今じゃ考えられない昭和の生活◆101
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
。 。 | チャンネルも電話もラジオのダイヤルも |
\ / | 車のウィンドーも回すものだぞゴルァ!! |
___⊆⊇____ \____ ___________/
|:::::|| ̄過去ログ ̄|(ii)| ∧∧ )ノ
|:::::|| .>>2 |(ll)| (,,゚Д゚)⊃=ムo ジーコ
|:::::||_ .>>3__|::| ノ ⊃ 。_。§ ジーコ
. ‖‖  ̄ ̄ ̄ ̄ ‖‖ とと,_, )) /(=)ヽ
 ̄ ̄
【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆100
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1586608927/ 高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2−3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった
・ほとんどの家は木造平屋、プロパン、トタン屋根も非常に多い
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる ・テレビ番組でのぼかし映像(人の顔・車のナンバーなど)はほとんどない
・絵馬などがテレビで紹介される際も個人名を伏せることもない
・長者番付の廃止など考えられない
・病院などでは番号ではなく名前で呼ばれる
・選挙の名簿照合は手作業
・小学生は名札を付けたままで街を闊歩
・学校などでは名簿や連絡網が作られるのが当たり前
・懸賞に応募した翌月以降には自宅の郵便受けがDMで溢れかえる
・芸能人などが子供を出産した場合は子供の名前を公表するのが当たり前
・有名人が結婚した場合は配偶者の氏名も公表
・芸能人の家族の顔が隠されることなど考えられない
・個人宅の電話帳は各家庭に配布
・入学試験や資格試験の合格発表では受験番号とともに個人名も発表
・軽微な単純犯罪で逮捕された場合でも新聞やテレビで実名報道(しかも「容疑者」とは付かずに呼び捨て)
・雑誌の読者投稿コーナーには実名で掲載
・有名人が亡くなった時は新聞などに現住所も記載
・誘拐事件などが解決した後のニュースでは被害者の名前も伏せられずに実名報道
・金融機関の預金通帳には届出印の表示もあるのが当たり前
・民家の表札は苗字だけでなく家族の名前も記載されてるのが当たり前 ■ 昭和に流行ったもの
・VHS、キドカラーテレビ
・総括 ・内ゲバ、・60年安保
・アジ演説、・浅間山荘事件、・樺美智子さん
・もはや戦後ではない
・赤線青線 ・トルコ風呂 ・山は動いた ・モボモガ
・船橋ヘルスセンター ・オバタリアン
・社用族 ・ジャリタレ ・スケ番
・ながら族 ・ぶりっ子 ・マッポ
・マブい ・ミーハー ・ルンルン気分
・新人類 ・竹の子族 ・サラダ記念日
・あみん/まつわ ・イモ欽トリオ ・アダモちゃん
・限りなく透明に近いブルー ・なんとなくクリスタル
・抱っこちゃん人形、フラフープ、エポック社の野球盤
ホッピング、チエリング、ベーゴマ、メンコ、ビー玉
・粉末ジュース、2B弾、カバヤ文庫、樟脳舟
・リリアン、ゴム跳び
・ボンネットバス、バスガール、トロリーバス
・特急「つばめ」「富士」「こだま」「はと」
・力道山 ・名犬ラッシー
・月光仮面、七色仮面、ナショナルキッド、忍者部隊月光
・チロリン村とくるみの木、少年ジェット、怪傑ハリマオ
・愛と死を見つめて、いつでも夢を、こんにちは赤ちゃん
・ニッポン無責任時代、ハナ肇とクレイジーキャッツ
・太陽族、みゆき族、マンボスタイル、アイビーファッション
・深夜喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、名曲喫茶
・ツイスト、ダンスパーティ、チャールストン
・活版印刷、順法闘争、60年安保
・ああ上野駅、金の卵 ・下宿、若い根っこの会
・スバル360、パプリカup-10、トヨペットクラウンRS
ホンダS500、ダットサンフェアレディ1500
ミゼットMP5、スーパーカブC100 ■昭和の流行語
・マブだち(ダチ)
・マブい ・アベック
・おはこんばんちは
・おセンチ・バイビー!・バッチグー!
・わけわかめ ・ボインちゃんで鼻血ブー
・彼女、ニャンニャンしない?
・エッチ、スケッチ、ワンタッチ、なんちゃって。
・ガビ〜ン!ひでぶ〜。
・そんなバナナ〜!
・なんてこったパンナコッタ!
・ 山田かつてない○○でめんご
・よっこい庄一 ・恐れ入谷の鬼子母神
・びっくりしたなあーもう ・・・・は置いといて
・何はなくとも江戸むらさき・カステラ1番、電話は2番
・そうか、そうか、草加煎餅。・ここいらでドロンさせてもらいます。
・大橋巨泉 「ボインちゃん」「葉っぱフミフミ」
・藤田まこと 「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」
・イモ欽トリオ 「よい子悪い子普通の子」
・志村けん 「アイーン」「だいじょうぶだぁ」「からすなぜ鳴くの、からすの勝手でしょ」
・松鶴家千とせ 「俺が夕焼けだったころ弟は小焼けだった。
・父さん胸焼け、母さん霜焼け。わっかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。」
・牧伸二 「あ〜あんあやんなっちゃった、あ〜あんあ驚いた」
・伴淳三郎 「アジャパー」 ・トニー谷 「あなたのお名前なんてぇの?」
・間寛平 「かい〜の」 ・玉川カルテット 「金もいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃも少し背がほしい」
・渥美清 「けっこう毛だらけ、猫灰だらけ 」
・チャーリー浜 「ごめんくさい」・いかりや長介 「ダメだこりゃ」
・コント55号 「トビますトビます」 「なんでそうなるの?」
・せんだみつお 「ナハナハ」 ・クレイジーキャッツ 「お呼びでない!?・・・・これまた失礼しました。」
・ハナ肇 「あっと驚くタメゴロー」・伊東四朗 「ニン」「悪いね、悪いね、ワリーネデートリッヒ」 昭和45年生まれ
幼い頃から誰が触ったかもしれん駄菓子屋のお菓子を食べたり
怪しい食品添加物入りのお菓子等を食べて遊び回ってたんで
少々の事では体調を崩さんやろうという全く根拠の無い自信が抜けきれない 預金通帳の届出印表示は、平成20年代初めまでは普通じゃなかったか 昭和の頃は、ファッション雑誌に、洋服の型紙や作り方が載ってた!!!
洋服が高価だったから自分で縫ったり編んだりして着てた!
個人で良いミシンや編み機を持ってる人が珍しくなかった
今は洋服の型紙や作り方が載ってる雑誌って洋裁雑誌や手芸雑誌だけ!!
ミセスのスタイルブックだっけ?
そんなタイトルのやつ
昭和の頃は中高生女子向けや小学生女子向けの手芸雑誌もあった
大高輝美先生は手芸好き小学生にとって神だった リビングのサイドボードに、手編みのドレスを着たキューピーちゃんが飾ってある家が多かった
あと、タバコのパッケージでつくった見事な作品もたいていの家に飾られてたな
「空き箱職人はるきる氏」のようなこと(空き箱やパッケージで見事な作品をつくる)をできる爺さんがよくいた サンデーやマガジンはマンガのページの方が少なかった >>9
今じゃ三秒ルールなんて言葉もあるが昔は地べたに落とした物を食べるなんて普通にやってたな
というか今でも人が見てなきゃやると思う 小学校の時、夏休みの間に教室に消毒薬が噴霧されるので休み明けは新しい雑巾を持って登校して、まず机の上を拭かないといけなかった。
昭和の小学生と令和の小学生の共通体験。 乳白色のワックスで雑巾がけさせられたな
今考えればワックスがけまでガキにやらすなよ と ピチとかメルとか学校に置いてあったな
表紙は完全にアイドル雑誌だったけど >>11
特に手芸好きではなかったがその先生の本は持ってたな
何でだろう・・・
人形作りの本だった リットル表記は小文字の l(エル)の筆記体
今は大文字ブロック体の Lに変更 >>25
教科書の表記がかわったのは、平成23年に日本の単位系がSI単位系に完全移行してからだよ >>22
百貨店どころか、GMSでもあったよ。西友とか。 >>26
それが?
昭和の頃の話がスレタイじゃないの? 平成の3/4まで持ち越して、ここに書き込む人ならたいてい変わり目を知ってる話のどこが「今じゃ考えられない昭和」なんだい? そういえば小学校卒業以来デシリットルという単位を一度も使った事がない >>30
自分の子供が生まれてその子が小学生になったらまた使うよw >>29
昭和と今の落差を語るスレじゃないのか
いつ切り替わったなんてどうでもいいけど なんかズレてる奴いるよなこのスレ
前スレで寝台車は昔移動手段今は娯楽、みたいな書き込みに対して
庶民は寝台じゃなくて座席だったとか訳わかんない突っ込み入れたりとか 「今じゃ考えられない平成」スレが立ったからそっちに誘導したい奴がいるんじゃないの?
スレタイに沿ってるなら書きたいスレに書いて何が悪いと思うわ >>30
算数のノートの裏表紙だったか見返しだったかに、単位の一覧表が載ってた。
haのヘクトとか、dlのデシとかmmのミリとかがずらずらっと並んでた。
ちゃんと興味を持って見れる子以外にとっては、なにこんなの習わないし……でオシマイだったのがもったいなかったな。 キロキロとヘクトデカけたメートルがデシに追われてセンチミリミリ
しかし、デカを使う単位って聞いたことないな >>36
SI接頭辞の中では唯一2文字(da)だから敬遠されるわな
思い当たるのは電波の分野でデカメートル波は使うくらい ANNのパーソナリティーだったとんねるずとヤンタンが大阪球場で対決
https://youtu.be/yWKAAnkE4ro >>40
デカメロンもデカスロンも単位のデカも全部「10」という意味だが、デカメロンは単位じゃない スーパーマーケットに定休日があった。
イトーヨーカドー火曜日、ジャスコ水曜日、ダイエー木曜日みたいに。
休みの日が一般と違うので社内結婚が多かったという説も。 >>45
>>社内結婚が多かったという説も
どこぞのドシロウトが見たまま思い付きで垂れ流したデマ
大店法によって中小商店保護のため、一定面積以上の店舗は地元の商工団体と営業日、営業時間などに協定を結ばなければならなかった。(大店法)
2000年ごろ外圧(非関税障壁)、規制緩和で廃止になった。
トイザらスが米政府に泣きついたんだったと思った。
これがとどめになって(まぁそれ以前から進んでいたんだけど)商店街のシャッター通り化が決定的になった。
おもちゃ屋はとくに象徴的で、これでそれまで個人商店を潰してきたハロマやバンバンまでつぶれ、多くの地方でおもちゃはスーパーかトイザらスでしか買えなくなった。 高校のとき同級生が宿題忘れたと言ったら、クラスメイトの笑い者にされた
僕も落ちこぼれだったから、先生やクラスメイトに嘲笑の的になったな。
文化祭 修学旅行は仮病使って休んだ。 >>46
最初の文の解説が続くのかと思って読み始めたら、思いっきり関係のない話になってハシゴ外された気分だよ >>46
そうだったんだ
スーパーでも定休日あったほうがよかったよね >>46
今じゃぁ 電器屋がおもちゃ屋になっているからなぁ 大抜擢!昭和歌謡を極めた欅坂46小池美波冠番組「80年代歌謡曲ベスト100」文化放送にて今夜6/9 19時より4夜連続放送の第1夜をお届け
http://toriizaka46.jp/keyakizaka46/268210/
関西在住だから聞けない 今は無きニチイの休みは火曜日で、毎週火曜日に
ニチイの駐車場でローラースケートをして遊んでたなあ マイカルか
しくじり企業ってのでyoutubeで見たわ マイカルベアーズという社会人アメフトチーム有ったな
長居球技場でよく見てたわ、ロゴが可愛かった 最近、趣味で習字を始めたいな、と思い始めたが
半紙で練習するのが、もったいなくかんじてしまい
わら半紙、なるものを探したが、ないね!
新聞もとってないし、結局半紙買うしかないのか、と思って
でも、あの頃は自分の金で半紙買ってなかったから、すぐ次の
紙に替えても平気だったけど、自分の金だと思うと
とても、半紙に白空間残したまま捨てられんわ >>10
パソコンでスキャンしてまんまの偽造できるようになって
やっとこさ、重い腰上げて消え去ったな
被害が大きくならないと動かないのよね
変えるのがダルいのか、めんどいのか、中国とかの
IT取り込みの速さと反対を行く、というか >>57
藁半紙って、いま高いよ。たぶんホームセンターとかで売ってるお徳用コピー用紙とかのほうが安いと思われ。
どのみち半紙と藁半紙じゃ滲み具合なんかは違うんだろうから、藁半紙でそういう微妙なタッチの練習をするつもりではないんだよね?
