
成る程!
じゃあもしかして花を渡すお姉さんも
ヤクザ絡みの人(水商売、愛人etc)だったのかなあ 蝶野の技なら
カウンターコンプリートショットからのSTF
カウンタージャンピングネックブリーカーからの羽根折 三沢の嫁さん@女優の卵は、花束嬢を務めたのがきっかけで
三沢と知り合ったんだよね。
これは覚えてる人たくさんいるよな。
スレ違いスマン。 >>372
花束嬢が
>ヤクザ絡みの人(水商売、愛人etc)
だとしたら、シンやハンセンが
ぶっ飛ばしたら、エライことになるよね?(^^: >>372
タニマチ側の関係者かな
飲み屋の姉ちゃんとか 沢本あすかの女子プロレスデビュー。本人もやる気になっていたらしいが何故か消滅した。 眉山初披露の時に週プロ中表紙を飾る
当時これだけやってもメジャーが表紙なのかと落胆した 東京スポーツ大賞のタッグ部門の投票の際に、『土井吉って何?知らない。』ってほざいた記者がいたこと。 蝶野がバックステージでママ〜、ママ〜と夫人を読んでいたこと 便所で藤原組長とバッタリ会って、悪手を求めたら
「手を洗ってないから汚いけどいいか?」と言われたこと 高野、田上と高木の決死隊。
決死してないから。とカブキに言われ解散 かつての全日で、選手の似顔絵を描いて送ると武道館に飾ってもらえて、なおかつサインを入れて送り返してくれるイベントがあった。
ノーフィアーでヒール化したばかりの大森さん、しっかりサインしてくれてありがとう ボボブラジルのオールディーズバットグッディーズ来日中止 >>387
メンバーは、赤地で背中に「KEEKI!」と白いローマ字がプリントされた冴えないジャージを
着させられていたな。
あれは実は馬場発案のよるグループだったそうだ(公式には三沢や高野の発案)が、
全然売れなかったので馬場自身が「全然決起しとらん!」と企画を中止したとか。
自分で売れない物こさえといて、それが当たらないからって
押し付けられて嫌々やってた連中に濡れ衣着せるのは酷いと思う。 >>391
【訂正】
×KEEKI!
○KEKKI! 場外乱闘でバットニュースアレンとパイプ椅子の取り合いをした
観客席のおじさん
会場割れんばかりのオヤジコールと実況古舘と解説山本子鉄の暫しの沈黙 決起軍と言えば、キックミットに天龍の顔写真(←苦しんでる顔)
張り付けてキックの稽古してる写真見て
自分の中で何かが壊れたかの如く
大爆笑してしまった件が思い出深い
覚えてる人、いますよね?w >>388
めっちゃいいイベントですね。そういうあたたかみのあるのいいな 高山がフジTVに出演したとき、産経新聞の勧誘員時代の顔写真を暴露されて
「フジ・サンケイグループだから何かあるかと思っていたけど」
とうろたえまくっていたシーン。 ノーフィアーのリーダーが高山でも大森でもなく浅子覚だったこと >>403
浅子→リーダー
高山→ボス
大森→キャプテン アチャコリーダー懐かしいな。真ん中で極端なチビが「ノーヘアー!!」って 「全日本プロレスのエースはジャンボ鶴田!
三沢じゃないってわからしてほしかったんだよ。」
当時はお茶目な言い間違いと思ってたけど
いま見るとシュート 新間寿「私は腕立て伏せが出来ない人間をレスラーとは認めない」
これは馬場のことを言っているなと、当時思った。 大阪で、小林がタイガーのマスクを破り捨てたあと、額の「V」のマークのマスクは、客席から投げ込まれた。
というふうにされてるが真偽のほどは定かでない。 >>407
散々言いたいこと言っておいて「あとはノーコメントだ!」 弩深夜の全日中継およびノア中継は、実際はノースポンサー番組で
日テレが自主的に放送してくれていたこと。 >>404
今、普通の会社のセクションにも、
「リーダー」と「チーフ」と「マネジャー」が
いて、どういう順番で偉いのか?分からず困る。
特に「リーダー」と「チーフ」の地位が会社によって
まちまちだ。
普通に、課長>係長>主任と言ってくれ! 蝶野「いいか、よーく聞け〜中略〜お前らに聞かせる話なんかねぇーんださっさと帰れ」 2.10ドームのゲスト田代まさし
10.9前田ニールセン両国ゲストとんねるず 1984年、全日本に電撃移籍したキッド&スミスの第1戦実は最強タッグより少し前だった。
後楽園で大熊小鹿の極道コンビを2分で秒殺www 男臭さで鳴らした川田が生稲晃子から完全スルーされる
マホンと華原みたいな よくわからんグラドルが天龍好きを公言したけど
後年好きでもなんでもないことを暴露したこと 魔界4号がアナウンサーの胸倉つかんだ時にアナウンサーが苦ちいいいぃぃ・・・と鳴いたこと >>30
よく フミサイトーがテレビ解説で言ってた サンボ浅子が
ビーバップハイスクールの
2昨目に出てるのは有名だが
実は5昨目にも一瞬だけ
登場してること モーニング娘とライガーと天山が雪合戦してキャッキャしてたこと ホーネットにアダプタ付けて京商のバッテリーを積んでた事
みんなやってたよ。 いやいや。ライガーってホント中身が丸くなったよね。皮肉も込めてだけど。
昔、nWoブームの時に姉貴の機械制作会社が商品の展示会があるから
ゲストに蝶野とライガーを呼ぼうって話になって(いまだに人選がイミフ)、
蝶野とライガーの絵をプリントしたノボリを200本くらい作ったの。
似顔絵レベルだったら肖像権とか関係無いの?って思ったけど。
で、姉貴に「本人らと話は付いてるん?」って聞いたらこれから連絡取って交渉するって。
お偉いさんが言い出したみたいだけど、「ただのアホ?」って思って直接会って話したよ。
そしたら、「たまたま夜中に観てて面白かった。奇抜な格好してるし目立つんじゃない?」
とか脳天気な事ぬかしくさる。案の定、この支社長は全然プロレスファンじゃなかったw
「あのー、あの人たち、リングスやパンクラスみたいに月一回の仕事じゃなくて
日々地方とか巡業して商売してるから、そんなに暇人じゃないと思うんですけど・・・」 シリーズオフでギャラさえ良ければ来るんじゃない?
結局、展示会には来なかったの? >>430
ごめん。尖がった時代のライガーネタに繋がる続きがあるんだけど
思い出してたらモヤモヤして不快な気分になってきた。
インターバルおいて、また気が向いたらカキコさせてもらいます。 新日vs誠真会館に今舞台や映画でてる田尻が誠真会館側で出場してたこと ライガーが朝までプロレス討論でレスラーのギャラは高いって言ってたぞ だって誠心会館所属だったんだもん、当時は。
お互い新日からリンチにあった今野とかも。
新日はやり方が卑怯だよな。総合にゃ泣き寝入りするくせに 金本がタイツ越しだと勃起しっぱなしに見えたこと。射精してたかもしれないレベル。ビクンビクンしてるように見えた。 キムはレスラーになる前にキック噛ってるから
ファウルカップ入れてるって本人が言ってたよ。
いつひょんな事で入ってくるか分からんから危ないって。 >>418
田代まさしがビジョンに映ったとき周りの客数人がワカマツと間違えたこと >>427
ライガーの天山イジメが酷かったね
カッチカッチに固まった雪の塊を天山の頭に叩きつけたり
熱々のチーズフォンデュを天山の口にぶちこんだり
悶え苦しむ天山を見て爆笑するライガー
まぁ面白かったけどね 棚橋が白タイツの時、試合中にウンチ漏らしてしまって
白タイツの股下が茶色に染まったこと 2000年ごろに深夜のテレ朝で企画した
【これからのプロレス界(新日本プロレスだったかも知れん)を考える】みたいな討論番組で、
闘龍門(当時)が人気を集めてることについて、
「あんな連中、ルックスが良いだけでしょ?」と言い放ったライガー。
「なるほど、ライガーは闘龍門勢に関しては力を認めてないんだなぁ」って得心した数年後、
普通に参戦してる姿を見てちょっと複雑な気持ちになった。 染まってない。下痢ピーじゃなく固形状態だったから。
ポコッと盛り上がっただけ いや、あきらかに棚橋のロングタイツが試合経過とともに茶色に変色していった画像がある。 >>441
続き。
ちなみにその番組でライガーは、
「もっとテレビを利用してください。力になりますから」って発言したテレ朝関係者に対して、
「(生中継や数日内に行われた鮮度のいい試合じゃなく)何日も前の試合を放送しているくせに、何が力になるだよ!!」ってブチ切れてた。
これは思いっきり同感だった。
以上、全部ひょっとして
>>433 が言ってる「朝までプロレス討論」でのことだったかもしれん。 前田×ニールセン戦が行われたINOKI闘魂ライヴのゲストがタモリととんねるずだったこと スーパーライガー登場時のドーム落下ギミックでスタントマンガチ大怪我w >>349
それ、シンだったっけ?リング下にトペを敢行した花束嬢がいたのは覚えている。
ちなみに後日、「あの時の花束嬢はワタシですw」って本人が週プロだかに投稿していたな。 ライガーはその場の勢いで話すからね
だからテレビ向きではある >>431
無理しなくて良いですよ。嫌な思い出を蒸し返してしまったみたいで、
すみませんでした。 野上と飯塚がJ.J.JACKSなるユニットを結成し本隊に喧嘩を売ったが相手にもされなかったこと 全日ハワイ大会で、馬場 日本デビュー前の輪島組が、輪島のゴールデンアームボンバーで、アメリカンイーグルという覆面レスラーから
ピンフォール勝ち 誰もが知っていることを得意げに書いている奴って恥ずかしいなw でも、「あーそんな事もあったな懐かしい」と思うのも楽しい。
もちろん、知らなかった事も沢山ある。
ここは良スレだと思うよ。どんどん書き込んでほしい。 猪木スピンクス、前田ニールセンの時のゲストだが、堺正章を忘れないで! >>457
そうだったww
スピンクス戦のレフェリーがガッツ石松で謎の5カウントルールも! https://youtu.be/nc4whATheIo
↑が放送されていた時期のタッグマッチ
ノートンがリングインするやすぐにマイクを持ち、対戦相手の蝶野をがなりたてる
蝶野、マイクを受け取って「何言ってるのか、わかんねーよ!」 金丸が2代目全日タイガーマスクだったこと
動き的には金本の3代目よりタイガーマスクという感じだった 全日武道館での外国人6人タッグ、リング中央で寝ているジョニー・エースにスコーピオがスワンダイブ式のダイビングヘッドバットを仕掛けたらエースが寝たままエースクラッシャーでカウンター迎撃
形としてはダイビングヘッドバットを食らってエースがダメージ食らってるはずなのにスコーピオがやられてて武道館が物凄いザワついたこと 上田馬之助が月刊現代に寄稿したことがあって
「馬場はメイン・イベンターになって、自分は前座になった。
それは馬場には華があって、自分には華がなかったからだ。」 中邑真輔がクイズ番組でボロ負けして
ちょっとだけメッキが剥がれたこと ジョー樋口、ミスター高橋はレフェリーをやる前はレスラーだった。 沖識名、ユセフ・トルコ、田中米太郎、マンモス鈴木、
昔はレスラー上がりのレフェリーが多かった。 マイケル・ウォールストリートに羽交い絞めにされた平田に
コーナーに登った蝶野がダイビングショルダー狙って
誰もが平田が避けて誤爆する流れと思いきや平田が避けないで
マイケル・ウォールストリートも一緒に後ろに倒れちゃったシーン ドームの蝶野とサブゥーの入場時で爆破演出にサブゥーが腰抜かす。 >>161
差別用語がありクレームが付き、
誌面で「お詫び」したことは事実だが、
慰謝料の請求なんかないだろ?
そういうデマは飛ばすなよ! ケロが週プロに寄稿したコラムで
「確かに地方では手を抜くこともある」
と筆を滑らせたこと 新日Jrの世代闘争みたいなアングルで
不甲斐ない試合を繰り返しているヒートに向かってライガーが
「結構結構コケコッコーだよ」と嘲笑したこと >>475
口を滑らせたのならわかるが、
文章なら訂正できるのに。 ECWのサンドマンにゴング外国人選手名鑑が勝手に付けたキャッチフレーズ
「やさぐれ剣闘士」 >>476
CTUライガーと本隊ヒートだな
ヒートのツノ部分をトサカに例えておちょくってた
ヒトデとかウニ呼ばわりされた赤ライガーもたいがいだが ワンピースの小野田ネタを見るに今ならアウトだった
大柳二等兵 >>451
その連載誌には原田センセも描いてて、
カブキと馬之助の抗争話は埋もれさすには惜しい件 九州プロレス旗揚げドキュメンタリーみたいな
ニュース企画が放送された際、
筑前はリングネームで本名ヒミツだったのだが
嫁さんの名字が「椎葉」とテロップされたこと
あのマスクマンの名は、単に本名だったと初めて知った 日本国内でさりげなく、サブゥーvsRVDが行われていたこと。 >>479
みちのくの両国国技館大会で、ウィリーさんとの掛け合い見て
爆笑したよ。ウィリーさん、どうしてるのかな。 豊田真奈美が1試合だけ使ったリングネーム「ウィドー豊田」 >>486
ウイリーさん懐かしいな
オフは土方してたしてたのは知ってる
日本にいるのかね 大山倍達に番組名書いて貰いに行ったら「リンガの魂」になってたのに次の週からは「リングの魂」に直ってた 暖房がつかなくて寒いとか文句ばっかの
田中ケロの興行総評 全日ド深夜中継の小橋対ウィリアムスの副音声で
両者の動作や攻撃に合わせ、ガンダムみたいなアニメの効果音を入れていたこと。 >>475 確か週プロで見たと思う
田中ケロ「ホーガンは地方のノーTVマッチでは、あからさまに手を抜く」 >>492
その試合は2週に分けて放送されたが、前半戦の1週目は通常放送だったのに2週目から唐突に導入された
しかもその企画を導入した理由が「聴覚障害者の人にも中継を楽しんでもらう為」という事が中継内でテロップに出た
今だったら問題になりそうな稚拙な企画だった >>495
では「リンダの魂」かよ!
こまっちゃうナ サスケのセパラードスがひどいことは有名だが
同時期に出したデルフィンの歌もひどいこと 新日の会場売りパンフで木村健吾が新曲をレコーディングしたという記事が載ったが、曲名は
「らしくないぜ」と、もが抜けた紹介をされていたこと 武藤がv6の番組で今の嫁との付き合いは早い段階で白い毒霧ピュっと出したって言ったこと ナンシー関の弟が会場でうっかり健悟のレコードを買ってしまって
次の日には祖母に売りつけていたという話には笑った プロレス大百科にタイガーマスクの正体はこの中にいる!ってコーナーがあったが佐山聡、斎藤弘幸、小林邦昭、栗栖正伸の4人という事実上一択だった事 カルガリ・ハリケーンズのリーダーはチョビだったこと。(チョビ=ヒロ斉藤) カルガリー・ハリケーンズが新日を離脱した直後、
イノキにコメントを求めたら
ハリケーンズ自体を全く知らなかったこと
「なに?ヒラタとチョビとシュンジ?へー」
のコメント聞いてイノキのトンパチぶりに爆笑した ヒロ斎藤とグレート義太夫と投資ジャーナル中江が同一人物なこと。 ヒロ・マツダがリングシューズ履かずに素足であがってたこと。 >>507
マツダは生涯ほとんど裸足で試合してた。
むしろ、日本でシューズを履いて試合したことがあるのを覚えてる方が珍しい。 橋本が対戦相手のムタについてしつこく聞かれたとき
「武藤でもムタでも一緒なんですけどね」とめんどくさそうに答えてたこと >>503
覚えてないやん。プロレス大百科じゃなくてプロレス大百科Part.2 ウィリアムスの弟子と言うフレコミで全日に出たブライアン・ダイエットとか言う痩せマッチョ外人
ダイナマイト関西と同じ必殺技を使っていたが、相手を持ち上げるだけで
ものすごく辛そうな顔してたのが印象に残っている。 >>483
2000年の全日にSHIIBAで出たとき、本名だなって分かった。
プロレスに関係ありそうな国の言葉でSHIIBAって単語調べたけど無かったから。
ちなみに本名の椎葉、この姓を持つ人は100%宮崎県の椎葉村に由来している。 ブライアン・ダイエット、身体も大型で
一時は、将来を嘱望されたね!
後楽園の試合で、ダニークロファット(と誰か)と
タッグを組み、フォールを奪われ外人チームは負けてしまった。
ノビていたダイエットをクロファットが抱き起し、
健闘を讃えるのかと思ったら、そのままバックドロップで
叩きつけられた。 船木がパンクラスの頃、vsセームシュルトは、仮想馬場のつもりで戦うと言っていた。 >>515
DRAGON GATEの椎葉おうじも、じいさんがそこの出身 >>515
あ、全日武道館の前座でシノビと試合をしたSHIBA=筑前なのか。
初めて知った、と言うか調べようともしなかった。
あの後、魔界倶楽部で試合したり、結構出世したんだな。 >>519
どこを基準に見るかなんだけど
SHIIBAというマスクマンは
デビューのタッグ戦でマスカラスと闘ったり、
ほかの日本人ルチャドールとユニット組んで
メヒコで奮闘したりもしてたんだよね
むしろあの伝説のSHINOBI戦は
例外的な失敗?とも言えるのかもしれない 小橋がパトリオットとエースと共にチームを組む際に考えたチーム名ゲット。
グローバル、エネルギッシュ、タフの頭文字を繋げたものだったが、
エネルギッシュは英語ではなくドイツ語だった。 世界まる見えで一年に一回は流してた
中国の馬場にクリソツの野人 SHIIBA=筑前は魔界4号のとき、正攻法で棚橋から獲った。
U-30とかいう変なタイトルがあった時代。
つか、今やっても筑前のほうが強いんだが。 天龍たちの離脱後に盛り上がった鶴田軍対超世代軍の抗争は、
「20分を越える熱い試合が多い」なんて週プロでは持ち上げられていたけど、
実際はもの凄く人数が減ってしまい、それまでの10分強〜15分弱で試合を終わらせると、
興行が早く終了してしまうため、試合を引き延ばす必要があっての措置が元々だったこと。
しかしこの「全日本は20分強の試合」のイメージが定着してしまったため、
その後、人数が増えてもメインとセミくらいは「20分強」の試合が残った。 マッチョパンプをエースにCMLLジャパンと言う早過ぎたロスインゴ
サイン要りコスをコロッセオでプレゼントするも応募0 長州が藤波に喧嘩を仕掛けて噛ませ犬発言と言われているが、
サインボール投げの時に藤波が長州の顔にボールを2,3発ポンポンと当てて、
長州が藤波の胸ぐら掴んで小競り合いになった。
実は藤波が先に仕掛けているということ。 30年以上前だが馬場が試合前リングでガウン脱いだ瞬間 腕時計したままだった。(当時の東スポの記事より) >>528
週プロにも出てたw
試合前にウォームアップもしていないことがバレタw ゴング選手名鑑に載った当時WWFのエッジの謎の必殺技「ゴースパワーボム」 小林邦昭は藤原よりも1週間、長州よりも2年先輩。
船木、野上は三銃士よりも10日ほど先輩。 泉田のデビュー戦で、永源がマイクで『泉田デビューおめでとう(棒読み)』とマイクでエールを贈ったこと。 藤波が腰痛で長期欠場後、格闘技戦で復帰することになりそのトレーニングで海外の地下プロレスに参戦しガチをやってきたって設定にした事 プロレス漫画を語るなら必ず
名前が出てくるであろう みのもけんじ氏に
「実録 力道山伝説 日本プロレスの夜明け編」
という作品があり、しかし続編は発行されなかったこと
さらには、なにひとつクレジットもないのだが
力道山と対戦するレスラーの中に
明らかに、奇書「プロレス鬼」のコンタロウ氏の
作画による選手がいること >>535
ドキュメンタリーみたいな感じで、ゴールデンタイムに地上波で
放送されたんだよね。地下の酒場プロレスを観戦に行ったら、
ザ・バウンサーなるレスラーにリング上から挑発され、テレビ
クルーに向かって「こんなもの、撮る価値は無い!」とか
言い捨ててリングに向かい、あっさりスリーパーで絞め落とす
…みたいな感じだったような気がする。
川口浩探検隊を遥かに超える茶番劇だったな。
ザ・バウンサーは、剛か大仁田に挑戦状を出してたけど、結局
来日しなかった。あの藤波との試合?が原因かも知れないな。
この書き込みを見なかったら、一生思い出す事も無かったよ。
サンクス。 >>537
スゲーなw
たっつぁん、ちゃんと聞こえるように台詞言えたのか?
ドラゴンストップよろしく「コニャモノゥ!! トリュカチュアナウィ!!」とかになってなかったか心配 幼い俺に俺の親父が言った言葉
「タイガーマスクの血なんて嘘だからビビるな」 レッドブル軍団が、新日本からお払い箱になった後も、ソ連で
定期開催されるようになったプロレス興行で試合を続けていた事。
ソ連でもヤオガチ論争が起こった事を、なぜか読売新聞が
文化面で報じていた。血袋を使った流血戦とかやってたらしい。 >>539
>幼い俺に俺の親父が言った言葉
そりゃ、絶対に「自分だけが覚えてること」だろうなwww >>525
> 天龍たちの離脱後に盛り上がった鶴田軍対超世代軍の抗争は、
> 「20分を越える熱い試合が多い」なんて週プロでは持ち上げられていたけど、
全日で連日20分を越えるロングマッチは龍源砲時代からやってた バズ・ソイヤーをブレーンにして新日本がアメリカ進出
猪木が議員になったり、ソイヤーがクロケットと契約して新日本から離れたりでいつの間にかウヤムヤ ファミ通「獣神サンダーライガーの
トラブルスープレックス」で
若手時代にI選手と一緒に包茎手術を受けたと告白してたこと 週プロがデラプロみたいな感じでプロレスマンガ雑誌を出していたこと ジャパンプロレス旗揚げ前後に大塚が週プロで短期連載してて
その見出しに使われていたのが大塚・小鉄・藤波・永源らクーデター派の血判だった 昔、ウンナンの番組で南原がプロレスごっこするみたいなコーナーがあった
それのスペシャル回のとき猪木が来たんだが、一通りワチャワチャやった後
南原がマイクで「猪木! 最後にダーをやってくれ!」と言った
そしたら何故か猪木の顔が曇り、渋々という感じでちょっとテンションの低いダーをやった
後から思えばダーの使用料を払ってないのに南原がリクエストしたんだろうなと >>537
TBSの11時頃からの番組だったような そこまでショッパイ試合じゃなかった ひげを蓄えたドラゴンがスリーパーで勝った >>537
そのVを観てスタジオの西田敏行が泣いてたなw >>529
その腕時計はロレックスの金無垢デイデイト 大阪でレス・ソントンが、ザ・グレートメフィストを秒殺した事。 テレ朝で「アントニオ猪木と少年お化け探偵団」という、
猪木が子供を引率して心霊スポットを訪ねる番組があった。
後年に出版された『超怖い話』という本に、
当時この番組を視聴していた人が、
猪木一行の頭上に女の霊が浮遊しているのを目撃して、
車でそのスポットに直行する話が載っていた。 みちのくプロレスのホール大会で
シングルマッチのソラールが、
テーマ曲の1番が終わっても出てこずスタッフがアタフタしだし、
2番も終わって3番の途中くらいになった頃
両腕を天に突き上げて堂々と入場してきて場内大爆笑になったこと。 選手名鑑でラッシャー木村の尊敬する人物がずっと「ジャイアント馬場」だったのに
ノアに移籍した途端に「三沢光晴」に変わったこと 昭和51,52年頃、坂口がストロング小林と北米タッグ王者だったため、
猪木の正パートナーは木戸だった。 >>559
三沢や仲田に要求されて、
ノアのみんなのためにしたことだと信じたい 小橋vs馳の試合の記事を担当した週プロ佐藤が、あまりにも馳サイドに偏った記事を書き、その結果小橋がマジ切れし、佐藤はしばらく全日の会場を出禁にされていたこと。 小島のダイヤモンドカッターをゴングがラジカルカッターと名付けて、
全く定着しなかったこと。 蝶野は東京都三鷹市出身となっているが、ワシントン州シアトルで産まれて、そのときに割礼を受けた為、子供の頃からズルむけである事‼︎ ^木が新潟での試合当日にドラえもんの秘密道具でテレ朝のスタジオに呼びつけられ、アントン体操を披露した
そのままどこでもドアで新潟の試合会場へ送ってもらった
(OA当日が新潟興行だったんだろうか?) 1990年に「いけない女子高物語」なるテレビドラマに、ラッシャー木村が
レギュラー出演していた事。主演は古手川祐子と三浦洋一で、木村は
スナックのマスター役。本筋には関係無いけど、スパイスとして良い味
出していた。 >>396
SDA(スーパードライブアサコ)はポケモンにニックネームでつけてたわ。それなりに強かった記憶がある 「世界びっくり人間コンテスト」のような番組のゲストにジャイアント馬場が呼ばれ、
「とてつもなく大きなシャボン玉を作る名人」の作った巨大シャボン玉の中に潜り込むような感じで馬場が入らされて凄く嫌な顔をしていたこと ルー・テーズ道場の先輩後輩は、ジニアス、北尾、蝶野、田村の順。 T-2000のイベントの「新メンバービンゴ大会」で幼稚園の男の子が1位を取ってしまって
蝶野が満面の笑みで「これでT-2000も30年は安泰だ」ってコメントしたこと 吉田光雄選手のリングネームは長州力に
決定しました。というテロップ 「どこから見てもヘンなかたち」というトックリみたいな容器のビールのCMキャラが馬場だった。
で、その頃、ビートたけしがラジオで、「お前が一番ヘンなかたちだろ」と笑いものにしていた。 小学館の「小学●年生」って雑誌に連載されてた
『プロレスくん』っていうギャグ漫画 >>554
西村はかなり普通に靴履いてたじゃないか。 多団体男と言われていたテッドタナベの
プロレス業界のスタートは国際プロレス。 蔵前での前田の凱旋帰国第1戦の入場テーマ曲は小林邦昭のテーマ曲だった。 コミックボンボンの増刊号に掲載されていたプロレス漫画
確かどっかから見つけた野人を連れてきてプロレスラーにしたけど相手のヒールファイトにキレて残忍ファイト繰り広げた挙げ句姿を消したみたいな内容 1990年4月18日の全日本プロレス武道館公演は、メインが三沢対鶴田だったが、
メイン直前に仲田か木原がラジカセを壊したりでもしたのか、
両者の入場テーマは流れなかったこと。
だが後日のテレビ放送ではテーマ曲が合成されていたこと。
そして、その放送の副音声ゲストは、初代CCガールズで、実況が福沢朗だったこと。
さらに、その日のセミは、ゴディ・ウィリアムス対ハンセン・スパイビーだったが、
福沢は終盤、急に尿意か便意でも来たのか、盛り上がるCCガールズを他所に、
「あ〜も〜!早く!早く終わってくれ〜!終わってくれ〜!」という愚痴を漏らすだけだったこと。
なお、その後はすっかり回復した様で、メインの実況はCCたちと盛り上がるつつ、
副音声での福沢らしいふざけ気味の実況を全う。 >>574
長州力DVDボックスにその発表の模様が入ってるな
ちゃんとリング上で発表してて驚いたわ >>544
トラブルスープレックス読んでたわ
恋愛相談の流れでライガーがオナニーの話を初めて「新日本に山梨県出身レスラーは富士山を見ながらオナニーをした」とか書かれてて爆笑した記憶が
山梨県出身なんてジャンボ鶴田でなきゃ武藤だけやんけって当時思った アイコラとか盗撮とか載せまくってた時代のブブカで
なぜか佐山がスイーツ紹介のコーナーを持ってたこと 高岩が急にヴァンダレイ・シウバと闘いたがりだしたこと 野末陳平がラジオで今度全日からデビューするタイガーマスクは三沢という選手がやると発言していたこと ヒールの時の蝶野が猫専門番組に出てるのを見た
猫をちゃん付けでよんでた 邪道がブレーキの壊れたファミリア・ラリアットで高山善廣にフォール勝ち 日テレの新谷アナが、実況中にTARU水をかけられたこと。 ディートンが日テレの番組対抗の野球大会らしき番組でピッチャーやってた。結構うまかった。 >>564
バルコニーから見てたんだが、サインボール投げはこの映像の前だと思う。
寺西が平田と栗栖に捕まってるが、平田が寺西の哀愁のオールバックをグチャグチャにして
寺西が「やめろコラ!! やめろコラ!!」と言ってるのが分かったw
メインは入場は藤波、長州、猪木の順でコールは長州が最初で少しケロに食ってかかった。
試合が始まってタッチをしないのは藤波の方で、実は仕掛けているのは長州ではなく藤波。
https://www.youtube.com/watch?v=UkTK1fVWmcs ターザン後藤がUFC挑戦を表明したものの、UFCサイドから参戦を拒否されて、UFCに不戦勝したこと >>589
「レスラーは試合中髪の毛を掴まれてるけど大丈夫なんですか?」との問いに
「ある選手の髪の毛はヤバいことになっているぞ」とかも言ってたな プロレスニュースの売り子式放浪セットが、スポーツ部の若僧によって壊され、福沢が激怒したら、ピンク色のセットが宛がわれたが、
数週間後に、悪役商会がピンク色のコスチュームに変えて駄々かぶりしたこと。 バンバンビガロ初来日の時、新日のシリーズ名が
"ブレージング・チェリーブロッサム・ビガロ‘87"
だったこと。史上初レスラーの名前がシリーズ名になったんだぜ 昔の外人天国の全日本中継の次週のカードに
J・鶴見vsテリー・ゴディ
のテロップがでたこと
CM前に何度もでただけでなく
来週の予告でもしっかり間違えていた 自身満々に書いて間違えるなよ、恥ずかしいヤツだな。
ブレイジング・チェリーブロッサム・ビガロ'87だろ。 それと、
ビガロが初来日したシリーズ名は
「ニューイヤー・ダッシュ’87」
いくらなんでも、初来日で
シリーズ名に名前は入らない。 ダイナマイトキッドが誰かにロメロを仕掛けたら、
ジョーが「両肩がマットについている」と判断し
カウントを取り始めたこと
あわてて技をといたキッドがジョーに向かって
ゆっくり歩いていく後姿が極めて不穏だった記憶 >>605
「グランドチャンピオンカーニバル3 テリー・ファンクさよならシリーズ」というのはあったぞ >>610
ミスター高橋が猪木が弓矢固めをかけている時に猪木にカウントした。
アンドレが猪木に弓矢固めをかけている時もアンドレにカウントしてアンドレ激怒w ビッグ・ブーバーの初来日時の表記がビッグ・ブバだったこと。 吉江のボディシザース・ドロップが決まって海野がカウントツーでいきなりやめて
相手が動かないととっさに判断してKOに切り替えたやつ
当時はそのままスリーカウント取れよと思ったがケツがまだ先だったんだろうなとも思った >>614
ビッグ・ババという表記もあったはずだけど
今改めて考えるとこれは誤植だったのかもしれんw トム・サワーがトムソーヤ表記されてて「イカダに乗って入場しなきゃならないね」ってギャグをかました ビガロも、風貌は怪物的だが
アメリカでもなんの実績もない
ポッと出のレスラーなんだよな。
前年、ブロディにはキャンセルされる、
キングコング・バンディを売り出そうとして失敗。
外人エースを急造するために春にシリーズ名にまで
付けたんだが、その直後、長州らが新日にカムバック。
ビガロも87年の夏でサヨナラだった。 ビガロはコスチュームが初来日のままなら売れてなかったと思うw >>548
ハンマープライスで猪木、ダーは一回100万円。
猪木とゲストの対戦代金が一回500万。
競り落としたゲストがぼこぼこにされてた。 昔、ハンマープライスで橋本と対戦出来る権利を100万円ぐらいで落札したゲストが、試合中に橋本にぼこぼこにされてて、思い切り蹴りを食らわされて吐血していた。
試合後、ゲストが「本気で蹴るなよ!」って言ったら、橋本が「遊び半分でやってたら意味がないから!」って反論していた。 >>621>>622
それのどっちか忘れたけど金網越しでオークション会場の客全員で試合見てる中
V系バンドの商品目当てで来たコスプレ客が最前列で試合見さされてたのが印象に残ってる エル・サムライが特にこれといった理由もなく
素顔で試合したこと テリーゴディ、スティーブウィリアムスのスレで
ばんびがおじさんが暴れていたこと。 1回目のヒクソン高田戦で4点ポジションでの頭部顔面への
膝蹴り禁止等の箇所を読み上げてる際に
さり気なくマイクの音が小さくなり会場に流れなかったこと ツジがマサのバックドロップの投げ方を解説した時に
横で聞いてたマサにはその解説は納得いかなかったらしく
その後に不機嫌になって微妙な空気が流れたこと 天龍がバッグドロップのことをルーテーズって言っていたこと。 三沢がウィリアムスに負けた翌シリーズの後楽園で少しだけ髪の毛を染めていた。
それを見た観客がざわついているところで「三沢髪染めたの?」という野次が飛んで大爆笑。 >>616
アメリカでUはアとウの中間みたいな発音をするから
Bubbaは真ん中のbが2つ重なるのも含め「バァゥバァみたいな感じ。
アメリカはOがア、Aがエのような発音のため、Hulk Hoganはホゥク・ハーゲン ハンセンが三沢にモニターで攻撃しようとしたら、若林に阻まれたこと。
※百田の前のモニターを使用 >>623
猪木と対戦したゲストは、元レスリング経験者だったので、そこそこ良い動きしていた。
最後は卍固めでギブアップしていた。
橋本と対戦したゲストは、ただの格闘技好きのイチビリ。
手加減知らずの橋本は、本気で蹴りや袈裟斬りチョップを食らわして口から吐血していた。
探偵ナイトスクープで、健介と戦ってぼこぼこにされてボロ雑巾状態にされた依頼者と同じレベルだった。 >>636
あのTVのVTR見たら、プロレスラーってガチで喧嘩したら本当に強い!って思った。 もうすぐなくなるサンクスで週刊ファイトが水曜日に買えたこと >>632
レスラー名とかバンド名とかで英語名を日本語表記する場合について
実際の音に近い表記にするか、ローマ字読みに近い表記にするかで
ものすごい違いが出るのは知ってるつもりだけど
それにしても「ビッグ・ババ」ってどうなのwという
含みも込めたつもりで書きましたw
名前が一発ギャグになっちゃってるし
ちなみにモートレー・キュアーというバンドを知ってますかw 七尾大会。
川田が初三冠挑戦の前哨戦の6人タッグ。
試合そっちのけで場外で鶴田にスリーパーして鶴田がゲロ。 東京テレビが土曜日の深夜にドキュメント映画『レスリング・ウィズ・シャドウズ』を変な邦題をつけて放送したこと とんねるずの生でダラダラだっけ?
輪島(相撲&ボクシングの従兄コンビ)や定岡がイジられてた頃。
貴かノリタケが横綱とこんな会話してた。
Q 「輪島さんは輪島塗りで有名な石川県は輪島市の出身で・・・」
A 「いえ。わたしは七尾市の出身です。よく間違えられるんですが(笑)」
Q 「あ、そうでしたか。では大相撲時代からの四股名は輪島塗りで
有名な輪島市から取っ・・・」
A 「いえ。輪島はわたしの本名(ほんめい)ですから」
本名(ほんみょう)を「ほんめい」と発する輪島が超カッコよく見えた。
これは笑いでもネタでも何でも無い。
ほんみょう・ほんめい、どちらでもいいことをたまたま知ってたけど
本当に言う人を初めて見たから。そしてそれが第54代横綱。
でも、間違いなく輪島姓は輪島市って地名に由来してると思うけど。 長州が細木数子に娘から煙たがられてると相談したこと 有田がハッスルを激推ししてたこと
上田に呆れられてたこと 馳は初婚の様なツラしているが、高見恭子の前にも嫁さんが居 猪木&倍賞美津子の月100万の代官山のマンションの隣室が
愛川欽也&うつみ宮土理だった。 タイガーマスク時代の佐山のマンションの隣室が鳥越マリだった。 馳は地元では仮面夫婦と呼ばれ高見は
一切選挙の応援に来ないこと 辻よしなりがラーメン大好き小池さんにそっくりなこと >>634
それは若林がプロレスをガチだと思ってた節があるな
若林だけはガチ 独身時代の長州力は、ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」がお気に入りだった事。 ジャイアント馬場vs吉村道明
レフリー アントニオ猪木という試合があったこと 天山の凱旋試合でアナウンサーに「天山のどこが変わりましたか?」という質問に「髪型が変わった」と答えたマサ斎藤 バンバンビカロの初来日の両国国技館にテレ朝からバスツアー(2台)で向かったことがある。俺の乗ったバスはただの野郎プロレスファンのみ。もう一台には男闘呼組の2人が乗ってメチャメチャ盛り上がってたのが青春の思い出ww 吉江がうずまきヘアからいきなり人の良いデブにキャラ変した瞬間 >>639
VOW懐かしいw
モトリークルーで踊り狂う
ってネタ思い出したw マサ斎藤が喋った後、辻がそんなつもりは無かったんだろうが言い方が悪く
「マサさんに言われては御終いです」と喋った後暫く無音状態が続いて、
数秒後唐突に小鉄が流れ関係なく一人で喋り出した事。 自分だけが最近ふと思い出したこと
ムタの毒霧をパワーが腕クロスしてブロック→
パワーがムタに毒霧。 ここにいる人達はプロレス愛に満ちたおっさんばかりだからとても穏やかだ。 知ってるか?ジャイアント馬場さんがスペースマウンテンから出て来ると血だらけだったんだぞ TVマッチでマードックが闘ってる際に
散発的に「マードック〜♪」と声援してる女性がいたのだが
場外から戻る際にマードックがパンツを引っ張られ、
TVマッチであるにもかかわらず全ケツ晒してしまい、
全国のお茶の間に、その女性の絶叫が響き渡ったこと 全日に移籍したばかりの小島がラジオレギュラーを持ってたこと
アシスタントは福井裕佳梨 会場で流されたか不明だが、つのだ☆ひろが歌う前田日明(当時明)の入場テーマがあった事。 >>666
アイドルだった岩井小百合が彼氏とお忍びで東京ディズニーランドへ行き、二人でスペースマウンテンに乗ったら彼氏がショック死してしまったこと
(プロレスネタじゃないけれど) 79年のオールスター戦で試合開始前はそれぞれのファンが選手を応援する垂れ幕で一杯だったのに開始直前に全て撤去させられていた事。 欧州遠征から戻ってきた前田に後援会ができたが、その会長がタモリ。 >>672
栗栖も正伸、正信と表記された。
>>674
副会長は、いもきんトリオの山口良一で2人がリングインしたり大タモリコールが起きた。 全日本プロレスのフィリピン遠征で、現地の大会ポスターに載った淵の国籍が韓国と記載されていたこと。 三沢が一時期リバースネルソンデスロックみたいな技を使っていてそれが愚乱浪花のコテコテクラッチと同じ技だったこと 前田がヨーロッパのホテルに泊まったとき
真夜中に少女の声で Can you hear me? と囁かれた。 全日四天王は小橋以外、北関東出身ばかりだということ。
その中でも川田だけは訛りが全く抜けず、
今に至るもフリートーク時のU字工事みたいな北関東訛りの喋りしか出来ないこと。 92最強タッグの優勝インタビューで、インタビュアーが川田のコメントを全く取らなかったこと。 ニュース番組で銀座ガード下居酒屋からの中継で普通にマードックが映っていた。キャスター「ガイジンさんの楽しんでますね〜」 小島が海外修行に出た際、
蝶野の陰謀であやうく O.C.Lee(おしり)という
リングネームにされかけたこと 藤波の異種格闘技戦の相手
リチャード・バーンが
ビール瓶の底をブチ破る秘芸を披露してた事。動画で見たい。 >>651
ファイプロで北斗エディットするときは旋回式バックドロップで代用していた ジョニー・エースがタイガードライバー式のフェイスバスターを使い始めた時、実況の金子がペディグリューと連呼していたこと >>687
どう考えても着ぐるみのウルティのほうがレアな件w 三沢−川田の最初の三冠戦において川田が繰り出したドラゴンスープレックスを日テレの実況アナはタイガースープレックスと呼称したこと
安田がタイガードライバーを初めて繰り出した際にはテレ朝の実況アナは絶句して技の名前を言えなかったこと 地方局2つでしか放送されなかったLPWA全米女子プロレス >>646
馳は中学生の女子とガチSEXして中出ししたこと 鶴田×川田戦で明らかに鶴田が川田にブツブツ言って圧勝した試合があったこと。 >>589
正しくは富士山を見ながらオナニーしてるのを妹に見られただね。
俺も武藤じゃんって爆笑した記憶がある。 辻がタイガードライバーをタイガーボムと実況したこと
全日のタイガードライバーという名称を使いたくないのなら
スタイナードライバーって呼べばいいのに ミスターブー の映画に出てくる、
馬場そっくりな巨人と小人 小橋の童貞喪失のお相手が渕。
志賀は結婚するまでずっと童貞だった。 みちプロに参戦していた
サイキック って選手。
ディック東郷や日高が作ってたF.E.C ってユニットのメンバーだったんだが。 ペヤングソース焼きそばのCM(まろやか〜んってヤツ)で空手着を着た四人組の向かって左側の人が小林邦昭そっくりだと思っていた。 >>699
検索したらWikipediaがないから覚えている人はそうはいないぞ。
資料がみつからないから紹介しておいたほうが・・・ 猪木と小鉄が田丸美寿々が司会の番組に出て、お飲み物は何がいいですか?と聞かれて
猪木「何でも」
小鉄「水ください」
田丸「水ですか?w」
小鉄「水が一番体にいいんです」 90年代初頭に新日レスラー全員でエイズ検査
とある外国人レスラーがキャリアだったことを受けて実施したはず >>705
徐々にフェイドアウトとかじゃなく
いきなりいなくなったと思ったら
バックステージで東郷が「あいつは廃業した」って言ってた 橋本が「パワーホール」に付けたリリックについて
♪チョーシューリキー 足が短い
♪チョーシューリキー 首も短い
♪チョーシューリキー 全部短い チョーシューリキー >>698
マイティ「昨日の姉ちゃんどうだったw?」
志賀「出来ません。愛がなければ」
マイティ「バカ野郎!」鉄拳制裁
これ何の漫画だったかな 2度の健吾の選挙に猪木は応援に来たが、藤波、坂口、佐山、前田らかつての仲間は来なかった。
高田道場のある武蔵小山駅で朝立ち、街宣やっても高田は応援に来なかった。 >>705 >>707
資料サンクス。少しだけでもわかればサムライTVのあのレスラーは今に出ると思う。
>>709
それ初音ミクが歌ってる動画あったよタイトルは
「初音ミクがパワーホールを歌ってみた」動画宣伝スマヌ。 >>713
え、ほんとに?
じゃ
♪ムートーちゃんがー はーげるー
もあるのかなw >>624
金本の雪崩式リバースシュタイナーでマスクが破れたこともあった。 本田多聞がリングで仕事できないのか
鶴田が
「ハイ、ジャンピングニー行くよー。」
「次はキックだ!」
「エルボー行くぞ。」
って可愛がり風に見えなくもないけど
段取りを教えてる試合がつべにあること >>708 あのコーナーチョップ受けは 白眉もんだった その点健悟は「パワーボムだコノヤロー」「キッチンシンクだコノヤロー」と語尾に「コノヤロー」を付けるだけで殺伐さを演出してる(テキトー) >>710
志賀の初SEXは嫁だった。
その志賀の嫁も、いかにも元ヤン風の女性。
上手いこと釣り合ったなぁ。 森嶋猛が試合中にゲロ吐いたって聞いたけど、いつの話だ? 若手時代の佐野と蝶野が毎晩のようにソープに通っているので
ソープ佐野、ランド蝶野と旅日記でケロに命名されていたこと >>722
その最終回を聞いた。
ゲストは小鉄と健吾。
ちょうど大量離脱があった直後で
小鉄「そろそろ僕も復帰しますか?」
ケロ「エッ!!」
猪木「いやいや、まだ大丈夫、そこまではいってないから。切り札は最後に取っておかないとw」
健吾「切り札ww」 >>686
金子は酷い。
パワーボムをパワースラムって実況してるし。 >>716
リバースフランケンじゃなくて
リバースシュタイナーって略し方新しいなw G1決勝で頭と頭を突き合わせていた蝶野がパワーの顔をベローっと舐めた事。 大森が三沢からスリーカウント取ったことがあること。 >>710
>>712
そのムックに収録されてた漫画が、
「プロレス地獄変」ってタイトルで単行本化されとるよ。 >>732
マイティ井上さんのは「ノア夢十夜」ってタイトルで収録されてる。
ちなみに増補版の単行本には長州力選手の追加エピソード付き >>732
ノアが立ち上がったばかりの2000年12月の仙台大会。
三沢・小川vs大森・高山
大森がアックスボンバーで三沢からピンフォール勝ち。
まだ、テレビ中継も入っていなかったころだから、会場にいた人間くらいしか記憶にないかもな。 >>716
リバースフランケンの略し方もおかしいが、あれは金本が破ったからやろ? >>624
木戸、西村と組んだトリオは
オサムちゃんず
オサムちゃんトリオ
なんだっけ? 三冠取る前の小橋がドSの工藤静香と付き合ってた影響のため、試合でやられる時に恍惚の表情を浮かべるようになったので
激怒した馬場が別れさせたとか3流ゴシップ誌に書いてあった。 >>743
馬場と工藤静香による 小橋を取り合うラブストーリードラマ見たいな リングの魂に出てた国分や松岡が今思えば仕込み臭かったこと フィッシャーマンズバスターを開発したのはライガーではなく
スーパーJカップの前のシリーズに来日していたブライアン・ブレアーだった事 雪崩式フランケンシュタイナーがライガーの最上級フィニッシュムーブだったこと 青柳政司の誠真会館(空手道場)がプロレスの興行打ってたこと
まだ団体乱立なんて時代じゃなかったんでゴングに載った記事を不思議な気持ちで眺めた思い出 1969年秋、NETで放送された「ヤングプロレス」で
高千穂明久がタイガースープレックスホールド
(ブリッジで後方に投げてフォールするオースイスープレックス)を
使用していたこと。 西村の低空ドロップキックで武藤の足が一瞬、外側に90度曲がった事 リッキーマルビンが一瞬だけGHCジュニアヘビー王者になったこと 近藤修司が世界ジュニアとGHCジュニアの二冠王だった時期があること 【貴族きどり、俳優″】 マイトLーヤ『すべての人間を選び分け、偽善を暴き、彼らの本性を示そう』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529460111/l50
サヨクが国会前デモやってるときに、安部と会食してる芸能人は反日バカウヨ!
吉田沙保里はどっちにつく? 国際は草津、井上、浜口でIWA世界タッグを回していたため、
ラッシー木村の正パートナーは大位山だった。 大位山は元幕内力士だったのに、中堅止まりだったね。
大相撲時代は付き人が何人もついていたのに、国際に入ったら
小林の付き人やらされて、小遣いとして豆粒みたいに小さく
折り畳んだ1万円札を1度だけ貰ったという。 >>755
ラッシー木村ってかわいい!
>>757
>>756が自分だけがおぼえてることならそれでいいんだよ 新日離脱直前のエディゲレロ(T2000)が
本隊とのイリミネーションマッチで無双したこと
3人抜きだか4人抜きしてた ワープロの解説で小鉄が「レスラーなんてちょっとやそっとの事で風邪なんかひかないし、医者にもかからないんですよ
だいたいね、頭が痛けりゃ頭突きしろ、腹が痛けりゃ腹筋しろ、熱があるなら気ぃ狂えってね」
あまりの脳筋ぶりにポカンとしたよw 小橋が京セラだかリコーだかの関連会社の従業員だった時代に
作業着の洗濯や新調が自己負担だったのを
労使交渉で掛け合って会社負担にさせた事 >>761
JWPのコーチ時代処女だと強くなれないと選手犯すキチガイぶり サッカー日本代表戦の裏の新日ゴールデン中継で成瀬が代表ユニを着込んでたこと 元子全日初期のジャイアントサービスで
馬場の代わりに川田がサインしてたために
この世に生まれた珍妙なグッズの数々があること
例:川田サイン入り馬場自伝 >>764
あったな、ゴールデンの裏で日本とホンジャマカみたいな名前のチームが試合やってた。OH砲vs天山、ノートン戦の時か 小川良成が、後援会関係者の娘(女子高生)に無理矢理ディープキスして、相手の女子高生が2ちゃんで曝したこと。
その女子高生がなかなか名前を出さないから、2ちゃん内で佐野が疑われたこと。 スコットノートンが、CMで原田芳雄と共演していたこと。 レジーベネットの出ていたCMが話題になっていたこと。 新日最後のゴールデン生放送のメイン三沢x蝶野が試合直前でまさかの番組終了 >>741
そのおかげでアニメのエンディングテーマを歌ってた 今、ほとんどの団体が千葉で興行をしないこと。
全都道府県を見回しても少ない。 >>778
東京ベイNKホールもなくなっちゃったしね 前田は新日参戦時レガースが劣化して膝下が少し見えていたがなかなか新しいのを買ってもらえなかった事 川田のレガースもボロボロだったな。
黄色いから汚れも目立ってたし。
対戦相手の高山のレガースがパリッと新しくて、
川田が気の毒だったな。 全女のマットがボロボロで会場にカンパの箱を置いていたのを思い出した >>782
ゲームで再現されていたのはボロボロな方だっけ?普通に綺麗なやつだっけ?エディットがあるやつだとカラーチェンジの際に汚れが色に関わるから普通のやつかな。 ゼロワンMAXの試合で選手たちがリング解体したことがあった
中からふかふかのマットが出てきたのを見てこんなの見せるなよと思った 95年頃に公開された馬場が主役のオリジナル劇場アニメで
ラッシャーの声が千葉繁になっててまるで想像がつかなかった事 みんな覚えているだろうけどヴァルキリーという単語をみる度にヴァルキリースプラッシュが出るプオタは俺だけ? クラッシャーバンバンビガロのCBビガロっていう略称の表記を見て
俺の友達の沼田が「シービービガロって表記かっけぇな!」って無駄にテンション上がってたこと 俺の友だちが、ファイプロ2ndでカジワラを気が狂ったようにプレイしてた。 プロレス会場の売店で売られている「J・フランクフルト」が外人レスラーの名前みたいだった ttps://dotup.org/uploda/dotup.org1564798.jpg >>797
奈良は、ドラゲーが土井ちゃんの凱旋興行やっているだろ。 ライガーとサムライがタッグリーグ優勝した時
サムライが優勝のコメントしようとしたときライガーが「しゃべるの苦手だから!」って口挟んだら
サムライがだまちゃったこと >>791
その梶原のキャッチフレーズが「関節の妖精」だったこと 大阪湾、グレートニタ復活で
近くで夜釣りしていた、俺ら3人
一部始終を見られていた事。
一台のロケバスで現場に来て、
リハーサル、カメラリハーサル
爆薬セット、衣装替えに3時間かかってること。 >>806
私は冬木対キャプテンジャックのリハーサルを見た 後楽園ホールでバイトしてたから テレ東のスポーツニュースに船木がゲスト。
女子アナに「ホーガンは本当に強いんですか?」の問いに「まぁ、ある程度は強いんじゃないですか」と答えたこと。 >>703
頭がメロンって書き込みあったが、
メロンにかぶせような網(ホントは頭を怪我した人が被ってる白いネットだけど)
と白塗りの顔、
んでもってオレンジ色のツナギ姿だったな。 グレートニタ復活に、台本か何か
本があって真鍋アナが何度も練習してたよ。
カメラマン、照明、ディレクター、
AD,衣装、小道具、バス運転、
ニタ、真鍋 少人数のロケだったね。関西の人には、
わかると思うけどサンテレビ
のしょぼい釣り番組ロケやと思ってたけど
大仁田がいたからびっくりやから、
一部始終見れたのよ。 ドラゴン瀬戸大橋の主塔に登るという
謎のテレビ番組 >>812
つか、あなた完全にTV関係職業の人確定www
その書き込みみればわかりますよ
おれもそうだから >>801
それがトラウマでその後サムライは一切喋らなくなったらしい 平田がマシンのマスクを被った本当の理由は、モヒカンがカッコ悪かったから。 >>812
長州戦のニタは第一試合の時からリング下でじっと待機してたんですか? おばっち飯塚が、テレビの企画でイメチェンし
『サイバー飯塚』になったんだけど、すぐにキャラを元に戻されたこと。
いや、むしろおばっち飯塚の存在そのものが
覚えてる人少ないか >>815
風神ってサイキックと入れ替わるように急に来なくなったマスクマンか
同一人物だったのか。なら風神いなくなってからサイキックでてきたのも納得だ。
>>822
大根持ちながらロープ渡りしてた人だっけ? >>823
4虎にイジメられて
試合で大怪我してフェードアウト 小島聡が『さんまのなんでもダービー』のピアノ破壊レースに出走した際、
ピアノを破壊せずにハンマーを壊してしまい競争中止になったこと ゲームウォーカーってすぐ配管した角川のゲーム雑誌の
サスケ アレク バトラーツ石川の連載 >>412
追記。
全日中継の頃だったと思うが、番組の合間に流れるCMブレークが、
ひたすらコルゲンコーワだけの繰り返しってのがあった。 >>646
こちらも思い出したが、馳の初婚時代に遊んだ女の一人が高見沢杏奈で、
週プロの選手カタログで『好きな女タレント=高見沢杏奈』と堂々と記入していた。
最初の奥さんは馳の女遊びに心痛めていたそうだが、
その『好きな女=高見沢杏奈』の件でとうとう精神的に病んでしまい、馳はさっさと離婚。 ケロの奥さんが怒りの獣神歌ってる人と言う噂があったこと >>768
でそのCMのマネを白タイツ蝶野がノートンへのマイクアピールでやって会場大ウケ 朝まで生テレビでプロレスを取り上げた時に三銃士やライガーに喧嘩売る立場で闘魂トリオが紹介され出てくるも飯塚と野上だけで、サムライはどうした⁉と聞かれ2人がサムライは私用で今日はいませんと答え失笑を買ったあげくライガーに怒られてたこと >>801
他にもフォーフォースメンのメンバーからサムライをさらっと外した事もある >>833
カメラにドアップで三銃士に噛み付くも割りと滑った飯塚 >>827
佐竹雅明がイメージキャラクターの覇王というゲーム雑誌もあった サムライガーという呼び方
タモリ倶楽部でプラモキチガイの自宅ロケで黒ライガーの角で雪崩が起きた事 サムライガーって95年のG1スペシャル長野大会で道場に置いてあったライガーのコスチューム一式
盗まれて急遽サムライのコスチュームでやった試合だっけ 97年ごろの全日本プロレスに1シーズンだけザ・トルネードという外国人マスクマンが参戦していたこと
スピンキックを渕に放ったがそのまま押さえ込まれて3カウント取られたこと 永田さんが黒いグローブを付けて戦いSTOを使ってたこと >>823
そうそう。おばちゃんたいな割烹着着てね。 週ゴンのレスラー名鑑、見出しに
「 在 日 プロレスラー名鑑」
日本人プロレスラーって書けなかったんだなw 愚乱浪花vsマジックマンのフィニッシュ技が
カニエルボーだったこと >>844
ぐらん浪花の父親が品性のあるJR職員だったこと >>845
デビューする時に、テレビのドキュメンタリー番組で取り上げられたよね。
俺は当時大学生だったんだが、テレビを見ていて不覚にも涙してしまったんだよ。
どんな場面が涙腺を開かせたのは覚えてないけど、パンフレットに載っていた
浪花の紹介が写真ではなく、イラストだったのは覚えている。
元子にキャラクターを気に入られて、まだメジャー団体だった頃の全日本に
レギュラー参戦したり、良い事もあったけど、34歳で亡くなってしまったん
だよな。 >>840
トルネードの中の人は、スリンガー
パトリオットの中の人は、トルーパー
イーグルの中の人の、ジョージハインズ(ジャッキーフルトン)
ファルコンの中の人はアームストロング >>840
渕&佐野vsスミス&トルネードの試合だね。
佐野の自己中な試合運びにヤバイと思った渕がトルネードの前蹴りをそのまま押さえ込みで無理やり終わらせた。。 ワールドプロレスリング内で、ライガーと越中が旅館の部屋で越中の試合のビデオ見ながら酒飲んで喋るの面白かった。
でも一回しかやらなくて悲しかったなあ。
シリーズ化して欲しかったのに。
今からでもやってくれないかなあ。 >>849
確かに来ていたね
どんな解説をしたのかまでは覚えてないけど
前田日明がノアの放送を楽しみにしていたこと
たまたま見たんだけど〜とか言ってノアについて割と頻繁に語ってた ノアの立ち上げ当時、田上が仁義なき戦いのテーマで入場し、
当時のパートナーの泉田も田上に合わせて、仁義なき戦いの組長の首という曲を入場テーマにしていたこと。
田上がテーマ曲を変えたときに泉田も変えたこと。 >>847
スレ趣旨ずれちゃうけど、さいきんyoutubeで
浪花のトリビュート見て、金本戦で浪花が足関節技かけて
浪花「死ねコラー!」
金本「折ってみろー!」
浪花「ふざけんなー!!」のやり取り見てホントに胸熱になった
かなしす 浪花はファイトスタイルはコミカルな面あったが
それはあくまで手段であって、戦う姿勢そのものは熱かった
そんな印象
名勝負も多いよね 海援隊DXと抗争してたときの10人タッグマッチで滝のような流血した状況でもカニ歩きエルボー放った浪花はホントカッコよかったわ
確かバトラーツとの合同興行だったかな 37年前の今日、谷津が蔵前での日本デビュー戦で猪木と組んでハンセン&ブッチャーにポコられる。
史上初、全日から戸口が殴り込んで来るもキラーカーンに急所カチ上げられてひっくり返って悶絶w
当初、戸口戦の予定だった藤波はブック問題で主要カードから外れてクロネコとシングル。
テレ朝が特番で放送。 金子がサニービーチの格好でプロレスニュースをやって、あまりの暑さに死にそうになっていたこと。 馬場の最後のシングルマッチの相手は、シンという事になってるけど、
実はリップ・ロジャースである事。 天龍はただの1度も馬場とシングルマッチで戦ったことないんだよね >>864
チャンピオンカーニバルでシングルやってるよ。 みちのく黎明期、デルフィンが
「大都会大阪から、わざわざくそ田舎まで来てやった」
というギミックのヒールだったこと
鼻をつまみながら
「それにしてもここ(東北の会場)、くっちゃいわー!肥溜めの匂いやでー!」
とかいって嫌われようとしてたんだけど、
面白いので逆に人気者になってしまったw >>866
そうなの?
デビュー30周年記念試合としてシンとやった後に、オカマキャラで
プチブレイクしていたロジャースとやったけど、死んだ直後に出た
ゴング増刊号?に載っていたシングル全戦績では、シン戦が最後と
いう事になっていたので、格の問題でロジャース戦はスルーされたと
思っていた。ディートンともやってるの? 85年の最強タッグ開幕戦の前座で渕がテーマ曲かかっても全然出てこないで(パートナーの石川はチラチラ出てたが渕待ち)終わりそうになって急いで出てきたこと
便所か?と野次られてた >>863
ジャイアント馬場の最後のシングル戦は1990年7月16日
富山県滑川大会で行われたジョー・ディートン戦のようだ
河津落としで馬場が勝利している ジョー・ディートンは猪木、アンドレ組と馬場、アンドレ組の両方と対戦経験がある唯一の男 >>871
ノーTV大会の試合だから知らない人が多いのはしょうがない
ゴングがそれを知らなかったのはダメだがw
>>873
猪木&アンドレ組自体がレア過ぎる
ディートン組vsアンドレ組といえば、最強タッグで馬場が欠場した関係で
アンドレ&ドリー&テリーvsハンセン&スパイビー&ディートンなんていうカードが実現した事もあったな >>870
ディーとんが河津落とし得意技にしていたのは馬場へのリスペクトかごますり入ってたのか? >>849
桑名工業高校の坂詰?ハシズメ?さんのことかな 自らを 2人の恩師ですと宣った ゴングの小佐野が新幹線のホームで大仁田にぼこぼこにされるブックがあったこと。 天山が海外遠征
ハルクホーガンの新団体に参戦
スコット・スタイナーと合流 >>881
女優のオーディションで、ここでおっぱい出せない奴は帰れと言ってたこと >>882
女子プロレスラーのサンダークラックを♂♀したこと 永田と中西の腕十字で負けやがってと罵り合う子供のような喧嘩 武藤がプロレスラーもAV女優も裸で飯を食べてる点では同じと発言したこと ZERO-ONE退団後蝶野と表紙を飾るもT2000ポーズに対して手ぶらだった橋本が高校時代に考案した鶴のポーズを構えた事 ザ・ロックがトライアウトに出た田中稔を絶賛したこと 新日のドーム大会にレギュラーゲストで呼ばれていた乙葉が渡された原稿をたどたどしく読み上げているだけで、プロレスにはまったく興味がないことが視聴者に丸わかりだったこと >>881
藤原監督が、神取を男優で使うと言ってた。 新団体GFWが新日と提携
G1西武ドームで公開調印
ジェフ・ジャレットはバレットクラブ入り 暗黒期にシングルだかタッグだか忘れたけど、特にテーマのない地方で組まれた中西vs西村で、中西が普通のブレーンバスターで西村から3カウントとったこと
怪我とかアクシデントでも無かったと思う IWGPタッグでの高山真壁vs蝶野天山でのフィニッシュが謎の体当たりで蝶野が真壁からピン オブライトの裏十字を又裂きと実況したアナウンサーがいること。 >>763
エデン馬渕やスリムな頃のイーグル沢井とかなら羨ましい
穂積や半田はまだいなかったか? 週プロ投稿コーナーの常連が漫画家デビューしたこと
すぐ消えたが 細木数子の番組に前田日明がゲスト出演したこと
その番組のレギュラーの徳光和夫がプロレス中継風の実況をした 大仁田が11PMのボトルボーイをやってた。
金曜日だけだったけど。 オウムの首領・松本智津夫が逮捕される際、
潜伏していた上九一色村のアジトから、北朝鮮の刻印が入った金塊が大量に見つかったこと。
同じ刻印がある金塊を、金丸信も大量に保持していたこと。 むしろ俺が覚えてないんだけど
蝶野の復帰戦で蝶野vs武藤ヒロのハンディキャップの時に
反則攻撃かなんかをしまくる蝶野にNWOスティングとマイケルウォールストリートが怒って
武藤を引き連れて控え室に帰ったけど次のシリーズにはその2人が蝶野側に付いてた
寝返るような下りとか無いまま急にチーム編成が変わったから驚いたんだけど
俺が知らなかっただけでなんかあったんかな? 大仁田も同じ感じに控え室に連れ去られて
ハヤブサ達が助けた時は
ホントにボコボコの顔になってて驚いた エルサムライが藤田ミノルにスクールボーイで丸め込まれてスリーカウントのはずが
なかなか来なくて慌てふためいて後ろをキョロキョロしてる姿を今でも忘れられないw 三沢さんを馬鹿にしていた山本KIDだがドラゲーは絶賛していたこと 担いだままジャンプして両膝で着地するアルゼンチンバスターと言う独り友情の△を実行した中西 リックスタイナーがTVインタビューで堂々とWIGPベルトを獲ると断言したこと 鶴田がAWA獲ってBJランザとアメリカで防衛戦したとき最後の3カウントが1.2.3のリズムじゃなく、タタタン、タタタン、タン!のリズムの3カウントだった事 東京ドームメインイベント
一世一代の大一番
永田対ジョシュバーネットにて停電 昔長州が出したレコードの特典が畳一畳位のデカいポスター 1981年、ドイツのハノーバートーナメントで
国際の5番手以下の鶴見が、藤波に次ぐ新日3番手の健吾に勝った。 誰もが知っている書き込みが多い中、
>>824 >>873 は凄い! 86IWGPで藤原と山田の練習に猪木が割って入り、藤原にアキレスを掛けさせ山田に見せた事 週プロの読者からのFAXコーナーで「ワールドプロレスリングへの檄文」という
ワープロへの熱い改善要望FAXが掲載され
次の週からの放送がかなり雰囲気の違ったものになったこと 長州の咬ませ犬の日の小林邦昭凱旋試合
◯小林&木戸(フィッシャーマンズスープレックス)ジョニー・ロンドス&●シルバー・ハリケーン
実はフォールではなくてギブアップだった。
小林のフックが強すぎて肩が上がっていて、柴田レフェリーがカウント2まで入れたが肩が上がってるため、
ギブアップか?どーだオレ?参ったか? でギブアップだった。 >>922
タイガー戦で全く同じ事やったな。
なかなかカウントしないやつ。 >>917
それ持ってた、というか、部屋に貼ってたわw >>925
新日の長州が好きで厨房の時投げ出しの小遣いで買ったったな。んでまさかの全日移籍にはワロタいやワロエンかった >>922
山田恵一のあすなろスープレックスもなんかギブアップになった事あったな 初期のwowowは視聴するのにデコーダーが必要だったこと ノーテレビの地方会場で、平成維震軍vsレイジングスタッフのタッグマッチでヒロ、保永が入場テーマが終わっても入場せず、越中がマイクで何故か藤波を呼び出し袋叩きにして大流血させた事。 まだ未成年だった愚乱浪花がインタビューで好きな有名人は?の答えが松本コンチータだった事 覚えてること、ではなく思い出せないことなんだけど
極悪同盟か獄門党の若手で、名鑑の自分のチャームポイントに
「プリプリのケツ」と書いたやつがいたんだけど誰か覚えてる?
そのころは「さすがワルだぜ!(驚)」て感じだったんだけど
今にして思えば、誰か先輩に勝手に書かれたのではないかと 野上慎平の奥さんの八木麻紗子が自分の父親と歳が近いこともあり「飯塚さん、良い身体しているなぁ」と感心してしまったこと
どうせシャツを破られるのだから安物のシャツを着ろと八木が野上に注意したのに言うことを聴かなかったこと 選手名鑑といえば「(オナニーを)やめることができません!」って書いてた奴いたなあ
結構有名なレスラーだったと思うけど忘れた ゴッチが持っていた旧オハイオ版AWAベルトをモチーフに新日が実力世界一ベルトを作成したが、
真ん中の長い楕円形の中でレスリングやってる型は藤波、健吾が保持した
NWAインターナショナル世界Jr.で使われて、横の丸い型の他のベルトで流用された。 長州の選手名鑑で今年一番の名勝負はの質問でGHC小橋x高山をあげてたこと リングの魂で、みちのくプロレスのデルフィン軍団とJWPのフィーリングカップルで
愚乱浪花が福岡晶、デルフィン師匠がキャンディ奥津、TAKAみちのくが神取忍を指名したこと >>940
藤田和之だろ?
「抜かずにいられません」 辻 このT2000マシンって小原じゃないですか?
木村健 誰かなんてより、おマスクマンであることが重要なんですよ
辻 ちなみに何%小原だと思われます?
木村健 120%!
辻 柴田 笑 謙吾「このスコットスタイナーは日本人離れしてますね」 健吾がロサンゼルスで妻とディズニーランドに行こうとして
デニーズに入った。 健介がターザン後藤のタニマチの演歌歌手とCDを出した事 ゴングのワンポイントトークの
常連だった厨房の俺w >>946
あーーーwww
思い出した、それで俺藤田のこと嫌いになれなかったんだ
まったくかたじけねえ >>946
特技の欄に「抜かずの三発」とか書いてあったの覚えてるわ 三沢光晴が就寝前にハニートーストを貪ることであの肥満腹を育てたのは有名だが、
巨乳フィギュアコレクターだった話を知る人は僅かだろうな。 >>958
年度が違うで思い出したが
俺は名鑑では藤原組長の
今年の抱負が楽しみだった 全日本プロレスの外国人vsスタッフのソフトボール大会で、ダニー・クロファットが木原リングアナにマートンタックルを食らわせ、負傷させたこと。 IWGP選手権前の会見で天山が安田にベルトを質屋に持っていくんじゃないかと心配 数年前、レジェンドの試合でグラン浜田がリングシューズを履こうとしたら、
右が2足入ってて、仕方なくそのまま履いたら動きづらく、相手にその足を狙われて困った。
そんなグラン浜田は若手時代のちゃんこ番の時に出前をとった。 >>958
その後は「抜かずにはいられません」だったな。 SWS両国大会でリング上に猫が乱入、ロックアップする選手の間を走り抜けていった
確かハート・ファウンデーションの試合だった WWFでキッド&スミスのブリティッシュ・ブルドックスがいつものように犬を連れてリングインしたら、
犬が生中継でリング上ででっかいウンコして、ビンスが州のアスレティックコミッショナーから怒られた。 新日の会報のネタ「馬場の大足・まぬけの小足」を見て馬場が激怒したこと >>966
それはニコライボルコフが喉が渇いていた犬を可哀想に思って水をガブガブ飲ませたかららしい 馬場がエリック兄弟のロープワークの伏せを飛び越えられず転んで顔面からマットに受け身
場内大爆笑
深夜で俺は寝るまで思い出しては笑いw 馬場が早押しクイズでボタンを間違ってミリオンスロットが回転
逸見さん腹抱えて笑う オレたちひょうきん族の出張懺悔室で
極悪同盟の道場に出張があったこと。
「いつも悪いことばかりしてるので、懺悔させてください」の
手紙を読むと、ダンプが「おもしれぇ〜!やれるもんならやってみろ!!」と。
結果は懺悔で、水をぶっかけられたダンプが激怒し、
神様はあの姿のまま同場外の市中へ逃走。
ダンプが竹刀を持って追う姿が放送される 良き時代でした(遠い目) >>973
それがブックだったこと
馬場は知らないふりをしていたがサービスでガチを演じていたこと ストロング小林婚約発表の婚約者が二三十年後に妹さんとしてテレビに登場
そりゃホモだしな 三沢のカラオケの十八番
新造人間キャシャーン
川田のカラオケの十八番
みちのく一人旅
田上のカラオケの十八番
狂った果実
小橋のカラオケの十八番
モーニングムーン >>969
そこは
「馬場の大足・まぬけの小橋」にしたい。 新日のポスター
小さな巨人 アニマル浜口
小さな大巨人 グラン浜田 77年オープンタッグに天竜&ロッキー羽田が出ているが、
当時は羽田の方がいいと言われていた。 アンドレが剛竜馬のタイツを引っ張ってブレーンバスターをやったら
極太親父がハミ出てしまった。 新倉が著書に書いてたね。
あの本、剛の悪口ばかり書いてあったな。 何をしとるか貴様ら!
こんな良スレ、続きを立てぬとバチがあたるぞ! 新日本プロレス2002年5月2日東京ドーム
○中西&伊藤(12分18秒・裏モモ☆ラッチ)×豊田&堀田 三沢のエメラルドフロージョンをレスラー以外で初めて喰らったのは平川アナ。 似たスレがあるけどこれを使ってはまずいのかな?
復活 みんなが忘れてしまっている事 [無断転載禁止]©2ch.net
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1505269061 このスレはレベルが高かったし、荒らしも少ない良スレだった。
「自分だけが覚えている」と「みんなが忘れてしまっている」は
少しニュアンスが違うかも知れないけど、ほぼ同義だから、新しく
スレを建てるよりも、既にあるスレを流用した方が良いのでは
ないでしょうか。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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