ブルーノ・サンマルチノ死去
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http://www.wwe.com/article/bruno-sammartino-passes-away?sf187243454=1
WWE is saddened to learn that WWE Hall of Famer Bruno Sammartino passed away at age 82. キャデラックのプレゼントもそうだが
新日とWWFとの提携後も新日出場を拒否して
全日に出場し続けたってのが凄い
ドン・デヌーチが「白紙の小切手に「好きな金額を書いていい」と言われても
ブルーノはニュージャパンへの出場を拒否しただろう
彼はそういう男だった」と言っていた
ゴッドファーザーで描かれた
何よりもファミリーを大事にする昔堅気のイタリア人そのままの人 >>183
WWWFと新日が提携することになって昭和50年に馬場と
WWWF、PWFダブルタイトルマッチをやった後、全日に来なくなったが
新日に行くことは拒否したのでスーパースター・ビリー・グラハムが
王者になってからWWWFヘビー級王者が新日に来るようになった。
昭和56年の全日創立10周年の時にサンマルチノはビンス・シニアと話をつけて
引退する(後に復帰する)ということで来れた。 ブルーノ「私が何もストーリーを知らなかったと言えば嘘になるでしょう。
ではプロレスラーが弱いのかと聞かれたなら、その答えは私の体です」 今日の読売新聞1面の左下の編集手帳に、サンマルチノとアンドレの名前があった
人間発電所、人間山脈と呼ばれた事が書かれておりなんか嬉しかった 意外と知られていないが、アンドレのアフロもずら。
別に禿げていた毛ではないが、大きく見せる為に被っていたとか。
充分にデカいが。 アンドレはヅラを卒業するためにボビー・ヒーナンに切らせたの? Gスピリッツ最新号でもデビュー当時のブルーノを特集 1964年、フレッド・ブラッシー、ニューヨーク来襲。
MSGでのブルーノ戦は大反響を呼んだ。当時の一番ポピュラーなレスラーと一番アンポピュラーな
レスラーの対戦なのだから当然の事だが。
試合はブラッシーの噛み付きに激怒したブルーノが暴走し反則負け。反則でタイトルの移動こそ無かったものの
MSGの定期戦でチャンプになつてから初めての黒星を喫した。
試合後、ブラッシーはブルーノのベアハッグで腰を痛め、ゆっくりと歩いて戻ったが事もあろうに
ドレッシングルームを間違え、ブルーノの部屋を開けてしまった。
そこでは既に戻っていたブルーノと一目でその道と分かるイタリア人が会話をしていた。
これがスコーランやブルーノの取り巻きレスラーなら「すまん。間違えた」で済むだろうが
いかにその道の人間と言えどもこの世界では素人。しかも誇り高きブラッシーである。
「おい、ブルーノ。あんな試合じゃ物足りねえぜ。ここでケリをつけるか」
男は冷酷な目でブラッシーを見ながら右手をすうーっと内ポットに滑らせた。これを察知したブルーノが慌てて
「まま待ってくれ。こいつだけは俺の手でぶちのめさなけりゃ気がすまないんだ」男の肩を両手で抑えると
目でブラッシーに「早く出ろ」と合図を送った。 翌月の対戦ではブルーノのベアハッグでブラッシーがギブアップ。完全決着となった。
またまた腰を痛めたブラッシー(当時、優に40は超えていただろう。ブルーノは28歳。正に全盛期だった)
が足を引きずりながら地下の駐車場に着くと、凄い勢いで最新型のクライスラーが出ていく所だった。
どこの金持ちだとふと見ると、ブルーノだった。ブラッシーは言葉も無く暫く立ち尽くしていた。
時は流れて1979年。ニューヨーク。ブラッシーはヒールのニコライ・ボルコフ等のマネージャーとなっていた。
ブルーノは12年近く王座に君臨し続け、44歳ながらセミリタイヤ。解説者として座っていた。
するとインターバルの時間にブラッシーがブルーノの所にやって来て、杖で机をバンバン叩きながら
「お前はこんなところで何をしているんだ。お前はここに座る人間じゃない。向こうに立つべき人間だろう!」
その声は半分泣いているようだった。
数か月後、ブルーノは久しぶりにMSGのマットに立った。
その姿は全盛期と何ら変わらない人間発電所であった。 サンマルチノの銅像は三体あるようだが
イタリアに一体、アメリカに二体。アメリカはどこにあるのかな。 サンマルチノのインタビューは柳澤の本に載ったのが最後かな。 あのWWWFのベルトはどうなるんだろうか?
1千万位の価値はあると思うが。
奥さんが売りに出すことはないだろうが、不肖のデビットあたりが売りに出しそうだ。 Gスピの第二弾、興味深かったな。ただ、可笑しな間違いもあった。
馬場戦を含めてMSGのメインのシングル戦はWWWFになってからは全て時間無制限一本勝負の筈。
三本勝負なんて聞いた事が無いし、一本勝負と三本勝負がゴチャ混ぜになつているのは不可思議。
それからボストンは60年代の後半に進出したはず。あそこは色々と複雑な所だったから。
逆にテーズとのカナダでの一戦は一本勝負だったのか?今まで、ずっとサンマルチノのストレート負けと日本では
伝えられてきたが。 Best Two Out Of Three Falls って三本勝負と違うの?
64年に馬場とMSGで対戦した時は一本勝負だったけど。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=243&page=4&s=800 Two Out Of Three Falls を3本勝負だとするなら、何でBESTが出てくんの?
前後の文脈が分からないけど、それでは過去の3本勝負のベストなものという企画のタイトルみたいだけど。 カーフューを長々と説明しておきながら、時間のかかる三本勝負なんかやる訳がない
流はいつもそう。矛盾だらけで言いっぱなしなんだよなぁ
テーズとの一本勝負もそう。テーズのマネージャーもやってた流ならとっくに知ってたはず
ブルーノは当時、カナダでもベビーフェイスのトツプなんだから勝つにしても一本も与えないのは
おかしいとずっと思ってたんだよな マクマホンシニアの仕打ちは酷いな、契約書を交わしてないからってそこまでするか 同じアメリカ国内でも絡んでないレスラーって結構いるんじゃないかな?
サンマルチノとエリックなんて同時代でも接点なさそう ブルーノとフリッツ・フォン・エリックなら一度対戦している。
1960年、フィラデルフィア。ブルーノが勝っている(詳細は不明)
本当に接点が無いと言えば、スナイダーとかゴッチ・・・
その位じゃないかな。 >>210
カール・ゴッチはWWWF時代にサンマルチノと絡みはなかったんだな。
ここに記載されてるを見てもないな。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=946&page=4 >>210
サンマルチノは若くして
WWWFの王者になったから
AWA系のレスラーとは絡みがないのでは?
ガニアやバションとはある? ゴッチなんて覚えているのは日本人だけだろうなぁ
ブルーノとガニアは対戦こそないがツーショットの写真は何枚もあるよ
恐らくはMSGで撮られたものだが、中でもアンドレを挟んで三人で談笑している写真がある
あのアンドレが心からの笑顔を見せていて最高の一枚だ。もう、三人共いないんだなぁ・・・
バションとは日本ではあまり知られていないが67年の初め、バションがAWAチャンプの時にカナダで対戦して
ブルーノが快勝している。これがアメリカの雑誌で大きく扱われた為か、バションはすぐに王座から降ろされ
二度とチャンプに返り咲くことはなかった。 デストロイヤーとも対戦がないんじゃない?
60年代初め、東部で素顔のディック・ベイヤー対
若手のサンマルチノはあったかも知れないが。
70年代半ばまで、MSGはマスクマン出場禁止だし
その頃は、もうデストは日本に定着していたし。 レイスとのNWA戦は有名ではあるが
キニスキー、ドリー、ブリスコとは対戦すらなさそうだなあ
個人的には全盛期のブルーザーとの対戦が見たかったが キニスキーは、NWA王者になる前の
1964年にMSGでサンマルチノに挑戦しているよ。
ブリスコは、1971年の夏ごろ、MSGに上がったが
その時、サンマルチノはWWWF王座から転落して
療養中だったな。 デストとは日本でタッグでやっている。シングルでやらせなかったのは馬場の両者への配慮かな。
キニスキーとはWWWF王座を賭けて死ぬほどやっている。
ドリー、ブリスコとは対戦はないが、ドリーの交通事故による長期欠場、ブリスコの欠場でセントルイスを
救ったのはブルーノだった。
ブリスコは何を思ったか、70年にニューヨークに登場したが全く受けずに前座止まり。
ニューヨークで四の字をやった超空気読めない男だつた。
ブルーザーとは招かれてタッグを組んだが、これが超大当たり。YOU TUBE辺りにあるんじゃないかな。
とにかくMSG以上の盛り上がりで会場が爆発している感じ。対戦相手はバリアント兄弟とか
ラッド、ラシク組とかバッとしないんだけどね。ブルーザーのベビーフェイスぶりがやたら可笑しいし
客分のブルーノに対する配慮が凄い。そこが破滅したシークと違う所。 サンマルチノと正統派タイプのレスラーとは
メインとして興行を組みのはむつかしそうだね
オコーナーとも大試合でも対戦はなさそうかな ゴリラ・モンスーンやビル・ミラーも基本的にはラフファイターなんだよな 60年代くらいのアメリカの四コマ漫画で、上流階級夫人らしき人がソファに座ってお茶を飲んでいるんだが
二コマ目で時間を確認すると三コマ目でテレビをつける。
最後の四コマ目で「BRUNO!!」と絶叫するオチというのがあったな。当時はそんな感じだったのかな。 馬場がマジソンで挑戦した時にはかなりのギャラを貰っていたんだな
あのドケチなマクマホンにしたら特例的な扱いだな ケネディとハードボイルドハガティ
カーターとミスターレスリング2号
トランプとサンマルチノ
それ位か・・・ 俺は読んでないけど、フレアーの自伝で思いっ切りサンマルチノをけなしていると聞いたが デトロイト地区のプロモーターだったザ・シークに呼ばれた時はたったの800ドルだった
「お前のケツの穴にでもツッコんでおけ!」
サンマルチノは二度とデトロイト地区に来ることは無かった モラレスが死んだらしいね。サンマルチノであんなに落胆してたさんまだから
さぞやガッカリしているだろうと思ったら、師匠も死んだって。
悪いことは続くからなぁ。 モラレスは馬場と二つしか違わなかったんだなぁ
マスカラスと一緒かぁ
馬場は随分、モラレスを子供扱いしてたけど
天国の方が確かにレスラー天国に成っちまったなぁ 去年から今年で一気に亡くなったなぁ
ブルーノ、ジョナサン、モラレス、デストロイヤー・・・
超一流ばかりじゃないか
日本でも坂口はもうヤバイし、猪木も自力ではリングにすら上がれないらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています