【万葉集】古典和歌【古今集】
万葉集や八代集、十三代集から、連歌や江戸俳句も含めて、
正岡子規の和歌改革以前の古典和歌について語りましょう。
歌物語も歓迎! それが今では、長谷川櫂とやらいう変態山出しオカマ風情は
大恩ある高橋睦郎氏の陰口や誹謗中傷を各地で触れて回っている有様。
「あんな老オカマより自分のほうが上だ」とか「誰の援助もして貰った事はない」
とか、その他もっと非道い聞くに堪えぬ事どもを。
あること、ないこと、何でも自分より勝れた人物を残謗しては陥れて来た過去そのままに、
高橋氏のことも捏造して迄、悪口雑言を並べ立てているとか。
こんな人非人は一刻も早く半島へ放逐されてしまう可きだろう! >>8
古今集の序では万葉集に言及してる。人麿、赤人の引用あり。
新古今の序では「かの万葉集はうたの源なり」と讃えられてるし、当時、人麿の肖像を仰ぎながら歌を詠むというイベントがあった。
歌風は変わりつつも、少なくとも中世(800年ほど前)までは万葉集は重んじられてきたし、江戸時代には賀茂真淵の「万葉考」なんてのもある 無知な田舎者の長谷川櫂とやらいう変態山出しオカマめは、
「『万葉集』も『古今集』も下らぬ駄作揃いだ」などと
大口を叩いているぞ。 申し訳ございません。どなたか教えて下さい。
名歌の収録されている歌集について、とんと無知な者です。
国歌大観を引いても、出典表記はひとつしか載っていませんが、
一つの和歌で、複数の勅撰集、あるいは物語に出典を有する
(例えば古今集と千載集に収録、など)
ということはあるのでしょうか。
(ただし、百人一首は除く) >>194
新古今はそれまでの勅撰集に取られたものは入れないという方針。
「古今よりこのかた七代の集にいれる歌をばこれを載する事なし」(新古今仮名序)
たしか一首、後撰集との重複が見つかって差し替えてるはず。
ただし「万葉集にいれる歌はこれをのぞかず」とも。
他は調べたことないや。 ――新海さんのイマジネーションの源はどこから来ているんですか。
最近だと日本の昔話とか万葉集、古今和歌集、神話といった作品を読むことが多いですね。
日本昔話はいいですよ。一個一個の物語は短いし、100個くらい読むとパターンが見事に分かれているんです。
物語の普遍的な形のようなものがそこにある。勧善懲悪ものとか、恩返し系とか、動物と結婚する話とか、
ものの由来の話とか。それぞれが面白いんですよ。今回の映画も小野小町の和歌や「とりかへばや物語」が
モチーフになったわけですし、本当にいろいろなヒントに満ちているなと思います。
http://toyokeizai.net/articles/-/133161?page=5 ネット百科事典に以下の記述があったので引用する。
さらに詩人の高橋睦郎著『友達の作り方』(マガジンハウス・刊、1993年)の349ページ以下には、
若いころ長谷川は同性愛者専門の新宿二丁目の飲み屋に頻繁に出入りし、ゲイバーのマスターを介して高橋睦郎と知り合うと、
高橋宅に日参するように駆け寄せて巧みに取り入り、処女句集の自作を一字一句添削してもらった上、題名までつけてもらい出版にこぎ着けておきながら、
意図的に高橋睦郎氏の名を謝辞から外して無視し忘恩ぶりを露わにしたり、また自己の性的指向を隠して異性(女性)と結婚したりするなど、
その「人格」を疑わせる事実が記されている。
やはりオカマの長谷川櫂は、高橋睦郎氏のみならず、法律上の配偶者となる女性をも欺いて、
異性愛者のふりをして「結婚」し、愛情の片鱗も無い偽りの「家庭」をつくり、
家族に隠れて同性愛者のハッテンバに足繁く通っていた色情狂の去勢豚だったのだ。
この陋劣下等な「人格」の欠落には、さすがの橋睦郎氏も長谷川櫂を「俳句とは無縁な人」と断言している。
救いがたい変質者・長谷川櫂=長谷川隆喜なる下等な鼠輩が、いくらNPO法人をつくって売名行為に走ろうと
東海大学で非常勤講師に雇われようと、その愚劣卑怯極まりない品性は既に見抜かれているんだな。
薄汚い山出しオカマ=長谷川櫂(長谷川隆喜)の末路や哀れ
卑しき本性 見破られて !
詳細は「長谷川櫂 オカマ」で検索を。
! http://this.kiji.is/168253962343071745?c=110564226228225532
夜中になると…看護師がわしのチンポしごうきよる。。。
わしは!両手両足拘束されてから、チンポは立ちっぱなしじゃあああ!
そのまま、朝の看護師さんが回って来る。ワシちゃう!ちゃうよ?
拘束されたまま、新しい一日がはじまる。 わらわとて おなご抱きたい いと恋しい あと十年で 魔法使いに >>200
わらわ って女性の一人称なんですが・・・・ 長谷川櫂とやらいう変態山出しオカマは、相手の女性を欺して異性婚をした悪質な
同性愛者なんだから、非難されて当然だろう。
ウィキペディアにも記載されている程なんだからナ。
! 「長谷川櫂」とやらいう変態山出しオカマ風情が一人前に読売新聞紙にコラムを
書かせて貰っているぞ!
この低脳無比な田舎者は、馬の進化も種類も蹄鉄文化も何一つ知らぬ白痴同然の
バカチョンでしかないくせに、まるで何でも知っていたかのようなツラをして
したり気にも厚顔無恥にも、第二面の「四季」に調べたり教わった通りのママに
ただ書き写しているだけだ!
こんな変質者の老オカマを雇っていた三流紙・読売新聞もお粗末至極な代物だが、
その読売新聞社に買収されて「長谷川櫂=長谷川隆喜」の駄文を新書として刊行している
中央公論新社もクズ出版社に成り下がったもんだ。
とにかく此の長谷川という熊本県下の片田舎部落出身者めは、オカマのくせして相手を欺して
異性=女性と「結婚」し、家族に隠れて今でも発展場へ頻繁に通っては他人の男性器をしゃぶりたがっては
全員から峻拒されて恥をかき散らし、藤沢近辺の公衆便所でも男性器を覗き見したり、東海大学でも男子学生たちに
嫌らしい痴漢行為やセクハラ行為を繰り返しているという化け物オカマだそうだ!。!!! 俳句のようにどんどんもうかるほうほうとか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
O99OV 万葉集の英訳は、まだ全部されたことがないんでしょうか?
なんかそんなことを匂わせる文章に見たことがあるんですが? そもそも読めないのがあるんだから全部英訳なんて不可能
莫囂円隣之大相七兄爪湯気吾瀬子之射立為兼五可新何本 276 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2019/04/01(月) 22:14:29.42 ID:gE1dqz/w0
1.『万葉集』の題詞という和歌そのものではなく漢文の部分から引用
しかも、それは中国の『文選』からの引用部分
2.漢籍の孫引きを「万葉集から引用」とどや顔
「中国から離れた」「日本人の心だ」と誇ってしまう
3.元ネタの張衡の詩は「都会は嫌だ田舎へ帰りたいお先は暗い昔はよかった」な内容
張衡は『安帝』に召されるも政治の腐敗を目の当たりにしていた
安帝は宦官の専横を許して国家の衰退を招いた暗君
4.そもそも万葉集第五巻梅花歌卅二首は漢籍に明るい大伴旅人の大宰府の邸宅で
中国原産の梅を珍しがって中国詩人の真似をして詩を詠んでいるもの
5.令の字義は「いいつける」
過去に「令徳」に改元しかけたが問題になったことも
6.元号選定者のなかに万葉集の専門家 東歌や防人歌が農民の詠んだ歌だとすると当時の農民は読み書きが出来たってこと? 長谷川櫂(長谷川隆喜)とかいう化け物の俳句詠みは、
今まで一度たりと『萬葉集』を読んだことも無いくせに、
突然、『萬葉集』の専門家にでも成ったかのように
したり顔で「元号と『萬葉集』」とか「『萬葉集』の梅花歌」だ等と
知ったかぶりの文章を書いては、無智無教養と厚顔無恥の限りを曝け出して回っているという。
こんな阿呆の田舎者風情がデカい面をしていられる「俳人の世界」とは一体なんだろう?
この同性愛者の長谷川チョンに就いて詳しくは、「長谷川櫂 オカマ」で検索されると、その実態がよく分かるぞ 手のひらに
刺さったトゲを
抜くように
受信ボックス
全削除して 和歌と短歌ってまた違うけど
31文字の歌はやはり古典和歌のような風格のあるものが良いよね
現代短歌って作文やん
内容も歌うに値しないものが多いし それが時代だから。
いまどき旧仮名なんかつかうなや。
きしょくわるい。 いやまあ文語にしても口語にしても
今の短歌って「それ短歌にする必要ある?」ってのが多い
一応歌なんだからさ よのなかのしげきかりほにすみすみていたらむくにのたづきしらずも
こころをしむがうのさとにおきてあらばまこやのやまをみまくちかけむ 風をだに恋ふるは羨もし風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 鏡王女
風吹きて恋が出来るは羨まし待ち人来ぬと分かればなんと。。。しょうか。 かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥 高橋虫麻呂
ほととぎす霧に包まれ雨降る夜鳴いてゆくのがいたわしき鳥。。。。よ
世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 山上憶良
世の中を辛い耐えれぬと思うても鳥ではないし飛ぶことも出来ず。。。 見てなくて
御礼が遅くなってすみませんでした >>175
どうもありがとう 大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天橋立
10年ほど前、ドライブで大江山の麓を通ったとき、小式部内侍ちゃんの歌が浮かんできた
小式部ちゃんは可愛かったんだろうか
会えるなら会ってみたいもの このスレッドは1000を超えました。
life time: 7日 11時間 37分 53秒 短歌が好きなので和歌にも興味あったんですがなかなか楽しみ方がわかりません
万葉集、古今和歌集は叙景の歌みたいなのが多くて俳句っぽいというか。。。
新古今和歌集は叙情的でわりとすっと入ってくる歌が多いんですが、
この感覚ってなんか間違ってますかね? 長谷川櫂=長谷川隆喜は
『古今集』すに読んだことが無いくせに
「国文学科の大学院へ入るバイ」と言って、
日大の低脳オカマからも嘲笑され、
結局のところ、相手にされず「門前払い」!
国家試験も悉く落第して、世間に恥を掻いて回っていたとの由、
熊本県下の賤民部落上りの分際で
身の程知らずな変態性欲者の化け物でしかない
という己れを知るべきだったナ!!!!!!! 伊夜彦
神乃布本
今日良毛加
鹿乃伏良武
皮服著而
角附奈我良 あかねさす 紫の膣 締める膣
夫は見ずや 君が腰振る >>213
防人は豪族出身がメインですよ。
ちなみに記録したのは東国じゃなくて、難波江です。
中公新書の『万葉集講義』参照 >>232
嫋やかさを求めると叙情的になり、古今以降は叙情的(中には叙景的なものも含まれますが、俳句の叙景とは違います)なものが増えます。女流歌人が結構重宝されたようですね。
万葉集は和歌の中でも国見を歌うものが多いため、叙景的なものがありますが、弟の死を悲しむみたいな歌もあるので一概にはいえません。万葉集はどちらかというと漢籍の影響が強いですね、大伴系の和歌や、山上憶良など。それがとっつきにくさを産んでいるかもしれないです。
ただ、和歌の叙景と俳句のそれは全くの別物です。二条派の美しい叙景歌を読めばわかると思います。 >>192
そもそも江戸時代にも万葉集に注目してる人はたくさんいましたよね、それに万葉集の解釈の頓珍漢さでも正岡子規は評価できない…。まぁ、古い時代で研究も進んでいないので仕方ないですが。 子規は新聞内の連載記事で延々と「古今サゲ万葉アゲ」を繰り返し和歌改革したらしいが、
そもそも30年程度しか生きてないわ、余所の土地の四季も知らんわ、エセ知識が過ぎる
件の記事も金貰えるからスポンサー忖度してたと思ってるよ、正しい考察ではない ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