だったら子ども用の習字練習キットや幼児用の知育玩具で、水を浸した筆やペンで書くと色が出て乾くと消えて何度でも使えるやつ買えば? >>51
電話やハガキじゃなくてwebでリクエストや投稿できるようになったよね
電話は遠距離だとバカ高いし、ハガキは時間がかかるから、webリクエストありがたい 昭和40年頃設定のドラマでTVをみんなで観るシーン
TVのスイッチ入れたらすぐ画面が現れる
そんなワケねーだろ 考証がザル過ぎる
リアルだとドラマの尺に入らないだろうが、ならそのシーン
必要ないじゃん サンヨーだったか記憶違いか、とにかく「ポンパ」というスイッチ入れたらすぐ付くテレビが登場したのはいつだったか? >>62
早くても昭和50年代前半頃、ポンパは日立の製品、
親戚が日立の電気屋さんに勤め始めて買ったのがこれ、
すげー!と思ったのは最初だけで、あとは普通だった、
最近はパソコン、スマホに限らず、電子機器の立ち上がりが遅くて、
なんか昔に戻ったみたいだね。 日立のポンパなら1960年代後半から70年代初頭ら辺。 >>63
販売キャンペーンの日立ポンパ号が昭和45年に走っているからそれは間違い。
うちはパナカラーで、マジックスタートという同様の機能のものがついていたが、オイルショックによる省ネエムードの影響で昭和50〜51年ごろに買い換えたモデルにはついていなかった。 >>62
サンヨーは世界初のワイヤレスモコンテレビ「ズバコン」だ
赤外線でなく超音波作動 >>63
キドカラーね
待機電力ですぐつくように温めてるだけだったから
電気代はかかるんだよな
待機電力OFFもできるんだけど「ポンパ」の意味がなくなるしw テレビ買ったら馬の置物(樹脂っぽい)付いてた。丁度チャンネルは回す奴から1から12まで
ボタン式になった。 >>66
リモコン使うと犬が振り向いたり、夜中トラックの騒音(ホワイトノイズに近く
広帯域の音の集合)でTV勝手に点いたりしたんだよな テレビの前に付けるフィルターとかもあった
https://livedoor.blogimg.jp/prc77/imgs/0/4/04fe204e.jpg
目が悪くなる予防とか、フレネルレンズになってて気持ち画面大きくなるとか >>71
夜中にチャンネルが自動でガチャガチャ回るのはなんとも不気味だった… >>68
キドカラーが「希土類を蛍光体に使って輝度を上げる」という命名だったことを最近知った
謎の名前だと思ってたけど、そういうことだったのか ウエストゴムのズボンやスカートは意外となくて、家でもホックとファスナーが付いたものを履いていた >>76
うむ そういえば池上さんがそんなこと言ってたな ところでキドカラーのキドってなによ? あのいぶし銀レスラーもしくは娘がプロゴルファーとかの。。 >>75
魔法瓶に花柄を採用したのはエベレストのブランドで知られた
ナショナル魔法瓶工業
金属にフルカラーで印刷できる技術を開発したんだが何か使えんかなー
という技術先行で需要は後付け
大ヒットしたのでタイガーや象印も追随した >>77
婆ちゃんが穿くようなゴムのズボンなら売ってたけどな。 一つなのにダブルとはコレ如何に
あ、すいません。ウイスキー1つ ダブルで…。 一人しか読んでくれてないのか
なんかまずいこと書いちゃったならごめん >>92
いや、参考になった
全然読まずに脊髄反射してる>>80がバカ ものごころ、というか気づいたのが周囲がこぞってカラーテレビに買い換えられたていた頃(アポロの頃)で、白黒テレビ=VHF専用、カラーテレビ=オールチャンネル(UHFつき)というすりこみがある。
UHFが受信できる白黒テレビやUHFがついていないカラーテレビが想像できない。 >>64
>>65
そうだったんか、指摘ありがとう。 うちは親父がケチだったからカラー買ったのは昭和40年代終わりの終わりだったな こどもの頃、希土類なんてしらないから、テレビや大人の会話で漏れ聞いた“喜怒哀楽”から、出演者の喜怒哀楽の表情も鮮やかに写し出す、
日立喜怒カラーだと思っていた。
パナカラー等と違って、日本語+英語の混成、恥ずかしくて横文字で書けない(書いてあるのを見たことがない)変な言葉だと思っていた。 川崎病は川崎さんが発見したからだな
川崎市とは無関係 >>104
白金さんとか、広尾さんとか、南青山さん
だったら面白かったのに 所ジョージの海賊チャンネルはビデオで録画した。
ティッシュタイムでマスをかいた。 >>111
海賊チャンネルのある日の銭湯のエロコントで膝立ちの裸の女性をお笑いタレントがふざけて後ろに転ばしたらまさかの前張り無しで思いっきり女性器が見えたことがあった 昭和に女性器ネタといえば松本明子。
これでアイドルとしての命脈を絶たれた。 >>59
>水を浸した筆やペンで書くと色が出て
乾くと消えて何度でも使える
おお!そんな便利なものがあるのですね
中国映画とか見てると、砂の上で練習してたり
日本は水があるから、水の練習帳探してみます、ありがとう >>120
何でイギリスとスウェーデンは違う絵なんだろう 1967年 週刊少年マガジンで幻魔大戦が連載開始
高校生の東丈は超能力に目覚め、幻魔と戦う
小説版は野性時代で連載
1971年 新幻魔大戦がSFマガジンで連載開始
1999年 ベアトリクスと出会った香川千波は江戸時代に時間跳躍し月影と出会う
1979年 真幻魔大戦がSFアドベンチャー 連載開始 七輪の練炭の灰は家の前の道路の水たまりを埋めていた
残り火があっても安全だし、少しは道が平らになった >>122
むしろ独自に描き起こすのがアタリマエで北米版まんまの
日本の方が当時は異質だったんじゃ? キンカンの民謡番組をばあちゃんが楽しみに観ていた
いつの間にか無くなっていた >>126
あの番組、かなり遅い時期まで白黒放送だったと思う。
昭和48,9年ごろまでか にっかつの看板を見て子供が何か言うとお母さんが対応に困ってた 釣りバカ日誌の最初の方最近読んだんだが、会社のオフィスで
みんな普通に喫煙してるし、女子がお茶くみしてんのな
イヤミで部下の顔にタバコの煙吹きかけるとか今なら暴力沙汰に
なりそう 自分は記憶はないんだけど
サザエさんの原作では夏のデパートはあちこちに氷柱が置いてあってそれを冷房代わりにしていた 朝出社すると給湯室から洗った灰皿一個取って自席に向かったわ
客と電話しながらタバコ吸ったりとか当たり前だったし >>130
それをビートたけしが番組で突っ込みを入れてた、
そういえば、彼の父さんがそういう商売をしてたんだよね。 スバル360初期型なんか、ラジオはおろか燃料計すらついてなかったのに、
灰皿だけは標準装備だった。 会社の応接室には鈍器になりそうなクリスタルの灰皿が置いてあった 大げさなライターがセットだったな
その横にクリスタルガラスのタバコ入れがあってきれいなソプラニーカクテルとか入ってた >>140
読売新聞100周年記念のやつをやたら見かけた。 キンカンのCMソング、昭和の後半には聞かれなくなった。ミカンキンカンサケのカン の後が問題。
嫁と妾は働かん! だった >>134
大ヒット中の映画を見るときは
メインの映画が終わりそうな時間に入り
メイン映画が終わって客がぞろぞろ帰るときに椅子に座り
サブ〜メインとゆったり座って見ていた
欠点は
メイン映画のクライマックスを先に見てしまう事 >>119
「裸の豚が居た、スブタ」って歌ってた。 中学生の頃家が文化住宅の二間で二段ベッドの上が自分の寝場所で
14インチテレビを置いて光が漏れんようにベッドやテレビ周りの目張りを万全にしたつもりで11PMや大人の子守唄なんかを観てた
ある夜も観てると怒り狂った親父にテレビは下に落とされ仕切りのカーテンや目張りをビリビリにされた
今思うに狭い家で息子が毎晩遅く迄起きてるから親父等夫婦の営みの邪魔をしてたんやろね 特に子供向けでパンダやウーパールーパーのような実在の動物がメディアを通じてアイドル扱いや
キャラクター化されてたな。そのうちポケモンや妖怪ウォッチみたいな人工キャラが占めるようになった。 ステテコ姿どころかサルマタ一丁の爺や、アッパッパーどころかシュミーズ姿の婆が、縁側(=自宅敷地内)だけじゃなく、路地裏を跋扈してた。 >>144
エンドロール見ながら余韻に浸りながら涙を拭ってる時にそうやって座席に乱入してくるせいでぶち壊し。一番マジ切れしたことあるわ。 エンドロールになった途端退席して行くお客さんもどうかと思う。せっかくの余韻が…。
そう言えば、映画が終わると皆で拍手する場面って見かけなくなったね。 >>149
わくわく動物ランドで注目された後、トヨタのCMで起用されてから大ブレイクしたんだよな
千石さんR.I.P エリマキトカゲはブームになるかなり前に教育TVの番組で知ってたのがプチ自慢w
昔の映画はエンドロールなんて無かったけどな、オレは正直だらだらしてうざいな >>156
三菱ミラージュ(2代目)だったのでは? >>134 >>144
途中入場も可能だったし、1枚のチケットで朝に映画館はいって夜までずっと観るのが可能だったね
平成でも、シネコンが普及するまではそれが可能だった
あと、通路で立ち見で映画みる客も多数いた
いまはシネコンになって、途中入場禁止だし、終わったら退場させられるし、映画の立ち見席がない
ただインターネットで快適に席を予約できるのはヨシ! 小さい映画館は本当に少なくなった
ポルノ映画専門の映画館なんかもあったけど、今もあるんだろうか エンドロールをいつまでも見るなんてウゼー
さっさと退場しろよ。 >>150
少女漫画やお姫様の絵やリカちゃんには興味が全く無かったけど、パンダちゃんは大好きだった女児です。
あと、「おしゃべりラブ」のポコちゃんも大好き。
コロコロむちむち系の方が好きな子だったんだね。 >>162
エンドロールの最後にもうひとつのラストシーンが挿入されてる映画を見たことがないのか? >>161
大阪しか知らんけど新世界には有るで
客層は男の同性愛系が多いみたいやね ダイマル・ラケット師匠の漫才はテレビでみたけど、面白かった マルシンハンバーグが急に食べたくなってきたので買ってくる 昔は50円くらいだったのに、今100円くらいしてる 自分の住んでる市は、検索したらポルノ映画館は令和時代でも存在しているけど
ホモが男同士で『渡部が多目的トイレでしたような行為』をする場所のようだった
上映される映画はホモ映画ではなく男女のいとなみの映画 >>173
マルシンは油いらないけどあれラードなのか >>169
マルシンハンバーグは週一で食べてる
目玉焼きとキャベツの千切りマヨネーズかけ
その時だけ味噌汁は永谷園のあさげ あさげといえば、五代目小さんのCMを何となく思い出す。 >>162
「エンドロールに名前載せる順番で血の雨が降ることもある。供養だと思って最後まできちんと観てくれ」と、映画スタッフの叔父がよく言ってたな 母は少し日が経ったお肉とか、冷蔵庫からだして臭いをかいでから使ってたなぁ。 >>169
今でもあるのか
子供の頃の記憶だとハンバーグがマルシンだと悲しかった記憶があるけど
久しぶりに食べてみたい エンドロールで思い出したけど、日本の映画って、1970年代半ばでもOPロールで、終わったら「終」ってばーんって表示
されるだけだよね。アニメでも何でも。
80年代初頭ら辺からかな、そうじゃなくなったの。 ギョウチュウ検査で7割の人がギョウチュウを持っていた。 >>184
クレジットしなきゃいけない人が増えすぎて、オープニングじゃ収まりきらなくなったんだろうね
洋画だと「医務室の看護師」とか「弁当担当」とか「警備員」までクレジットされてるよね >>185
ぎょう虫があると薬がでるんだが、それがチョコレートコーティングされていて、食べたかったなあ。実際は中身は激マズらしいけど。 >>185
高確率で、ピロり菌も寄生しちゃったんだろうな 有機農法と生魚で蟯虫大国だったと
維新直後の外人手記にあったなあ 最近ダイエットのために虫を飼うってのが注目されたような 昭和というか、80年代がそろそろ40年も昔である事を数え始めた。
80年(昭和55年)は冷夏で松田聖子の「青い珊瑚礁」を寒々とした中で聴いてたようなw
6月はコロナ禍を予見するような、映画「復活の日」が公開中だったのかな?
ジャニスイアンのテーマ曲が懐かしい。Youtubeで視聴中。 親にうちの子にかぎってと毎度お騒がせしますを観るの禁止にされました うちも中山美穂が出てた毎度お騒がせしますは観るの禁止にされたw 佳那晃子だっけ?
出演する舞台の名前の順番が気に入らないと
自分が料金持つからポスター刷り直せ!って主催に要求した女優 昭和63年 夜ヒット in London(1988.02.03)
https://youtu.be/Z5wHzL495Jg 上條さんは掛け毛布〜(上條恒彦)
下條さんは敷き毛布〜(下條アトム)
友達だろうかお前と俺は〜
どちらもナショナルの 夢〜 >>199
ナショナルの電気毛布のCMといえば、3週間連続通電させてヒヨコを孵すやつ。
トップメーカーは金がかけられるのか、有名人を使っても使わなくても広告がうまい。 >>181
ふーん。どーでもいーわ。そんな程度で血の雨を降らせるなんてDQNの作った映画を見たって思うとがっかりするわ。 今じゃ考えられないが、ベトナム戦争当時、日テレの報道番組で米兵がベトナム人の少年の首をナイフで切断するシーンをノーカットで放送したらしい。 近所の銭湯に近大相撲部の学生がよく来てた
開店と同時に来てて時間帯を決めて交互に来てたみたい >>202
123便事故現場の写真をでかでかと載せた週刊誌。 >>202
ドワイヤー議員のピストル自殺をボカシ無しでゴールデンでやってたもんな 交通警察24時間とかの特集ものでも事故現場の死体とかモザイクなしで普通に映してたな 1〜2回しか観た記憶が無いけど昭和50年代の頃に公園や小学校前に来てたな あと小学校前に科学の教材や手帳みたいなのに硬貨を挟んで裏返すと硬貨が消えるインチキ手品道具
成功率数%のインチキ型抜き屋や飴細工屋なんかがよく来てたな >>216
ドグはPart1のとき46歳だったのか >>212
昭和40年代後半から記憶があるけど、地方だったからか、昭和の風物詩扱いされる有料の紙芝居って見たことがない。
テレビももう普及してたし、いわさきちひろ作とかの印刷された、きれいな紙芝居が幼稚園や図書館でいくらでもタダでみられたし、遊び場が点在してて自転車じゃ回りきれないからかも。
そもそも整備された公園がすくなくて、空き地とかで適当に遊んでいた記憶。
同じく昭和の風物詩扱いされる、風鈴や金魚売り、ロバのパンも見たことがない。
車が増えてきて、リアカーでの商売が難しくなってきた感じ。耕運機にリアカーを牽引ささせて道路を移動する農家も珍しくなっていたころ。
行商と言えば、焼きいも屋、置き薬、豆腐、魚、煎餅の記憶がある。
竿竹売りはトラックで来てた。 スーパーカーの消しゴムをボールペンではじきあって机から落とした方がそれをもらえるというゲームが流行っていた。
近所のガキはそれで段ボールいっぱいの消しゴムを手にしていた。
令和じゃ考えられんな >>220
ボールペンのバネを伸ばしたり増やしたりしたなー
タイヤに接着剤かなんか着けたりとか
大阪の地方都市限定かは知らんけど牛乳瓶のふたをお互い出す枚数を決めて
ピラミッド型に並べたのを口の息でひっくり返すゲームが流行った
最後返した枚数が多い方が勝ちで相手のふたを総取り出来るっていう
学校の牛乳のふたは価値がなくて銭湯で売ってるマミーやコーヒー牛乳、フルーツ牛乳のふたは貴重で
10枚20枚出しの大勝負の時にはそれを賭けてクラス中が大盛り上がりやったね ちなみに、私が通ってた小学校では
牛乳のフタのメンコは「パッチ」
牛乳のフタの未使用新品なものは「新パッチ」と呼ばれてた
新パッチは、直接、牛乳メーカーの会社の人から譲って土もらうかしないと手に入らない >>218
有料の紙芝居は、かすかに記憶がある
ウチは共稼ぎで日中、親が居ないので金が無く
紙芝居を見れなかった
紙芝居を見れなかった悔しさよりも
それまで一緒に遊んでいたのを中断され
俺ともう何人か、紙芝居から離れたところで
ポツンと終わるのを待っていた記憶がある 男の子用(SF、冒険活劇、時代劇)女の子用(怪談、いじめドラマ、母恋物、継母継子もの、孝行美談)間にクイズや
ゲームのコーナーを挟んでショートギャグの三本立て。
ショートギャグは一話完結であとの作品は全30〜50話で一話10枚前後、観覧料は5円でお菓子を買うというシステム
だったとかで、教育紙芝居やテレビ(家庭用)紙芝居しか知らない自分たちには未知の世界です。
保育園で、とっくの昔に終了してた鉄腕アトムのテレビ紙芝居を見たなあ。 このスレの世代だと子供の頃の思い出がそのまま昭和の思い出として語れるが
平成生まれだと遊びや文化的なものがPCやゲームのようなデジタル技術に負うものが多かったり
モノも豊富で、廃物利用みたいな素朴で情緒的な遊びも衰退していたから
さほど懐かしさというのも希薄で話題の盛り上がりも小さいように思える。。 >>223
オセロは牛乳瓶のフタで日本人が考案したそうで
公式用のサイズは牛乳瓶のフタと同じだそう 食堂の姉ちゃんはケツ触られるのが当たり前中の当たり前 思い出した
・牛乳瓶からはずした牛乳のフタは、メンパッチ
・未使用の牛乳のフタはシンパッチ
って呼ばれてたわ
あと、牛乳に混ぜてコーヒー牛乳を作る
「ミルメーク」という粉末食品が給食で出た
給食の食べ物って、ものすごくおいしいわけじゃないのに、教室でみんなと食べるととても美味しく感じたなぁ >>229
その手の食堂じゃ客の食い残しの使い回しはアタリマエだったな >>224
自分は使用済みのフタを万力で締めて「新パッチ」並みにする技術で無敵を誇った
父の入れ知恵であり、まさに先祖代々一子相伝の秘術である 昭和59年〜TVフォーラム〜(司会・徳光和夫)現代の若者vsおじさん
〜野坂批判をした若者 新潟3区に立候補したあとも新潟に拠点を置かず芸能活動をしている野坂に対してある若者がそれはちがうんじゃないかと批判したとたん横山やすしが…〜
横山 おい、徳光ちょっと待て。 ワシにしゃべらせ おい若いのお前 なにが言いたいんやそれどう言う切り口やねん
若者 野坂さんは新潟に骨を埋める覚悟でって言いましたよね それでいてちょいちょいテレビに出るのは…
横山 なんでやねん食ていかなアカンやないけ お前な こっちがしゃべった分だけお前ジェニ出すんかい
若者 いやそれは違うと思うんです…
横山 お前な、 こっちが勝ったんやったらええで こっちが負けたんや ひとつ部屋の中で聞いてやるな それ武士の情けというやつや
若者 申し訳ありませんが そういう武士の情けとかが、戦後日本を…
横山 バカたれ 礼儀やこれはあああああああああああああああ 落ちとる人間を目の前に置いて センセ当選しました言うたら皮肉になるやないけぇ これを言うとんのんじゃこのウスラバ〇が! 昭和というか平成初期まで女だらけプール運動会という地上波でオッパイポロリが定番だった
淫行条例とかで潮目が変わった 淫行条例直接関係なくね
18以上で出たがりのタレントなんかいくらでもおるやろ >>233
この先子々孫々の代まで綿々と伝承されて行く荒業にして秘術...日本は広いなー そのうち室町時代から先祖代々の2ちゃんねらーとか出て来そう >>239
ビデオと言うかAVの普及だろ
ビデオが普及する前は
裸の女の映像を見るには、映画かTVくらいしか無かったからな
8ミリフィルムとかあったけど、そんなのはごく一部の人だけ >>244
夏休み田舎に帰ると親戚のおっちゃんや従兄弟の兄貴らが集まって
8ミリフィルムのポルノ映画上映会をしてたな
自分は小学生なんで夜は寝てたし目が覚めて観ても意味が分からんかったな 昭和の堀越学園は生徒が悪事を働かないようにトイレの個室に扉も鍵も無かった >>230
ミルメークは平成の給食のイメージだけど、昭和からあったのか。
中学校の給食は美味かったけど、小学校は、ほとんど中学校と同じようなものが出てたはずなのに毎日苦痛だった。
教師に監視され、子ども同士が相互監視させられ、吐きそうなくらい苦手な物でも無理やり食わされてたからな。 >>247
大阪はミルメークとソフト麺っていうのは無かったわ >>238
大学受験の帰り北陸本線で連れが両手でポール持って
思いっきり身を乗り出してこっち見て笑ってたわ
よくそんな恐ろしいこと出来るなと小一時間説教してやった 津軽鉄道の客車は残ってるのが奇跡レベルだったからね
鉄道博物館行きになったでしょ確か 割りばしでゴム鉄砲を作っていた
糸の芯の中にゴムを通した動力で戦車を作っていた
ウルトラフォーク1号の簡易プラモデルが20円?だった 発泡スチロール製か忘れたけど駄菓子屋の紙袋入り50円飛行機は小遣いに余裕が有ったら買ってた 酒鬼薔薇の顔写真を載せたフォーカス
自主回収の前に早朝手に入れた 昭和(まあ戦後で30年代以降)で10代の凶悪犯罪ってあったっけ。 マグナカーにハマってコースがあった模型店の2階に入り浸ってたな あ、まさか先客が入るとは思わなかった
>>257へのレスな 永山は読み書きすら怪しいレベルのド底辺
一方、一柳は海城高校に通った高偏差値 自殺しちゃったけど、難関校の高校生が祖母殺害ってのもあった。
本多勝一の「子供たちの復讐」のやつ。 >>235
父ちゃんは爺ちゃんに教わったので、先祖代々で間違いないよ! >>239
女だらけプール運動会 で、例のプールを思い出した。 >>257
報道されなかっただけで凶悪犯罪は昔の方が断然多かった 団塊の昔話を聞く限り実は今より昭和40年代までのほうがサイコ
ナイフ釘バット駅ホームから突き落としなど危ない話が盛り沢山
それと元祖酒鬼薔薇の聖サレジオ事件で現法曹界所属の被害者への非道っぷり
法の適用外なら倫理無用の論理性は、渚大島のあの映画のような同情の余地すらなし >>269
昭和20〜40年代の広島なんか、今だったら連日連夜マスコミが2時間ワイドショーでびっちり放送するような事件が、
地方紙のベタ記事扱いでてんこ盛り。 まさに「今じゃ考えられない昭和の生活」だな。
「懐かし」スレと並行してるが向こうはマッタリ。。 スパゲティなんてナポリタンかミートソースしかなかった
どっちも本場イタリアには存在しないのな 牛乳寒天は昭和の食べ物だったのか
そういえば給食で出たかも コーヒーゼリーって献立表にあって楽しみにしてたら出てきたのがコーヒー寒天
これは違う...って非難ゴーゴーだった 親にドライブイン(という名のただのレストラン)に連れてってもらって
カツライス食べるのが楽しかったな
アイスクリームはキンキンに冷やされた金属の器で出てきたもんだ
(最近アイスに金属の器率は下がってる気がする)
勿論テーブルには、こういうスレで散々出てくる球体の占いガチャがあった >>274
ボロネーゼはダメなのか?
ローマには、第二次大戦後に米軍が持ち込んだトマトケチャップで和えたパスタもあったらしいぞ >269
サレジオ高校事件なんてスーパー猟奇事件が当時はベタ記事だったもんね 昭和の誘拐事件といえば
いまだに時々、テレビ番組で特集する「吉展ちゃん」ばかりだけど
その3年前の「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」が犯人も警察も間抜け過ぎて
小説に書いたらボツになるレベル。 ボンゴレを初めて知ったのは昭和50年頃月刊明星で誰かアイドルが食べてて美味そうたと思った 喫茶軽食の食品サンプル、ナポリタンをすくいあげる宙に浮いたフォークの構図。。
今は店の前に掲げるメニューは写真を貼った看板のほうが主流かな。 かっぱ橋に行くと宙に浮いたフォークのサンプルまだ買えるね 喫茶軽食の食品サンプルでハンバーガーと言う食べ物を知った
(時期的にマックは未だ東京・大阪近辺にのみ展開していた頃)
パンとパンの間に肉を挟んだモノ
凄く高級品に思えた。 たまの日曜日に母ちゃんと妹、近所のおばちゃん等と行った今は無き布施ニチイの最上階に有ったレストランフロアのショーウインドーには夢が有った >>278
そもそも今では「ドライブイン」って名前を見なくなったな。 >>290
ああ、ラブホ的なやつね。
昔ははっきり「モーテル」って表記されてたよね 角砂糖にブランデー染み込ませてそれに火をつけて紅茶に入れて得意げにしてた親父 そういえば最近ダイソーにモーテルキーホルダーがよく売ってるけど
今って「モーテル」という言葉に変な意味は無くなった? つーか、本家ではもともと変な意味ないでしょ。
こっちではたまたまあっち系の施設に取り入れられたせいで変な意味になってるけど。 食堂の「めし」とか飲み屋の「スタンド〇〇」みたいな看板は見るには見るが
どれも昔っからやってる店で古色蒼然w
あとスナックとかの黄色いPEPSIのメーカーロゴと店名の入った路上に置く行灯看板とか。 >>300
仕事の昼休みにコンビニやキレイな店の近くで
年季の入った一膳飯屋が有ったら迷わずそのめし屋に行く 一昨日は父の日だったけど
父の日のプレゼントに「お父様のお気に入りの煙草をカートンで」っていう
ギフトカタログがあった
そのうちアルコール類もカタログから消えるのかな 漫画の「イメージソング」っていうレコードが発売されてた
今はそういうのないよね?アニメになれば勿論出るけど
なんでだろう? そういや、まず見かけなくなったな。
真っ正面にコカコーラのマークと店名の入った看板の店
電飾なしだからはなから夜の営業は眼中にない。 パンプキン・パイとシナモンティーに
バラの形の角砂糖ふたつ 駅のコンコースの靴磨きはいなくなってしまったな
戦災孤児対策で代替わりなしだったからもういないやろ
代替わってやってるトコは店舗の形式を取っている 「携帯無かったので」昭和系回顧系話で
好きな人の固定家電して「親が出る」とか
駅の掲示板で
は頻出だけど
待ち合わせ喫茶店の店内放送「〇〇さんへお電話入っています」
レジ横のピンク電話
のストーリーが出てこない不思議。 >>306
「むきょうよう」も既に40年以上前のアルバムかぁ…その中では「まほろば」「療養所」が自分は好きですね。 >>304
そういえばLPがCDになるころあたりから全然見かけなくなったね
谷山浩子作詞作曲の「空色のメロディ・水沢めぐみ作品集」は今でもスマホに入れてある >>308
それは誘拐犯からの身代金受け渡しの指示では? >>304 >>310
漫画原作のアニメ化に関しては
出版社、アニメ制作会社双方にノウハウが無かった。と言う理由が有るね
それを上手く調整したDrマシリトは凄いと思う
もう一つ
「はいからさんが通る」 これのアニメが失敗に終わり
制作会社が多額の借金を抱え
それでアニメ再作会社が及び腰になり
アニメ本編はしないけど、レコードでお茶を濁す
(失敗してもリスクは少ない)
と言う理由があった >>311
喫茶店の電話、フツーの待ち合わせでも使ったよ。 中学生のエロ写真が投稿されてた雑誌とか
小学生のロリヌードが正規書店で売られていた 当時の日本出版界も警察も
「毛が見えなければセーフ」 小学生のかわいい女の子の裸やブルマ姿が見られて満足だったな。
1999年までは18歳未満の子の裸写真が合法で売られていた。
開始間ておけばよかったと後悔している。
いまはたんj >>317
週刊プレイボーイの少女Mとかね
胸はキレイやったけど顔がヘチャ過ぎ 今じゃ考えられないといえば、サリドマイドやスモンもそうだけど、特に一般人の薬に対するアバウトさにびっくりする。
風邪アンプル事件もだし、処方箋が必要なはずの薬を処方箋なしで入手した挙げ句自分の勝手な判断で飲んで、結果
シャレにならないことになったり、大人用の鎮痛剤解熱剤喘息の発作止めを半分に割って赤ちゃんに飲ませたりと何でも
あり。
医者も医者で、とにかく熱を下げりゃいいとばかりに、幼児に解熱剤をテケトーに処方して死なせたり。
この時の苦い体験が、特に妊婦と小児に対する薬の取り扱いへの慎重さにつながってるけど。 >>315
そのネタは過去スレで300回ぐらい出てきてるのでおなかいっぱいですねん。 >>308
ホテルのロビーで名前書いたボードを持ったボーイがチリンチリンと鳴らしながら歩いて回って電話の呼び出しするという風景も今は無いんだ。 >>320
>大人用の鎮痛剤解熱剤喘息の発作止めを半分に割って赤ちゃんに飲ませたり
それについては、昭和時代の社会保険
「サラリーマン本人は1割負担、家族は3割負担」というシステムのせいもある
医療費節約しようと、お父さんが自分が病人のフリして受診して、
もらった薬をそのまま子供に飲ませてやばいことになってた
本人も3割負担になったときは、改悪だとさんざん騒がれたけど
そういう意味ではトラブル防止になってると言えるね 小学校の頃、防災頭巾を教室の椅子に敷いていたけど
昭和10年生まれの母親は防空頭巾とよく言い間違えてた
どこの家でも似たような感じだったのか、学校でも防災頭巾と防空頭巾と呼び名がごっちゃになってたw
さすがに今どき学校で防空頭巾って呼ぶ人はいないだろうな >>324
発作止めの件だけど、父親が自分のを割って赤ちゃんに飲ませてるのと同じ量を、母親の弟(175センチ
70キロくらい)が試しに飲んでみたら、動悸が止まらなくなったとかで、「姉ちゃん!あれすぐ止めさせろ!!
赤ちゃん死ぬぞ!」と叫んだという。
ちなみに昭和40年代初頭の話。 あー、昭和の頃は、社会人の医療費すこまく安かったね
あれはよかった >>320
薬について「医者に訊いてもいいんだ」って風潮になったのはいことだね
昭和の時代は、医者にアレコレ質問するのは失礼、みたいな雰囲気があって
自分が飲んでる薬は名前も何も全く知らない、ってのが当たり前だったけど
今は薬と一緒に説明書が毎回付いてくる 昔の医者って横柄だったよね
謝礼金も平気で貰ってたし >>320
慎重すぎるのもよくないけどね
熱があるのに「赤ちゃんに悪影響あるかも知れないから」と
妊婦さんが薬を拒むとかね
熱がある方が余程赤ちゃんに悪影響だっつうの
妊娠してる事言えば、ちゃんと赤ちゃんに影響ない薬を出してくれるよ 薬について聞きにくい雰囲気だったから
「医者からもらった薬がわかる本」てのがベストセラーになったんだろね >>333
その本、薬そのものに印字されてる数字やらアルファベットやらを検索して
調べるようになってたけど
今時の薬は、錠剤に直接名前が印字されてたりするよね
粉薬は袋に薬の名前がそのまま書かれてるし 昔は錠剤のシートから名前の書いてあるタブを切り取れるようになっていた
軟膏のチューブもラベルが剥がせるようになってたね
医者が出す薬には疑問を持たずとにかく飲め、という風潮は今では想像しにくいね >>330
幼児に解熱剤をテケトーに処方して死なせた件では、後に親御さんが調べてみたら、海外では幼児への処方が
禁止されていたものが二種類も出されていたという。 >>325
谷山浩子とは同じ中高の出身ということが分かって仲良くなり
「あなたも歌っちゃいなさいよ」で歌わされたんだっけ
そういえば魔夜峰央も映画の主題歌歌ってたし
あのころ漫画家が歌うことが流行っていたのかな >>335
その昭和の感覚を引きずってる高齢者が
「何の薬かなんて知りません、飲めって言われたから飲んでるだけ」
とか言って、若い医者を困らせてるんだよね
今の時代は、自分の病気は自分で知っておこうってなってるのに
不思議なのは、そういう昭和世代の人ほど
「自分の体の事は自分が一番知ってる」とか言う
何あれダブルスタンダード? >>337
流行ってはないと思う
イメージソングのLPはけっこう持ってるけど、その2人しか知らない
他に居る? >>339
萩尾望都のLPは、ほぼ全曲本人歌唱だったと思った。 検便はマッチ箱に入れて持って行っていた
今はマッチ箱そのものがご家庭にないよね >>341
あれはにおいが漏れるし、検体の量が少なすぎると箱の紙が水分を吸い取ってしまって検査できなかったという。
地域によってはハマグリの殻を使ったり、ブリキの小さな缶を使ったり。
…このブリキ缶は、検体の水分でさび付いて開かなくなることがあった。
そして開かなくなったままで中が腐敗してガスが充満すると、検査室内で爆発するという惨事が発生したという。 >>341
マッチは普通に百均でもドラッグストアでも売っている
主に仏事用
仏壇のない家では過去の遺物だろうが 確か小3ぐらいの時だったけどコンビニが家の近くに初めて出来てワクワクした
今じゃ考えられんw 昔は文字通りセブンイレブンでしたな。
その後、昭和60年頃には、夜中に稲荷寿しを食べに行く先となりました。 サンクスが2時
サンチェーン(ローソンの前身)が3時で閉まってた 昭和の終わり近くまで社保本人は医療費負担無しだった
大学の時医院の受付のバイトしてた
社会人になったら病院タダになるんだと思ってたらすぐに1割になり2割になり…
関係ないけど当時は小さい医院でもそこで薬出してたから
学生バイトの分際で思いっきり調剤してたな >>341
マッチ箱じゃなくて、マッチ箱のような箱。
子供の頃、近所に検便のラボがあって、積み上げられた箱をよく見てたから分かる。 >>353
全然違う話ですが、昭和60年くらいまで「1円電車」というのがありましたね。 >>354
いまでは検便ラボにう●こ密封した試験管型検便容器を郵送するシステムがある。
試験管型容器の蓋に耳掻きみたいな棒が付いてるんだけど、その棒でう●こを採取してそのまま試験管型容器に嵌めて密封して、封筒に入れて投函。 >>354
https://pbs.twimg.com/media/DTvXBp6VQAA5KN3.jpg
マッチ箱とブリキやプラ容器の他に、マッチ箱に似た検便専用箱を使ってた時代も確かにあるから混同しやすいのね。 >>327
防空頭巾だが防災だったかそういえば昭和7年生まれの亡き母が俺が小学校の時、手作りしてくれたの思い出して泣いちゃったじゃないか きれいな子に「きれいだね」と言ってもセクハラ扱いされなかった
可愛い子供に「可愛いね」と言っても不審者扱いされなかった
登下校時でも小学生が名札を付けてるのが普通だった 最近の子は礼儀正しいなあと思っていたら
「道端で怪しそうな人を見かけたら明るくこんにちわ!と言え」と
学校で教えられていると知りました >>362
礼儀正しく挨拶されると悪意ある人は手が出せなくなるそうだよ
確かに犯罪しようとしてる人の側からしたら出鼻を挫かれた感じになりそうだな 声をかけられても無視するように言われているらしく、挨拶さえ無視されることがある >>353
1976(昭和51)年に国鉄が運賃、料金が5割り増しくらいに値上げになって
それまでは最短区間(初乗り)が30円で子供は端数切捨てで10円だった(15円じゃなく)。
当時自分は小学生だったが、一人で「乗り鉄」していて2〜300円あったら結構いろんなところ行けた。
ちなみに私鉄はもっと安かった。勿論会社によるがだいたい初乗り大人20円だったような。 >>361〜364
でもまあ、その作戦のおかげで
小学生や幼児が犯罪被害者になる事件が減ってるわけで。 >>365
それまで値上げなかったっけ?
子供20円で乗った記憶があるんだが 挨拶すると不審者情報流されるぞ
---
《3月11日(水)、午後3時50分ころ、北区神谷2丁目の公園内で、児童が遊んでいたところ、男に声をかけられました。
声かけ等の内容
・さようなら
不審者の特徴については、40歳代、160センチ位、やせ型
警視庁2015年3月11日配信 >>367
あった。75(昭和50)年初めくらいかだったのかな。
自分が実際乗り始めたのがその後の76年ころなので、それが>>365で書いたとおり。
昔の国鉄はホント安かったと思うが、額面の話であってその時代の物価のバランスでは
どうだったかはよく分らんけど。 だいたい昭和までは電車の硬券が窓口で買えた
線路は吸い殻で真っ白
駅かその周辺のトイレはとてつもなく汚かった&ペーパーなしのおまけ付き 75年ごろの気まぐれ天使っていう石立鉄男のドラマ配信見てたら
普通のドラマなのに乳首丸出しシーンがあって驚いた >>372
寺内貫太郎一家2なんかもレイプシーンがあった。茶の間が凍りついた まあいわゆる裸が日常生活でも映像でも身近だったからねえ
反面映像や写真でのへその下はかなり厳格に取り締まってたけど 昔の二時間ドラマはヌードシーンありきやったしね
番組前の予告シーンでもそういうのを出して視聴者を煽ってたし 志村けんのバカ殿様でも双六で上半身裸のお姉ちゃんがよく出てた 裸と言えばなんだったかな、上岡龍太郎と島田紳助の深夜番組
セットもなんもないスタジオで二人が椅子に座ってテレビについてひたすら議論している
ただし二人が座ってる椅子の上には全裸の女性が座ってて股間を頭で隠してるってのがあった あまり口外して欲しくないが、私はテレビの中の世界に入る能力があります。先日も昭和の古いテレビドラマの中に入り込み、2人の女優と会話をした。一人は「私は放映の5年後に事故にあい、今はもう… こちらは1970年だけど、21世紀の世界は随分進んだんでしょうね」と悲しい会話でしたが、もう1人は今は飲食店をやられている事が分かり、その後そのお店で本当に話をする事が出来ました。
私が、昭和の番組世界に入り込めば、行方不明の俳優の消息も分かると思うのです >>380
なるほど、早めに精神病院かなんかに診てもらわんと
いつか犯罪を犯すか狂死しますよ。お大事に >>380
レポートを宜しく。
超常能力は存在すると思うので興味ある。 ネタとしては面白い
フィクションにすれば色々膨らませられそう
素で書いてるのなら病院案件だわな コピペだと思うが
まずは誰か行方不明の俳優を書いてくれw >>392
昭和40年代生まれ、子供二人は既に独立
今も変わらずザミッシェルガンエレファントを聴いてる シャンパンのことをシャンペンといってた
カロテンの事はカロチンといってた カロテン、カロチンは英語とドイツ語だな
pHは「ペーハー」と読むのが正しくて「ピーエッチ」と読むと馬鹿にされると親に教わったが、自分が高校に入ったときには日本もIUPACに移行して、「ピーエッチ」が正式になっていた ああ、それでペーハーって最近聞かないのか。
成る程ね。 >>396
異世界食堂では
「一番高い料理?ビフテキですね」と表現していた
ビフテキのほうが高級感あるわな 医療関係も、ドイツ語が減って英語と日本語になった
患者をクランケとか、病状説明をムンテラとか、食事をエッセンとか
言わなくなった
でもカルテはカルテのままだな >>400
アレは先代の爺ちゃんが付けたからやで
>>401
インシュリンがインスリン
BMWの読みがベンベからビーエム ビフテキ
銀河鉄道999で、その料理名を知ったよ
ついでに ミディアムとか言う焼き方を指定できると言うのも。 ホットドクター
駄菓子屋で売ってた
ドクターペッパーを電気ポットで温めた飲み物
おばちゃんに頼むと紙コップ1杯30円で飲める
子供たちに人気だったけど家庭で再現できることが広まって2シーズンで終了
冬季限定 ストローに色のついた寒天がはいったもの
よく買ってたけど今思うと何が美味しいのかと >>408
ストローじゃないけど似たような駄菓子なら今も売ってる
細長くパッキングされた色つきゼリー 「とんかつ」のかつはカツレツからくるカツなの?
ていうかカツレツってさ、カットレット(英語?)だかコートレット(フランス語?)だか、
舶来の言葉なのか日本語なのか。。 >>412
多分冗談でツッコんでると思うけど豆知識のことやないの? >>401
ムンテラって言わなくなったの?
生物学では今でも書き言葉はドイツ語系、話し言葉は英語系がメインで、「キナーゼ」と書いて「カイネース」と発音する(どっちもkinaseだ)という分かりにくい状況になっている 1970年代前半くらいの昭和だと、カルテを医者がドイツ語か英語でスラスラと筆記体で書いてた
当然、当時まだ子供の自分は読めなかった
大人になった今でもドイツ語は全く読めないし、英語も漢文のレ点みたいに、全文にSVOCなどの記号をつけて時間かけて和訳しながらじゃないと英文読めないんだけど
その後、カルテは日本語で書くのがあたりまえになったね
ドイツの植民地でもあるまいし、母国語でカルテを書くのがあたりまえなのは正常だわ 昭和の時代は トンカツ であり
ナイフとフォークで食べる洋食だったよなぁ
昭和末期ファミレスが登場した頃
当時、「私たちは肉は食べられない」と言う高齢者が少なくなく
トンカツをあらかじめ小分けにして、箸で食べられるようにして
とんかつ と言う和風料理になった 今でも患者の情報は医者のものと考える医者が多くて、医療情報の有効活用がぜんぜん進まない >>403
別に誰がつけたかはいいけど
ビフテキのほうがステーキよりご馳走感があるってこと >>419の身近にたまたまそういう店があっただけではなかろうか
今と同じ、厚切りの豚肉をたっぷりの油で揚げて千切りキャベツを添え、ご飯と味噌汁と一緒にサーブして箸で食べる(当然サーブする段階で切ってある)料理は昭和初期に普及してる こないだ心療内科に世話になった時
先生は速記でメモしてたなぁ >>423
そうだろうね。
関西じゃステーキは高級だったが、ビフカツは比較的身近だったな。今では大阪のグルメ扱いされてるらしいが。 >>423
だね
少なくとも「昭和末期にファミレスで」ってことはない
>>427
村上春樹(京都生まれで兵庫育ち)が「東京にはビフカツがない」って書いてたね >>424
それ日本語じゃないの?もしくは英語
字が下手過ぎて、普通の文字書いてるのに速記みたいに見える医者は結構いるよ >>429
「それ速記ですか?」って先生本人に尋ねたからw
メモ内容を見せるのはよくない場合が多いんだとさ〜 昭和の開業医の看板は「○○醫院」
潰れて読めないだろw 旧字だから仕方がない。
弁護士だって、表札に「辯護士」と掲げてあるの、古いお宅なら今でも見ますよ。 傷口は、毎日しっかり消毒した方が早く治ると思われていた
すり傷とかでも、手術の傷口も同様
だから昭和の外科では手術後の患者の傷を、毎日消毒してガーゼ交換してた 小中学校の連絡網は名簿の電話リレー
オレの次の子は家に電話が無いし居留守使うし玄関に入ったら臭いしで最悪だった カレーライスは皿にカレーとライスが載ったもの。
ライスカレーはカレーと皿に載ったライスが別々に出てくるもの。 そういえばラジオ体操でハンコもらうのって今もあるの? >>439
そういやカレーを入れてた魔法のランプみたいな形のステンレスの器ってみなくなったね。 >>443
あれに入れると高級っぽいのでレトルト入れてる >>443
昔実家に有ったなー
オカンああいうの好きやったんやろね
オカンのカレーの味も思い出せん もう一回食べたい ラジオ体操は夏休みが始まった日から8月31日まで毎日あった。 カレーを食べる時にまずスプーンをコップの水につけて濡らす奴なんなの? 1980年代あたりまでそうやってカレーを供する店があったんだよ
由来はグリコワンタッチカレーのCMと言われている もっと前から、大阪ではスプーンが水の入ったコップにさしてあるのが当たり前だった 乾いたままで最初米にスプーンを入れると飯粒がひっつくんだよね
割箸と一緒 >>456
うん
だから定食の時はまず味噌汁から食べる
割り箸に米粒がくっつくのが嫌だから 盛り付けは楕円の専用容器(ステンレスじゃなく瀬戸物)が家にあったが、今は普通に丸皿で喰ってる。 >>435
いまでも自宅カレーは、そうやって水にスプーンをつけて出してるわ 昭和の頃悪口いう人は言わなかった
ツービートの影響かな。 >>448
>>451-452
そうか、逆だったのか…。スマン オレはラーメンはもちろんうどんに丼、ライスカレーもラーメン丼で食ってるわ
なんか味気ないけど食器を色々用意するのもかさばるし面倒だからな 料理名になると どん
たまに玉子丼をたまごどんぷりと言う人がいるくらいかな 毛皮のコートやえりまきは、ゴージャスでオシャレな
女性のほぼ全世代あこがれのアイテムだった 今ではさすがに新横浜に新幹線の全列車が停車するのな
昭和の昔はひかり号は東京から名古屋までノンストップが売りだった
横浜の人が西日本に行く時、こだまで行ったの?
それとも名古屋でこだまからひかりに乗り換えたの?
あるいはいったん東京まで戻ってひかりに乗ったの?
同様に西日本の人が横浜に来る時、こんな面倒くさいことしたわけ?
なんで日本でいちばん人口の多い都市が冷遇されてたの? >>468
横浜駅から、あさかぜやはやぶさ
乗り換えなし >>468
羽田から飛行機でしょ
30〜40年代は知らないけど。 昭和50年代末の新横浜北口は区画整備されていただけ
南口は一面田んぼで本当に何にもなかったが、ひかりは割と停車していた
なお当時は東横の妙蓮寺ちゅーか根岸公園沿い住まいだったが
地下鉄ができるまで一駅の菊名の乗り換えで随分待ってJR線で次の駅だったかな?面倒臭かった記憶 >>471
新横浜プリンスホテルの最上階展望ラウンジが「トップオブヨコハマ」。ランドマークより古いのか? >>463
安心汁 俺もお前さんと同じように教わったぞ
>>468
その当時は横浜線(在来線)も本数が少ないし
私鉄ー横浜線の乗り換えも不便だったので
東京へ出てから、「ひかり」に乗っていた
新幹線関係だと神戸も似たような感じだったな 以前は速達性が売りだったのが沿線が開発されて、その乗降客利便優先のほうが儲かるので
停車駅増えていったってのは各地で見られるな。 >>467
昭和30〜50年代当時の母親世代は漏れなくシルバーフォックスの襟巻き持ってた感じ?
50年代後半になると流行が下火になったのか、親戚のおばさん達がこぞってお下がりにくれるもんだから
母親のお下がり含めて5匹、自分の部屋にぬいぐるみみたいに飾ってたわ
今考えるとなんだかちょっと怖いw >>467
義母が以前、毛皮ファッションのお店につとめていて冬場によく着てたわ
セレブとか成金チックでもなく、普通に似合ってたけど
結婚してからおさがりで比較的カジュアルなデザインのをもらってちょっと着たけど、さすがに暖かったな 「ひかり」は上位互換の「のぞみ」ができてから停車駅が増えたように思う
その「のぞみ」は、初期には名古屋スルー便もあったのに、今じゃあちこち停まるね …昭和47年前後に、遠足か送迎か、とにかく幼稚園児たちが窓から顔や手を出してて、対向車のトラックに
ずごごごごっ!とやられた事故があった記憶があるのですが、どこを探しても見つかりません。
詳細もしくは似たような事故をご存じの方、お教えください。 >>479
似たような事故といえば親子で友達同士のふた家族くらいでサンルーフ付きの車に乗ってて
子供が立ち上がってサンルーフから首を出してる状態でギリギリの高さの陸橋かなんかくぐって斬首になった事故なら知ってる
生活道路にある線路かなんかをくぐるための通路で車の屋根の高さと天井の隙間があんまりないところだから起きた事故 >>480
それニュースで見たな
たしか自分の子供と預かってた友人の子供だったね
運転していた母親は半狂乱だったとか
インターネットが普及する前の事件や事故は埋もれてしまったのも多いのだろう >>479
昭和45年に車の窓から腕をぶらーんと出してたら
対向車とすれ違ったときに風圧で腕がもげたという
事故があった アラフォーだけど、幼児の頃窓の外に手や頭を出すなと口酸っぱく言われたよ
だから、事故は多発していたのでは?
(上記のサンルーフ事故は知っている)
つい最近、ミニバンのサンルーフから何人か頭を出して乗っているのを見かけて驚いたよ 休日に高速を走ってたらサンルーフから頭を出してニコニコ楽しそうな子供はたまに見掛けるな
親を見たら叱る様子もなく前方見てるし
もし飛び石が当たったら結構ヤバい事になると思うんやけどね 昭和の保育園の先生は悪いことすると
物置に1時間閉じ込めることは普通だった。
今ならニュースで大騒ぎかな。 のぞみができたからひかりはいっぱい停車、はわかるけど
普通の電車のそれは何なんだろう
昔は阪急電車の特急は十三出たら四条大宮まで停まらなかったのに
いつの頃からかバコバコ停まりやがるように
名ばかり特急だ >>486
「おしいれのぼうけん」は今じゃありえない話なんだな…
確かにおしいれに閉じこめて熱中症にでもなって、万が一のことがあったらシャレにならない >>486
かれこれ40年以上の幼稚園児の頃、地元のふとん太鼓のミニチュアを作る事になって
今思えばうちのクラスの進捗状況が他のクラスより遅れてたのが担任の逆鱗に触れたようで
いきなり制作途中のミニチュアを怒鳴りながらバキバキに破壊し出して
異変に気づいた職員らに連れられて行ったのを鮮明に覚えてるわ >>485
シールドなしでバイク乗ってると60q/h超えたあたりから風圧で目が開かなくなってくるんだけど、子供が高速でそんなにニコニコできるかな >>490
目の開け閉めまで知らんけど見た時笑ってたから楽しかったんちゃう?
あんた普段も屁理屈ばっかり言うてそうやし勘繰りが激しすぎるわ 嫌われるで 目が開かなくなるかどうかは知らんけど涙がチョチョ切れるのは確か >>487
京阪特急もちょこちょこ止まるようになったね、南海沿線のオレはたまに乗るくらいだけど
昭和の頃は阪急より南海の方が営業路線長かった
相次ぐ廃線と別会社化で今は大きく逆転されたけど >>481
確かにニュースで報道されてて、多くの園児たちが病床にいる画像まで流れた記憶があるんです。
なのにどんなに探しても見つからないからモヤモヤしてます。 >>486
現在のアメリカでは、「何も無い一メートル四方の真っ白な部屋」にしばらく入れておいて、落ち着いたら出すのだとか。
お仕置きというよりも、むしろクールダウンさせるため。
ちなみに、自分が子供だった頃は、幼稚園と保育園で園児の獲得競争があったせいで、保育園でも幼稚園児レベルの
教育をやってた。
(後にそうじゃない地域の方が多いと知って驚いた)
そこでは、仏教系だったので、悪いことをするとお釈迦様の気持ちになって反省する刑というのがあって、おでこに黒丸の
紙を貼られて、お釈迦様の格好で立たされた。
多いときでは、四人のお釈迦様が自由時間の室内にいた。 >>490
サンルーフから顔出ししてもフロントガラスで風向きがかなり変わり、あんまり顔に(顔の高さや車種によるが)当たらないんやで。 >>490
たぶん記憶の改竄
一般道で見た記憶が高速に置き換わってる >>487
不動産がらみでしょ。
特急の止まる駅が最寄りにあると土地の評価額が上がるから。
地域住民の悲願とか沿線に看板をみかけるけど願っているのは不動産屋と地主。 >>482
これは1989(平成元)年に広島県の大野町ってところで実際に起きた事故だよ 昔の電車は冷房が付いておらず、夏場は窓全開だった。バスやクルマもそう。
子供への注意喚起はまさにそんな時代の産物だったかもしれない。 「押し入れのぼうけん」は今思えば、
先生が園児を閉じ込めることを正当化する
ために作られた童話だとつくづく思う。 金銀パールプレゼントは洗剤の箱の中に直接ネックレスが入っていた
現金のプレゼントは箱の中に直接現金が入っていた 映画監督が集結した「封印された日本 猟奇事件暴露ファイル」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1593582699/
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」
「八王子スーパー強盗殺人事件」
「三島由紀夫vs東大全共闘」
「神戸連続児童殺傷事件」
「座間9遺体事件」 >>502
天井に扇風機がついていた
数年前フラワー長井線に乗ったら2両編成の1両がそれだった
懐かしくて冷房車に行かずに扇風機車両に乗ってた 虫歯治療とかはセラミックが無かったので若い人も前歯が銀歯だらけな人がいた。 >>507
扇風機カバーの広告は「ワリコー」「ワリチョー」
なんのことだかわからなかったな >>511
自分も今治水は使ってたけどどっちかというと正露丸 >>502
それはそうなんだけどいつ頃から電車にエアコンがつき始めたんだろ?
俺は私鉄(近鉄)沿線だけど昭和40年代後半には特急以外の車両にもつきはじめてたと思う。 >>510
赤のワリトーと緑のリットーしか見たことないけど、なに線?
戸袋のステッカー広告で榊原郁恵のワリショーと伊藤かずえのワリノー >>514
アズキ色一色の普通車両の方がしっくり来る 学校は冷房が無かっが、遠足以外は水筒は持参ぜず、脱水症状になる子も少なかった。 >>514
近鉄南大阪線では昭和48年はエアコン有りと無しが混在してたの覚えてる
小学校の遠足でいつもバスに酔ってゲロゲロしてた女の子がいたわ
本人は辛くて行きたくなかったんだろうけど学校が許さなかったんだろうな >>519
最近はそう言う話を聞かなくなったね
東京圏だと車の無い家庭が多いから、そう言う家庭の子は
やはりバスに乗ると酔うのかな?
ちなみに小学校の時の修学旅行で
エレベーター酔いした子が居たなぁ
高速エレベーターでなく、役所にある事務用のエレベーターで
何人か酔ったなぁ >>505
コーンフレークのオマケも袋の中に入ってたな。
初期の食べきりサイズの小箱は、箱の背面から中の袋ごと切り込んで観音開きにして、それに牛乳注ぎ込んで食べる仕様になっていた。 >>518
鉄管ビール飲み放題!なはずなのに、馬鹿な部活指導者が水飲むなって言ってたな。
>>520
乗合バスなら平気だったけど、観光バスと乗用車は苦手だった。揺れるかどうかより、ニオイと閉塞感。昔の車はいまより臭かった。 >>513
先日今治水を初めて使ったらあっという間に歯痛が消えてビビったw >>520
乗り物酔いの薬も進歩してるからね。
大体、乗り物に乗るの一時間くらい前に飲んでおくの。
ドロップタイプなどの口の中で噛んだりとかしたりするのや液状のだと早く効く気がするし実際に早く効く。 >>514
東京モノレールが異常に遅かった
1982年の700形が初の冷房車だったが当初は滅多に遭遇しなかった
全車冷房化したのは平成に入ってからじゃなかろうか
今でも弱冷房車が多いので冷房好きには敬遠されがちである 今もどこかで営業してると思うけど冬春夏休みに田舎の奈良県吉野に帰ると国道脇で営業してた
ラーメン屋に行きたかったな
奈良交通の廃車になったと思うブルーの鹿バスから溢れる明かりを
迎えに来てくれた従兄の兄ちゃんのパブリカの車窓からラーメンバスに近づくと凝視してた >>525
何気に帝都地下鉄も遅かったよな。やはり平成初期までは非冷房が過半ではなかったか? >>527
駅構内やトンネル内?の冷房を先行させてたかと。
車内冷房の排熱がトンネル内に蔓延したら逆効果?みたいなハナシだったような? ウロ。
だとしたら、今はその車内冷房の排熱は、どこに行ってるんだ? >>528
概ねその通りですね
地下鉄は排熱問題で冷房化難しかったけど車両が抵抗制御じゃなくなって発熱減ったのと
冷房機そのものも高効率化されて排熱減ったので車両冷房が可能になった
ついでに時期を同じくしてトンネル冷房は廃止されました >>530
1988(昭和63)から冷房化開始なので平成初期は非冷房まだまだ残ってたかと。
特に営団車両、銀座線丸の内線は集電方式と車両限界の問題で冷房化は後回しに。
探せばまだまだ当時の非冷房車両あるはず。 「地下は温度が安定してるから冷房はいらない」と主張してたな >>529
すっきり! ありがと。
車両も冷房機も性能upか。
もひとつ地下鉄昔話、マリリンモンローのスカート捲った排気口のたぐいはいつ頃なくなったんだろう? >>533
あんなにブワッとしないだけで、排気口自体はまだたくさんあるよ >>533
気になってちょっと情報探したけどスカート捲った排気口が「無くなった」という記述は見つからないので
恐らく昔からあるものはまだ残っているものもあるかと
最近のものは「通気塔」という名称で以前の歩道に口があるようなものからもっと大がかりな建造物になってる
みたいでこれに置き換わってるかもしれないですね >>535
うわあ、目立たないだけであるんだね。
銀座線や丸ノ内線線の上の道路だったんだろうか、昔は歩道の端とかにかなりでかい穴に鉄格子の蓋してある場所があって、べつに底が見えるわけじゃないんだけど、当時の幼児としては怖かったよ。 >>531 大阪市営地下鉄も平成になってからしばらくあったな
阪急と乗り入れしてるところなんて、阪急車両が来るとアタリ、地下鉄車両、通称銀箱が来るとハズレという
わざと一本過ごすこともたまにあったわ >>529
>>冷房機そのものも高効率化されて排熱減った
冷媒経由の車内の熱の排熱よりエアコン駆動用のコンプレッサーやブロアーのモーターの発する熱の方が多かったとでも? ガキの頃は非電化ローカル線の沿線に住んでいて
全面タラコ色の気動車は当然非冷房だった
ごく稀にDD機関車に牽かれた客車列車が走っていたんだけど、これにだけは冷房がついていた
あれ電源はどこから取っていたんだろう
機関車に発電機が搭載されていたのかな? >>540
客車の床下にディーゼル発電機を搭載していた >>531
平成4年に東横線沿線に住んでたけど中目黒から先は車内冷房を止めてたな。 東横線だったかな?
東急の電車に乗ったら木の床
東京を代表する鉄道会社なのに
ウチの田舎の電車より遅れてる。って衝撃を受けたな >>541
サンクス
勉強になった
しかしせっかくの客車なのに床下で発電機回して騒音や振動は問題にならなかったのかな >>518
ウォータークーラー無かった?
小学校も中学校もあったけどな
あと銀行や市役所にもあったよね
最近見ないけどやっぱり不潔ということで無くなったのかな >>546
昭和50年代の大阪東部の地方都市居住やったけど小中学校にはなかったな
高校では有ったけど食堂に自販機が有るし持ち込みもしてたから使った記憶がないわ >>546
小学生の珍宝くらいの短い蛇口が360度まわる万能水栓で水道水を飲むもんだった。
エアコン、いやクーラーが校長室にしかなかったように、生徒向けの冷水機なんて贅沢なものはなかった(40年代) 玄関の所にバケツに水が汲んであって外で遊んで家に入る前に足を洗って雑巾で拭いてから上がっていた ミノムシのミノを剥いて裸にし
小さく千切った千代紙と一緒に箱の中に入れて
カラフルなミノムシに着せ替えする遊び >>553
あったあったww 色紙の他にカラフルな短い毛糸とかもww 今の季節ならユスラウメ
人の家の裏にある小さいビワ
堤で泳ぐ >>555
野生のビワやアケビは田舎に帰省する時のちょっとした楽しみやったなー エロ本は土手で拾ってきたけどな
しかし世の中のおかんはなんで息子のエロ本への嗅覚が犬並みになるのか 昔は小中学校に冷房なんてなかった
という話だけど
昭和の頃って平成後期や令和1年より夏が暑くなかった気がする(令和2年はまだ猛暑来てないからなんともなんとも) 中学校では、廊下に小型冷蔵庫程の木製の箱が在り、小使さんが炭火を入れた半1斗を下に置く弁当温めが在った。
昼食時に取りに行くと、漬物の匂いがして嫌だった。 >>560
ウチは教室だった
炭火じゃなくニクロム線の電熱器 >>560
昭和50年後半自分の中学では煙突は付いてたけど燃料は灯油を給油したりするとこを見た事が無いんでガスやったような記憶が有るなー
1.2m程の鉄製ケージで囲っててその上で弁当をぬくめてたなー
プラ製は端っこに置くけどやっぱりマヌケな生徒は中身ごと溶かしてしまってた 我が家では、「果物屋で売られていない果物を食べたらお腹を壊す」と言われてたので、野生の生りものを一切口に
しなかった。
つるイチゴの実を食べることを頑なに拒んで、騙されて口に入れられたときは吐き出した。
後にマッマにどうしてああいう躾をしたのか聞いてみたら、「よその家の生りものを盗み食いしたり、落ちている実を拾い
食いしたらトラブルに発展するから」という、ごもっともな返答を戴いた。
成長に伴って、よそから戴いた物や、明らかに野生の物は自己判断で口に出来るようになった。 冬場、教室に石油ストーブあった
給食時にその上でコッペパンを焼いて食べてた
今もあるのかなあ 家の地元の小中学校は石炭ストーブだったな
その日の日直が当番で火を起こしていた
ラピュタのパズーの家にあるようなストーブ
その上で給食の食パンを焼いていた >>565
俺が小学生だった昭和40年代も息子が通っていた平成後期もガスストーブだった。これ以上近づいてはいけませんの色テープを床にはるのも同じ。 季節柄ちょっと夏の話。蚊取り線香をたまに焚く。懐かしい夏の匂い。
ベランダだと干し物に匂いがつくがご愛敬よ。
>>552 大阪金属工業(いまのダイキン)製を導入したが乗客には大好評。
しかし日中戦争のあおり等で「贅沢だ」との当局の指導で2シーズン限りで撤去されたw テレビ画面に
「部屋を明るくして、離れてごらんください」
なんて表示は出なかった 「暗いところでテレビを見ると目を悪くする」と子供を叱るのが昭和の常識
あと、「テレビからは『放射能』が出てるから2メートル離れて見ろ」も昭和の常識 >>559
昭和の小学生だが
夏休みと言うか7月後半で
長そでを着ている写真があるからなぁ 岡村、痩せてね? 首に影が出来てるし。。
一連の「誹謗中傷」で滅入ったかな? 昭和60年代小学生だけどクーラーなんてなかった
家にもまだなかったかな?
うちわタイムだぞーって先生が言った時だけ全力で下敷きで扇いでよかったw
当時は30度になったらすごい暑いな今日!って感じだった
今や昼35度夜30度とかだからね・・・ >>570
「カラー放送」っていう表示は出てたけどね(´・ω・`) 昭和40年代、小学校に待ちに待ったプールができた
初プール開きの時の教頭先生が25メートル素潜りで全校児童から拍手
そのあと夏休みプールに行くときにクラスと名前を書いた木札で入る
出ていくときに木札持って帰る、今でも塩素のにおいを覚えている
プールできるまではPTA監視のもと川で泳いでいた 親父の田舎がそうだったが海なし県では川水浴ってのが一般的だったらしい そうだ昭和の夏は今よりずっと涼しかった。
午前の涼しい時間帯に宿題しましょう、とか
夕涼みなんていう言葉があった。
25℃で夏日だぜ
平成じゃそんなの涼しい日
あと台風といえば台湾だった
台湾は亜熱帯で沢山台風来るねだったが
今や日本が亜熱帯 >>580
田舎の家の真ん前に大きい川が有ったしちょっと行くと小川が有ったんで夏休みには普通に川遊びをしてた
親戚のおっちゃんが5〜6m位の筏を持ってたから一緒に乗って鮎やイワナなんかの川魚を投網漁で獲ったりもしてたな
上流に有るダムの小放流で死にかけたりとか溺れ死んだ人の死体を見たりとなかなか刺激的な夏休みを過ごしてた >>583
女性にも
ムダ毛のケアなんて言葉は無かった 今は光化学スモッグっていう言葉は聞かれんようになったな
校庭に赤い旗が立ったら昼休みに外で遊んだらダメですよ TV放送が中断するのは度々あったな。
しばらくお待ち下さいと画面に出ていた。
停電も年に数度あり、ロウソクが必需品だった。 >>580
マッマの祖母は海のある県だったのに、海から遠いのでやっぱり川で泳いでた。
広島では、太田川や二河川で泳ぐ子はいないけど、瀬野川では泳いでる子がいた。 >>587
静止画広告とかもすっかり無くなったなー
あと零細企業や商店のCMもバンバン流れてたり
U局なんかでは当時で言うトルコやヌード嬢が舞い踊るCMが有ったけどね >>587
令和になっても月イチで停電する地域もあるんですよ。 >>589
名古屋名物、5秒CM
いらんものは、コメ兵に売ろう >>589
キー局でも夜中に、ロンドーンロンドン♪やら、ホテルクイーンエリザベス石庭とかビミョーなCMやってたな。 昔はCMは商品そのもの以外にも話題性があって化粧品やJALのキャンペーンモデルや
挿入歌がヒットしたり、糸井重里らの考案するキャッチコピーとか色々と楽しめたな。 96歳の現役作曲家・渡辺宙明のインタビュー番組
https://i.imgur.com/GIIqJgj.jpg
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1593826204/
[映画.com ニュース] 「マジンガーZ」「鋼鉄ジーグ」といったアニメ作品や、
「スーパー戦隊シリーズ」「宇宙刑事シリーズ」などの作曲家・渡辺宙明氏 夏の話
昭和後期に小学生だった
教室にはクーラーも扇風機もなくて下敷きだけが頼り
でも今みたいに暑すぎて気分が悪くなる子はあまりいなかったな
夏休みには毎朝6時半から、子供会主催で近所の神社でラジオ体操があった
皆でちょっと寒いねと言い合う日もあった
帰ったら朝ごはん食べてまだ涼しいうちに宿題
昼間は30度ちょいぐらいだったな
35度や、ましてや40度なんていう気温は、日本では見ることないと思ってた 電卓はめっちゃ高価だった
経理の担当はそろばんが必需品
クラスの半分以上がそろばん塾に通ってた とかくこの世は計算さ
数と数との絡み合い
答え一発!カシオミニ >>598
昔は電卓を電子ソロバンと言ってたんだぜ 学校で♪自宅で♪職場で商店で♪
ぱ〜ちぱ〜ち♪ぱっちぱち♪ ワイそろばん塾通ってた。級をパスするとそろばんの枠に貼るシールくれるんだが
1級の人とかずらーッとその枠に貼り並べていたw 8級からもらえた。 >>602
思い出した。4級までは紙製のシール。3級からは金属製のシールだった。 >>603
3級から伝票算があったからな
商業高校に行くなら3級以上を持っておくといいって言われてた そろばんを持っていない俺は
ポケコンで足し算のプログラムを作って、経理のベテランおばちゃんと競争をした 会社の経理だった親父は、年末や期末になると家に会社の帳簿を持ち帰ってそろばんパチパチやってたな。
足し算引き算はそろばんの方が速く計算できるって。 昨今の暴風や豪雨なんて台風シーズンくらいしかなかった
干したタオル飛ばされちまったよ 本当だよな
沖縄みたいな豪雨が九州に降るようになって九州みたいな豪雨が関東に降る今日この頃 豪雨で覚えているのが
長崎豪雨と翌年同日の島根豪雨
来年はこっちに来るのか? と覚えた俺は北陸民 >>603
あれ、シールだった?
小さな鋲で打ち付けてなかった? 昭和にコロナ蔓延してたら、パソコンが無いからリモートワーク在宅勤務が出来なかった。完全に経済活動がおわったか、出勤を全員が続けて感染拡大し事務所内に死体累々、だったのかもな… ポケコンというか、プログラマブル電卓じゃねぇの?それ >>614-615
そろばんの検定試験を行う団体は二つあったはずだから、団体によって違う可能性がある。 >>617
所謂ポケコンはプログラマブル電卓の中の一つのジャンルでBASICでプログラミングできるものをそう読んでいたと思う。 >>613
前川清がもう「長崎は今日も雨だった」は歌えないと言ってたのに
ほとぼりが冷めたらぼんぼん歌ってたのには草 >>617
プログラム電卓ではない、ポケコンだよ
(違いは。。。と言うとスレチになるので省略)
ポケコンだと答えをメモリに保存しておくことができたので
すごく楽だった。 試験監督の教授が俺のポケコン(シャープのPC 1640)を「ほう、いいの使ってるね」と手に取って、次の瞬間リセットボタンを押し込んでいた
短く切ったピアノ線にビニテでグリップ付けたツールまで用意してやがった >>620
阪神大震災で「そして神戸」も歌えないって云ってたな そろばんの方は向いてないのかさっぱり上達できなかったが(旋律楽器や球技、シューティングゲームも苦手なので、
めまぐるしく変化する状況に瞬時に応対すること自体が苦手なのだろう)電卓は凄く早く打つことが出来て人をびっくり
させた。
後に調べたら電卓検定ってあるのね。
いや、検定に出られるほどは早くないけど。 そういえば電卓って昭和のころからカシオ派とシャープ派で分かれていたんだろうか?
機能の少ないうちはそうでもなかったのかな? 最初はシャープしかなかったよ
ビジネス用のノートサイズの馬鹿デカイやつ ちょうど自分が働き始めた頃にパソコンが普及して計算は全部エクセルがやってくれたのでラッキーだった
自分が入社する前はワープロ専用機で表とかを作成していてとにかく大変だったらしい え、電卓ってカシオが先じゃないの?
コタエイッパツカシオミニ
このカシオミニをかけていい いまでも商業高校や簿記専門学校ではカシオ派閥とシャープ派閥があるね
シャープのほうが機能は使いやすい
でもボタンはカシオのが押しやすい
そして途中参加のキヤノンの電卓がなかなか性能がよくて安い
パイロット万年筆とセーラー万年筆が争ってたところに、ぺんてるが安くて書きやすい万年筆を引っさげて登場したみたいな >>628
会社に出前を持っていったら、向こうの計算で用意した代金がどう見ても多いので、注文票と照らし合わせてこっちが
職員から借りた電卓で計算し直してみたら、やっぱりこっちが合ってた。
どういうことかと思ったら、向こうはエクセルで計算してるんだけど、一品ダブって入力してたよ。
コンピューターだから、エクセルだから間違わないと思ってると、こういうミスが発生します。 >>613
長崎と島根西部は集中豪雨になりやすいんだよな 工業高校出身だったから、
電卓代わりにポケコンを購入させられたけど。
これは電卓機能+プログラム機能がついたものだったから
授業中に暇つぶしにプログラムとかできた。
ゲームなんかも作ってたな。なつかしい。 >>629
LEDだっけか
そのあとにシャープが液晶のエルシーメイトを出したんだよね
電池のもちが格段に違った >>633
自分はポケコンなるものを見た事も無かったのでググってみたら
これは授業をサボって遊ぶには中々面白そうな逸品ですな
こんなアイテムが持ち込みOKとかみんなまともに授業受けなくなりそう
https://youtu.be/-O4-AxxlH1E >>634
発光していればLEDだと思われ勝ちだが、蛍光表示管(VFD)と呼ばれるもので、真空管の一種。ニキシー管の方に近い。
kaden.watch.impress.co.jp/img/kdw/docs/574/132/html/5.JPG.html >>636
わかってたが言葉が見つからなくて
ぐぐったらLEDって書いてたのでめんどくさくてそのまま書いたわw
ニキシー管って書いとけばよかったか
うどん販売機とかで見られるやつね >>635
この機種は全ポケコンの中でも最高スペックのものだからなあ。
自分らの場合は、入学時に強制的に買わされたややスペックの低いものだったから。
基本的に同じクラスの人は同じ機種を持ってて、別の機種は選べなかったから。
ここまでいくと、プロレベルだと思うよ。 電子計算機の「静音性」って書いてあっても、リレー知らないと理解できないだろうな >>622
ポケコンの中を開けて、リセットボタンを壊して無効にさせた。
敵もスキルを上げて
電池を抜くと言う技を覚え
一進一退の攻防
あぁ青春の昭和時代 電卓と言えば小学生の頃大ブームになったフタや収納いっぱいのハイテク筆箱を
親戚のおじさんにプレゼントで貰った事が有って、多分珍しいと思われるちっちゃい電卓が搭載されてて大喜びした記憶が有る
喜び勇んで学校に持って行きクラスメートの羨望やらでちょっとしたヒーロー気分になったのも束の間
産後ヒステリーの担任にバレ問答無用で電卓部分をハサミで切り取られ思わずベソをかいた嫌な思い出が有る
今思い出しても胸糞が悪くなる >>648
今はそんなことないだろうけど、女の先生って滅茶苦茶印象が悪かったな、
ヒステリーにキーキー騒いでるわ、えこひいきはするわ、
小学生にとってはトラウマレベルのことも平気でやってた、
PTAの会議で担任を外してほしいと要望が出るくらいひどい奴もいた。 あー、俺は女担任のターゲットにされてみんなの前で毎日ののしられたせいでクラスでいじめに遭ったわ
当時は教師がやりたい放題だったからなあ 大王製紙の元会長が子供のころ「お前の親の会社は公害を出している」と先生にパワハラされて
翌日いかに環境に配慮しているか化学式で説明した資料持って学校行って先生に説明してやったという話は結構好きだ その産後ヒステリー担任も酷かった
問題が解けない生徒を自分の机に呼び出し恫喝し怯えて返答出来ない生徒の顔を小便漏らす迄ビンタしたり
自分もターゲットになった事が有って、毎日やる国語と算数の10問小テストで満点を取ると大木の絵にリンゴかなんかの実に名前が書いてある表にシールを貼って
互いを競わせるようなシステムで、自分は算数は苦手でシールが少ないけど国語は漢字テストで大得意と言うことも有りほぼ毎回満点を取ってて
クラスメートの秀才にも負けてなくて自分なりに自信になってたのに、その担任に言われたのが「国語テストの成績だけが良くて算数の方はシールが少ないので偏った努力の結果でなにも偉くない。こんな事で得意になる君はダメな人間だ」
みたいなことを授業中自分の机で起立させられて晒し者にされた事が有る。
昭和54、55年の頃とはいえ今でも鮮明に記憶してるんで最悪な思い出、U間T子は猛毒の様な担任やったなー。 クラスで何かいいことがあったらシールを貼っていく表を作っておいて、そのシールが全て貼られたらお祝いだ!と言ってお菓子や果物を自腹で奢ってくれた小学校担任がいたわ
今そんな事したらアレルギーだの食中毒だの面倒くさいだろうな 漢字が得意だった俺にわざと聞こえるように、漢字が苦手だった奴に
「漢字なんてやればバカでもできるようになるんだから頑張んなさい!」
と言い放ったババア教師
45年経っても忘れない >>598
8桁の関数無しで12.8kで、関数付きはうんと高価で√の答えが出るのに1〜2秒要した。 ドリフは見ていない、暴れん坊将軍を見ている。
と言っただけで、笑いものにした女担任は忘れられない。
何見ようと良いじゃないかよ!! >>658
確かに漢字なんざ書いて覚えるだけだし。 >>661
何度も書いてるだけでも手が覚えたりするよね
間違った字を書くとなんとなく違和感あったりする
ただそれでも658が遭遇した担任の発言はクソだと思う
いまそんな教師がいたら親が乗り込んでくるよw >>663
何もできないおまえにとっちゃ
気に障るよな >>665
663はオナクラでそれ言われて
涙流して喜んでるんだよ 担任糞婆への恨みって、何年たとうが忘れられるもんじゃないだろ。
たびたび婆から理不尽な怒られかたをして、反論すると余計怒られる状況で悔し涙が出てくると「泣いてごまかそうとする」ってさらに追い詰められた。
ところが婆、ある日お気に入りの子が忘れ物して超ワザと臭くわんわん泣きじゃくったら「泣くほど反省している」だとさ。
本当に嫌な婆だった。
当時、その婆教師と、「長い物には巻かれろ」「先生が白と言ったら黒い物も白、黒と言ったら白い物も黒」とかぬかしてた親のせいで、夜な夜な、逃げても逃げても壁や天井が迫ってきて押し潰される悪夢を見た。 俺は男の教師の方が印象悪いな
暴力教師ひいき教師、みんな男だった
女の先生は良くも悪くもほとんど覚えてない >>648
器物損壊だな。
本当なら出るところに出ればそれなりの処分になるはずだが、当時は受け付けてもらえない可能性が。
>>654
親の力で教委に圧力かけてそのクソ教員クビにする方が天下国家のためと思う。 >>670
私も男の先生の方が変な人が多かった印象
暴力的、事なかれ主義、女児へのボディタッチの多さ…みたいな
女の先生は良くも悪くもお母さんみたいな人ばかりだったな 昔の教師は当たり前のように生徒の親から袖の下を受け取ってた 家庭訪問で饗応とか中元歳暮も普通だったしな
自分が当たった先生にはなかったが、消防の頃隣のクラスの先生が
不定期に教材費とかを徴収していた 昭和50年代、テレビでアフリカの子供たちに食糧支援を、
という報道が盛んに流れるようになった頃、
担任が突然「あんな黒ンボ(原文ママ)を助けるなんて無駄」
という発言をし出してポカーンとなったことがある、
これこそ今じゃ考えられないわ。 >>676
まぁでもある意味正解かもな。
今の日本に他国を助ける余裕なんざ無い。他国より先に自国民を助けろやって思うわな。
特にアメリカの思いやり予算とか売春チョンコロ。 >>677
政治家になりたくて仕方ない危ない人みたいな書き込みですね
あなたはこのスレでは物足りないはずなんで
その手のスレに行かれてはどうでしょう、雰囲気が悪くなりますから 男教師はモラハラ教師や暴力教師珍しくなかったし
女教師はヒステリー教師珍しくなかった
今の時代は、そういう問題教師は減ってるよね
ただ、今の時代は、問題教師が減ったぶん、問題ある親が増えた気がする >>677
言葉が足りなかったね、
いつもは朝礼のチャイムが鳴ってから来る先生が
その日はチャイムが鳴る前に突然やってきたんだ、
先生の恐怖政治的な言動に怯えてた俺たちはみんな急いで席についた
そしてやって来るなりあの発言、しかも「黒ンボ」を連発、
どうやら黒人は汚い物という印象を持ってたみたい、
政治思想よりも、あからさまな差別発言にポカーンとなったわけ。 >>681
別に勝った負けたをやるつもりはないんだけど、
なんか、ごめん。 昭和60年前後の押し売りはガキ連れた主婦の「ガーナの恵まれない子供たちのために愛の手を」の押し売りだな
夜9時回っても来るから鬱陶しいんで値段聞いたら、一箱250円で売ってたロッテのOEMが1500円
「ナメとんのか!」ってドア閉めようとしたら「3箱3000円でいいです」って、さすがに「お前なあ」って、多分歳上に説教した記憶
ちなみに江古田の音大の裏のほうです 昭和50年代、教室で金魚やハムスターや小鳥を飼う感覚で、犬や猫を飼ってるクラスがたまにあったな
教室内で放し飼いにしてるもんだから、たまに逃げ出した犬猫が余所のクラスに乱入して
授業を中断して生き物係が元のクラスに届けに行ったりして、何とも大らかな時代だったなーと
自分が通ってた小学校に限らず、従姉妹が通ってた小学校でも猫やウサギを飼ってるクラスがあったそうだけど
教室で犬猫を放し飼いにしていたクラスって当時は結構多かったんだろうか >>685
猫飼ってたクラスは、平日は教室から出ないように戸締まりして置いて帰って
週末や夏休みとかの長期休みは希望者持ち回りで家に連れ帰って面倒見てたらしい
連れ帰る子の顔ぶれは大体決まっていたみたいだけど
犬を飼っていたクラスは学年が違ったので、そういえば詳しく知らないな 学校に野良犬が迷い込んでくることがよくあった
その時はみんな盛り上がった >>676
同じような貧乏国(地域)だが
アジアの方は餓鬼から抜け出したのに、アフリカが未だに餓鬼の中にいるのは何故?
って考えが、声に出しては言わないけど
そう言う考えを持つ人が増えてきた時代だった 下手に助けてしまったら、その子供をこの先一生食わせなきゃいけなくなる
その責任は誰が取るんだ?って視点がね 年齢的にギリギリで徴兵になる前に終戦を迎えた父
中学のチョイ悪気取りの社会科教師から、「卑怯な手を使って兵役免れた」とか決めつけられて
気分悪かったわ。
〇〇けんじとかって名前で、「略して〇〇ケン」とかてめえでニックネーム作って
生徒に呼ばせてたバスケ部の糞顧問
もってた要点集の参考書を「こんなもん頼るな」とか言って取り上げて床に叩きつけられたこともある。 >>688
山崎ハコて既婚者だったのか
昭和55年頃から内向的な人間を「根暗」「陰気」と
排除し嘲笑する風潮がまかり通り
マスコミも便乗した
山崎ハコはもとよりさだまさしまで
この風潮のあおりを食らった
暗い、暗いと云われて明るくなれる人間が
いるならお目にかかりたい
自称「根明さん」の陰湿さを思い知った テレビの再放送でムー一族というのをチラッと見てるんたけど
番組中に視聴者からのお便りコーナーがたまにあって
モロに実名と、送付されてきた本人写真を公開しててひえーと思った
あとエジプトにホントにロケに行ったと知って
お金あったんだなぁとびっくりした >>694
細菌も殺すけど常在菌も殺して痕が残ってしまうとかじゃなかったっけ
乾燥が大敵で常に湿気があった方が皮膚の再生は進むからガーゼや包帯より
サランラップでグルグル巻いて傷口をグチョグチョにした方が治りは遅くなるけど
傷口は綺麗になるとか何とか 学校と犬といえば、まだ戦前の平和な頃の日本を舞台にした「あべこべ物語」(サトウハチロー)で、主人公兄妹の
兄の方である少年は、学校(旧制中学)に犬を連れて登校してる。
昔は許されたんだろうか。 暴対法がなく、テキトーに折り合いつけて暮らしてた
トラブルの時は知人通じて口利きお願いするとか >>696
それを素人考えでもって、広範囲の傷にやってしまって取り返しがつかなくなる事態が続出してるらしい。
ラップ療法はバンドエイドで対処できる傷に留めておこう。
よい子のお約束!! >>694
消毒液の刺激が、むしろ傷の治癒を遅らせてるってことがわかって
特に膿んでるわけではない傷口は消毒しないでいいってなったんだよ
だから、膿がでてるような傷なら消毒は必要
また、傷口は乾燥させてかさぶたを作った方が良いと言うのが間違いで
かさぶたを作らせずに、傷口を湿らせておく方が早くきれいに治る、
というのがわかってきて、手術の傷には透明なシールを貼って
治るまでそのまま触らないでおくのが今のやり方
もちろん、膿んで来るようなら剥がして消毒する >>696・>>700
ラップ療法ね、湿潤療法とも言う
すり傷切り傷なんかには、まず流水で洗ってからラップを貼る
中に空気を入れないようぴったり貼ること。
で、毎日流水で傷口を洗い、新しいラップを貼る、の繰り返し
ところがこれを、素人療法でずっと貼りっぱなしにしてたり、
(湿潤して細菌が繁殖しやすい環境なので毎日洗わないとダメ)
洗わず貼り替えたりして、悪化させてしまう例があるので
やるなら医師の指示で。
手術の傷口は治るまで基本的に貼りっぱなしだけど
傷口やその周囲を完璧に消毒した上で貼ってるし
貼るシールは台所用品のラップと違い医療用品として滅菌されてる
さらに医療従事者が毎日傷口を観察して、膿や腫脹がないか、発熱はないか、
血液検査で炎症反応が起きてないか、などを毎日アセスメントして
必要とあらば剥がして消毒してる 55歳の早大院生・いとうまい子、東大で予防医学を共同研究中
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1594189998/
女優のいとうまい子(55才)が、東大と共同研究を始めていることが明らかになった。 >>698
田舎に遊びに行くと
婆さんはいつも着物に割烹着姿だったわ
着物姿で晩酌してた爺さんも
今思えば粋な感じだった
ああいうカクシャクとしたジジイはもう見かけないのか
それとも今でも、着物着ればそれなりに見えるのか・・w >>688
山崎ハコが結婚していたことを知って驚いた。ご本人には失礼だが、主婦になって家庭を営むことが似合わないイメージだったから。
谷山浩子がラジオのDJやってた時、山崎ハコと中島みゆきは明日自殺しても誰も驚かないなんてジョークを飛ばしてたけど。 中島みゆきのオールナイトを聞いてる連中はそうは思わなかったろう 僕ぅ、死んじゃなかったなあ
僕ぅ、甘えてたのかなあ
なんてグループサウンズの曲なかったか? >>704
今のジジイは、アイビーやロカビリーの世代ですけえ。 生放送で
ノリタケ「さっきまで(中原)理恵居たよ、此処に、理恵!」
研 「キャー!塩捲いてえー!」 >>704
着物こそ着てないけど、今の爺でも矍鑠とした人いるよ
いつまでも隠居しないで現役でさ
昭和16年生まれなのに見た目年齢は65歳くらいでトラック乗って配送業やってる爺とかいるよ >>713
いつまでもお元気なのはいい事なんだが車の運転とか咄嗟の判断が必要な事柄は遠慮してもらいたいな
いくら外見や気持ちが若くても中身は年相応に衰えていくものだから >>705
結婚してるイメージが全く無かったと言えば、浅野温子さん。
W浅野でトレンディードラマ出まくってた頃、既に現在NHKアナの息子がいたなんてとても信じられん。 風邪を引いたら生肉を冷えピタとしておでこに当てる。
喉を痛めたら焼いたネギを手拭いに包んで首に巻くか、大根を蜂蜜につけてその汁をじっくり飲ませる。
気持ち悪くなったら梅干しをヘソに貼り付ける。
歯が痛い時は正露丸を歯に詰める。 丸ごとじゃないだろうが正露丸を詰められるほどの穴が開くまで放置すんなって 正露丸虫歯に詰めたら臭すぎる。
てか今治水って薬があったよな。丸めた脱脂綿に染み込ませて虫歯の穴に詰める。口の中にじわじわ広がって痺れるし吐き気催した。
さっさと歯医者行っときゃよかったと思わせるための薬だったのかも。 昔の映画見ると若い女性が頬っぺたにピップエレキバンみたいなの貼ってるんだけど
あれは歯痛なんだろうか >>721
おばちゃんがこめかみに湿布じゃなくて? 昔の、歯痛を表現する記号的な絵で、三角巾かなんかで顔の周囲を巻いてほっぺたを冷やしてるのがあるじゃん。
ほっぺに膏薬……トクホン?サロンパス?ツボ膏みたいなもん?てアリかも。 うっわ、>>724のおかげで初めて正しい読み方知ったわ
ありがとう724 >>723
セデスか、ノーシンの広告みたいなやつだね 「喜びも悲しみも幾年月」って映画があるんだが
冒頭の女子中学生2人が自転車で走り去るシーンが悲しすぎる
ああ、この女の子たちも今はおばあちゃんなんだなって >>729
イボコロリなら昔使ってたけど、タコの吸い出しって、名前は聞いたことあるけど現物見たことないや。
第2類とか書いてあるし、バリバリの現役か。 >>715
浅野温子が「(そばにいても)安心してウンコができる人」って結婚相手のことを評したのが
話題になってなかったか? >>736
1分15秒あたり
「ねークリスマスのねーちょっと早いけど」とか意外と今と変わらないこと言っててびっくりだ >>740
1915年に同時録音の技術なんて普及してねえよ
少しは考えてからものを言え >>736
やはり自動車が走ってないというのが、新鮮というかなんというか >>736
この国が欧米列強に侵略される恐怖は半端なかったろうなぁ
よくロシアに一太刀浴びせたよ・・空前絶後 日露戦争にまぐれ勝ちしてなければ今頃イポニスタン共和国かなんかになってたんだろうか ナイナイ
まだシベリア鉄道もないしそんな渡洋作戦行う余裕がロシアにゃなかったよ >>732
映画は見たことないんだけど主題歌は歌えるという不思議 そういや、青い山脈だって観たことないな
歌えるけど 普通に働いてさえいればどんな零細企業でも給料が上がってマイホームも車も欲しい物も色々買えて子どもを大学まで出させてやれた
昭和って今の時代からすると夢みたいな時代だったんだな
今の時代はこれすらも出来ない人が増えてるし >>750
「青い山脈」と「ジングルベル」の出だしが一緒で時々ネタにされてた 未だに覚えてるのがサザンオールスターズの面々がクリスマスパーティの
扮装で「チャンチャンチャン♪チャンチャンチャン♪」と歌い始めて完全に
ジングルベルかと思いきや「チャカチャカチャッチャッチャ〜ン♪」と
青い山脈だったこと >>752
花街の母のイントロがメリーさんのひつじ ピアノやギターのつかみのネタとして、メリーさんの羊から水戸黄門に繋げる、と言うのはもはやベタネタ。 え、それは、ズンダダダズンダダダズンダダダズンダダダからのメリーさんじゃないけ? 雪山賛歌という体育会系な歌が、
愛しのクレメンタインというラブソングだった事を知った時の驚き
「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた」という歌が
もとは南北戦争の行進曲であり宗教的な歌でもあるとか、
「たんたんなぬきの〜」も元は讃美歌だったとか
日本人はなんでこんな立派な歌をふざけた歌詞にしてしまうのかと
それと「酒が飲める飲めるぞー酒が飲めるぞー」の歌詞で有名な
日本全国酒飲み音頭が、「シンデレラ」の「ビビディバビディブー」
だと知った時は、ディズニーも昔はおおらかだったんだなあ、と思ってたが
後で調べたらばっちりクレームくらってた >>733
キテレツ大百科でキテレツのクラスメイトに
コンチって名前のやつがいた ごんべさんの赤ちゃん今ではほとんどの人がヨドバシの歌としか認識してないな >>758
>日本人はなんでこんな立派な歌をふざけた歌詞にしてしまうのかと
蛍の光のように75調でないと、日本人は本気を出さないのか? >>760
いやサンダース大学付属高校のテーマやで >>758
それ言うたら、故郷の空なんて原曲は卑猥な歌で、それが唱歌になってることに驚くスコットランド人も多いとか。
日本の歌詞
夕空晴れて秋風吹く♪
原曲の歌詞
誰かさんと誰かさんが麦畑♪
その後、物陰でナニかしてて…とw 花咲き花咲く夜も〜♪
銀座の柳の下で〜♪
チャンチャラチャチャチャ
今では指輪も〜まーわるほど
チャンチャラチャチャチャ
で延々続く、演歌チャンチャラチャンを思い出した。 >739
全然関係ないけど
鈴木保奈美が出産した時、石橋貴明が「出産ってどんな感じ?」って聞いたら
「すっっっっごくでっかいウンコしたみたいな感じ」
と直球回答返した話が好き >>763
「おお まきばはみどり」も元ネタは処女を押し倒してやろうぜ、ホイ!と言う
レイプソングだと聞いたな
作者は学生時代に友人と二人で旅行中、知り合った10代の村娘を追いかけて
草原で押し倒した実体験が元になってるとか 「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さあ踊りましょ」って後から凄いシュールな歌詞なんだなと知った 街灯が手動スイッチの所もあったな
暗くなったら誰かが点灯させるの >>768
ガキの頃は「子ヤギの上で」と空耳してヤギの背中でダンスをするシュールな光景を想像していた
長じて「小槍の上で」と知った時もやはり槍の切っ先の上でダンスをするシュールな光景を想像した 役に立たないウンチク自慢のジジイって
50年前から変わらないなw 電車の踏切は係員が手動で遮断機を昇降させてた。
あと小径なんかは警報器も何もないただ線路を渡るのみの踏切だった。 そのために踏切番がいて、半小屋に住んでいた
たいてい線路の敷地内に畑を作ってたけれど、あれは国鉄に黙認されてたんだろうな
踏切番には引揚者が雇われることが多かったそうだ >>774
> たいてい線路の敷地内に畑を作ってたけれど、
なにしろ、肥やしは自動補給されていたからなあ… でも沿線住民にとっては「黄害」は酷かったと聞く。。w
線路のほうが家より上(土手とか)走ってるところだと降ってくるんだぜ、アレが。。 筒井康隆といえば平凡なサラリーマンが
突然マスコミの猛報道にあうという短編があった
読んだ当時は荒唐無稽のひとことですませてたが
後のロス疑惑報道を見事に予見してたんだな
今思うとすげー >>778
空からダイヤが降ってくる。って話だな。
題名は忘れたが >>781
違うと思う
「近代都市」ってタイトルの短編だよ 懐かしい
昔は筒井作品よう読んだ
笑うなとか走る取的とか傷ついたのは誰の心とか
表紙は大体山藤さんのイラスト 脳だけになって培養液の中で意識戻る話好き
理論的には何百年も、って奴 >>779
え?ロス疑惑は犯人じゃね?別に一般人でもないし 図書室や図書館の貸し出しカードには
今まで借りた人の名前や、貸し出した日付けが書いてあった >>789
平成に入ってもしばらく残ってたで
「氷菓」でもエピソードあったし >>782
俺が思っているのは
筒井でなく星新一の方だったかな?
1か月に数回、空からダイヤモンドが降ってくる
最初は皆喜んだが、すぐにダイヤの価値が無くなり、世界経済にも影響が出る
数か月してダイヤの雨を降らせた宇宙人が謝りに来て
来月からはダイヤの雨は無くなりますと言う。
なぜダイヤの雨を降らせたの?
あれは。。。宇宙空間を走る列車の廃棄物を惑星の引力を利用して捨てていたのです
廃棄物が大気圏突入時の高温変化でダイヤになったのです。
廃棄物と言うのは我々の。。。
と言う話。 星新一は漫画で言うと赤松健のイメージがあった
最初はトンデモ発想で引き付けるけどふとの膨らみから結びが下手 昔は偶に「ガチ」が漏れてて面白かった。
腕相撲で力也がスタジオ圧勝 ってベタ空気だったのに
最期 出オチで デビューしたてのヒョロヒョロだったコロッケが対戦。
ところが無茶苦茶強くて力也も本気で「このオカマ野郎・・・」
でもコロッケ折れず、勝ってしまってスタジオ空気も異様だった。
司会の武も「すげえな・・・」と無口になるし、で。 >>792
それ知らないけど何となく星新一っぽいね
何の毒もないところが… >そう言えば、映画が終わると皆で拍手する場面って見かけなくなったね。
この書き込みで急に思い出したが
昭和50年代まで歌手が歌い出したところで拍手が起こる変な習慣あったよな
スカパーで昔の賞レース番組見てて、あー昔はこういうのあったなーと思い出した
10年ぐらい前中国の歌番組で同じことやってて、昔の日本と同じだなとおもった >>732
昭和40年代の映像で尻肉はみ出てる極小ホットパンツや
いっときの渋谷の女子高生並みの(いっときと書いたのは最近やや丈長め傾向になった気がする)
超ミニ履いてる子が結構いて、この子たちが今お婆さんだと思うと驚く 役に立たない他人叩きのクソガキって
産まれたときからからこの世にいらねーなww >>794
それ見たわ
正確に言うとそのころコロッケ結構マッチョ。
実際腕相撲する前力こぶ作って見せたりしてる
で、力也との腕相撲は引き分け。長い攻防になってやや力也劣勢のところで
空気読んだレフェリー役が慌てて引き分けにした。 >>799
力也は大阪の番組に出演していた。
後年力也は天狗になっていたタージン(大阪以外では無名)にぶちきれた話を2ちゃんでみた タージンは性格がかなり最悪
10年近く前に東大阪市瓢箪山の商店街にロケに来てるのを見掛けた時カメラが回ってる間は
太鼓持ちみたいに店主にお上手してたのに、撮影が終わった途端仏頂面になってスタッフ等に乱暴な口調で指図してたのを目の当たりにした瞬間
あぁやっぱりコイツ嫌いやわぁとしみじみ思った
その後何軒かロケしてたけど後日サインを飾ってる店は一件も無かったわ >>798
自爆が趣味かいな?それあんたの事やがな 最悪に少しもかなりもないだろうに…
一番最悪とか吹きそうな言い回しも頻繁に見かけるが そういう揚げ足取りも野暮の極みだけどな
こういう場で ロッキード事件で逮捕された田中角栄を呼び捨てに出来るテレビ局が無かった
当時は逮捕=呼捨ての時代だったのに
「田中角栄前首相」「田中角栄元首相」などと逃げの呼称を付けていた ロッキードと目黒エンペラーはセットで思い出されるが
当時は悪人の名前だと思ってた 「時間ですよ」で角栄のそっくりさんが銭湯に来るシーンでも総理って呼ばれて そりゃ大阪名古屋広島はそうでしょうね
自分の小学校も巨人ファンがデフォだった
いまはファイターズファンがデフォ
ただ、子供や若い人は野球にぜんぜん興味ない人も多いね
高齢者に野球好きが多い 会社の社員旅行は、女子社員が温泉の浴衣を着て男子社員にビールをお酌しなきゃいけない暗黙のルールがあった
今の時代でそんなことやったら、セクハラだとか男尊女卑だとかで問題になるよね 昭和はもちろん、平成10年くらいまでは
社会人男性ではタバコを吸う人が多かった
喫煙所で喫煙者達でコミュニケーションを取るという行為も、職場仲間達の雰囲気をよくするのに一役かってた
女性でも看護婦(今は看護師と言うけど)はタバコ吸う人多かったと思う ウチは昔はライオンズファンが多かった
関東の西鉄(西武鉄道の略)に移ってからもポークス来てからもしばらく
平和台から福岡ドームに移って成績がやや上向いて行くとホークスと
呼ばれるようになりファンも多くなった
やっぱ強くてナンボだよなあ >>808
テレビの中継が巨人戦ばかり、野球以外で集団で遊べるスポーツ、娯楽を知らないか、できる環境ではなかったから、否応なくそれで遊ぶしかなかった。
周囲からの洗脳だったと言ってもよい。
彼らが世帯を持ち、チャンネル権を持つようになった平成一桁中盤から、ナイター中継そのものが漸減していったのがその証拠。 野球をテレビ観戦するなら巨人戦一択しかなかったから
長嶋や王に人気が集中しちゃったね
今は分散 うちのあたりも巨人一択だったな
平成に入ってから片道一時間圏にパリーグ球団が本拠地移したけど
三世帯同居世帯が多いから今もやっぱり巨人派多そう >>819
ポークスなんて親会社ハム屋かよw
日本ハムポークス 親世代がスポーツと言えば野球、町内や職場対抗も野球なら、市営グラウンドも野球場。
なぜか相撲ではなかった。
あの人(オッサン)らがサッカーやテニスをやるのは想像がつかない。
それ以外のスポーツをやろうにも、地方には、会場、用具、指導者、情報(上達法)が揃わない。 やっぱマリーンズじゃなくて「落書きするな」のパイレーツかよかったなぁ スーパー含む小売店の商品にはいちいち値札が貼ってあった
他の商品の値札と張替えて安く買う泥棒のような奴がいた >>821
関東目線ならね。
関西じゃ1970年代から阪神戦を試合終了まで中継するサンテレビがあるから。
ケーブルテレビで配信エリアが限定されるようになって以後も一部のケーブルテレビでは阪神ファンの要望に応えて兵庫県以外でもサンテレビが配信されている。
南海や近鉄の試合中継も割りとあった。 >>828
>>関東目線ならね
それこそ関西目線、独立U局のある大都市目線で、地元球団のあるところ以外の巨人偏重は全国的傾向だと思われる。
北陸や東北,四国出身の人に聞いたことがあるが、北陸なら関西の寄りだから在阪球団のファンが多いとか、東北、四国なら支持球団がバラけてるとか思ったが、そんなことはなく、やはり巨人ファンが多いとのこと。
全国ネットを差し置いて、縁もゆかりもない地域の球団の中継はしないのだ。 明石家さんまは和歌山奈良だったけど昔から巨人ファンだって 昭和のパ・リーグ全般だが球場ガラガラだった
うちは川崎に近いので川崎球場
スーパーで外野のタダ券配ってたし7回過ぎると入場無料だった
ちなみに外野席は角材な >>832
椅子の代わりに角材がコンクリのひな壇に打ち込まれていてそこに座るわけだす
ところどころ腐っている箇所ささくれだっている箇所あり
バイオレンスだす
でもあのゆるい空気は最高だす そういえば昔プロ野球珍百景みたいな番組で
試合中に客席でキャッチボールしている観客が映ってて
パリーグって凄いなと思ったっけ >>833
川崎球場→川崎のぼる→いなかっぺ大賞→風大佐衛門の口調にひっかけてあるのね。 「キユーピー3分クッキング」には、昭和期、テーマ曲が今と違うものが流れる地方があった。
放送開始当時、民放テレビ局が一局しかない地方が多く、それが日本テレビ系列だと現行曲のバージョン、TBS系列だとCBC(名古屋のTBS系列局)製作の別のテーマ曲(フィガロの結婚の一節)が流れていた。 日生球場の外野席って椅子あったっけ
うろ覚えなんだけどコンクリートの段々をそのまま椅子代わりにしていた記憶 うち、結構前からコープの宅配利用してるんだけど
昭和のコープは、3人以上で1つの班を作らないと宅配してくれなくて
しかもその3世帯ぶん以上の品物が、まとめて届くので
一人の家を「分け分けする場所」として決めておき
そこで品物を広げて、「小松菜1つ〇〇さん、牛乳1本〇〇さんと□□さん、
玉子10個が〇〇さん、6個が▼▼さん…」みたいに注文書を読みあげて分ける
しかも支払いは、あらかじめ合計金額を計算しておき、
お釣りのないよう準備し配達時に現金で支払う、というもの
そこで班員の中に、きっちりの料金準備できない人がいたら班長が代理で支払う
だから班長は常にお釣りを含めた現金を準備しておかなくてはならなかったそうな
そら班員増やすの大変だわ…
今の「配達は班ごとでも、品物は個人別に分けて渡してくれる」
「個人宅配達もあり」「支払いは1カ月分まとめて銀行引き落とし」
は、不便さを改善した結果なんだな… 令和の今も、企業は昭和から何も変わってない。ドラスティックさが全く無い!
単身赴任、何故18歳の乙女とか、70代の老人に単身赴任をさせないのか!
大企業も、例えば製造業なら、明日から事務職や営業部と技術開発部を全員入れ替える、とか荒療治をした会社が日本に一つでもあるのかっ!
それだから、日本は欧米や中国にどんどん差をつけられるのが、経営者諸君には分からんのか?? >>839
すいません、欧米や中国は、18歳の乙女とか、70代の老人に単身赴任をさせたり
造業なら、事務職や営業部と技術開発部を全員入れ替える、とかの荒療治を
したことで進歩して来たんですか?たとえばどの企業ですか? >>839
うちの会社はよその大企業追い出されたおっさんが社長で来て営業は全部非正規社員、
事務系は全部アウトソーシング、BtoBの交渉は技術系にやらせて経費大削減、利益倍増
とかぶち上げて会社ぼろぼろにされて瀕死状態だわ
そういう机上の妄想はふとんの中で自分だけにとどめてくれそれで職失って命絶った奴がいるんだ
日本が他国に差をつけられてるのは緊縮財政で給料が20年間上がってないせいだ
税金という名で回収された時点でその金額は経済的になかったことになる
財務省が諸悪の根源 >>841
その社長の施策は全く正しいじゃんか。
瀕死なのはクビになったお前か?
企業としては立ち直ったんだろう、何が間違いなんだよ? >>842
ぼろぼろで瀕死って書いてあるだろ
よく読めや >>843
あー、そうかもな
自分の会社の現状重なって頭に血が上ったわ
NGぶっ込んで寝るありがとう >>820
スレチになるが
第二期長嶋監督の「欲しい欲しい病」で各チームから4番を集めて
と言うのが巨人人に低落になり
ひいては、プロ野球人に低下につながったと思う。 >>846
いや、野球に疎い人間にも「空白の一日」を知らしめた江川事件だろ。 江川はちゃんと放送時間内に終わらせてくれたから後番組ファンからも文句が出なかった >>839
確かに日本企業は、今も昭和の呪縛というか、型にハマっていて海外企業に対する競争力を失いつつあるのは事実だろうね。これは極端だけどその一例かと。 日本の縛りは昭和世代の成功体験だろうね
とりあえず上司の言うこと聞いてればサラリーマン安泰みたいな >>794
コロッケって結構武闘派だってのは
有名な話。 >>93
今見たけど一周回ってレトロアンティークに見えた 関根潤三や王貞治のように若い頃は口より手が出るような
人たちでも年配になると温厚な人格者に見える
と思うが一方で張本勲見てるとそうでもねえとも思う 藤田元司は瞬間湯沸かし器から温厚になって
広岡達郎は屁理屈に拍車がかかった 広沢が流し打ちしたときにめっちゃ怒ったらしいな
めったにないことなんでみんな唖然としてたとか >>860
旧制中学、法大、近鉄と永年の親友だった根本陸夫に
『潤ちゃんは、見た目は紳士だけど、中身はヤクザ』と
言わしめた 繁華街を歩いているとヤクザのほうがあいさつしてくるなんて伝説もあるね 青田さんがある日突然カツラを被って登場し
テレ東スポーツコーナーの生放送中ダンカンがゲラゲラ笑ってた 関根さんはメジャーこそ行かなかったけど
投手と野手両方やった天才だった
解説でも両方の経験がうまく生きていた >>846
全く同感!
あの頃から自分は、「こんなことをしていたら、プロ野球がつまらなくなる」と言っていた。
長嶋さん自体は、選手の悪口を言わないし、嫌いじゃないけど、あの他球団の選手を何でも欲しがるのはいただけない、と思ったね。
あとは、フリーエージェント7年制。あれがトドメをさしたと思う ヤクルトのベンチで安藤統男といる姿は、まるで孫の試合を感染しに来ているお爺ちゃん達にみえた 自分は長嶋さんが他球団の有力選手を欲しがる傾向を、寓話の「全てを金に変えてしまった王様」に似ていると思った。
あらゆるものを「gold 」に変えてしまって、後悔した王様の話ね、昔はよく童話集などに載っていたのだが、最近はあまり見なくなった。
いずれにしても、あれがプロ野球をつまらなくしてしまった。
そして、古○が選手会会長の時に導入要求した、フリーエージェント7年制。
これで、生え抜き選手がより高い年俸を求めて別の球団に行くようになってしまった。
だから、チームカラーとかも薄くなったし、生え抜き選手をいつまでも応援したいというファンの気持ちもないがしろにされた感じ >>857
関根さんは、もともとは、安藤昇の友達だからな
若いときは安藤とつるんでいたらしいよ
今風に言えば、おしゃれ893だよね、安藤さんも。
なんと言っても組長から映画俳優に転身して、自分の役を自分で演じた。
そして、付き合う女は皆「いい女」ばかりというね…
関根さんと、根本さん、このあたりは安藤昇さんとは仲良し 「石原プロ」解散へ 裕次郎の弔い上げ機に 関連会社も精算済み
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1594720005/
もともと裕次郎さんは『自分が死んだら石原プロを閉じろ』との遺言していたと言われており、
渡さんをはじめとする『石原軍団』のメンバーにも、なるべく早く会社を畳むべきだとの考えを持つ人が多かった >>838
昔職場班でやってたけど、うちもみんなで仕分けしてたな
不思議でならなかったのがカタログにコンドームがあったこと
あんなもの頼む人いたのか???
当時もお金さえ払えば戸別配達できたんだろうか 脳ベルSHOW 水沢アキとジャッキーと付き合っていた話をしていた。
何回も聞いた。 「おうおう、ホテル聚楽か」
「会議もできます。遊べます」
「うんうん」
「美味しい料理、自慢のシチュー。美味い酒」
「うんうん!」
「おまけに社長、夜のコースもウハウハですぞ〜」
「ウヒョ〜! よし決まり!!」
【決】
お揃いで 福島県飯坂温泉 ホテル聚楽へ
「じゅらくよォーん」 >>876
棚のラップの隣にあるのって食器入れ?
祖母が自分の部屋で薬入れるのに使っていたので長いこと薬収納ケースだと思っていたけど
正しい使い方では無かったのか…
ちょっとびっくり >>879
うちは小麦粉とか片栗粉とか入れるのに使ってたな いや置き薬のメーカーがこの容器を使ってたから薬収納を転用したのかもしれん
食器用もあった >>881
あれ、なんでもアリかと。
知人宅は哺乳瓶入れにしてた。煮沸したのをあの中入れとく。 うちは家族分の茶碗とお椀が入ってた
箸は蓋付きで引っ張り上げる奴だった ロゼット洗顔パスタの白子さん黒子さんのCM
見なくなって久しいが今やったら米国にまで拡散されて大炎上やろな ウチも薬の保管は戸棚みたいな感じだったが、でっかい脱脂綿、丸いパッケージに入ったオブラート
赤ちん、黄色いアクリノール液、水銀の体温計、サビオ・・。そんなもんがごちゃごちゃ入ってた。 今でも家に4つあるよ
商売やってて来客が多かったから湯呑み御茶碗入れに使ってる
鰹節削り器も有るしキッコーマンの缶もゴミ箱代わりに使ってるし
良く似たテーブルも未だある
似たような椅子もつい最近まであったけど断捨離でかなり捨てた サビオっていまは言わないんだよね
カットバンも言わない
ばんそうこうって言う
サビオやカットバンのほうがかっこいい気がするけど、そのいいかたはオバサンやオッサンだってさ 昨今省略語ばかりで短いほうがいいって風潮なのでサビオに光が当たってもいいと思う >>891
バンドエイドか、オーキューバンという言い方しか聞いたことがない ♪王さんのO
九ちゃんのQ
ニチバンの オーキューバーン
このCMは知ってるけどこれが一般化はしていないと思うぞ >>891
カットバンか絆創膏かは地域によって違うんじゃないの
確か去年だか一昨年だか地域ごとに呼び名が違うと言うスレが立ったことがある
東京では昔から絆創膏だったよ >>891
上の人書いてるけど
「今は」とか関係ない。
地域により違う。
その分布地図もある。 >>899
絆創膏は全国普遍で、昔からの言い方
東京は、多分、バンドエイドが多数派だと思う >>895
>>902見ると2002年に販売終了してるから10代は知らないだろうけど
アラサー以上は知ってるんじゃないの 茨城だがバンドエイドだった
群馬の祖母が何か変な呼び方してたなと思い出してググったら
ハンザプラストだったわ
商品名だね 王、金田、広岡。
おう、金だ、拾おか。
などというジョークがあった。 >>908
現鳥取だけどリバテープは一回も聞いたことない
カットバンだな >>876
キッコーマンの缶、あれ何が入ってたんだっけ?
すぐにお菓子入れになってて記憶ないわ >>914
そのまま醤油が入ってたんかな?その内虫が浮いてそう 容器入り醤油詰め合わせの贈答用かな?(適当)
ヤフオクやメルカリに出品されてるからマニアが居てるんやね >>887
大阪市内だけど明治生まれの祖母(ずっと大阪)はサビオって呼んでたよ
たしかに後年まで呼び名が残ったのはそれらの県かもしれないけど、
結局は時代によってそのときの流行じゃないかな 昭和50年ごろに1LのPETボトル入りが出回るまで一升瓶入りしか流通してなく(卓上びんや一斗缶入りはあっただろうが)、これでは買い物が大変だったので、5Lとかの缶入りが贈答用で重宝されていた。
灯油ポンプみたいなので汲み出していた。
1LPETが出回りだすと急速に廃れた。 サビオが再発売されるニュース。
これで、絆創膏の代名詞として再度サビオが使われるケースが増えるかも 俺の小学生時代(S.50ごろ)は、バンドエイド、サビオ、ハンザプラスト、途中からオーキューバンが参戦しての四天王状態だったな。
マキロンが出回り出して傷ロを真っ赤にしてる子がなくなっていった。 >>917
これ見て思い出した。
ペットボトルが出る前は、コーラも瓶だったね。
小瓶は今でもあるけど、当時は中瓶と最後の方には1.5リットル?くらいのデカイのもあったね。
空瓶を店に持ってくとお金になったから、道に落ちてたらすぐに換金してたっけ(笑)
コーラの瓶は割れると怪我するってのが問題になって、後にビニールでコーティングされた瓶が出たっけね。 昭和の頃ってビールと清涼飲料水がビンにはいっていて、からビンを小売店にもっていくと現金と交換してくれたよね
エコでリサイクルだった
落ちてるビンを小売店にもっていって換金は、こづかいの少ない小学生や古事記(ホームレスなんて言い方はなかった)がやってた
盗んだビンで換金してた奴もいたそうだがそれは犯罪だ 地元の高級料亭の裏を流れる小川に行くとジュース類の瓶と王冠がごっそり捨てられてたから、よく拾いに行ったもんだ。
表は美しく飾られた高級店でもその程度の衛生観念だった。 >>916
商品名が一般名詞であるかのように使われるのは、なによりも、その地域での占有率の高さによると思うよ。
まあ、それが年代によって他の商品に完敗しちゃったり、それこそ販売終了しちゃったりで変わっちゃうことはあるだろうけど。
てかそれを流行というのか。ただ、全国シェアが突出してるモノがなければ、地域性がかなり高いと思う。 >>921
酒屋の裏に積んであったビール箱から4,5本抜いて行って
表から入って小銭もらってる勇者がクラスにいたので(常習)
その酒屋にチクった 昭和のおっさん連中は家庭用テレビゲームを全てファミコンっていってたな
クリスマスにファミコン買ってきてセガだったとかの悲劇も都市伝説 平成生まれでもステープラをホチキスと呼んでる奴多いけどな >>922
それって、捨てられてたのを拾ってたわけじゃなく、業者(出入りの酒屋)が配達&空き瓶回収に来るまでの保管状況がダラシナイのをいいことに盗んでたってことじゃ?
本気で捨ててあると思ってた子と、なんとなく気付いてた子はいるのかなと思うけどさ。 >>926
ホッチキス、ホチキスってのは、版権が切れたんだか実は商標登録されてなかったんだかで、いまでは普通名詞扱いになってる。
だからむしろ若い人はわざわざステープラーとは言わないんじゃないかな。NHKがホッチキスって言ってかまわないことになってるみたいだし。 エレクトーンもヤマハの商品名だから電子オルガンと呼ぶのが本当は正しいらしいよね
守ってないけど スマホは商標登録されてるのでスマートフォンの略称として使えない
つっても誰も聞かんわな むしろ、ステープラーという人を見聞きしたことがないし、あまり関わりたくないな。
926は、混同した部下を怒鳴ったり、取引先を切ったり、面接応募者を落としてンだろうな。
俺も、店で客に向かって、買ってもらう立場なのに「○○(メーカー名)さんの方で切らしております」と敬称をつけて言う店員の方が赦せんけどな。
「僕のお父さんはお出掛けになっていて、いらっしゃいません」と言うようなものじゃないか。 ネットのネタでリアルを推測するほどイタい事もないけどなw >>925
逆じゃね?
ファミコン含めてぜんぶ「テレビゲーム」だったと思う 昭和に戻すとあの頃は小型の単発プロペラ機は全部セスナ機と呼んでた >>934
東映映画はアニメも特撮もマンガだったな 気まぐれコンセプトで、打ち合わせる際に
通りかかった部下に
「この資料、キャノビックスしてくれ」
「え?…ああゼロックスするんですね」
打ち合わせの相手のキヤノンの人が渋面
というネタがあった 化物語のヒロインが使う武器もホッチキスでステープラーなんて言ってないよな ステープラー呼びが普通なのは外科医と大工くらいかな ウチはステープラーが普通かな
ホチキス言うと「昭和か」的に言われる ステープラーと言ったら多分なんでそんなに気取った言い方するの?と聞かれると思う タイムトラベルしたい時代は?男女ともに「昭和」が1位
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1594865526/
バブル経済を堪能して欲しいものをたくさん買いたい
いやいや昭和も世界大戦があるからw
まあ高度経済成長期だろうな こどもの頃うちで使っていた電気蚊取りは東芝製だったけど、ベープって呼んでたな。
10年くらいして買い足したのがナショナル製。 東芝や松下が蚊取り器を作っていた
なんて初耳です >>947
オクサイト行くと出てくるよ。
タラちゃんが「♪カッコロリ〜ンのモスキット」て歌うCMがサザエさんでも流れていた。 使い捨てカイロは全部「ホッカイロ」
ウチは関西なので?地元企業の「金鳥」の商品がやっぱお馴染みで「どんと」がメジャーだったが
「ホッカイロ」のほうが浸透してたような。。 >>950
関東ではなんと言ってもホカロン。
ホッカイロやどんとは、二匹目のナントカというか、あまりいいイメージがない。 >>951
昭和末期〜平成を象徴するようなニューウェーブな商品で、マット式のようなズバリ昭和ってイメージじゃないな。 この前、父(62)が「ペプシって昔はマイナーな物の代名詞だったんだよなぁ」
としみじみ懐古してた
サントリーの販売力恐るべしということなのかな 本当にマイナーだったらそもそもそうやって話題に上がらないのではと。 >>953
すまん。なんか変だなと思ったら、マット式とノーマット式を勘違いしてた。
マット式のマットをセットする時手に香りが付いちゃうのが懐かしいね。 >>939
平成になってからだけど、リコーの人からもらった名刺にはFAX番号の所に
「RIFAX:」と書かれていたな。
今でもリコー社内では「リコピー」と言ってるんだろうか。 >>954
スプライトやキリンレモン系のやつで「7Up」もあったが、公園内の飲食店とか駄菓子屋で売ってるイメージで
これも今はサントリーが販売を手掛けてるみたい。 >>927
何でもかんでもコンプライアンスとかモラルハザードに集約したがる思考性は平成の特性だな。 加熱式タバコ?とかをベープって言われても、ついつい柳家金語楼の顔が思い浮かんでしまう。
彡⌒ミ >>954
ごめん、意味がわからない。
ペプシは今はマイナーではない、という意味?
ペプシVSコーラのシェア争いは、今も続いていて、やっぱりコーラの方が優勢だと思うけど
https://j-town.net/tokyo/research/results/270532.html >>964
954じゃないけど、昭和の最後くらいまでペプシはコカ・コーラと比べて知名度がイマイチで
コーラと言えば赤い缶や看板のコカ・コーラだった。「コークと呼ぼうコカ・コーラ」とかさ、
矢沢永吉を起用したCMもバンバンやってたし。
ペプシが攻勢に出たのは90年代後半のサントリーが日本で販売権を得てから。ペプシマンとかのアレな。。 そうかなあ。「ペプシの看板」は日本でも古くからあるよね。
だから知名度だけはあったと思う
でも現物(飲料本体)はたしかにあまり見掛けなかった希ガス 若い頃、引っ越しのたびに結構な量の本を古本屋に本を
売らなきゃいけなかったんだけど、そのたびに、本屋の店主に
「こんなに漫画ばっかり買ったの?散財したねえw」とか
「へー、こんなの好きなんだ、俺も俺もw」とか
「あ、こういうの興味ある?今流行ってるみたいだねえ」とか
いらんコメントされて不愉快だった
今はチェーンの古本屋の、ビジネスライクな処理が心地良い。
買い取り金額が安くてもかまわない、
本を捨てるっていう選択肢に抵抗あるだけで、金目当てじゃないし。
こういう「妙な個性持ち店主」の対応をしなきゃいけないのが嫌、というのは
個人経営の古本屋が減った理由のかなりの部分を占めるんじゃないかと推測。 ペプシは駄菓子屋とか文房具屋で売ってた
コカコーラは酒屋とかスーパーとか >>954
自分語りになるが
町内と言うか中学校の校区内で
ペプシを置いてある店は1店だけだったなぁ
キャンプ場の売店にだけ置いてあり
そこまで遠征しないと飲めない飲み物だった。 確か2010年のサッカーワールドカップではそれぞれがスポンサーでテーマ曲作ってなかった?
ペプシの曲もコカコーラの曲ももどっこいどっこいだった >>968
店主は話がしたいんじゃないの?本の話。なんでもいいから本の話。 毎日来るか来ないか分からない客を待ち続けて店番するんだ。そら寂しくなるわな。
多分 >>966
レスさんくす。
俺が何を言いたかったかと言うと
こういう回顧(懐古)スレで時々出てくる
「うちの親が言ってたけどー」って話ね。
親御さんの発言を書いてくれるのはいいんだけど、出来れば親御さん本人に書き込みしてほしいw
つまり、親御さんが言った話と、それを聞いた子供が書いた話は実はズレがあるんじゃないかということね。
ごめん、うまく説明できない(-_-;) 古本といえば、元古本屋の出久根達郎の「古本綺譚」は面白かった
精神病院に何十年も入院していた通称「葦原将軍」の話とか 個人経営の古本屋が減った理由っては
愛想が無い。ってのが大きいんじゃね
「ありがとうございました」って言わないようじゃ 客商売失格だろ
自分語りになるが、昔の古本屋
http://www.matometemitatta.com/second-edition >>954
今で言うと、ど田舎に住んでる人にとってのドクペみたいなもんか >>977
気持ちはわかるが大日本帝国憲法下で生まれたうちの親はキーボード触れんわ
戦前生まれの伯母はパソコン使えるが80才オーバーで5ちゃんデビューとか寿命縮めるだろ >>981
タイプライターなんて大正時代からあるぞ ちなみに戦中派(第二次大戦中に生まれた世代)の田舎の昭和の生活
今は天然記念物のトキだが、昔は関東近郊でも普通に飛んでた
布団は稲刈り後のわらを集めて固めたもの
五右衛門風呂はどこの家でも当たり前
走ってる汽車に飛び乗り飛び降りは当たり前、ひどい時には人が汽車を押してた
学校の授業で裁判所で裁判を見た、事件の内容は芋泥棒だった
ええ昭和生まれの自分も30年違うとここまで違うのって感じです >>982
タイプライターは大正時代からあるだろうけど
俺も戦中派にパソコン教え込む気力ないです
大正といえば大正生まれの祖母が若いころビリヤードやってたから
たぶん昭和10年ころにビリヤードやってたみたい
ちなみに野村克也さんが昭和10年生まれ >>982
そら、存在したさ。
だが、昭和は末期にようやくワープロが普及しだしたくらいで、タイピストのような専門職か、貿易関係職くらいしかタイピングなんかできず、とてもじゃないが、いまのような国民の常識ではなかったぞ。
本当に昭和に生きてたのか? 80年代前半頃、仲間の実家に泊めてもらったら
家の人が使ってた和文タイプがデーンと置かれてたなぁ 出遅れちゃったが、昭和の絆創膏で急遽思い出した。
サビオやハンザプラストも売られていた昭和50年ごろ、べつのメーカーから、同時発売の同一シリーズながら、パッケージが赤、黄、青に色分けされた3種類が発売された絆創膏があった。
青?なら消毒に強い、とか、それぞれ得意分野をもっていた。
TVCMもやっていて、それぞれの紹介の時、背後に同じ色のパトランプが光るものだった。
が、商品名も発売元も思い出せない。CMを流していたくらいだから、そこそこ大きなメーカーだとは思うけど、覚えている人いませんか? >>970
スレ立て乙です
みんなお礼ぐらい言おうよ… >>985
タイプ経験者の老人がいとも簡単にワァプロやパソコンに馴染むのを何人も見てきました。私も職歴は昭和バリバリですが >>967
昔のペプシなんて、クラウンコーラといい勝負……ぐらいな印象 テレックスを使った事のある爺だが
スマホのフリック入力は出来ない コカ・コーラが190mlで60円だったのに対して
ペプシは300mlで50円だった >>989
タイプ経験者ならそうだろうけど、そも、タイプ経験者の老人てのが、そんなに多くないと思うけどな。
あなたの周りに多かったなら、あなたがそういう会社で働いてたから。 >>970
乙です
両親ともにそろばんから電卓って世代で、パソコンはやらなかったですね
伯母は教職だったので格闘して使えるようになったようですが
今の20才はほとんどの方がパソコンでネット検索くらいできるでしょうが
戦中派だと流石に半分というところではないかと…地域、現役時の職種によるでしょうが >>989
失礼ですがおいくつでしょうか
知る限り5ちゃん最高齢かなとお見受けしまして
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