<愛>近隣トラブルに対する宗教的考察<平和> [無断転載禁止]©2ch.net
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隣人による騒音、嫌がらせ、デリカシーのない行為等の発生原因や
その対処法を宗教的見地から考察してみる。 なにから書こうか、、、。とりあえずしばらく一方的に書かせてもらう。
(どうせこの時間帯なら誰もいないだろうし、、、) そうだな、まず一番大事なことを。究極の大前提を。
原因があるから結果がある。 繰り返される騒音も、なにかしら原因があるってわけだ。
で、原因はそのひと自身にある。被害を受けた本人にある。 種(タネ)は無自覚に、無意識に蒔かれていたかもしれない。でも蒔かれた。
時を経て、それはついに実を結んで自分に返ってきたってことだ。 そうするとこう反論する人がいる。
「あーハイハイ、カルマってやつですか。
自分の吐いたツバが自分に返ってきたとかそういうヤツですか。
だけどよ、今俺は上の階の住人の早朝からのドッタンバッタンで
苦しんでるが、俺の人生で、一度だって「上に住んだこと」はないぜ。
それまで俺は常に平屋の、周囲にだーれもいない一軒家で生まれ育ったんだ。
他人を騒音で苦しめるような状況に一度だっていなかったんだ。
そんな俺がなんでこんなことで苦しめられるんだ!?
おかしいだろ!それともなにか、「前世」とかいうのか!?」 たしかに「前世からの因縁」という考え方もある。
しかしそれはとりあえず置いといて。
重要なのは、、、、えーと、、 同じ種類の行為が返ってくるわけじゃない。
返ってくるのは同じ種類のダメージだ、、、ということ。 毎朝、歩きタバコをして通勤している人がいたとする。
歩きタバコは駅までのほんの数分、たった一本だ。
だけど彼の吐き出す煙は彼と同じ道を通る数人の人たちを悩ませている。
毎朝悩ませている。
彼はそれにまったく気づいていない。 いや、少しは気づいているかもしれない。
「ちょっとくらいいいだろ」ってカンジで。
そして彼はこう考える。
「だいいち他人のタバコの煙、俺は全然気にならないぜ!」 そう、彼にとって他人のタバコの煙は大したダメージにはならない。
ところが、、、ところが、だ。 ある日彼の住むアパートの隣に四六時中咳をする男が越してくる。
ひっきりなしに咳をする男だ。
そしてなんと、実はこの歩きタバコの彼がもっとも苦手なのは、
他人の咳を聞くことなのだ。 なんだよこの無意味な咳は!? クソ病気持ちか!?
あーイラつく! ふざけやがって!
いつまでこれ続くんだ!? ああ!? さて、いつまで続くんだろうね。
それについては彼の歩きタバコが他人に与えたダメージの総量が
関係してるのかもしれない。
いったい何人に与えたのか。
いったいどのくらいの期間与えたのか。
いったいどのくらいのネガティビティの深度をつくりだしたのか。
「蓄積」はどのくらいなのか。 「なにそんなことで怒ってんの?おかしいんじゃないの?」
あなたのAという行為に怒っている人を見たとき、
あなたはその人にこういう。
なぜならAという行為は、あなたにとって些細なことだから。
でもその人がまったく気にならないBという行為に超イラつく
「器の小ささ」を実はあなたは持ってたりする。 カルマが返るとしたら、この場合A→A、B→Bじゃない。
A→Bだ。
つまり(同じ深度の)不快感→不快感だ。 自分の20年、30年、40年、あるいはそれ以上の人生で、
人は他者にどれだけの不快感を与えてきたか
気づいていない。
気づいていたとしても総量の数パーセントだろう。
何人に、どのくらいの期間、どのくらいの深度で
不快にさせてきたか、、、。 他者は確かにあなたと同じ人間だが、違う環境で生きてきて、
違う体験をしてきて、違う感受性を身につけてきたのだ。
あなたとは違う人なのだ。 「他者は地獄だ」
哲学者サルトルはこう語った。
「他人に耐えるのは超人的なことだ」
神秘化グルジェフはこんなニュアンスのことを言った。 他人の存在はそれだけで地獄なんだよ。
俺はあんたにイラつくし、あんたは俺にイラつく。
最悪なのはそれでも「人は一人では生きられない」という事実。
つまりこの世は地獄だ。 ブッダはこういった。
「この世は暗黒である」「この世は忍土である」(ダンマパダ)
イエスキリストも確か福音書で似たようなこと言ってたはず。
この世は地獄だ。
人と人が生きていくってことは地獄だ。 説教臭くなってきたが、ここからが本番だ。
実はこの地獄から脱出できる方法がある。 隣のTV音がうるさい。上の階のドスンがうるさい。
ドアバンがイラつく。
近所のおばさんの嫌がらせがムカつく。
こういった地獄から脱出できる方法がある。 実用的、実践的でありながら平和的な対処法。
確実に効力が期待できる最良の対処法だ。
それは、、、 おっと、、、がっくりするなよ。「それかよ、、」って思うなよ。
実はこれはとてつもなく奥の深いことなんだ。
哲学・宗教の領域だ。 もしかしたらこのスレがあんたの人生のターニングポイントの
きっかけになるかもしれない。
あんたが今現在悩み苦しんでいる隣人問題(いや、それに限らず学校や
職場の問題も同様)があんたの人生を、運命を好転させる絶好の機会と
なるかもしれないというわけだ。 引っ越し4回した。内2回が完全な隣人問題。
本気で殺意おぼえた。そのときはね。 今ではその「殺したい奴」にこれっぽっちの憎しみもない。
いや逆に感謝している。 今現在、自分の周りには明確な隣人問題はない。
10年以上苦しんだ隣人問題からはやっと解放された。 とにかく3ヶ月、、いや1ヶ月でいい。
徹底的に無抵抗・非暴力のガンジー主義でいけ。
完全な「やられっぱなし」でいけ。
1ヶ月だ。必ず変化が訪れる。
最初は小さな変化だが、しばらくすると色々変わってくる。 理不尽な忍耐に感じる人もいるかもしれんが、いいじゃないか。
一生のうち1度くらいこんな日々があっても。
だってこれ、確実に効果あるんだから。 結果はその人やその人の人生の質によって様々だが、
確実に上向きの結果になることは間違いない。
上向きの螺旋に入ることになるんだ。
人生そのものが。 偉そうに説教たれるつもりはない。
ただ、この板では、この手の(隣人系とかの)問題のスレッドが
やたら目についたので、「こんな考え方もあるよ」ってのを提示
したかっただけ。 心の中の「怒り」を消すことに集中。
とりあえず無理矢理にでも。
ネガティブな反応は絶対NG。
ぜーんぶほっとくこと。
そうしないといつまでたっても現実そのものが変わらない。
(具体的な手段で反応しないと現実が変わらないと思っている
人はそうすればいい。ただ、しばらくしたらまたやってくるよ。
別の時期に別の場所で別の人で。一生その負のゲームやるの?) ここからはより具体的な方法を書く。
「慈悲の瞑想」で検索してほしい。
これは「瞑想」というより「祈り」だ。
アファーメーションだ。
たった1〜2行の文を心の中で祈るんだ。 怒りが湧いてきた相手に対して、
とりあえずその怒りはどっかにほっぽって、
「〇〇(そのムカツク相手の名前)さんが幸せでありますように」
「〇〇(そのムカツク相手の名前)さんの悩み苦しみがなくなりますように」
と祈る。名前が分からなければ「上の階の人」でも「隣の部屋の人」でもいい。 重要なのは祈る際に怒りを消すこと。
これ1日一回でいい。続ける。
必ず変わる。
やってみなよ、ホントなんだから。俺が保証する。
あんたの現実が一変で変わる。 あんたの現実が変わるってのは、あんただけが変わるんじゃないからね。
あんたが変わることによって、あんたを悩ませている対象も状況も変わるんだ。
なぜかは俺もわからん。でも変わる。「あれっ?」って感じで。
もうオカルトの世界です。
でも本当なんです。 簡単に言うと「逆返し」だ。
つまりネガティブをぶつけられたらポジティブで返してやれっつうこと。 睨まれたらスマイルで返す。
壁ドンされたら心の中で「ありがとう!」という。
「愛してます」でもいい。 シニカルだったり、怒りを残したままのやけっぱちな意識でなく、
真に心から感謝すること。できることならね。
キリスト教でいう「右の頬を打たれたら左も出せ」ってやつだ。
憎しみの波動には愛の波動で返す。
宗教臭いかもしれないが、実際効果があるんだ、これが。 ネガティブ反応のゲームを続けたい人は一生やってればいい。
本当に一生続くぜ、それ。
「現実的な対処法」なんて全く意味ない。そんなんで一旦、
解決したかに見えても、ちょっと間をおいて若干違う
パターンで、違う人でまた来るんだぜ。何度も何度も。一生。
だってあんたにとってそれは「未解決の問題」だから。
解決(清算)するまで一生襲ってくる。 ■ニュース解説
イオン銀行のシステム不備によるイオンカ―ド過剰請求、新たに約1万7500人に返金
今回、全ての調査が完了したと発表した。返金総額は4000万円に上る。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/032700905/
現在は、利息を日割り計算できる機能を追加するシステム開発を進めているという。心あたりのある顧客には問い合わせするように呼びかけている。%! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています