今じゃ考えられない昭和の生活◆100
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
。 。 | チャンネルも電話もラジオのダイヤルも |
\ / | 車のウィンドーも回すものだぞゴルァ!! |
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|:::::|| ̄過去ログ ̄|(ii)| ∧∧ )ノ
|:::::|| .>>2 |(ll)| (,,゚Д゚)⊃=ムo ジーコ
|:::::||_ .>>3__|::| ノ ⊃ 。_。§ ジーコ
. ‖‖  ̄ ̄ ̄ ̄ ‖‖ とと,_, )) /(=)ヽ
 ̄ ̄
【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆99
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1581312033/ ■ 昭和に流行ったもの
・VHS、キドカラーテレビ
・総括 ・内ゲバ、・60年安保
・アジ演説、・浅間山荘事件、・樺美智子さん
・もはや戦後ではない
・赤線青線 ・トルコ風呂 ・山は動いた ・モボモガ
・船橋ヘルスセンター ・オバタリアン
・社用族 ・ジャリタレ ・スケ番
・ながら族 ・ぶりっ子 ・マッポ
・マブい ・ミーハー ・ルンルン気分
・新人類 ・竹の子族 ・サラダ記念日
・あみん/まつわ ・イモ欽トリオ ・アダモちゃん
・限りなく透明に近いブルー ・なんとなくクリスタル
・抱っこちゃん人形、フラフープ、エポック社の野球盤
ホッピング、チエリング、ベーゴマ、メンコ、ビー玉
・粉末ジュース、2B弾、カバヤ文庫、樟脳舟
・リリアン、ゴム跳び
・ボンネットバス、バスガール、トロリーバス
・特急「つばめ」「富士」「こだま」「はと」
・力道山 ・名犬ラッシー
・月光仮面、七色仮面、ナショナルキッド、忍者部隊月光
・チロリン村とくるみの木、少年ジェット、怪傑ハリマオ
・愛と死を見つめて、いつでも夢を、こんにちは赤ちゃん
・ニッポン無責任時代、ハナ肇とクレイジーキャッツ
・太陽族、みゆき族、マンボスタイル、アイビーファッション
・深夜喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、名曲喫茶
・ツイスト、ダンスパーティ、チャールストン
・活版印刷、順法闘争、60年安保
・ああ上野駅、金の卵 ・下宿、若い根っこの会
・スバル360、パプリカup-10、トヨペットクラウンRS
ホンダS500、ダットサンフェアレディ1500
ミゼットMP5、スーパーカブC100 ■昭和の流行語
・マブだち(ダチ)
・マブい ・アベック
・おはこんばんちは
・おセンチ・バイビー!・バッチグー!
・わけわかめ ・ボインちゃんで鼻血ブー
・彼女、ニャンニャンしない?
・エッチ、スケッチ、ワンタッチ、なんちゃって。
・ガビ〜ン!ひでぶ〜。
・そんなバナナ〜!
・なんてこったパンナコッタ!
・ 山田かつてない○○でめんご
・よっこい庄一 ・恐れ入谷の鬼子母神
・びっくりしたなあーもう ・・・・は置いといて
・何はなくとも江戸むらさき・カステラ1番、電話は2番
・そうか、そうか、草加煎餅。・ここいらでドロンさせてもらいます。
・大橋巨泉 「ボインちゃん」「葉っぱフミフミ」
・藤田まこと 「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」
・イモ欽トリオ 「よい子悪い子普通の子」
・志村けん 「アイーン」「だいじょうぶだぁ」「からすなぜ鳴くの、からすの勝手でしょ」
・松鶴家千とせ 「俺が夕焼けだったころ弟は小焼けだった。
・父さん胸焼け、母さん霜焼け。わっかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。」
・牧伸二 「あ〜あんあやんなっちゃった、あ〜あんあ驚いた」
・伴淳三郎 「アジャパー」 ・トニー谷 「あなたのお名前なんてぇの?」
・間寛平 「かい〜の」 ・玉川カルテット 「金もいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃも少し背がほしい」
・渥美清 「けっこう毛だらけ、猫灰だらけ 」
・チャーリー浜 「ごめんくさい」・いかりや長介 「ダメだこりゃ」
・コント55号 「トビますトビます」 「なんでそうなるの?」
・せんだみつお 「ナハナハ」 ・クレイジーキャッツ 「お呼びでない!?・・・・これまた失礼しました。」
・ハナ肇 「あっと驚くタメゴロー」・伊東四朗 「ニン」「悪いね、悪いね、ワリーネデートリッヒ」 真ん中は瑳峨三智子のお母ちゃんか、色っぽかったよな嵯峨さん 昭和40年頃は寄り合いとかあると気の利く人がチョチョイと
マヨネーズ作ったりしてたで お正月三が日はお店がどこもやってなくてすごく静かだったな。夜中に初詣行くと真っ暗でシーンとして自分達の足音しか聞こえないから少し怖かった。 機動戦士Zガンダム「Z 刻を超えて」の原曲
"Better Days Are Coming" (1972) / Neil Sedaka
https://youtube.com/watch?v=nFCc5NLTWtc ・秋になると、大根を縄で縛って繋いだのをベランダや庭に干す家庭が多かった
たくあんを自宅で作るために
今はほとんどみかけないな
漬物なんて買ったほうが早いし 昔は貧富の差が服装でもわかった
裕福な子は明らかに綺麗な格好をしていたし、貧しい子は継ぎ接ぎの服や当て布をしたズボンだった >>15
実は今でも当て布をした服を着てる人はいる。
表から当てず、アイロンで接着する布を裏から当てるのです。
表から縫って当てるから目立つ。
あと、長ズボンなら思い切ってちょん切って夏に穿く。 >>15
昭和40年代中頃ではそんな子いなかったよ。
子供の親や仕事なんてみんな知ってるから、子供にそんな格好させてたら町中の笑い者だよ。
穴が開いたり、破けてきたらもう捨てな、って言われたよ。 田舎だとアイロンプリント?で膝や肘の補修してる子は居たな
やっぱ貧富の差って感じで家庭によるけど
家の障子の破れも補修してる家庭もあったなぁ ジーンズはよく膝小僧の部分に穴が開いた
膝上で切って繊維ばらしてそれっぽくしてはいてた 貧乏で中学3年間の成長期に学生服を買い換えられず
手足がチョンチョンの状態で通学し通した男子がいた
誰も馬鹿にはしなかった >>13
梅干しに限って言うと市販の梅干しは厳密には「梅漬け」で「干してはない」
そんな事より減塩で全然、酸っぱくなくて中にはハチミツ漬けなんてわけの判らん梅漬けがあるが美味しくないんだよな。
だから梅干しに限ってはガッツリ塩を利かせてメチャクチャ酸っぱいのを自分で作ってる。しかも梅は完熟して落下したもののみだからメチャクチャ美味い。 かつての大気汚染公害の影響なのか
現代の良い鼻炎薬の普及なのか
ティッシュ持つようになったのか
とにかく昔は青っ洟垂らして、洋服袖口で鼻水ふいて袖口ガビガビのガキが結構いた。 >>24
美味しんぼなんて読んでねーよ。
市販が酸っぱくないから自分で作ったっってんだろ。それにパッケージに「梅漬け」って買いてあんだろそれぐらい読めや文盲 百恵ちゃんの赤い疑惑の再放送見てたら
宇津井健が白血病の百恵ちゃんの病室で煙草をスパスパ吸っていた
ちなみに宇津井健は医者の役 一般的な呼称が「ビールス」から「ウイルス」に変わったのっていつ頃だったかね
1980年代かな 公園でボーッとしていると自衛隊に入りませんか?と声をかけられた 知人は喘息持ちの上に事故の後遺症まであるのに、若い頃はしつこく勧誘の電話がかかってきて、最終的には親が
「体が鍛えられる訳ねえだろうが、何かあったら責任とれんのかこのボケ」言ってた。 「不登校」が「登校拒否」という名称だった
体罰をする教師は珍しくなかった
土曜日は「半ドン」と言われていて、午前中だけの授業や午前中だけの出勤が普通だった
令和や平成の今の時代よりも家族の繋がりが密で親の影響力が強かったので、銀行強盗などの凶悪犯がおると、犯人の母親に犯人を説得させていた
(今の時代だと、凶悪犯になるような人はだいたい親を憎んでいるので、親が犯人を説得しても逆効果と思われる) 女性クリスマスケーキ説(女性は24歳までに結婚するのが普通で、25歳になっても結婚していないと「売れ残り」「オールドミス」みたいに言われる)があった
今の時代じゃ考えられないな!!
喪女や喪男も、知り合いのおせっかいおばさんやおじさんの紹介で結婚できた 10代のオタクやサブカル向けの雑誌にはよく「文通コーナー」があって、投稿者の住所と本名が載っていた
平成の世になっても西暦2000年くらいまでは住所と本名が載ってた
今は防犯面や個人情報保護からいってありえないが >>36
それどころか漫画雑誌には「○○先生にはげましのお手紙を送ろう!」つって
漫画家や原作者の住所が素で載ってたわ
今だと編集部宛てだけどね 敢えて不謹慎なこと云うと
昭和時代はリアルサスペンスだった
小児誘拐・銀行強盗立てこもり・連続殺人鬼逃走・連続爆弾犯・暴走族決闘・暴力団抗争
などほぼ消滅事項。
犯罪が割に合わないこと周知と厳罰化による現象だけど
凶悪犯罪減少・社会的モラル向上して
かつてなら新聞三面記事にもならなかった「プチ事件」が容疑者実名報道で連行場面放映。
現業系公務員いじめ・痴漢・盗撮・DV・児童虐待・教師体罰・酒酔い運転・あおり走行etc >>39
そういう過激な犯罪をまとめて報道する「ウィークエンダー」って番組があったね
自分語りをすると
小学生のガキなのに、ウィークエンダーとか、独占女の60分とか、大好きだった
自分だけじゃなくクラスの子達の半分くらいがそうだったwwww
でもそういう番組を見ても、エロも過激な犯罪も、本当はあまりよくわかってなかった >>39のいうとおり、やっぱ治安よくなってるよね
マスゴミの報道のせいで治安悪くなってるみたいに錯角させられてるけど 凶悪犯罪は戦後の混乱期以降一貫して減ってるからね
それにしても銀行強盗てほんと聞かなくなったな
三菱銀行北畠支店の時は夜通しTVつけて楽しんで、失礼見守ってたわ >>43
梅川のやつ?
高校入学時に作った文集?自己紹介みたいな短いやつなんだけど
同じ梅川って名前の子が「肩身が狭いです」って書いてた記憶 身代金目的の誘拐のニュースもトンと聞かなくなったが、増えたのはいたずら目的・・w お金のやり取りでどうしても犯人が被害者の関係者と接触するからね。 >>45
携帯電話、スマホに位置情報機能があるから。 梅川のは何があったかをメジャーマスコミは概要しか報道しなかったけど、どうやら実際には相当ひどい事になってたのがちょっとづつもれてきてたね 知らんかった
陵辱猟奇AVかよ
ってくらいヒドイのな……
殺された被害者だけじゃなく、殺されなかった被害者も可哀想 親子連れは速攻で解放。
片親の人質には着衣を認め、妊婦の行員と老人の客は解放と、今の犯罪者に較べるといいところもあった。 よしのぶちゃん事件は大きな事件だったね
誘拐殺人は当時でも中々なかったから 最後の営利誘拐事件と言うと
山梨県でのOL誘拐かぁ
あれは平成だなぁ
黙祷… 今は鳩が逃げなくなったなあ
20センチくらい近くに立ってもピクリともしない
数十年の間に人間が敵でないって学習したのかね あの鳩の図々しさはむしろ腹が立つレベル
奈良公園の鹿かよ
ついでに雀もなかなか逃げなくなった 元々伝書鳩として使役されていた家禽の子孫だから。
軍事機密やら血清やらをつけて飛ばしていたこともあったので現在でも禁猟の対象でもあるから人を怖がらない。
ちなみにカルガモにも人間を怖がらない個体がいるけど、これもアヒルの血が混じってるらしい。 パンチガムって、あれ、子供のおもちゃですむか?
マジで痛かったんだが アグネス・チャンが日本に来て、鳩がたくさんいるのを見て
美味しそうと言ったのを我々は忘れていない 昭和の歌謡界は外人も結構ヒット出してたな。
昭和というか、70年代でもアグネス、アン・ルイス、ジュディオング、テレサテン、ヘドバとダビデ
ベッツィ&クリス、欧陽フィフィ、ルネシマール。。枚挙にいとま無しな感じ。 アルフィーの高見沢も66歳って嘘やんって感じ
ついでに誕生日おめでとう 12ニュースのテロップ
プゥワーンと音がなったあと白文字テロップが表示
重要なニュース
ピコーン!ピコーン!と
12ニュースのテロップが赤く点滅したあと
白文字テロップが表示 ゴボウは世界の人ところが中国人さえ食べない唯一日本人だけが食べるってほんとかね 梅干しの種を割ると中身が食えること
少年ジャンプに連載されてた
「ドリーム仮面」って漫画で知った そーいや豆腐屋や、鰹節とか昆布等の海産物の乾物屋とか
特化した食材売ってる店もスーパーの進出で見なくなったな。市場とかに行けばまだ業務店向けとかで
あるかもだが。 都内だけど
商店街に豆腐屋、乾物屋あるよ。
味噌屋、鶏肉専門店、麺類販売店もある。
消えたのはおでん種屋と寝具専門店。 うちの近くも個人店はかなりある
練り物屋や漬物屋、梅干し屋もあるな 練り物屋漬け物屋に梅干し屋??
随分と珍しいな。採算とれるのかな 練り物屋はあるな。
こっちでは天ぷら屋と言うんだけどね。 田舎だと
個人商店で残っているのは肉屋と魚屋だな
その2つは商品で差別化が出来るから 実家のある田舎では肉屋と八百屋がかろうじて残っていて魚屋は無くなった
個人の文具店とか時計屋も見なくなったよね >>58
犬と狼くらいの差違しかないから、落伍したり飼育をやめて放鳩された伝書鳩の血が入ってるドバトがいるの。
広島の平和公園の鳩たちは、元々放鳩された伝書鳩。 八百屋はなくなったなぁ
別スレで書いたことがあるが
小学校のテストで商店の絵があり、これは何屋さんでしょう? と言う問題で
八百屋と答えられない子が多かった むしろ魚屋見んわ
魚はスーパーで買ってる
下処理の注文も気軽にできるしな
八百屋は普通にある >>84
伝書鳩の子孫が野生化してることと、すべてのドバトが伝書鳩の子孫だと語ることの差は大きいよ >>57は今人に慣れて逃げないのは全て伝書鳩の子孫と言っちゃったからなあ
それは間違い >>77
そういう個人経営の専門店って人口密度の高いところじゃないと生き残れないんだよね
田舎は、人口密度は低いわ車社会だわで客が来ない コンバットというドラマのとある回に空を飛んでる伝書鳩を小銃で
二回も撃ち落とすシーンがあって腕の良さに感激したw >>89
それは実感してる
関東に来てから個人店舗や商店街が元気なのに驚いた
新規開店も多いし駐車場のない小さい店でも元気
辺鄙な場所にあっても関係ない >>89
地方だと大型小売店に行けば、野菜も果物も肉も魚も一店舗で済んで車で運搬出来て雨でも濡れないし、衣料品やら生活雑品も買えるから便利だし時短になるからね。 卸売業にしてみても大量に買ってくれるスーパーの方が利益は安定する。
大口の一括物流で流通コストも削減。まあ卸売なんてのも今後どう機能するか分からんが。
また家電なんかは小売店はアフターサービスなんかの利点はあるが、今時の製品はそんな
壊れないし、また壊れたら買い換えという選択(もちろん安い量販店)だからな。 >>87
外見が遠目には識別しづらいので、先祖代々「伝書鳩との誤射を避けるために狩猟禁止」とされてきた
ことは、やっぱり人を恐れない大きな理由だと思う。
都会では、野鳥をいじめてはいけませんという概念が広まってるので、結構身近に意外な野鳥が増えて
きて楽しい。
人目がある方が安全だと思うようになったのかな?
うちの川にもカルガモが住み着き始めた。
アオサギを餌付けしたおばちゃんを見たときには驚いたけど。 >>95
クレー射撃の的をなんて呼ぶか知ってるか? >>96
市街地では銃を使えないし、日本では誤射があるからドバトは撃ってはいけません。 レシピ帳をつけているお母さんはもういないんだろうな
今は何でも検索できるもんね >>101
小柳トムは好きだった
キモサベ社中とかエド山口とかもすき キューピー3分クッキングとか懐かしい。時間になると、母がテレビの前でメモとってたっけ。
今でもテレビやってるのかな。 昭和のディーゼルエンジンはキーをオフにしてもエンジンが止まらなかった。
エンジン停止にはチョークノブを引いて止めていた。 その点、いすゞの乗用車用ディーゼルは始動も停止もガソリンエンジン感覚で使える優れものだったな グロー一秒未満とか信じられなかった
同じいすゞのTXはキーを「HEAT」にしてしばらく経ってからまずはセルを回し
レバーを上に上げてセルモーター噛まして始動してた >>108
> ○デコンプ
エンジン始動中にデコンプやったらバルブをピストンが叩くんじゃね?サイドバルブなら知らんが。
でもとりあえずノブにはチョークの絵が書いてあったけどな。 普通ディーゼル車にチョークはないねえ
アイドルアップ(ハンドスロットル)と間違えてない? >>112
バタ弁の絵があったと記憶してるけど間違ってるのかも。 ヒット曲「ブルー・シャトウ」で知られるグループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のリーダーを務めたジャッキー吉川さんが
群馬県内の自宅で死去していたことが21日、分かった。81歳。東京都出身。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b883e58eeab1eb75792a32f6f0ba6e21346eb4f7 心霊手術
今だと断片をDNA鑑定すりゃ一発でインチキがわかる
とゆーか、真に受けてたヤツいねーよな 同姓同名の人だろと思ったらほんまにあの岡江久美子さんか、びっくりだわ 「立ち読み」はもう死語かと思ってたんだけど
ネット本屋で現役だった 久米明さん死去 俳優 声優として活躍 心不全
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1587639663/
90歳を過ぎても活動を続けてきた久米明さんが23日、
東京都内の高齢者施設で心不全のため亡くなりました。96歳でした。
演劇研究会を立ち上げて俳優の道に進みました。
昭和43年から放送されたNHKのテレビ小説「あしたこそ」など、
数多くのテレビドラマや映画に出演しました。 久米さんも逝ったか
中学のときラジオの早朝番組で聞いたのが初めだった
これほどメジャーになるとは思わなかったな 我が家の爺さんが
岡江久美子見たさに
当時管理職の権限で放映日の水曜を「ノー残業デー」として
毎週、連想ゲームを観ていたとか。
「まさか自分より先に逝くとは思わなかった」と。 久米さんはこう言っちゃなんだけど大往生だけど
岡江さんはちょっと亡くなるには早いなあ
娘のミホさんは微妙だな
ってか、いわゆる美人女優さんでもその娘が同じくらい
美人なのってほとんど思い浮かばないな それは「オーディオ」じゃなくて「ステレオ」と呼ぶほうが似つかわしい >>137
現T-SquareのKawaii Technoという曲のなかでタモリが「若者たちが歌の輪にくわわる」とナレーションしてたが、
あれは久米明さんが素晴らしい世界旅行のナレーションをしてたののものまねなんだが、なぜ久米明さんかというと
Squareのキーボードが息子の久米大作さんでこの曲の作曲だった。 >>146
SQUAREのサックスといえば伊藤たけし >>132
ブラックじゃん。それが? と、言いたい。 クリープでもいれないと飲めたもんじゃないコーヒーでも飲んでいたんだろう。 自分ち潮(うしお)というステレオあったわ
ナショナルで真空管のやつ うちにあったパイオニアのステレオはプレーヤーがリムドライブで若干回転が速かった
アジャスターもないので半音上がった音でずっと聴いてた 黒板消しはパンパンしていたけど、そのうち黒板消しクリーナーが出てきてガーっとやるようになった
教室の戸に黒板消しを挟むいたずらは1回はやったことあるかな 昭和の派遣社員はメチャクチャ資格持ってて何でも出来るスーパーエリート 五右衛門風呂があって薪で湯を沸かしていた@父親の実家 クリープはコーヒーに入れるより直接舐めると美味しかったw >>162
ニドは乳製品だから美味しかった
クリープより安かったから代替が効いた
だがブライト こいつは植物性の油だ
完全に偽物 コーヒーに入れるミルク?植物油なのは重々知りつつ舐めるとうめー >>159
会社が常に必要とするわけではないけど、特別な能力や資格がある人を一時的に雇うのが「派遣」だったのよ。 >>167
うん。そうだったね。
昭和の頃に派遣社員を扱ったドラマが無かったっけ?
アレで派遣社員を初めて知った覚えが。気のせいかな? 水筒に緑茶を入れて学校へ持っていき、それでうがいしていた 平成だけどドラマ「ショムニ」の時代ですら
派遣は一般的でなかったからなぁ 特殊なお店で現金と交換できる特殊な景品が、今の時代はプラスチックのケースに入った純金だけど、昭和の頃はボールペンだった 新聞にエロ映画の広告が写真つきで載っていた
ち○びは★で隠してあった 牛肉はごちそうだった
金持ちは毎日ビフテキ食ってるとか聞いてビフテキってなんだろってすごく憧れた ドデカホーンとかコブラトップ
みたいな商品名で10万円ぐらいする
高級CDラジカセが流行っていた ブラカップD以上のブラがほとんど売ってなかった
昭和の巨乳女性はどうしてたんだろう
外国製のブラを買ってたのかな 昭和の時代は、手芸屋で布を買ってミシンを使って自分で服を縫って着る女性が珍しくはなかった
いまだと服は買ったほうが安いから、服を縫って着るのは、酔狂者か、コスプレイヤーだけだろう セーターの編み図と作り方つきの人気男性芸能人の写真集がよく売ってた >>183
なついなー 超売れっ子てほどではない人らだったよね >>184
アグネス・チャンか、清純派で売ろうとして巨乳を隠してたんだよね >>175
純金ならそのまま持って帰ったほうが得だわw >>173
そりゃ派遣であんな好き勝手やってたら契約期間きたら即打ち切りだよw >>187
河合奈保子もビキニを披露したが
作曲活動してからビキニを封印した。 >>188
一時期そう言う詐欺じゃないけど持ち帰りが流行り
パチンコ業界から泣きが入ったな >>193
ミノルタX7のCMってのを忘れてる人は多そう >181
無理矢理AとかBカップのブラに押し込んでた
あの頃、乳がでかいのは恥ずかしい事で、Dカップのブラを買う行為自体を恥ずかしいと感じる女性が多かったとか
それがバブル期になると、日本の下着メーカーがブラカップの基準を変更したんだよね
それまでAカップだった人がBカップに、みたいにカップが大きくなる方向に
いつの間にか、Aカップのブラ買う方が恥ずかしいっていう感じに世間の感覚が変化したと >>196
作曲が鈴木慶一なのは後から知って驚いた 今から27〜8年ぐらい前でも派遣社員はあった。
当時は特殊や数種類の資格を持った者しか派遣出来ない法律だった。単価も高かった(と、思っていた。一人親方的な扱いだから保険も税金も含めていたってのを後に知ったけど) フリーアナウンサーの小島一慶さん 肺がんで死去 75歳
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1587856839/
「ぴったし カン・カン」2代目司会などで人気
お悔やみ申しあげます >>198
つか和装って乳でかには不利な服装だったのよね。
乳下にタオルをまいて寸胴にしてから着付けたり。
和服が凄くよく似合う女性は、裸になったら寸胴ペチャパイだったりしたけど、「これこそが着物が映える素晴らしい体型!」
と絶賛されてた。
洋装が主流になったので乳でか族の為にカップ見直しになったんだろうね。
洋装は乳でかが映える。 >>203
いとしのエリー(高見まこ)とかも、内容は一応恋愛だけど、やることやってますものねぇ。 ♪チャオ チャオっとなめちゃお
舐めててチョコが出てきたときの味わい深さは異常。。 俺は好きじゃなかった
あと、カンロ飴も好きじゃなかった >>211
チョコに執着するガキんちょだったので、チャオは好きだけどカンロ飴と黒飴と塩飴は嫌いでした。
特に、黒飴の中にピーナツが入ってると、喧嘩売ってんのかと思ってました。 >>212
あぁ、俺はチョコレート自体あまり好きじゃなかったからね
チャオは飴の部分もあまり美味しいと思わなかったし…、けど、CMはインパクトあったね
でも、チョコレートで好きだったのもある
不二家メロディチョコレートの赤いやつ…ミルクチョコレート、
それと明治チョコバーのトーストココナッツ
この2つは大好きだった ショートケーキには蕗の砂糖漬けや
アラザンっていう銀玉や、
超甘いさくらんぼの砂糖漬けがのってた >>217
そしてバタークリームだったよね
ケーキのレベルあがったのはほんの最近だわ ちなみに、サクランボの砂糖漬けさえゼリーで出来たなんちゃってだったという。 あのクリームを絞り出して作った薔薇の飾りは
バタークリームだからできたんだってね
生クリームではできないと知ってびっくりした でも子供の味覚って相当甘ったるいものやしつこいものも美味しく感じるから
バタークリームに砂糖漬けのゼリーでも充分楽しめたな。。
今食ったら胃がもたれて唇に吹き出物が出そうだw キャラメルコーンとか、「高カロリー!」がセールスポイントだった
あの売り文句いつから消えたんだろうな 焼きそばパンとかみたいな細長いパンにバタークリームが挟まってて赤いチェリー擬きが乗ってるやつ。
最近でもそれっぽいのみかけたことあるんだけど、それって、バタークリームじゃなくて不味い植物性ホイップクリームだったりするよな? 50円で売られていたエンジェルパイの美味さは衝撃的だった >>224
>バタークリームじゃなくて不味い植物性ホイップクリームだったりするよな?
昔のやたら長持ちするバターケーキも多分それだよね
個人的な思い出。バターケーキはほとんど不味いものだったけど
ケーニヒスクローネのバターケーキだけが美味しかった
多分あれは昔からちゃんとしたバターを使ったバターケーキだったんだろうな >>227
なんか話がかみ合ってないかも?
バタークリームはバタークリームで、そういうものとして美味かったんだよ。
で、最近の一件それっぽいのをそれかと期待して買うと、生クリーム……のような植物性ホイップクリームでガッカリだったりする。 バタークリームが不味かったってのがよくわからない
それしか食べたことないから、喜んでありがたがって
貪り食ってたがなあ
ヤマザキのクリスマスケーキを… ああ、バタークリームにも、ちゃんとしたバターのと、無塩マーガリンみたいなもんのがあったんだとは思う。
確かに、本物のバターのバタークリームのほうがマーガリン=植物性油脂のよりはるかに美味しいと思うよ。
ただ、最近のそれっぽいのでガッカリって思ったのは、バター擬きマーガリンクリームじゃなくて、生クリーム擬きホイップクリーム。 自分は幼少期の時から親が買ってくるホールケーキはバタークリームだったから、その味に慣れちゃって今でもバタークリームのケーキが好きだなんだよね
もう長いこと食べてないけど
誕生日やクリスマスのケーキといえば この味なんだよ
自分にとってはこれこそケーキの味なんだよなー☆
https://i.imgur.com/Y2K593n.jpg 50年代に入って、生クリーム使用のデコレーションケーキが出回るようになって、なぜか、生クリームでないもの=(全部)バタークリームって誤解されてしまった。
あれの原料はショートニングだかラードだったはず。 本当のバタークリームって、今の味覚で食べても美味しいんだよ
昭和のバタークリームは、バターじゃない油脂でつくった、別物だったと思う クリームでバラの花が作ってあったらバタークリームです。
生クリームだと作れないんだって。 >>211 >あと、カンロ飴も好きじゃなかった
男、山根「何やて・・!?」 コロナでもパチンコ店に行く人のニュースを聞いて
「何時間もパチンコのレバー弾き続けるんだから余程好きなんだね」
って言ったら周りに笑われた
今時のパチンコは、ハンドルをひねってそのままじっとしてれば
器械が勝手に玉をはじいてくれるんだってね
それで腕をじっとしてると疲れるから
コインとかはさんで固定しておくワザもあるとか教えてもらった >>236
入学した高校があわなくて別の学校に入り直す子は何人かいたけどね
中学同級の可愛い子がそれで一つ年上というのもありもてまくってたとか >>243
俺もパチンコなんかやらないから、聞いた話だけど、今はもうそれじゃあダメらしいちゃんと触っていないと玉が出ないんだって
車のキーを刺して金属製のキーホルダーを台の金属部分にアースさせるって人もいるらしいけど。 横山やすしさんがダウンタウンの漫才を酷評
後にダウンタウンは関西の番組に出演し
人気者になった。 >>246
酷評するってことは見込みがある。って事だよな。
ホントに下手糞だったら、酷評すらしない。 やすしさんは落ちぶれた
西川きよしさんが政治家になった >246
「ライト兄弟」だった頃の話だね
「こんなのはそこいらの立ち話だ、漫才になっていない!」とボロクソ >>251
自分等の立場を脅かされる脅威を感じ取ったのかな? 球団の帽子を被っている子供がよくいたけど今は全然見ない さんまはやすしに気に入られたそうな
DTは弟子修行なかったんで、そのへん下手くそだったんだろう
特に松本は難しい人格 >>257
小朝師匠は、大ネタより雛鍔くらいの方が自分は好み。 昭和50年代にコンピュータと制御を合わせて「コンピュートロール」
という用語が出て来た。コロナ社(!)からは同名の技術雑誌も出ていた。
しかし、今や家電レベルでも制御といえばコンピュータ制御が当たり前
なので結局定着しないまま廃れて行った。 昔のコンピューターって磁気テープかなんかがくるくる回ってるやつだったよね 80年代初頭にオフィスビル清掃バイトであるフロアが外資系銀行。
「穴あきテープ」の残骸である細かな紙片が貯まったカートリッジを抜くのに失敗すると
直径一ミリ程度の紙片が散乱して無駄に実働時間延長。
(当時のオフィス清掃は名目時給勤務時間無視で清掃終了=仕事終了)
バイト先先輩に「コンピューターって結構、ゴミ出ますね」と話しかけたら
「あれはテレックスだよ」と。
社会人になっても一度も使わず謎の存在な「テレックス」 >>265
テレックスの修理で東南アジア某国へ海外出張に行ったのは
良い思い出。
現地から「直ったよ」って電文売って「お疲れさん」と返信が有ったな
(実際の文言は違うが) >>264
そういや電算写植の紙テープ読める人がいたな。 CMソングに高中正義 T SQUARE CASIOPEAの曲が流れたり 天気予報だけの番組って見なくなったな。結婚式場やホテルとかがスポンサーのヤツ。
たいがいニュース番組の中の天気コーナーとかで伝えられるようになった。 テレックスってば昔のTVドラマとかで新聞社にいる奴が
流れてくるテレックスの穴あきテープ読んで
「おい、大変だ!」なんてシーンがあったな >>271
細かい事だが、それはテレックスと違う
テレライターやテレプリンター と言う >>269
ヤン坊マー坊天気予報は、関東では20世紀のうちに終了してしまったので、一部地方で6年前まで放送されていたハイビジョンCG版(横長画面・音楽のアレンジも違う)はお目にかからずじまい。 君と僕とでヤンマーだ
↑
この間にある歌詞を
知らない世代も多いよね
↓
小さなものから〜 >>277
我が家はNHK派だったから、そのCMみたことないんだよなぁ 青柳ういろう天気予報
ふるふらフルール
何がふーる 「あがりコーヒーゆずさくら」か、「あずきコーヒーゆずさくら」か。 >>277
俺も、NHK派ってわけじゃないけど(全員集合とか普通に見てた)、夕方は、ネコジャラ市や新八犬伝、レンズはさぐる…で、そのままNHKの天気予報って流れだったから、全然馴染みも昭和感もないな。 >>277
もう、日本人の過半数は知らないのでは?
俺も50過ぎだけど、その部分は、天気予報本編のインストだけのBGMになってて、歌詞があったことも全然知らなかった。
一族がヰセキ派だったので、ヤンマー販売店やセール(販促)にも縁がない >>283
夕方5時のアニメ(当時で言う漫画)は、俺にチャンネル権があったが
6時からは姉の時間で、子供ニュース、少年ドラマ、人形劇、そしてローカルニュース枠
って感じだったなぁ 昭和の病院は、(今の基準看護ってやつではない時代)
必ず付き添いが必要で、24時間誰かがベッド横についてないといけない、
家族が無理だったら付き添い婦という人を雇ってた
その人が、患者の体を拭いたり着替えさせたり、食事を食べさせたり
寝たきりの人の体の向きを変えて床ずれを予防したり、してた
と聞いた。
で、点滴とか注射とかは医者の仕事だよね?
看護婦はその頃なにしてたの? >>287
カラオケで歌うときがあるけど、しばらくカラオケ行ってないな。 >>269
田舎だとまだやってる
スポンサーは地元の工務店とか老舗和菓子屋 焼き鳥みたいに串に刺したおでんて本当にあったのか? >>269-282
僕の大学は法政
僕の大学は慶応
ふたりあわせて包○だ
きみとぼくとで○茎だ
ちいさなモノからおおきなモノまで
うごかすちから
……と、いう替え歌を
「シャインズ」というお笑い芸人(のちの「東京プリン」)が
オールナイトニッポンでゲスト出演したときに歌ってたな >>261
ウルトラセブンて穴のいっぱいあいた紙テープを見て「な、なんだってー!」ってキリヤマ隊長が驚くのが不思議だった
なんであんなの読めるのかと >>284
漁船のエンジンみなヤンマー
ディーゼル発電 ディーゼルポンプ
建設工事もみなヤンマー >>294
その歌は大川興業
シャインズのネタは別
デーモン閣下のANNだね シャインズの片方もだいぶ前に死んじゃったんだよね
ねほりんぱほりんのテーマソングも元ネタわからずに
見てる人多いんだろうな 閣下と大川総裁は昔からの知己で
どちらも全く知名度なかった頃からお互いを「総裁」「閣下」と呼び合っていたから
周囲から、コイツラは何者だ?と奇異な視線を浴びていたらしい デーモン閣下のオールナイトニッポンはトークもネタも神がかった面白さだったね
聖飢魔II信者じゃなくても面白いから聴いてた あー何度か聴いたわ
「我輩が世を忍ぶ仮の小学生だったとき給食の時間に放送で掛かってくる
『パンパンパンパンパンカカパーン アンパンジャムパンクリームパーン』
という歌が好きだった」
と語ってたのが何か印象に残っている >>295 〇は穴無し、●は穴ありで、
〇●〇〇゜〇〇〇●〇 (小さい穴が送り穴。これで左右が決まる、一番右がチェックビット)
0 1 0 0 0 0 0 1 (偶数パリティ) で41Hex='A' ASCIIのコード表知ってれば読める。 明星はもうないのかと思っていたらアルファベット表記になってまだ健在だった
平凡もあったね >>312
昔は 明星 (小さい字でTHE MYOJO併記)だったけど
今は Myojo(小さい字で明星併記)に変わったね
そして男性アイドル専門誌になった… >>313
中山千夏の「君たちは魚だ!」っていう冒頭のナレーションと
佐藤慶が屋台で一升瓶の酒をラッパ飲みしてるシーン(後から范文雀がやって来る)と
范文雀と石橋正次(だったかな?)がプールに入って◯◯◯してるシーン
は、よく覚えてる。。 このスレ還暦多そうで驚いてる
>>39
確かに今はそこまでの事件はまったく見なくなった
でも凶悪事件や人身売買は今でも普通に起きてて表に出なくなっただけだよ
銀行強盗なり誘拐みたいな人目を引きそうなのが減っただけ
犯罪の総数が減ってるってことは認める
でも30年前の方が治安良かったと思う 若い姐ちゃん店員が釣銭を無造作にテーブルに叩きつけてた
今なら問答無用でクビだよな 40年前の明星は、音楽誌も兼ねてて、ピアノ譜とかギターコードの弾き方とかの記事もあった 衝撃的スレの内容だが
小学校の時、近所(徒歩圏、学区内)に本屋が無く
街の本屋へ行き「明星」を見つけたときは、こんな本があるのか!! と衝撃を受けたね >>320
付録の『歌本(うたぼん)(俗称か公式名かは知らんが)』が付いてたのってその辺りの雑誌だっけ? 洋楽の情報も見開きページで掲載されてた。クイーンやBCRなんかはもとより、
マイナーな(邦楽アイドルファンにとっては)アーティストも載ってたりで参考になったな。 ゆうゆと言えばクイズ!年の差なんてを思い出すな
中山秀征と付き合ってたのは有名だったね >>313
高松さんは映画ては悪役ばっかりだったけど車先生役やってから人気者になったね
巨人の星をもし実写版やっても星一徹ならこの人しかいなかったろうな 久しぶりに本田美奈子の歌聴いたよ
透明感の中に力強さがあってさ
こんな歌姫は今いないよ >>329
それでも当時は一部の勘違い音楽ファンからは酷い言われようだった、
リアルタイムで聴いてた者からすると、亡くなった時の高評価に
むしろ違和感を覚えるくらい。 >>332
アイドル出身だと叩く人いるもんね
本田美奈子はエロいアイドルだったし というか、普通に態度悪かったからねミナコホンダ
アイドルの癖にブライアン・メイとかゲイリー・ムーアと共演したりしたのも生意気だ!って言われたし 本田美奈子はマドンナにかぶれる前は素直な歌い方で良かったのになんか変な癖のある感じになっちゃったのが残念だったわ 昨今のコロナ関係で
郊外型商店が19時に閉鎖するようになってきた
なので20時頃帰ると
ローサイド店の電気は消えているし、車の通りも少ない
昭和の時代はこうだったんだよなぁ 70年は万博で国民的エネルギーが溢れ出し
72年は浅間山荘事件、沖縄返還、田中総理誕生、日中国交正常化と、95年までつづくパラダイムシフトの年。
73-75は暗いながら叙情的なカルチャーが大正時代以降二度目に花咲き、マンガや音楽分野で傑作累々。
四畳半フォークに代表される音楽界も、かぐや姫、陽水、拓郎、泉谷、ハコ、チューリップ、チェリッシュ、ト・ワエモアなど多彩。
同時に、スタ誕系のアイドル(中三トリオなど)がユニット全盛期を迎えて、アイドルの定義も確立。
70年代後半はカウンターカルチャー、サブカルチャーの時代。
音楽は中島みゆき、ユーミン、サザン、チャー、ツイスト、ゴダイゴなどが台頭。
映画では『儀式』『サード』『ヒポクラテスたち』『太陽を盗んだ男』『旅の重さ』『愛のコリーダ』、清順作品など、
反大作の作家たちが傑作を次々発表した。
こんなピュアな時代、もうないかも。 >>322
平凡、明星の歌本て、洋楽の歌詞にカタカナで振り仮名付いてた。
トゥ トゥ ポ マシェリ マ シェリー♪
みたいな。 >>322
あー付いてた付いてた
ピアノ習ってる子が歌本見て音楽室でさらっと
「赤いスイートピー」弾いてくれて格好いいと思った >>339
ヒポクラテスたちで内藤剛志の部屋に気狂いピエロのポスターが貼ってあったけど
気狂いのところに×してたのが印象的だった アイドル不作というと1983年(昭和58)があるが、79年もなんかそんな印象ではある。
井上望、倉田まり子、桑江智子・・。ん〜微妙だねえ。久保田早紀も入れようかな。
逆にニューミュージックの勢いは出色だtな。サザンやツイスト、甲斐バンド、
さらにオフコースやチューリップみたいな70年代前半組もベストテンにチャートイン。
ある意味「バンドブーム」だったかも。 あおい輝彦は「あしたのジョー」もやってて大忙しやなw 79年は何と言っても西城秀樹YMCA
本当にカッコ良かったなぁ。
歌も最高に上手かった。 >>349
ありがとう!なんか元気が出ると同時に
涙出てくるわー。
ハツラツとしてて、爽やかで、でも曲によっては
感情が入って聞いてて観てて泣けてくる素晴らしい歌い手だったな。 山口さんちのツトム君
ちんちんぽんぽん
泳げたい焼き君 >>353
「チンチンポンポン」は、原曲のイタリア語では、汽車の走る擬音(シュッシュッポッポ相当)らしいが、日本ではその音から全然違う意味の曲にされてしまったらしい。 元々の歌詞を日本語にするとこんな感じ
汽車が走っていくよ 子羊ちゃんは見ている
今日も汽車は走るよ 一体どこに行くだろ
ラララ… シュシュッポッポ チュッチュ >>360
馬場より隣の顔と髪の毛の高さが同じ女が気になる 写真の中で銀ブラって言葉が使われてるから
最近シッタカ番組で「銀ブラとは銀座のブラジルって店でコーヒーを飲むこと」って言ってたのは嘘松千万だったんだね Youtubeでニュース速報のテロップみるために昔の動画
みているけどなかなか見つからない 昭和の飛行機と言うとYS11とフォッカーのフレンドシップ。
あと日航のミニスカCA >>360
4枚目、一瞬ジャンボマックスかと思った… ドリフ途中で見なくなったなと思ったら裏で欽ドンやってたんだなあ >>370
昔はお正月でも普段やってる番組を放送してたんだね まだステレオ(音声多重)放送がはじまってないんだ。 テレビ朝日がまだNET、テレビ東京も東京じゅうにちゃんねる! >>376
40年代以降開局した局から。
VHFで開局したのは東京12ちゃんねる(S.39)が最後。
中継局では茨城の日立中継局が昭和36年実験放送で、38年に本放送開始。 >>375
欽どこの初期がまだNETだった
いつものアナウンサーが人気者だった >>379
看板にある「千○専門店会」というのが読み取れない。
人々の服装からいって昭和40年以前で、そのころに電話番号が4桁で自動化されていると思われ、そこそこ大きな町(市)で、東京23区内ではないかも。
千歳?だとして世田谷の千歳か北海道の千歳市か? >>379
スーツの形、子供たちの服装、屋根の材から見てそんなに古くないな
せいぜい昭和40年代だな
40年代半ばを境に二眼レフは急に衰退するので、そのあたりだろう >>379
画像検索してみたら、「駐留米兵が撮影した昭和30年代の千歳等」というキャプションがありました。
北海道の千歳みたいですね。 >>381
>>40年代半ばを境に二眼レフは急に衰退するので、そのあたりだろう
30年代には、ペンタックス、コーワ、ミランダ、ペトリ、オリンパス(ペン)、ヤシカ等35ミリのカメラが台頭していて、ニ眼レフは過去の遺物あつかい、40年代には巷のカメラ屋では見かけなかった。 >>381
>>379の写真は二眼レフで撮影したってこと?
どうしてわかるんだろう?縦横比? >>388
子ども抱いてるおっちゃんが二眼レフ肩からぶら下げてない? >>379
カラーバランスは元のままじゃなく現代で調整したんだろうなあ >>388
てか二眼レフの縦横比なら120ってフィルム使って、6×6の正方形ってイメージだな。
実際は6×7、6×9とか4×4(あ、正方形か)とかいろんなサイズのがあったと思うけど。 >>387
新品の流通だとその感覚だろうけど、高価な耐久消費財としての寿命はもっと長かった
機材の価格が庶民に手が出せるレベルまで下がり、35ミリフイルムの経済性に優位性が出た(6×6の二眼レフから一眼レフに買い替えた方が得になった)のはやはり40年代半ばだと覚えてる >>389
二眼レフカメラをきちんと見たことがないから、ぶら下げてるのが何か分からなかった。 >>376
広島で、昭和45年に開局したホームテレビと、50年に開局したテレビ新広島がUHF局。
ホームテレビを見るときは「Uをつけて」って言ってた記憶がある。 U が映るTVって、 オールちゃんねるって言ってなかった? 北海道貧乏旅行してた時は
日本食堂でモーニングよく食べた
朝6時台に夜行列車が到着する頃からやってたんだよね >>399
あ〜、 各地にあった印象
今どき、日本食堂なんて書いていないから、全然分からないですよね。
色々な店名に分かれていそう >>399-400
その会社、今まで「日本レストランエンタープライズ」って日本食堂の面影のある名前だったけど、今年4月から「JR東日本フーズ」って社名になった。
www.nre.co.jp/
構内食堂は、コーヒーショップやおにぎり屋、ラーメン屋等に形を変え、駅弁や駅ナカのコンビニのセントラルキッチンもやってる。 >>392
40年代前期(43年前後)には、観光地やお祭り、運動会なんかで、ニ眼レフ使ってる人なんか見たことない。
40年代と言えば、反射笠のついた、1回こっきりの写真電球を使う“フラッシュ”が使われていたのが印象に残っている。 110カメラ持ってたけど
フラッシュって使うと見るも無残な姿になって悲しかったな >>402
1970年前後(昭和40年代前〜中盤)、友だちのお兄ちゃんが二眼レフ持ってて、なんだかわかんないけどスゲーと思った。
その人以外の知り合いで二眼レフ持ってた人見たことなかった。
そのあたりから、本格的な趣味として写真撮ってる人以外でも、カメラ持ってる人増えてきたよね。
オートフォーカスのコンパクトカメラとか、ハーフサイズとか、110や126?だったっけかのトイカメラみたいなのとか、低〜中価格帯で取り扱いも簡単なのがどっと普及してきた。 オートフォーカスならα-7000出た時よりもジャスピンコニカ出た時のほうが驚いたな 新幹線に食堂車ついていた当時は運営している事業者表記もあった。
日本食堂・帝国ホテルetc 一番安いカレーライスでさえ1981年当時で700円したな >>409
自己レス。
昭和50年代、これに食い付いた。 俺はα7000が欲しくてバイトした
でも
当時普及しつつあるビデオデッキを買った
(当然 テープも) オリンパスはひとケタは-(ハイフォン)が入り
ふたケタは入るのな
OM-1, OM10のように
ところでハイエンドOM-4を買えば一生モノになると思って買ったのに
デジタル化でただの昭和の化石になってしまったよorz 清水の舞台から飛び降りる気分で買ったミノルタXDはまだ活躍してくれてる ヨドバシって、家電やパソコン買いに行くとこじゃなくて、印画紙や現像液の粉や、トライXの詰め替えフィルムを買いに行くとこだった。 逆光は勝利!
世はなべて3分の1
頭上の余白は敵だ! 一眼をつかいはじめて数年経ったころ登場したα7000。
シャッターを押すとほぼ瞬時にピントリングが動いて合焦、液晶ディスプレイ、ダイヤルではなくボタン操作なのにも、突然、未来のコンピュータカメラがやって来たと感じさせた。まさに黒船。 >>421
今も職人系はしてないのが多い
そりゃ邪魔になるもんな >>423
現場で指輪を何かに引っ掛けて指を切断した事故があったので、うちの会社では就業時間内は女性を含めて指輪禁止 >>418
コンパクトカメラ(レンジ交換不可)だと
オートフォーカスが普及しつつ有り
ようやく一眼カメラ(当時はそう言わなかった気がする)に
オートフォーカス機能が付いたか。と思ったね。 子供のころ荒井注ってあまり好きじゃなく、淡々と笑顔も出さず芸に徹してた姿が
ちょっと馴染めなかったが、改めて動画とか見ると結構ボケっぷりがすごいな。。w
あの頑固っぽい表情で次々と長介に絡んでいくさまは80年代以降の毒舌漫才っぽいニュアンスも感じる。 ボケの天才といえば横山やすし。
清が彼の才能をうまく引き出したということもあるが、
あれはやっぱり天才だよ。 >>428
一眼、特に望遠使った時に比べれば、大衆向けのコンカメ(当時はバ○×ョンと呼ばれていた)のピント合わせなんてピント合わせのうちに入らないよ。
それまででも、花、人物、山のマークに合わせるぐらいだし、もともとコンカメにシャープな写りは期待していなかった。
被写体と1m以上離れるとか基本のきだったから、ジャスピンコニカにはこれくらいで威張られても?って感じだった。 >>431
昭和の話題で 清 って言うと 大久保清だよな バブル以前までだと、給料遅配、一時帰休なんて当たり前だった、
金銭的に余裕のある人は貯金、そうでない人は何らかの伝を頼ってバイト、
はたまた質草になりそうなものをストックしてた、
最近のコロナ自粛で何でもかんでも国にたかる姿は滑稽に見える。 >>402
何回も発光出来るストロボが普及する前に、一回発光したらお終いの発光部が何個かついたフラッシュがあった記憶がある。 >>435
トイカメラにくっつけるフラッシュキューブ? >>421
付けても邪魔にならない職業でつけてる人は、「私を色恋沙汰の対象にしないでください」というアピールらしい。
(いや、そう言われなくてもおめえは対象外だから!と言いたくなる奴ばかりだということはこの際触れない) 給料と言えば手渡しだったな。給料日には夫が帰宅すると家族総出でお迎えという画があった。 >>434
給料遅配は今でも少なからずある
少し前の話だが「はれのひ」とか >>438
オレが去年までパートやってたクリーニング工場は
パートはもちろん正社員も現金で手渡しだったわ 時計が景品のガチャガチャで中身はほぼゴム人形とかシール
今こういうの見かけないね >>438
それが急速に銀行振込になったのは三億円事件のせい
東芝府中工場の従業員向けボーナスが強奪された
東芝府中工場は府中刑務所の隣 TBS サザンオールスターズのコンサートを生中継
1985年のコンサートはKAMAKURAの曲だけ流してほしかった。 >>441
あたりが出るとは限りませんと書いてあるガチャガチャは今でもあります。 >>436
ポラロイド用にその電球が横にズラリ並んだフラッシュバーもあったな。
使い捨てなのに見た目にもゴージャスで、さすがアメリカらしいと思ってた。 ボウリングブームがあったけど、今じゃボウリング場も相当減っているよね…と思ったら再燃の兆しがあるの!? 1970年代の東京
銀座の夜景 (1972年) / 雨の新橋駅 (1979年)
https://youtu.be/-tKCxTLHjug 1970年代の東京
昭和の日本 | 銀座 上野 車載カメラ 地下鉄
https://youtu.be/EW8-_Im5Jcw Tokyo Expressway 1971
1971年の首都高速車載カメラ HD(昭和46年の日本)
https://youtu.be/3KGIrhUJlMM >>447
昭和40年代のボーリングブームの後、平成にもちょっとしたブームがあったでしょ。ディスコ風に電飾やら音楽やら流して。
昨今はボーリングといえばラウンドワンだわな。 街の景色はそれほど劇的には変わらないが、クルマの形で一気に「ああ、昔だねw」という
瞬間移動的な気持ちを誘うマジック・・。 >>447
近所のボウリング場の駐車場に車が増えているので
ブームとまではいかなくとも、それなりに任期は上がってるみたいだね プロレスはいろんな世界タイトル戦よくやってたけど日本選手権見たかった(´・ω・`) >>438
父親が給料袋を渡すとかそういう記憶ないんだよね。
親の方針でわざわざそういうのを子供の前でやらなかったのかも?
でもいまだに給料手渡しってあるよ。
しかも従業員が手渡し存続希望してたりするからビックリ。 >>464
白黒だとまるで昭和30年代みたいだな。 >>448-450
すごいなー
まるで現代人が50年前に行って撮ってきたような映像だ 大学の入学祝いに万年筆、というのがあったけど今はないだろうな 1950年代の日本・東京
昭和31年 (1956年) | 銀座四丁目 - 東京駅 - 皇居
https://youtu.be/52XpwRz4yxQ
1960年代初頭の日本
昭和36年 (1961年) | 東京オリンピック前 東京タワー 銀座四丁目
https://youtu.be/_IEQZZwRpQ4
1960年代後半の日本 銀座の夜景
昭和の日本, ネオン街, 銀座中央通り
https://youtu.be/bPfFlQJkDMU さんまがヤングおーおーのレギュラーで、小林繁の物まねとかやってた頃か・・w >458
ロケンロー創始者の1人でもあるオカマの伝道師
という情報量の多すぎる人生 >>472
その前はザ・パンダ
ヤンタン ANN に出演していた頃やね >>469
自分の回りでは中学校の入学祝に万年筆がポピュラーだった、およそ45年前。
国語で万年筆での書写の課程があったときはいろんな万年筆の見せ合いっこだったけど、クラスで一番の秀才は雑誌の付録の安物を平気で持ってきていた、変人だと思った。 1957年 岸信介が外相兼任のまま第56代内閣総理大臣に就任
警職法改正以外に防諜法(秘密保護法)の成立に、意欲を見せていた
日米安保を巡って、国会議事堂前を
連日デモ隊が包囲
新安保条約批准後岸は、総理をやめた >>478
頃というか、そのものズバリの映像じゃないか? 第七病棟の旗揚げ公演を見に行ったときは16歳だった。 画質って大事だな。
ステンの電車(205系)や自動改札が写っているバブル真っ最中の平成なのに昭和50年かそれ以前と言っても通りそう。昭和のニオイがプンプン。
16mmフィルムで撮っていた石立鉄男が出ていたドラマのよう
関東以外の人にみせたら信じそう。
youtu.be/xGZaMongfts >>482
アンカー忘れた。
てか数年後?阿佐ヶ谷オデヲン座だったかでも公演あったね。「ビニールの城」だったか? そのときは残念ながら行けなかった。
旗揚げは砂町富士館で「ハーメルンの鼠」。 >>469
今でも一定数いるみたいだね
使わなくてもそんなに邪魔にならないし
もらって頭を抱えることもないので >>484
そうだったか
三軒茶屋と浅草は行ったな 大衆食堂なんかでは他の客の食べ残しを手直ししてまた出していた >>487
そういえば昔、黒柳徹子さんは、パセリは食べないで
(使いまわしできないように)小さくちぎる、って言ってた。 >>449 >>470
随分鮮明な画質だけど当時の機材なの? それか加工? 書面のコピーが欲しい時には町の文房具屋に行って書類手渡しして1枚100円でコピーしてもらってた >>487
船場吉兆が各地で日常茶飯事だったな
特にパセリとかやってたろうな >>490
そりゃもちろん加工でしょ
フレーム数とか走査線の数を増やしてる
どういう処理でやってんだか知らないけど
今、こんな映像が観れるなんて素晴らしい
タイムスリップに一歩近づいたような感覚 >>491
乾式コピーが普及する前に、湿式コピーってのがあったな。
さらに前は青焼きってのが主流だったかと。要は「日光写真」の印画紙だよね。 リソグラフってのもあったな。
比較的若い人でも知ってる応用例が、プリントゴッコ 学校の備品だが、プリントゴッコみたいにフラッシュ焚いてOHPシートを作成するトラペンアップ、FAXの要領で、謄写版の原紙を作成するトーシャファックスがあった。 昔は世話好きのおばさんがいて、見合い話を持ってきた
今は自力で探すしかない >>493
喫茶店で食べたクリームソーダのサクランボが、ポテトサラダの味だったことがあった。 街中だとたいてい近所に小児科はあったが、犬猫病院なんか探さないと無いぐらいだった。犬猫に医療保険をかけるなんて考えられなかった。 >>487
カレーとライスが別に出て来る店でカレーポットの中のカレーに
飯粒が入ってるの見つけた時には食うの止めて金だけ払って店を出た
その後そこには行かなかった >>500
30年前に紹介されたのは子持ちのバツイチだった。
そういう人しか残っていないよ、って話。 >>495
いまだに建築製図は青焼きつかってるんだよ
・コピーやプリントアウトよりコストが安い
・図面の誤差がない(コピー機は図面に誤差が出る)
などの理由で >>500
もう四半世紀も前になるけど友人が見合い結婚したんだわ
そのころでも、今の時代に見合い結婚なんてあるんだなあって思った
ただ、奥さんも友人も会った瞬間に「あ、この人と結婚するんだな」って感じたそうで
そういう愛称を見抜く「お見合いおばさん」がいなくなったってのも減少の一因かもね >>506
なるほど製図か!
重ねてそのまま焼き付ければ誤差なしだよね。 トイレットペーパーが無かった
ちり紙が便器の右まえに積み上げられていました 水道水が基本的な飲み水であって、
それ以外にわざわざ金出して水を買うとか考えられなかった >>510
今でも売ってるような白くて柔らかい(水洗でも使える)紙と、灰色でゴワゴワした紙(ボットン専用)があった。
さらに、新聞紙をちり紙サイズに切ったの(もちろんボットン専用)置いてるとこもあった。 >>520
プラスチックのって、きんかくし部分もすっぽり覆うようなの?
10年ぐらい前だったと思うけど、どっかのホームセンターで見かけた。
まだ現役だったのか!と感動した。
木でできてる蓋もあった。前面先端部分がきんかくしの内側に嵌まるの。
そういう汲み取り便所の片隅には、「煙出し片脳湯」の缶が佇立していた。 >>513
子供の頃遠足の水筒の麦茶が微妙に温かくて気持ち悪かったなあ。
緑茶は変色するし。
今は色々選択肢があってすごい贅沢だよね。
ステンレスポットに氷いれて飲み物入れればいいし。
スポーツドリンク初めて飲んだ時はすごい変な味だと思った。 >>522
運動会のときに母親が魔法瓶の水筒をもってきたのに、落としてしまい中の硝子が割れてガシャガシャ音がしたのをおぼえています >>506-508
青焼きしやすいように、建築製図はペラペラのトレーシングペーパーで書くんだな
建築士の資格が昭和の頃は今よりはずっと取りやすかった
中卒大工とか、高卒左官工とかでも取るの可能だった
今は建築学科のある大学出てないと受験資格がほぼない
低学歴でも実務経験があれば受験資格がある建前になってるけど、その実務経験の基準が厳しすぎて、低学歴では無理と断言できるくらい
姉歯のせいです こっそりジュース持ってきてチクられてる子が必ずいたな カプリソーネ凍らせて持ってきたな。昼になっても全然溶けてなくて飲めないの 口口口ー□□
はがきや封筒の郵便番号。
レコードに入ってた変色したアンケートハガキ見たら懐かしくなった。 ガス炊飯器ってサイズがデカかったですよね。容量が多かったのかな? >>531
農家が半分くらい混在する集落出身だけど、一体型の炊飯ジャーが普及する昭和50年ごろまで、近所、親類、友達の家で電気炊飯器を使っている家は見たことがなかった。
釜で炊くご飯を知っている人たちにとって、電気釜は、最初は物珍しさで使っていたが、美味しくないうえ、時間もかかり、量も炊けないからだとか。
NHKの朝ドラなんかで、昭和中期の家庭電化のアイコンとして電気釜ばかりが出てくるのには結構違和感を持っていた。
スタンドアローンの電子ジャーは売っていたけど移し換える手間があるせいか、使っている家はあまり多くなかった
炊飯ジャーが発売されると手間がかからないことが優先されたのか、結構ないきおいで切り替わっていった記憶。
>>532
家庭用のガス炊飯器が廃れたあとの業務用しか見たことないんでは?
うちで使っていたガス釜も一升炊きだと思ったけど、いつも炊くのは、5合くらいだったよ。 >>533
もう一つの理由は、農業が機械化されて労働が軽くなったこととおかずが増えたことが原因で米を食べる量が減ったからじゃないかな
家族5人で1食一升だったのが四合で済むくらいまで減ったと思う 病院の薬は院内処方が当たり前で、市中の薬局の調剤室(ないと薬局として開業できない)はあっても開店休業状態。
病院でもらう薬にしてもなんの薬かわからなかった。 院内処方は薬出し過ぎるからなんて言われてるけどそれでも院外処方より安いんだよね
自分は院内処方の医院をネットで探してから行ってる >>534
売ってる商品が古そうw
昔は商品に埃がかかっててるのは当たり前だったよな
それを店の人がハタキで叩いてた ヒートポンプもIHも一般的*でなかったので、昔の電熱器具では熱出力からとうてい世帯の需要を満たせるものではなく、ナショナル、三洋といった家電メーカが、炊飯器のみならず、コンロ、湯沸し器、ストーブなどのガス、石油機器事業を展開していた。
*昭和期にナショナルとソニーからIHコンロは一応発売されてました。 そもそも売るものは毎朝外に出して閉店時にしまう
店の人は奥にいたので買うときは現物持って店に入って金払った
今みたいにまずは空調効いた店に入って、って感じじゃない店多かったなあ >>534
カネヨクレンザーのパッケージはおしゃれなレトロ感を狙っているのか
元々のデザインを変えないまま今に至ってるのか謎だったけど
これを見て後者だと分かってすっきりした >>534
ママレモン発売(S.41)以前かな。
ママレモンはよほど画期的だったのか、呉ラップでもサランラップと呼ぶような台所洗剤の代名詞どころかママレモン以外の洗剤が置かれている家を視たことがなかった。 雑貨屋さん。
殺虫剤で大正のワイパーってのがワイんちの定番品だったな。そのうちキンチョールになった。
あとはボットン便所だったのでウジゴロシのクレゾールとかも度々買ってたな。めし時に読んだらすまんw >>545
数年前の入院中点滴外して風呂入るとき看護師さんが
サランラップ巻きますねと言いながらクレラップ巻いてくれたw >>537
病院でもらった薬がわかる本、なんてものもあったな 深夜放送ファン(後のランラジオ)別冊、タイムテーブル号ってのがあった。
日本全国のラジオ局の番組表。 中2の時に電話級アマチュア無線を取ったけど無線機は買ってもらえず結局1度もやったことないや
とっくに無効なんだろうけど今なら自分でも買えるのに。と思ったけど今時アマチュア無線なんてやるヤツいるのかな
トリオとか八重洲とか欲しかった >>557
無線局免許は期限5年だが無線免許は終身
なので顔写真は取得時の年齢のまま爺婆になっても有効 昭和の頃って、家庭用洗濯用洗剤の粉末のは、ものすごくでっかい箱に入ってたよね
今は小さい箱の粉洗剤か液体が主流だ
ドラム式だとゼリー状
でっかい箱のも検索したら絶滅はしてないそうなのだけど、地方都市在住の自分の身の回りのスーパーやドラッグストアやホムセンで見たことがない (インフルエンザと関係のない)暖かい時期にマスクをしてるのは
医者か一部の看護師だけだった、
だからこの時期屋外でマスクをしてるのはやばい病気持ちか不良、
もしくは口裂け女だった。 >>557
登山に行くとやっている人を見るよ。
頂上からどこまで繋がるか、みたいなことをやってる。機材一式持って登ってくるんだわ。 これがTOHOシネマズの本気か 営業再開ラインナップが全力過ぎる
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1589490567/
『エデンの東』(55年)
『ベン・ハー』(59年)
『リオ・ブラボー』(59年)
『俺たちに明日はない』(67年)
『タワーリング・インフェルノ』(74年)
『AKIRA アキラ(IMAX)』(88年)
『ショーシャンクの空に』(94年)
『ブレードランナー ファイナル・カット』(07年)
『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』(19年)
『君の名は。』(16年)
『シン・ゴジラ』(16年)
『天気の子』(19年)
『パラサイト 半地下の家族』(19年) >>560
大きな箱は大学や高校の体育会系クラブの合宿所で需要があるらしいよ >>565
粉洗剤、アタックの小型化のとかが出たときに、付属のスプーン1杯で従来の洗剤(確かコップ2/3ぐらいの量使用)と同じ洗浄力って言ってたと思う。
デカいのは、非小型化・非濃縮だからいっぱい入ってるっていっても、見かけほど多い回数使えるわけじゃないはず。 野間美由紀さん死去
https://i.imgur.com/uQDQkaG.jpg
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1589516675/
虚血性心疾患のため死去した。59歳だった
1979年にトライアングル スクランブルでデビュー。
1983年には「パズルゲーム☆はいすくーる」の掲載が開始され、
長年にわたりシリーズ化するなど人気を博した。
お悔やみ申しあげます >>567
ちなみに柔軟剤のでかいのは、中身非濃縮で、最近の小さいボトルの2〜3倍ぐらいの量使わなきゃならないまんまだよ。
キャップでかい。
でかい粉洗は、小さいアタックやトップと同じ量でよくなってるの? 裏返して使用量の目安みたいなとこ見てみ。 昭和末期だったか、なぜか山崎努が女子大生の人気があった。
タモリとかも受けてオジサンブームになってた。
あと好きなタイプに根津甚八とか言うと、「あー、はいはい」みたいな。 ∧_∧
ピュー ( ^^ ) <これからも山崎を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉 単に羅列だけして面白いかねー!?
私物化の自分記録? 俺平成生まれだけど、5年前に入社した40代の中年男性達に幻滅
契約社員。
ため口は当たり前。
仕事はないときに箒もって掃除する振りをしてやりすごす。
不機嫌
仕事中嫌いな人間の悪口
昼休憩は会話がない。
帰りのバスの車内では黙ったまま。
昭和生まれなのに、「精神年齢が幼い。」
結婚はしていないみたい。 就職氷河期世代は親に否定されて生きてきた。兄弟やバカにされボロ雑巾の様に扱われる。 >>577
平成生まれですが、大好きな昭和について語っていきます >>573
昭和の終わり頃ライスボウルの社会人代表は
レナウンローバースが定番で学生に負け続けだった >>579
>帰りのバスの車内では黙ったまま。
それは良いんじゃね? バーコードなんてなかったからレジで金額を手打ち
今は商品通すだけでいいんだからかなりの時短になったね >>588
10キーじゃなくてそれぞれの桁が1から0まであるレジがあったね。 バーコードが、普通になったのって平成になってから? >>590
そうだね
平成元年の漫画でバーコードハゲという言葉が載ってたから。 >>587
スーパーだと値段だけでなく商品の部門(日配品、塩干、日用品とか)も一緒に入力しないといけないので、どの商品がどの部門か覚えなければいけなかったな >>578
330の2.8ブロアムかでかくていい車だったなあ
NAPSって51年規制クリア用に開発されたんだけどやたら出力落ちて
ケンメリとかもNAPS付きはむちゃ馬鹿にされてた 桃の缶詰を食べてて思い出したけど、
大きな空き缶二個にそれぞれ穴を開けて長い紐を通して
紐を持ってその空き缶に足を乗せて竹馬代わりに
カッポンカッポン歩いて遊んだ記憶があります。
後、あの空き缶竹馬でよく歩いてた三つ子の兄弟が出てくるアニメはなんだっけ? >>593
「でかくていい車」という評価がよくわからない
いい車の条件はコンパクトなことだと思ってるから >>595
缶ポックリだね
三つ子はサリーちゃん? そーいや缶蹴りって今の子もやってんのか? ワイは結構遊んだな。
空き缶はリサイクルで遊びには使ってはいけませんとかw 学校休業で毎日近所の子供たちが遊びまくっているけど缶けりとか鬼ごっこをやっている風ではないなあ、走り回っているけど。 そういえば、さだまさしが昭和の終わり頃、バンドのメンバーに
「まさし、驚くなよ、今の子どもはかくれんぼを知らん」と言われたという文章を書いてたな。 >>599
ジュリーのドタキャンはもう許してやれよw アルミの空き缶を輪切りにして回転させながらフリスビーみたいに遊んだ ジュリーと言えば当時は歌も上手いしセクシーで格好良かったな
衣装やメイクも奇抜だけど最先端で、まだほとんど誰もやっていなかったカラコンをやっていたりとか >>605
若い頃が派手だった分落差が凄いよな
元々地味だった野口五郎なんかはそんなに変わらない
若い頃より派手になったのはアルフィーの高見沢と美輪さん >>590
昔バーコードが付いてるものって外国のお菓子とかだけで
あれ見ると「わあ、外国!」と思ってた記憶
>>592
高校生の時ジャスコでレジ打ちのバイトしてたんだけど
まだ新人で隣にベテランさんが付いてやってた時
商品の中にコンドームがあっだけど何部門かわからず
でも聞くのが恥ずかしくて当てずっぽうで打って
当たってたのか何も言われずホッとしたことを思い出した
ってか今イオンみたいなスーパーで高校生のバイトっていないよね
何でだろう 昭和16年12月8日 午後5時の臨時ニュース「国民への呼びかけ」
https://youtu.be/rIFR2NuTxyw
日本の空襲警報 ラジオ放送【第二次世界大戦】
https://youtu.be/wznJKk9Htqw カーエアコンは販売店のオプション扱い。
購入時に勧められて予算オーバー。 バーコードと言うと
コンビニvs出版社(主に作家)の戦いが有ったな
本にバーコードつけないと、店に置かないぞ
vs
スリップにバーコード入れたから、それで良いだろ
(物理的な意味での)書籍にバーコードなどと言う汚いものは入れたくない
結果は出版社側の負けだが
昨今は新聞でも同じような論争が起きていて
バーコード付きの新聞が、出始めてきた 新聞は コンビニで 売って欲しくなくて 宅配を守りたいんだろうね
バーコードをつけなくて、 販売しにくいようにしているのだと思っています
はい最近はバーコードついているのもありますね >>612
唐沢なをきの「怪奇版画男」は、奥付まで全部版画という漫画なんだが
バーコードだけはそうもいかないので、その点が残念無念である >>612
最近は漫画のシュリンクにバーコード貼ってあるのがあるね。講談社。
本屋さんがシュリンクするんじゃなくて、流通前の段階でシュリンクしてあるの。 >>614
手描きでQRコードなんて話題になってるから、不可能ではないと思うんだけどなぁ そういえば今日 11時半からかな QR コードの話の TV 番組があるね シングルレコードも、末期(S.61頃?)にはジャケットにバーコードが印刷されるようになってデザインを損なっていた。
瓶ビールはバーコードを掲示するために背面ラベルが新設されたのにな。 >>618
NHKは「デンソー」という企業名・固有名詞を出すのだろうか。 >>620
最近、昔ほど厳しくないよね。企業名や商品名、けっこう出てくる。
もちろんデンソーも、開発者氏の名前と一緒に出てた。 夕方のスーパーでレジを任されるおばちゃんの手さばきは半端なかった >>622
「ミシュランガイドで三つ星」もミシュランを言ったり言わなかったり「ギネス世界記録」も言ったり言わなかったりするよね。
基準が分からない。 昔(50年以上?まえ)のスーパーでは、レジ係の人の横にサッカー係の人がいて、紙袋にキレイに商品詰め込んで袋の上端を折ってホチキスで留めるってのがデフォだった。
いまでもサッカー係の人が袋詰めしてくれるのは、成城石井みたいなとこぐらいか? >>579
高齢毒だから仕方がない。
コロナで解雇されても自業自得だから。 葬祭センターがなかったから全て自宅で通夜から葬式までやった
近所の人も総出で手伝っていた >>626
近所のスーパーだと
最混雑時にレジ係とサッカー係がいるよ
(昨今はコロナの関係でいないけど) もう40年近く前からだけど学生の時にスーパーでバイトしてて、最初はサッカーからで他に陳列棚の整理をこまめにして慣れてきたらレジ
当時は完全に手打ちの時代でしかも場所柄特殊な客層で早く打てないと客からガンガン責められるので間違えずに早く打てる人に集中
男でやってたの自分ぐらいだった 成城石井は今でもちゃんと袋詰めさんがいる。
そもそも50年以上前だとまだ記憶がない頃になるけど、
自分が物心ついた頃はまだスーパーなんかないし、
ショッピングセンター(単なる商店モール)で買い物袋を持っていって
買い物してた。
幼稚園って水曜日と土曜日はお弁当ないから、大抵そういう所によって
買い物してた記憶がある。
道路際に並ぶ商店街じゃなくて徒歩でしか入れない所。 スーパーが出始めの頃は覚えているが
昔は購買所と言って
国鉄、大工場等が従業員の買い物用に直営の店を作っていたよなぁ 魚屋
天井からゴムでザルを吊り
その中に金を入れて客とやり取りしていた
魚は新聞紙に包んで渡していた
ハエも多かった 深夜部活終えて自転車で帰宅すると1,2割くらいの確率で
野良犬が追いかけて来た
すげー怖かった いまでも>>637が言ってるような新聞紙で魚屋くるんでくれる魚屋が近所にあるわ
「○○市場」という名前のテナントに、魚屋と肉屋と八百屋と惣菜屋が入ってる
スーパーより安いわけではないけど、味が旨いせいで賑わってるなぁ
近所のマックスバリューはガラガラなのに >>641
天文部だったんじゃよ
週イチで居残り月イチで泊まり込み
届け出すたびに顧問が嫌そうな顔してた
活動内容にはノータッチでただ居残りしてただけ 大学生の時、下宿の近くに別の大学があって、夜中どんな深夜に通っても明かりがついて作業している部室があった。
民青だった。
今でもそんな気骨のある大学生っているのかな? >>644
ちょっと違うのだけれども JR の労働組合なんか夜中までやっていそう
どなたか知っていますか? >>637
東京へ出て初めてそう言う店を見たのは衝撃的だったな 東京と違って24時間やってるコンビニは少なくて唯一24時間やってるちょっと離れたサンチェーンに行くのがドキドキした
店の片隅にドンキーコングがあったので100円で1時間くらいやってた >>647
水たまりにあさりの味噌汁の貝殻とか捨てて埋めていた
あと未舗装路というかアスファルト舗装じゃないだけで市街の
道路は定期的に砂利を押し固めてマカダム舗装されてた 小学校が木造2階建てだったなあ
校舎のなか探険できて楽しかったよ
趣があってよかったと思う >>637
ゴムでザル、荻窪駅近くのマーケットにそういう店があったなー。
タウンセブンになっちゃったとこ。 >>651
冬の日、
木造校舎の前で朝礼をしていると 、各教室の 煙突から 石炭ストーブの 煙がモクモクと出ていたのを印象的に覚えています >>649
まあでも昔の写真のクルマとか見るとボディ下半分とか泥だらけだ。
道路を見ると舗装が割れて砂利や土が浮き出てたりする。
道路信号は本体を変形の六角形のゼブラ板に取り付けてたな。で、横断歩道は千鳥模様。 >まあでも昔の写真のクルマとか見るとボディ下半分とか泥だらけだ。
だからパトカー下半分塗装が黒、というのは都市伝説なのか真実なのか。 ボコボコの未舗装路があたりまえだったから
昭和の乗用車は大きさの割に床下が高かった
オーバーハングはバンパーに向かって斜めに切りあがってたし 低床バスという表示があった。
今はそれが標準なんだが、昔はバスも床が高かったんだよね。 バスは運転手の他にも車掌さんが乗っていたね
車掌さんがいなくなった後しばらくは「ワンマン」の表示が出ていたな そういえば「ワンマン」標示っていつのまになくなったんだろう。
平成一けたあたりにはまだあった気がするが…
トラックの三連の速度表示灯がなくなった頃か? 人工甘味料はマガイモノで害もある悪の存在と思う人が多かった
今やゼロカロリー低カロリーでソフトドリンクやストロング系
アルコール類の王道 >>659
後ろの出入り口のところの、車掌が立つスペースも気がついたら無くなってたな >>660
いまでは害のあるなしではなく、「まずい」ってのが最大の問題。
なんにも感じない人や我慢の範囲内だと思える人もいるみたいだけど、ホント不味いから。
飲料類なら、20〜30円高くても人甘不使用のが欲しいと思うくらいだけど、自販機だとフツーに同じ値段で使用と不使用あるんだよな。
見えるところに「人工甘味料使用」って表示しといてほしい。 コカコーラライトとかダイエットコークとかまずかったなあ
学生生協ではアスパルテームの入った飲料は販売停止にしていた 昔の立川バスは車体に犬のレリーフついてたので
ワンマンバスが出始めの頃ワンワンバスの言い間違いだと思ってた 天井にとまったハエを捕まえるガラスの筒
あれでまた捕獲したいなあ
道具あったとしても天井にとまったハエを見つけるの大変だけどw >>665
汚い物を汚いまま見せていたねw
汚さや貧しさをみんなが許容する前提があったからなぁ >>664
銀色で、ドーベルマンみたいなスリムな犬が疾走してる感じのだっけ? 平成初期でも蠅取りリボン使ってる魚屋あった。
お年寄り夫婦がやってて、鮮魚店がいつのまにか干物店になっちゃったような店。
ある日そこんちの子猫の背中に蠅取りのネトネトが付いてしまったのを目撃して魂消た。 ハエ取り紙は現役だぞ?
ドラッグストアにも普通に売ってある 学研の科学に「ショウジョウバエ育成キット」なんて信じられないものが教材でついてたなあ
母親が育成中の瓶を見て悲鳴をあげていたw 釣具店に鮒釣りの餌として当然のようにウジ虫売ってたな
ウジ虫じゃなくサシ虫という名で売ってたけどね >>672
醤油はお酒の一升瓶より一回り大きい2L瓶もあったよな >>674
あれ冷蔵庫の中に入れておけば孵化せずにサシ餌のままなんだけど、サシ餌の袋を出しっぱなしにしたのを忘れてて後でどエライ物を見てしまった事がある。 >>680
由来ありがと
本家本元もわんわんバスと呼ばれたとは面白い >>662
その不味い、ってのが全くわからない
普通のコカ・コーラとゼロと2つ並べて飲み比べてもわからない自信がある >>682
ゼロの方はコーラ独特の味が薄い
ってとこかな >>682
なんて言ったら良いか、口に入れた時点で甘さの質?が違うし、変な後味が残るんだよアセKとかアスパルとか入ってると。
それを感じないってのが不思議。
まあ感じない人がそれなりの数いるんだとしても、不味さを感じるほうとて、極端な少数派ではないと思うんだけどな。 チクロ、サッカリン騒動直後には「○○は全糖」って表示がされてたなぁ
三ツ矢サイダーとか、いかにも急造っぽい「全糖」とだけ書かれた紙ラベルが貼られてた 味が違うとは思うけど、そこまで極端じゃないな
むしろアスパルテームの甘みは砂糖みたいなコクを伴わず素直に甘いんで、スッキリしてて好きだ
人によりけりってことでしょう 駄菓子屋にあったチューペットのバチもんのあの甘さか。。 今でも親のかたきのように人工甘味料に拒否反応示す奴いるからね
人工甘味料使ってなくても砂糖オンリーじゃなく得体の知れない
液糖とか混入されてること多いのにな 昭和の神田沙也加は報道協定で目の周りが塗りつぶされて心霊写真みたいになっていた そう言えば最近見ないな。眼の所に黒いバーが付いた写真。 脚気の検査は小学校低学年ぐらいまでだったかな?
色弱色盲検査は社会人になるまであった記憶が
数年前に出てた座高検査が無くなった理由には笑ったよね「この検査に意味がない事がわかった」とか 電車はほとんどボックス席だった
知らない人と向かい合わせで座るのはちょっと嫌だったな
あと、駅弁と一緒に買うプラスチック容器のお茶があった 国鉄のボックス席では食べ終えた後のゴミは座席の下に押し込んでいた
行儀が悪いのではなく国鉄自体も認めた公式マナーだった >>692
意味ないって、昭和の医者は何をしたくて計ってたんだろう? >>695
座高が高い→胴が長い→内臓が発達している
こう考えたそうだよ 味の素なんかを科学調味料と言っていて、石油で作られていると思っていた。
今は旨味調味料と言い、原材料もサトウキビだと知ったが、使う機会が無い。 >>698
カップラーメンの具も石油からできていると思ってました。
小さなエビは石油ぽいし 今は「AJINOMOTO」が定着してるが、昔はお椀に「味の素」と記したトレードマークだったな。
食料品店の軒先や塀にホーロー看板とかがよく掲げてあった。
あと贈答用?の缶入りがあって、空き缶は小物入れかなんかにしてたなw その手の調味料はフレーブとかいの一番とかミタスとかの競合があった
結果味の素の一人勝ちだけど いの一番とか、ハイミーとかどうなったんだろうな
特にイノシン酸系調味料のいの一番は使ってみたい どうなったんだろうて、いの一番もハイミーも現役じゃん >>464
昭和のプロレスにおいて世界タイトルを名乗っていいのはNWA、AWA、WWFの世界三大組織だけだった。
なんでIWGPとかPWFなんかは世界の文言つかなかった
平成の初期ぐらいまでギリギリ世界タイトルに神通力とか集客力があった。
ジャンボ鶴田がAWAとって日テレだけどスポーツニュース出たりとか、
NWAとAWAの統一戦(フレアーVSマーテル)が全日本プロレスのゴールデンタイム復帰のときの
1つの目玉だったりした ↑ 誤爆?
さんまはペドロモラレスのファンだと聞いた。。 1960年代前半の日本 - 東京ドライブ
Tokyo in the early 1960's from Getty Images | Ginza, Japan, 1961
https://youtu.be/3D32DxMaQGk
1961年の東京 - 車載カメラ
1960年代前半の日本 | Driving through 1960's Tokyo from Getty Images
https://youtu.be/M9Da8Wyvb7o >>711
1982年に中森明菜がデビューして、その後ブレイクするまでは
「松田聖子&河合奈保子」の時代だったね☆☆
今は「松田聖子&中森明菜」で語る人が多いけど。。 松田聖子・渚のバルコニー
vs
柏原芳恵・渚のシンデレラ
1982年4月発売の渚をモチーフにした曲
今年の夏の覇者はどっちだ?
と言う週刊誌記事(明星だったかな?)を読んだ覚えがある >>713
河合奈保子は柏原芳恵とおっぱい比較みたいになってるな。 >>706
昭和の頃に世界タイトルに神通力があったと言えばボクシング
昭和時代はボクシングの世界タイトル戦と言えばほぼ90分枠の生中継だった
世界タイトル統括団体が4つになり、階級も増え、スーパー王者暫定王者などもでき
現代は世界チャンピオンは珍しくもなく、井上尚弥のように世界王者の中でも強いってことを証明しないと
テレビ放送もつかない時代になった >>717
昭和のボクシングは15ラウンドという長丁場だったな。
平成入って辰吉の出現あたりか、妙にショー的要素が織り込まれてきて、ガチンコファイトクラブや
亀田とかのヤラセだ何だという風潮が蔓延してきて。。 >>720
いま12ラウンド。
海外の世界戦で14ラウンドKOされた選手が死亡し、
13-15ラウンドにKOされると事故が起こりやすいという統計がでたんで 電気グルーヴの少年ヤングの PVで、平成の若い無名芸能人女性に昭和50〜60年代のファッションメイク髪型をさせて撮ったら、ほとんどの女性がブスになったって話、ウケた >>722
それは「不細工になる」という落ちありきで作ってるからだよ
海外のメイクアップアーティストや資生堂が
各年代のメイクの再現を同一モデルでやってたけど、
美人は結局いつだって美人だった 何年か前に南沙織粘着が湧いてウザい事この上なかったが
この河合奈保子粘着もほぼ同レベルだな
頼むから消えてくんない? やっぱり、昭和といえば、写ルンですとか、写真屋でプリントする写真システムではないか。
当時、エロい写真は写真屋でプリントしてもらえなかった。 個人でえっちな写真を撮りたい場合は
・ポラロイドカメラを買う
・自分で現像する
しかなかったってことかな?
個人で現像するのもかなり大変だよね
完全なる暗室をつくって、酸っぱい変なニオイのする薬品と格闘して ・写真屋と結託する
というチョイスもあり、社会にエロ写真を供給するルートにもなっていた
そういえば親父がヨーロッパ出張から帰ってきた後、しばらく家に暗室セットがあったなあ
儲かったのかなあ
あれは確かモントリオールオリンピックの年だった >>729
エロ系出版社にフィルムを送って、現像した写真を送り返してもらう。 >>726
川口浩探検隊とかいま放送したら総ツッコミ状態だと思うぞ >>726
『川口浩探検隊』第一回のタイトル
20世紀の奇跡を見た!!人跡未踏の密林に石器民族は1000年前の姿そのままに実在した!! >>727
自民党を擁護する売国奴も消えてほしいね。 >>733
ビートたけしと高田文夫の番組で川口浩探検隊の
「人跡未踏の地に人食い虎を見た!」というタイトルに
人が行ったことの無い所にいる虎がどうやって人を食うんだと突っ込んでたわw >>729
昭和末期〜平成だと、写真屋に普及してきた自動現像機をコピー機のように時間貸しする商売があった。 1935年度〜1946年度=少国民世代 焼け跡世代
1947年度〜1949年度=団塊世代
1950年度〜1954年度=ポスト団塊世代
1955年度〜1960年度=しらけ世代
1961年度〜1964年度=新人類世代
1965年度〜1970年度=バブル世代
1971年度〜1974年度=団塊ジュニア
1979年度〜1981年度=ポスト真性団塊ジュニア
1982年度〜1986年度=ミニマムライフ族、プレッシャー世代 これ信じられないかもしれないが
昭和50年代中旬くらいまでは、髪を洗うのは清潔でキレイでお洒落な若い女性でも2日に1回くらいが常識だった
「あらー? フケ?
きのうシャンプーしたばっかりなのに」
というテレビCMが普通に流れていた
毎日シャンプーするのが常識になったのって昭和50年代後半くらいからだと思う 髪の水分量をはかるシャンプーのCMもあったな
アクアミーってシャンプー 昭和の人気シャンプーは廃盤になってるけど、メリットはパッケージ変わって今も健在 リンスは洗面器で薄めて使ってた。スイカ位の大きさの、リンゴの形したお風呂セットあったなぁ >>753
振り向くとアレな人は背面美人とかバックシャンとか言われてたなw >>754
ピンクのヤツ使ってた
なかなか良かったのにいつの間にか市場から消えた >>757
今でも100円ショップのおもちゃコーナーにあるね。
電卓やペンの形をしてるの。 80年代前半はTVロードショー番組で各局こぞってジャッキー映画を放送してたから幸せな時代だったよね。
次の日は学校でその話題で持ちきりだったし。
特に1983年はプロジェクトAやキャノンボール2の宣伝で本人も来日して大騒ぎだった。
劇場では天中拳とかの旧作やドラゴン特攻隊までお正月の東映でメインロードショーされ駄作続き。
本当の傑作プロジェクトAまで待たなければならなかった。そのあと五福星、スパルタンXなどファンにも満足出来る作品が続いたのは本当に良かったよ。 ジャッキー映画見て育った世代だと「マトリックス」のクンフーシーンはヌルすぎて見れたもんじゃない。 >>762
100均って結構絶滅危惧されてた物があるよな
インレタとかもあるし(容量少ないけど) ジャンルー・ダバディー氏がパリの病院で死去 仏 作詞家 81歳
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1590437858/
ミッシェル・ポルナレフさんら人気歌手のヒット曲など300を超す歌詞を作ったほか、
フランソワ・トリュフォー監督の「私のように美しい娘」(72年)など映画の脚本家としても活躍。
フランスの阿久悠 コロナでテレワークが当たり前になったけど、昭和だったらPCもネットも無く、自宅待機しか出来ないから、自宅待機しか出来ず経済は完全停止だったろうね。但し、戦前だったら政府指示に従わない国民はその場で憲兵隊や警察官が射殺するのが当たり前だったので、完全にコロナ統制が出来て北朝鮮以上にコロナ感染率は低かったのだろう >>768
> 但し、戦前だったら政府指示に従わない国民はその場で憲兵隊や警察官が射殺するのが当たり前だったので、
そんな時代はない
フィクションですら見当たらない >>768
そんな世の中だったら、スペイン風邪で38万人も死んだりしなかっただろ。 >>768
戦前でもそこまで酷くないぞ
日本sageかな
江戸時代の「斬り捨て御免」も、実際はそこまで酷くない(サムライが気軽に町民をクビちょんぱしてたわけではないらしい)という話を聞いたことがある
これも日本sageだったのかな 本当に町人斬ったら届出必須だし厳しく詮議されて正当性なければ
切腹すら許されず斬首、家門断絶だもんなー >764
香港大福星でジャッキーがアラレちゃんの着ぐるみを着て忍者部隊と戦っていたのは覚えている。 名車はその次じゃないの? シルビアと言えば「別れても好きな人」 20円から値下げしてもお菓子を捨てる子は減らなかった >>769
自分が見た映画にその手のシーンがたまたま無かったからと言って、史実でも無かったと思うなよな。
ちょっとは歴史を勉強しろ 男は洋式便器でも立って小便するのが当たり前だった
ここ数年座ってする人が増えたらしいがコロナで立ちスタイルか復活してきた >>782
左翼運動してた大学生は暴れたかっただけの馬鹿どもな >>785
そいつらが今の老害
俺も還暦近くの爺だが全共闘世代は価値観が一般人と違う >>780
自分が見た映画にそういうシーンがあったから現実だと
思い込む方がはるかにマヌケ >>782
東京都千代田区神田神保町1-3-2
maps.app.goo.gl/5jH6zyTLY3kRRsns5 >>786
全共闘世代は特殊かもね。
そりゃ中には良い人も居るんだけど。
世代の傾向として
「無駄に威張り腐る」
「年下に対してやたら先輩面する」
「無能なくせに人の話を聞かない(理解力に乏しい=馬鹿)」
「人に優しくする事は人を甘やかす事と勘違いしていて他人に対して無駄に厳しい事をしたがる。。その割には自分に甘かったりする」
これらが全共闘世代に対する自分の感想。
俺も50代後半だけど、この世代の人間には結構嫌な目にあって来たよ。
警戒を要する世代だね。 >>782
歩道の敷石かち割って投石したってやつか。 >>776
自分の現住所は、普段の郵便や宅急便では書かないけど、正式には大字、字が付く。 >>775
個人的にはこれの一個前(240RSのベースになったモデル)と、この次S13が好きだな。
S13のイメージカラーのライムグリーンがこれまでの自動車の色には無い色で新鮮だった。 >>794
♪日曜のお昼だよ〜
客席(笑)
火曜だか水曜だかに収録してたんだってね デンスケ劇場、末広演芸会、大正テレビ寄席、笑点……
日曜日のお楽しみだったな。
生涯でいちばん根暗だった小学生時代。 参加型コンテンツ(ツイッター大喜利みたいなの)や、SNS的交流や、フリマは、雑誌の投稿ページや文通コーナーで行われてた
雑誌に読者の本名や住所が載ってた
個人情報管理がガバガバだったけど、グーグルマップもグーグルアースもないし、海外から窃盗団が日本にやってくるのもなかったから、ガバガバでも平気だったのね
家も深夜と外出時以外は施錠しない家が珍しくなかった カラオケ店は無く、歌うならスナックで
カセットテープを入れて音のみでやる機械を老人会で買って集まりの時に楽しむことはあった
歌本でいちいち番号を調べて入力していた 労働組合は労働者の生活向上と権利の獲得のために戦う革新勢力だった。今は既得権益を守る利権団体。 ケロヨンがヒキガエルであることにびっくりした
緑だからアマガエルとばかり思っていた >>800
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
frogじゃなくてtoadだったの?
伊良部? >>802
それがソアラやレクサスSCのご先祖。でも、それらも無くなってしまった… 十何年か前にうちの婆ちゃん死んだんだけどさ、1911年生まれだったんよ。
今思えば、もっと戦争の事とか関東大震災とかスペイン風邪とか
当時はどんなだったか色々聞いとけばよかったな。 昭和といえば中曽根康弘が安倍晋三の立ち位置をになっていた >>810
小学生のときだけどいろいろ話を聞いたな
田舎の農家ということもありほとんどが苦労話だったけど
今思えばもっと聞いとけばよかったと思うし
老人はすべて死んでほしいとは思わないんだよな >786
全共闘世代がそうだ
>文盲
>ちょっとは歴史を勉強しろ
糾弾するときの口癖は
「座れ!」「謝れよ!」「謝罪しろ!!」 就職氷河期世代は全共闘世代に否定されて生きてきたからな >795
大正テレビ寄席のプロデューサーは
柳家金語楼の息子で山下敬二郎の兄
これ豆な >>810
自分語りでスマンが
ウチの爺ちゃんは、空襲とかが無かった地域なので
戦時中より戦後の食糧難の方が苦しかったと言っていたなぁ モノクロ実写の丸出だめ夫を見たいのに1話しか残ってなくて悲しい
昭和41にリアルで見ててすんごい好きだったのにフイルム処分されてた
アタック拳とかその他モノクロもほとんど処分されてる!
ほんとうに東映のモノの扱いの粗末さにはあきれ果てる
あそこ何でも捨てるから >>794
日曜のお昼
大正テレビ寄席の「ばぁーげんだよぉーん」からの
オリエンタル(グリコ)がっちり買いまショウは、鉄板の流れ
後に日テレでそれらのあとに続く時間に目方でドン!やってたし
あのころを今再現しようとしても不可能だろうね >>819
ボロットが怒ると煙だか湯気が出るんだよな
「おいおい漫画のアレを現実でやるのか」と思ったわ
90年代のアニメは未見 スチャラカの元祖は中田ダイマル。
実生活のキャラの方も、植木等より中田ダイマルの方がはっちゃけてる。
パトレイバーの内海課長は、悪の植木等と呼ばれてるけど、悪の中田ダイマルといった方がいいレベルで
キャラがかぶっている。
(ダイマルは責任はちゃんととってたから相手からは許されてたみたい)
>>819
テレビがカラーになったとき、「もうモノクロ番組の需要はないだろう」という浅はかな判断で処分したんだよね。
80年代後半に「うる星やつら」の全話LDボックスが売り出されたとき、「こんなの買うバカいるの?」って言われた
けど、3000人分の予約があっという間に満杯になったので、もう3000人分追加予約を受け付けた。
ついでにばら売りにも対応した。
今では全世界で当たり前になってる全話ソフト化の先駆けですが…
当然、東映にもいっぱい声があったんですよ。
モノクロ作品をソフト化しろ、と。
有料放送が開始されたときも、有料チャンネルで放送しろ、と。
処分しちゃったので後の祭り。
ファンも東映ものたうち回って悔しがったとか。
まあ、処分したときはこんな世の中がやってくるなんて誰も思ってなかったんですけどね。 NHKはもっと酷かった
天下御免とか四つの目とか観たいのにない >>823
撮影用ビデオテープが高価だったので、ばかすか上書き再利用してたんだってね。
モノクロアニメの再放送がなくなったの、昭和48年くらいだったかな。
まだカラーアニメのストックが少なかったからおんなじ作品(しかもスポ根みたいな暴力的で暗い奴)
ばっかりが再放送されてうんざりしてた。
まだ見たかったモノクロ作品もいっぱいあったのに。 コロナで放送枠埋めに四苦八苦してるのに、古い作品は全然やってくれないしな …地上波しか視聴できない世帯から、過去の作品に触れる機会が一方的かつ永久に奪われるのであったら、
有料放送なんて普及しなければ良かったのにと本気で思う今日この頃。 >>818
うちの親もそうだ。
空襲もなく、食糧難もほとんど影響なく、そういう地方は結構あったはずなんだがな、そういう声は拾われない。 欅坂 小池美波、昭和歌謡の魅力伝える
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1590621140/
1970年代、80年代の邦楽ファンである小池は
昭和歌謡の魅力をお伝えしながらも、皆さんにとって
一日の癒しになるような時間をお届け出来るよう4日間頑張りたいと思います
小池美波は神 >>827
うちは両親揃って島嶼部なので(母は終戦時3歳9ヶ月で記憶なし)、戦後もある程度食糧が自給できた。 >>821
ボロットのコインケース持ってた
頭に10円玉が入って
ヘソが磁石になっててニッケル50円玉がピッタリはまった >>825
今じゃ放送できない内容とか表現が多いんで、すごく手間がかかるんだよ
勝手に手を加えるとそっちはそっちで煩く言われるからね 法律で決まってることてなくて放送局の自主判断なんだから好きにやればいいんだよ
電話してくる客がウザイならナビダイヤル以外受け付けないようにして >>831
広島で「あかんたれ」をループ再放送してた時みたいに「昔の作品だから改変できないの」みたいなテロップ
入れてやりゃあいいんだよ。 >>832
許認可事業に対する行政指導をなんだと思ってるんだ 警察とか病院とかの24時間ドキュメントものはグロ画像ぼかさずそのまま流してたな
車のナンバーも風景も基本的にモザイクほとんど無かった >>834
有料放送が利用できる世帯ばかりがいい思いをして、放送コードがどーたらいう小賢しい理由で冷や飯食わされてる側は
いい加減に頭に来てるんですがね。 昭和は特撮モノでさえ、人が死ぬシーンが多かった。ウルトラセブンではソガ隊員が容赦なく裏切った同期を射殺してたし。
今は刑事物でさえ、殉職シーンが出来ない。
超ハードのGメンどころか太陽にほえろレベルの刑事物も作れないんだよな 昔の特撮ヒーロー物でも怪人に襲われて人がドロドロに溶かされたり怪獣が血を吹き出しながら
ヒーローに倒されたりしてグロい表現多かったな。今見ると作り物感丸出しで逆に笑えるんだけど >>837
昭和特撮(ウルトラシリーズ)のそういう面から、責任とその重さを学びました。 >>824
昭和のアニメはフィルムで完成させて納品されていたはずだからそれとは別の事情であると思われる。
途中からカラーになった魔法使いサリーやモーレツア太郎は、40年代後半の再放送から白黒の回が再放送されず、途中から始めていたと記憶しておるから、放送局がカラー化100%をうたい文句にするために排除された気がする。 >>840
アニメはフィルム制作の上に、特撮と違って処分されてないのでDVDが出せるのだけでも良かったと思ってる。
ア太郎はカラー制作分は最後の1クールだけなので、再放送されても人物の相関関係が判らずに困惑しました。 >>824
撮影用ビデオテープが今の価値なら数十万円くらいの値段がしたとか、上書きできるメリットを重視したのも、わからんでもない。
逆にフイルム撮影した作品の方が残ってるらしいね。
あと、デジタルの出始めのときは、フォーマットが乱立して、今それを読める機械が残ってないから、トラックダウン前のマスターテープが利用出来ない音楽ソフトもある。 >>837
雲霧仁左衛門ではコロコロ死んでるがなあ… 個人経営の食料雑貨店や街の電気屋さんが沢山在った。 バナナが高級品だったのかな??
風邪で寝込むと親が買ってきてくれた覚えがある 冷凍食品は、調理する数時間前に冷凍庫から出しておく、
という前準備が必要だった 「ザ・ベストテン」まるごと再放送 若者にも昭和歌謡ブーム 「マツコ」で手応え
https://article.auone.jp/detail/1/5/9/8_9_r_20200529_1590698543625035
>その一方で近年、若者の間では昭和歌謡がブーム。
>新橋などの昭和歌謡曲・ポップスを流す居酒屋にも若者の姿が目立った。 蓮舫のおじいちゃんだっけ
日本にバナナを普及させて一財産築いた人 バナナは台湾バナナ
今でも一番美味しい
小さいけど バンドブーム時代数万人規模のファンクラブの郵送物の宛名が手書き
チケットのFC優先が各地方のイベンターに会員個々で申し込み >>850
高校生の息子が拓郎の「落陽」を歌ってた。なんか若い女の歌手がカバーしてるらしい。 俺の親父が学生時代にとある田舎の駅にワラジを担いで汽車を待っていたら、アメリカ人がゼスチャーで「その担いでいるものは何だ?」と、聞かれたので履いてみせたら(ゼスチャーで)「ガムと交換してくれ」と言われたので交換したそうな。
だが、親父は当時、ガムが何かわからずに学校へ持って行き先生に何なのか尋ねたら「こんな高価なものをどうした?」と驚きながら教えてくれたそうな。
味をしめた親父は毎晩ワラジを編んで駅に行きリアル「ギブミーチョコレート(ガム)」をやっていた。 >>855
BEYOOOOONDS
@BEYOOOOONDS_
【お家でもびよんず学校#71】
5月29日 島倉りか先生
//youtu.be/6QBX6oDfCGc
「お家でもびよんず学校」。島倉先生の今回の授業は「昭和歌謡曲」!
その名も、「しまく ラ・ベストテン」(アイドル曲多め)をお届けします。
#BEYOOOOONDS
#お家でもビヨンズ
#お家でもびよんず学
//pbs.twimg.com/media/EZMpmznUYAEHSEN.jpg
//pbs.twimg.com/media/EZMlrXtU0AMbSD8.jpg 今よりハレとケの区別がはっきりしていた
日頃どれだけ質素に暮らしても
正月には必ず着物を着せてもらって写真をとったり、あらたまった外出にはよそいきを着た ほぉ〜姉ちゃんっ
https://youtu.be/VSkNWNSvl1o?t=132
かわいすぎる
スーツ姿も可愛い
やはりこの時代のアイドルは飛びぬけた人だけがなれたんだな 216 名無し募集中。。。 2020/05/31(日) 09:19:55.69 0
(早見優)
私より2年先輩の河合奈保子さん、すーごく素敵で、かわいがってくれて。
当時は石川秀美ちゃんと仲よかったんですね。で、秀美ちゃんと奈保子さんが
同じプロダクションで、秀美と仲よかったから「優ちゃんもいらっしゃい、
こっちに」っていうふうにいつもかわいがってくださって。
私たち新人は大部屋なんです。でも松田聖子さんとか河合奈保子さんになると
みんな個室が与えられるので、水泳大会が終わってもシャワー室があるんですね。
で、奈保子さんは「私はいいから、冷えちゃうから先に入って」って言ってくれる
ぐらい、ほーんとうに優しい方で、私はそのへん、ちょっとアメリカンだった
ので「じゃあ、お先です!」ってそのままお言葉に甘えていつも一番にシャワー
入ってたんですけど(笑)、いま考えるとちょっと図々しいですよねえ。反省してます!
そして奈保子さん、ありがとうございます。
奈保子さんはほんっとうにかわいい方で。当時歌番組で「夜のヒットスタジオ」という
番組があったんですけども、ちょうどクリスマス特集で、北欧からサンタクロースさんが
20人ぐらいかな、ゲストに来たんですよ。で「じゃあ、本番いきまーす」って、もちろん
サンタさんですからサンタさんの格好をしてスタジオに入るんですけど、その20人のサンタ
さんが全員入るまでに、奈保子さんが横で「ジングルベール、ジングルベール」ってずーっと
歌を歌っていて、BGMのように歌を歌って迎えてた奈保子さんがすっごくかわいくて。
本当にあれから一気にファンになってしまったんですけれども。 >>863
前半は心温まるエピソードだと思ったが後半はアタマの弱い子なのかな?と思った。 >>860
子どもの頃、そういうのが心底苦痛だったな。
貧乏人なのに、お出かけ用の白タイツとかオーバーコートとか、しまいにゃ毛皮の襟巻き(フェイクファーだったのかもしれないけど)とか、なんかもう呪いたくなるような服があった。
そんな無駄なもん買う金があるなら、普段着のフツーのジャンパーやセーター買ってほしかった。 白いご飯をたくさん食べる生活
特にお年寄りのいる家では
おかわりが当たり前 12ニュース
東独のホーネッカー書記長が辞任
後任はクレンツ中央委書記 中国が大気内で核実験してて「雨に濡れると放射能でハゲる」と
言われていた チェルノブイリの事故が報道された後の雨の日、電車に乗ってた不良グループが雨に濡れると放射能に汚染されるからこえーよな!!と言ってた。
お前らの方が現実的にこえーよと思ったw ギザギザ付きのメロンは、眺めるだけで食べる対象では無かった。 >>874
マクワウリをメロンと教えられ食べていたあの頃。
本物のメロンって柔らかいんだね プリンスメロンというツルツルで小ぶりのメロンあった
マスクメロンに比べるとあまり美味しくなかった >>878
社畜さん乙です
(元ネタ、ほとんど人が知らないだろう スマン)
家はミカンの缶詰だったな。
共働き世帯だったので
多少の発熱なら一人で寝ていた
台所にミカンの缶詰と缶切りがあり、昼飯代わりに食べていたなぁ 漫画で釣りのシーンでロクなものが釣れないときは空き缶か長靴 水木しげるさんとかジョージ秋山さんとか
またひとつの時代が 浮浪雲明治編がどこぞの入試の問題になって話題になったな そういや速記ってあったよなあ
通信教育でもよく見かけた >>893
今じゃテープ起こしの通信教育に変わったね なんかよくわからん機器にイヤホンだかついててそれ付けて寝ると寝てる間に英語を覚えるみたいなのあったよね 大仏の頭の形でオスかメスかが分かるキーホルダー欲しかったな >>900
政治家へのインタビュー取材でテープを使っている人は、少なからずいる。
インタビュー中、確実に今、止めました。って言う証跡としての機能があるから。
また
テープが終わった=インタビュー時間終わり と言うサインにもなる。 >>901
10年前ならそんなんも残ってたろうけどねえ…
文字起こしもスマホアプリやPCアプリでやるのが普通だし このスレでは擦れるほど言われ尽くした話なんだろうけど新参なので許してほしいが
店が7時には全部閉まるから料理し始めて足らない調味料はご近所から借りに行ってたね
というか借りに行かされてた
もちろん逆もあってお互い様の文化だったよね >>904
君の家では,やってたの?
一般の昭和人は、他人に“借り”を作るのを嫌い、多少物足りなくても我慢したもんだよ。
俺の出身地もそんなに都会じゃないけど、空き巣や放火の話なんて普通にあって、夜鍵をかけずに寝るなんて最近になって聞いた、懐古主義の作り話って感じしかない。 昭和50年前後の近郊都市だけど、調味料の貸し借りやお裾分けは普通にやってたな
戦前から住んでる人が多い界隈だったからかもしらんが 子供の頃やってた記憶あるわ
その頃と住人変わってないのに今はもうやらない不思議 子供の頃自分は病弱だったので、母がよく近所に住む看護婦さんを訪ねて
いろいろ教えてもらったり、タダで看てもらったりしてた
(まあ、おかずのおすそわけとかはしてたようだが)
今、自分が看護師になって、それがどれだけ迷惑なことだったかと
申し訳なく思う(数年で引っ越してしまったので、顔も名前も覚えてない)
想像だけど、昔はご近所で助け合わないとつまはじきにされるとか
そういう文化があって仕方なく世話してたたけど、
迷惑だよ、と正直に言う人が徐々に増えて、それで文化が変わって来たのだと思う あの頃は皆貧しかったからね。
それでも皆希望に燃えていた。 >>904
昭和50年代でも、百貨店やスーパーは18時閉店のとこが多かったかと。
仕事から帰ってくると閉まってる状態だった。
でも調味料やなんかの貸し借りは、昭和40年代半ばぐらいまでだったかな。
近所の西友は、その後18時半になり19時になり、21時・
22時あたりまで開いてるようになって超便利!と思ってるうちに24時間になっちゃたた。 >>904
我が家も 調味料の借り貸しはやっていました。
かたくなに否定するような人もいるけれども、近所付き合いによるのだとは思います。
いつしか、 そんなこともしなくなりましたね。 昭和だと、葬式も、葬式業者じゃなくて、近所の助け合いでやってたよね?
今でも田舎だとそうなのかな
引っ越しも引越し業者じゃなくて手伝いや助け合いでやってたし
みんな貧しかったし、人間関係が密だったせいもあるね >>909さんの書き込みで思い出した
私の親の実家って、昭和や平成初期は、映画のサマーウォーズの家みたいに、盆と正月は親戚一同が集まって泊まって、花札とか麻雀をして楽しんで、お嫁さんがみんなのごちそうを作ったりしてもてなしてたのね
それをみんなあたりまえのこととして受け入れてた
でも時代の流れで、それってお嫁さんの負担が大きくて可哀想という考えが出てくるようになって、この行事(?)が廃止になった
みんなで集まりたいときはホテルとか居酒屋とかの業者や店を使うように
調味料の貸し借りや助け合いも、時代の流れでなくなったんだろうね >>905
それ、多分都会というか大都市手前の地域じゃないの
本当の田舎というか、近所の見張り?が密な地域は
マジで鍵なんてめったにかけなかった
でも、今はそんな地域に農作業の道具なんかを
物盗りに来る外国人?がいて、この時代になって
やっと警戒し始めた、ってかんじ >>914
まずホテルや居酒屋もなかったし
あったとしても繁華街、そこまでどうやって行くの?
となったら、やはり車所持率の高さや道路整備後に
どんどん変化したのかもなぁ そういや、ホテルや居酒屋に行く前までの過渡期に
近所の公民館、という時代も短いながらあったかも? 昭和40年代、うちは江戸時代からそのまま昭和になったような町中だったから、ご近所さんに店屋が揃っていて、調味料でも食材でも足りなくなったら、買いに走った。お代は翌日。店を閉めた後でも戸を叩いて売ってもらえた。 昭和40年代の半ばぐらいまで、商店 はツケの月末払いでした 。 我が家特有なのか周囲もそうだったのかは、今となっては不明です。
全部ではないけれども知ってる限りでは、米屋、酒屋、乾物屋なんかはそうでした。 世田谷区のはじっこの地域。 御用聞きが来て、あとで配達してくれてた
八百屋に頼むと、野菜と一緒に隣の酒屋の醤油届けてくれたり
うちの祖母は、御用聞きが来る時分になると電球とかヒューズの交換をしてるフリをした
それを見た御用聞きは「いいよいいよ、やってあげるよ」と気楽に手伝ってくれ、祖母はすまないねえとちょっと奮発して注文するのがお約束だった ホテルって言うとビジネスホテルは無くて
温泉ホテルかシティホテルだったなぁ そういや、醤油って瓶詰だったよね
子供が運ぶには重かった記憶
酒とかはまだしも >>922
今は一軒家でも勝手口なんてない家が多そうだし、構造上はあっても、そうやって届けてくれた物を受け取る口としてる使ってる家は無さそう >>924
酒も醤油も一升瓶の重さはそんなに変わらないような…そりゃ比重から言って醤油の方が重いだろうけど >>913
今は近所の助け合いじゃなくて
何でも商売サービス化するから
金が無いと本当に生きられない社会なのが昔と比べて怖すぎる。 >>926
いや、酒だと覚悟があるじゃん
醤油は、今の規準で考えると
調味料のくせに重いなんて生意気だ!ってかんじw >>927
資本主義の施策だね
まずGHQが日本にやった事は村落共同体の解体
都会に田舎の人間を移動させて都市部の工業を
発達させる。人々のアイデンティティや孤独は
免税措置のある宗教団体が請け負う
鳥肌実が言ってた 昔は良かったとは言わない
自分はコミュ症だから「近所の助け合い」「親戚同士のしがらみ」「嫁姑問題」とかウェッってなるし
でもそれで救われてた人もたくさんいただろうし、昔は少子高齢化じゃなくて、年頃になったら結婚して子供つくるのが当たり前だったし
共同体の崩壊とか考えると恐いものがあるね うちも調味料借りたことないとおもったらギフトでもらうことが多かったのを思い出した。
味の素や豊年のギフトセット、砂糖(キロ単位)、醤油(5Lとかの缶入り)、ほかにも石鹸やタオルは金出して買うものではなく、もらったり、あげたりするもので値段がついているものではないと思っていた。
使いきれなくてバザーに出したり、一人暮らししてたときも実家から持っていったり、送ってもらったりしてた。
小麦粉やケチャップ、ソースを切らしていたときは、揚げ物をやめる、和食にメニューチェンジしてたりしていたとおもう。 >>931
俺は引越で政令指定都市に住んでいるんだが、その街でも田舎の区画に住んでいるんだが、俺の親世代ではその「近所のしがらみ」「親戚同士の付き合い」「嫁姑問題」が頻繁にある。
しかも同じ名字が多いクラスターがいくつかあるから(例えば山本が20件、鈴木が40件、佐藤が30件みたいな)顔と名前が一致しない人の方が多いので、下手な事を言うと親類だったりもするからヤバい。
さらに面倒臭いのが同じ名字でもAとBは仲良しだかCとは犬猿でDとEが仲良しなのにFはなぜか村八分とか、さらにその息子世代では似たような関係が親世代とは違っていたりもする。
だから関わらないようにしているんだが、やれ祭りだの、盆踊りだの、消防団だの、町内会旅行だの、町内会忘年会だの関わらせようとするのが本当に面倒臭い。 醤油は、一升瓶だと買い物が大変なので5Lとかの缶入りギフトが流行ったんだろう。
50年代に入って、1LのPETが出回るようになって、買い物が苦にならなった頃から缶入りのギフトが廃れたように思える。
そして10年くらいまから、小容量の鮮度パックが普通になり、1LPetの特売があっても見向きもされなくなってきた。(夕方〜夜になっても売れ残ってる) 家族関係や共同体が崩壊しつつある今の時代のほうが良くなってることもたくさんあるんだよね
DV旦那や毒親に苦しんでる人は、昭和の頃よりは旦那や毒親から離れやすくなってると思うし
でも昔のほうがマシだったことも実はいっぱいあるんだろうなと思う
良いことと悪いことはトレードオフだから >>933
私も町内会とか消防団とか地域行事とかめんどくせえ!!やりたくねえ!!と思う側の人間です笑笑
でもそれで助けられてること(防犯とか子育てとかね)もあるかもなぁと思うようになりました ブルースリーの「燃えよドラゴン」が流行っていた頃に当時まだ素人だった山本正之が作ったのが「燃えよドラゴンズ!」 >>923
大都市からそんなに離れていない、それでいて特に観光地でもない所にホテルがあったね。期末空けの無礼講とか、男性社員だけの慰安旅行とかに使われた。 男性社員だけの慰安旅行……
エロい温泉コンパニオン呼ぶやつですよね
今の時代だと絶対に問題になりそう
昭和だと会社公認で海外に女を買いにいく慰安旅行もあった
今の時代のキ○ガイフェミ女がギャーギャー言ってるのは同性から見ても見苦しいけど、
これに関しては昔が良かったなんて絶対に言えないな NHKで大型音楽特番 ウッチャン&桑子アナ司会
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1591045223/
夏の紅白と呼ばれる「思い出のメロディー」の代わりとして、
8月8日に日本を元気づける大型音楽特番を企画していることがわかった。
歌は世につれ、世は歌につれ レッツゴー三匹
http://momi6.momi3.net/sw/src/1591104935230.jpg
じゅん「じゅんでーす」
長作「長作でーす。」
正司「三波春夫でございます。」 勝手口に現れる米屋?が、なぜか灯油も扱っていた
ビールケースと共に配達されるプラッシーにテンションが上がった ♪ハ〜イ榮太楼です。
(おそらく平成生まれは歌えない) 笑福亭つるべ、笑福亭つるこ、な。間違えてる人多いけど。 >>938
公務員とか病院・インフラ関係者が多く利用していたね
緊急時、すぐに戻る必要があるから県外での宴会はNG
街で呑んでいると、色々言われる
なので、県内のちょっと離れた所で宴会 >>898
学校での居眠りを「睡眠学習」って呼んでた世代の元ネタか >>898
学校での居眠りを「睡眠学習」って呼んでた世代の元ネタか 健康診断では 視力検査のときに 棒の先に丸いのがついたのが 大活躍 渡辺美里のファーストアルバムの帽子にMBSって書いてある >>944
江戸時代から米屋は炭の宅配を兼業してたので、炭が石油に変わっただけ。 >>955
関西地方で放送されていたラジオ番組 (ヤングタウン)
桂文枝さん 笑福亭鶴光 明石家さんまさん 笑福亭鶴瓶さん 石川優子さん CHAGE and ASKA(当時はチャゲ&飛鳥)が ちんぺいこと谷村新司さん 嘉門達夫さん 島田紳助さん 白井貴子さん パーソナリティーとして出演
出演者の中には文化放送のセイヤングに出演した人もいました
嘉門さん 出演していた火曜日が聞いていましたね。 >>959
夜はクネクネは見ていましたね。
安岡力也さんが大阪環状線の車内でゲストとトーク >>944
ひよこもらって飼ってたらあっという間にニワトリになってしまったんだけど、米屋にニワトリの餌配達してもらってた。 >>961
間違いだね
情報伝達が口伝えの時代だし、なあなあで済まそうという時代
今だったらSNSで総ツッコミだから担当者処分されてるよ >>964
すぐ食われたのかと思ったがいい主でよかったなニワトリ >>961
実際の収録曲とライナーノーツが一致しなかったり、曲名のミスプリがいつのまにか正式になってたり、レコードジャケット(の類い)の印刷はかなりいい加減だった 今日のとある朝刊に書いてあったけどアマビエも元々はアマビコだったとか
書き伝えられるうちにコがエになったらしい 子供の頃、電子ジャーは、キッシンジャーが発明して会社も興したと思っていた。
八木アンテナ(会社名)みたいな。
それ以前、「やぎアンテナ」(形態名)も山羊の骨格になぞらえてつけたのかな、と思っていた。 マスプロアンテナのCM思い出した
見え過ぎちゃって困るの〜♪ 昭和48年週刊少年ジャンプ
「はだしのゲン」の連載が開始 >>974
本当は八木・宇田アンテナ
連名なのに略される宇田さんかわいそう
ガイガーミュラーカウンターもガイガーカウンター言われるので
ミュラーさんかわいそう >>966
鶏小屋作ってしばらく飼ってたんだけど、早朝ってかほとんど夜中かよって時間から吼えまくるし、ちょっと小屋から出すと隣んちが外飼いしてた猫を襲撃するし、結局よその人にあげちゃった。
たぶん食われたと思う。
ちーん Ωヾ(´ェ´=)にゃむにゃむ 寝台列車が一般的な移動手段として利用されていた
今は娯楽目的のものが少し走っているだけ 線路に垂直方向に並んで転落防止は上下に渡したベルトのみで隙間がばがば
窓もないからどこ走ってるかわからないし子供には三段寝台上段はきつかった >>982
一般的ではない。
庶民は「津軽」や「八甲田」などの座席夜行だった。 >>982
サンライズ出雲・サンライズ瀬戸は娯楽用じゃないぜ 北海道ワイド周遊券は学割で16000円台
道内は特急まで自由席はすべて乗れた
あと国鉄バスもすべて乗れた
有効期間の間夜行急行で毎日寝ていた ジャッキー・チェンの大ファンの俺は自分の部屋にポスター貼っていた。
高校のとき下敷きにジャッキーの切り抜き挟んで持っていた >>978
マジレスすると、鶏は鳴くときに頭を上げないと鳴けないから頭を押さえ付けるような高さの天井にするとかなり鳴かない・鳴きにくい。
まぁ雄鶏を飼わないに限るけどね。 週刊文春で桑田佳祐がBetter Daysについて回想 昭和50年代初めくらいまで
着るものは手作りが多かった
洋裁の得意な人はオーバーまで縫っていた 子供のセーターなんかはサイズアウトするとほどいて編み直していたな。
衣料品もほぼ全部国産で、今より割高だったはず。 服と靴はいまと比較にならないレベルで選択肢がなかった
いわゆる洋品店か靴屋で買うしかない
だからクラス内で同じ服や靴がかぶることがあって恥ずかしかった
昭和の後半頃からスーパーやディスカウントストア等の大型店で服や靴を扱い始めて選択肢が一気に増えた お医者さんはなぜかフォルクスワーゲンのビートルに乗っていた 貧しい田舎では衛生観念が皆無
トイレから出ても手も洗わず
入浴頻度も極度に低い
昭和50年代でも友達の家では
真夏でも毎日入浴してなかった
冬場はもっと入ってなかった
洗髪もめったにしない奴もザラで
結構フケだらけとかいた このスレッドは1000を超えました。
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