令和4年予備試験 論文スレ5
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
統合失調ってかわいそうだなwwwwww
「俺は監視されてる」って思いこむほど脳がイカれてんだろ 昭和50年代には、中央大学法学部の偏差値は早稲田大学法学部の偏差値より
若干低かった。しかしながら、中央大学は、1989年(平成元年)に早稲田大学に
抜かれて以降に司法試験合格者数万年3位になるまでは(旧司法試験の終盤には、
4位、5位が定位置になったりもしたが)東京大学と1位、2位の合格者数争いをし
ていた。
昭和50年代の半ばに、大学入試偏差値で慶應義塾大学法学部に抜かれてからも、
14年間は、司法試験の合格者数で慶應大に抜かれずに万年3位の座を守った。 まず慶應義塾大学についてだが、慶應義塾大学法学部の偏差値は、昭和50年代半ば
まで低かった。当時の慶大法は、大学受験で数学が必須であったので、偏差値的に
低めになるのは仕方ない面があったが、そのことを考慮しても早大法、中大法に比べ
ると偏差値が低かった。私が通っていた河合塾で渡された偏差値ランキング表(「栄冠
を目指して」だったっけ?)でも、慶大法の偏差値は、明治法や同志社法と同等で、
受験生の意識としても、慶大法は、東北大や名古屋大などの地方旧帝大の滑り止めには最適
だが、東大や京大の滑り止めにするには、ちょっと不足感があった。 昭和50年代、偏差値的に早大法に負けていた中大法だが、明らかに偏差値で負けて
いたのは、学生のボトム層であって、トップ層の学生を比較すると、中大法の学生は、
早大法の学生と同等か、学生によっては、それ以上だった。
まず、当時、偏差値的には早大に抜かれていた中大法だが、それでも、早大などの合格
を蹴って中大法に入学する学生がいた。私は、学生時代に2つのゼミに所属し、いずれ
のゼミも、教授が司法試験委員経験者で、(一人は、現役の司法試験委員だった)中大法
の中では入るのが相当に難関なゼミだったのであるが、(私の学年の中大の首席卒業は、同じ
ゼミの仲間だった。)
この2つのゼミのいずれにも、当時、慶應の看板学部だった慶大経済を蹴ったり、早大法
を蹴ったり、上智法を蹴ったりして中大法に入学して人もいた。
同じ語学クラスや、大学時代に知り合った友人の中には、北大、東北大など旧帝大の合格
を蹴って中大法に入学してきた者もいた。
また、地方の受験生が東京の大学の法学部を受験する場合、国立は、東大文1か一橋法、
私立は、中大法を受験するというパターンも多かった。 更に、早大法に落ちて中大法に入学した学生であっても、東大、京大などの国立大学
が第一志望だった者も多かったので、私立大学文系専願(当時は多かった)で、早大
法に合格した者よりもポテンシャルが高い学生も当然にいた。
実際、私より成績が悪かった者で、私大文系専願にして早稲田の文系に合格した者は
数多くいる。
以上、「デンカの宝刀」ブログより キチガイの相手をさせられる法務省職員はマジで気の毒だわ
5ちゃんで叩かれるたびに法務省に連絡してんのか?ww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています