1970年代 ボクシング総合スレ 65R
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安倍ジョージが刑務所で犯人を〆まくった件についてw
著作がテレビ放送されたときああいう人達にしては非常に正直な
セリフがあって非常に驚いた記憶がある
何かに打ち込んでないと何もできないという気持ちで正気でいられない
というセリフ 前スレ終わり辺りで話題になっていた件を深掘りしてみた(大して深くはないがw)
1990年代前半におけるTBSボクシング中継班の失態一覧
・1991年畑中デシマ(畑中倒し倒されの末に感動の王座奪取!)・・・地元局のみ放送。初防衛戦は全国生放送するも敗北
・1992年ユーリムアンチャイ第1戦(ユーリ逆転でペレストロイカ軍団初の王座奪取!)・・・放映権をテレ東に譲渡。以後、ユーリ戦の放送はノンタイトル戦の深夜放映一度のみ
・1993年薬師寺辺第1戦(薬師寺僅差の判定を制し王座奪取!)・・・地元局のみ生放送。関東圏は深夜録画放映
・1994年竹原カストロ(竹原ミドルで王座奪取の歴史的快挙!)・・・放映権をテレ東に譲渡。初防衛戦は全国生放送するも敗北
うろ覚えなのでもしかしたら違う部分もあるかもだが、TBSが昔からアホなのは伝わってほしい もはや70年代の話題は語りつくして「もういいだろ、、」感があったしな
このスレの対象年代もアバウトでいいと思う TBSは具志堅の防衛戦をテレビでもラジオでも放送してたよ 輪島功一の世界戦をニッポン放送が中継したこともあった >>7
竹原の初防衛戦てTBSだったっけ?
うろ覚えだけど、そのままテレ東だったような… 柴田vsサルジバル 上原vsセラノ 畑中vsデシマ 竹山vsカストロの世紀の番狂わせは
関東では生放送がなかった その最大の理由は報道関係者、ファンも勝てると思っていなかったから
だから余計に劇的なんですね 柴田サルディバル、夜中に録画、しかも柴田自身出演で試合見た記憶ある。ほんと、子供の頃だけど。 あの当時、録画機器を保有していたのは一部の富裕層のみ 何故かラウンドカットしてたよね、リングジャパンから発売されたビデオで初めてフルラウンド見たわ 金持ちの親せきの家にオープンリールのビデオがあった。 >>13
俺も見たけど日曜の午後8時からだったかな試合内容は全然覚えてない
関光徳がゲストで最初司会の人から「柴田君には何かアドバイスされましたか?」
と訊かれてたのは覚えてる 家の仕事場でローズVS桜井の試合を親父がラジオで聞いていた記憶がある。 >>18
私も子供の頃,原田、海老原のラジオ放送聞いたことがあります
手に汗握って応援してました 今思うと実況もうまいんですね デンプシーウィラードなんてラジオの実況で死者が出たってどんだけ実況うまいねん 70年代の日本人挑戦者は弱いのばっか
五十嵐・丸木・島袋・岡部・笠原・沼田久美・柴田賢治・・・今の4団体でも無理 元日決戦で10%を割ったのが凋落へのケチの付きはじめ。。
テレビ朝日系の挑戦者は酷かった。 >>22
昔のジジイ連中なら「彼らも今なら世界王座を何回も防衛しているだろう」とかなんとかほざいてるよな >>20
KOされる予告は見事に当たったね
本当に皮肉だった
津田さんは赤井も神代も徳島も無理な世界挑戦させるのが趣味の人だったな(笑)
まともなのは井岡と山口だけ、まあ世界が2人いるから名門ジムだよね 無謀な世界戦をやるジム 西のグリーンツダジム 東の東洋ジム 俺がラジオの世界戦を最後に聞いたのは、内藤vs亀田2号の試合だな
解説を川島 郭志がやっていた 山上てつやというから元日本バンタム級王者かと思ったじゃないか >>29
山上の戦歴を見ると、日本王座奪取の他にはチャチャイと引き分け、田辺と僅差の判定負けが目立つ 山上哲也さすがに昔すぎてわからなかったなぁ 67年で引退か
山上たつひこなら詳しいんだけど。 ボクシング世界戦は15R制に戻んないかな
今は医学も進歩してるしストップを早くすれば危険は抑えられるだろう ほとんど代官山下目黒の古本屋に立ち読みは死刑!っていう張り紙してあるのを見た
その向かいの本屋は漫画みたいに客にはたきかけてた
考えれば当たり前だけど焼肉屋って釣銭ごまかす店員多いよな
で独特の人相してる 小笠原協栄ってホントにあったのか?
ジムは作れても試合ができないだろう。。 渡辺と佐藤は双子兄弟で片方が日本チャンピオンになったよね 島根に住んでいた時、韓国のラジオ放送でキムVS石井幸喜の実況を聞けた。。
もちろん言葉はわからなかったが、大歓声とアナウンサーの声で戦況は解かった。w
ラウンド間のCMで「アナム、ナショナルクリスタルカラーテレビジョン」としきりに言ってたね。。 選手生命が短い時代だったから石井は急がせすぎたね
もう少しじっくりいかせたらな
それでも実質は日本と東洋は獲って階級上の世界王者に敗北だから立派な戦績だと思う
世界挑戦までいけなかったメダリストは森岡だけだな、たぶん清水が2人目になるけど清水は東洋を統一したからな
プロに転向しなかったのは川内だけだけど岡澤と坪井もこれに続きそうだ 清水は何をしたいんだろうな
東洋統一なんて大した価値はないし、インチキ臭い穴王者でもとにかく世界王者になれば金になるし、なれない事はないだろうに 清水はもう36歳 穴王者狙いと言ってもフェザーはそんなに甘くないだろう 今は東洋王座まで分裂してるのか
それはともかく、清水は思い出挑戦ぐらいはさせてもらえるだろう >>47
分裂も何も地域タイトルもそれぞれの団体が任命してるだけ
日本は長らくWBC傘下のOPBFだけを認めてきた
今はWBO傘下のアジアパシフィックも認めるようになった 工藤政志の防衛戦1、2、4度目は無敗対決ってホント? こんなにベルトが増えたのに70年代の方が世界戦多かったな
明日の世界戦ゴールデン地上生放送はもう最後かも・・ >>50
あの頃中立国人に仕立てあげるため全く経験のないポール・フィールドなる
人物をレフリーに起用していたな。 最近のボクサーは40歳近くまでやれるんだな、
パワー瞬発力はそれほど衰えない、野球、ゴルフ、交代フリーのアメフト、バスケ、アイスホッケーは選手寿命は長い、
20代後半から持久力、スピード、フットワークが衰える。
ボクサー、テクニシャンタイプの選手がキャリア晩年にはファイタータイプにチェンジするのはそのため、
70年代当時はほとんど20代半ばで引退してた、輪島さんのような大器晩成はほとんどない >>46
井上だろ、時期にもよるけどゴメスのボクシングは今見るとかなり大雑把だ
ジョーさんも「サンチェス戦後、力任せのボクシングに変わっていった」と言ってた 筆者は緻密なボクシングが好きだ。
それは筆者がインテリであることが影響しているのだろう。 ドネアとゴメスじゃゴメスだろう。。
井上とは時代をまたいで好勝負になるだろう。
5.5対4.5で井上有利と思う。。
ちょっとウエート差があるがアーゲヨやサンチェスとなるとやや不利だろうね。 スポーツ界に於いて大器晩成型はレアケースと言えるね・・・、
ほとんどが二十歳頃から才能を開花させ一気にスターダムに駆け上がる、
輪島さんはたまたまボクシングを始めた年齢が遅かっただけ、
ナポレスも全盛期にタイトル挑戦に恵まれなかった、
大相撲の千代の富士は時期に恵まれた、北の湖、輪島、隆の里等の晩年に上がり、
同世代の琴風朝汐小錦若島津は千代の富士に全く歯が立たず、次世代のホープの北尾大国
北天祐も糖尿病等で潰れた。 キャリアが長いアーチムーアは若いころでもエザートチャールズには勝てなかった 無冠の帝王の2番目にあげられるチャーリーバリーもエザードチャールズに勝てなかった ゴメスみたいなKOキングがいたらすげー盛り上がったろな 朝潮は近大時代に何度も出げいこで千代の富士を戦っていて、ほとんど勝っていたそうだ
大相撲入り後の初対決も勝っているし、その後も割と戦績はいい
ただ、千代の富士が脱臼癖を直すため体を作ってから別人のように強くなったそうだ 具志堅と二郎も二郎の方が1学年上だが具志堅が引退してから時代を作った
しかしリング実働は二人ともそれほど変わらない こういう比べ方をすると
西岡のキャリアが一番永いような気がする(世界王者経験者のデビューから引退までのキャリア) 脳にダメージが蓄積されて打たれもろくなるからな
何歳ではなく何年だと言われていたな
でも最近では選手寿命が異常に伸びたよな
サプリメントやスポーツ科学の発展で減量が楽になったことや加齢でそこまで体力が落ちなくなったことが大きい >>52
その前はニッキー・ポップというレフリーもいたな 大石吾朗のコッキーポップと
よく間違えた >>65
ボクシングは他団体、他階級制の恩恵が大きい、
他のプロスポーツの選手寿命は今も昔も変わらん 殆どのスポーツのの競技レベルはゆっくり進化してるけど
ボクシングだけは?だな つかレベル下がってるまであるよ >>70
下がってるわけないだろ
団体が増えて穴王者が増えたことはレベル低下とは言わない ポール・フィールドも帰国してからもレフリーをやってたようだが
世界戦どころか本当の雑魚の試合しか起用してもらえなかったようだ。 ボクマガて休刊なのか
プロボクから単独になった号から浜田までなら全号持ってるけど次号で終焉か
当時は毎月ワクワクして買ってたのに今は購読する人居ないのか ボクシングの技術革新はロビンソンから始まったね^^
それまで全てに渡ってパーフェクトなボクサーは存在しなかった。
もちろんアリもロビンソンの影響を受けたがヘビー級でなし得たのは凄いが。
サッカーは1970年代にオランダ代表を率いたヨハンクライフのトータルフットボール(全員攻撃全員守備)
その後世界のスタンダードになったね。
日本ラグビーの黄金時代は1980年代の早慶明、釜石神鋼の時期だが純粋な日本人選手の
構成では世界相手では歯が立たなかった。
某ロック歌手が水球の日本代表だったはずだが外人チームと対戦した感想は
「一生勝てない」 >>74
自分が熱心に読んでいたのが80年代後半
まだそこそこの俳優だった香川が連載していたのを覚えてる
バックナンバーも具志堅の末期ぐらいから揃えたりした
神田の古本屋には売買両面で世話になったな
RJビデオも随分吐き出した プロレスと分かれた最初の号が大場-アモレスでA4にサイズアップされた最初の号が
石松-ゴンザレス戦だったかな 80年くらいまでは大学受験で買い逃した1冊を
除いて全部買ってた 井岡の世界戦つまんなかったな 40歳の挑戦者じゃ迫力がなかった ミドル級の村田以外は有料放送は見る価値ないな、
ラウンドガールのお姉さんはセクシーだったけどね! 13日に東京・大田区総合体育館で行われたWBO世界スーパーフライ級王者の井岡一翔(33=志成)と同級1位のドニー・ニエテス(40=フィリピン)の一戦で「ラウンドガール」を務めた波田妃奈さん、倭早希さん、雛乃ぽぽさんの衣装を巡り、賛否両論が巻き起こっている。
波田さんは3週間前から週14回(朝と夜)ジムに通い、6キロの減量に成功。各自がこの日に向けて、準備を進めてきた。ネット上では「私は美しい肉体見て疲れが飛んだ」「ラウンドガールがイケイケやったな」「ラウンドガールすごかったですよね!!」と絶賛の声が聞かれる一方で、露出度が高い衣装を着用していたことから「ラウンドガールの衣装がセクシーというより下品で好きじゃない」「そこまでやる必要なくない?」「ラウンドガール露出し過ぎ」と批判が相次いでいる。
試合は井岡が3―0の判定で勝利を収め、5度目の防衛を果たした。しかし、試合後のテレビインタビューでは井岡の横に写る「ラウンドガール」の姿が話題に。ツイッターでは「ラウンドガール」がトレンド入りを果たしたが「ラウンドガールに目がいってしまってそれどころではなかった…」「井岡さんの勝利者インタビューよりラウンドガールに目がいってしまう」「インタビューの横にいるラウンドガールが気になって井岡の話入ってこない」などと動揺の声が目立っており、井岡以上に注目を浴びる形となってしまった。 今日のニッカンの紙面井岡の防衛戦の記事より堤のデビュー戦の記事の
方が大きかった 井岡もスピードが落ちたな。40才のニエテス以外だったら誰でも
チャンスがあるんじゃないか?落城寸前だよ ミゲル・カントに倣って、井岡一翔賞を設けるべき。。 井岡は堅実なボクシングするねえ
相手もかなりの強者 それをほとんどフルマークで完勝 見事な勝利だわ
ボクマガ終わるの寂しいなあ 当時情報薄な時代にどれだけ有難かった事か
最初はほとんど大場の表紙だった、で、輪島になって柴田石松アリとなった
石松がゴンザレス倒した号からサイズと紙質が変わった
柴田がボラノスKOした号とアリがフォアマン倒した号、輪島柳戦2の号は発売までどんだけ
待ち遠しかった事か、大場アモレス戦号から1984年号までは保管してあるけど
自分は死んだらゴミ化するのが悲しい サイズアップ以前のボクマガは発行数が少ないから稀少価値が高いよ。 the best magagine for boxing fun >>85
それね、自分も考えてるけど最近はなるべく若いボクシング好きな子におまけ付きで
あげるようにしてる。
現場で撮った写真やパンフ付きでね、それでも、貰ってくれる人が少ないのが悲しいけど ボクマガの英文ダイジェストのおかげで英語が得意科目になった。 >>85
70年代は発売が毎月15日だったからな 2/17の輪島柳2の号は3/15 ほぼ1カ月待ったね
あと15日近辺が祝祭日だとたまに13日ごろ発売されるときがあったので毎日のように本屋を覘いてた
事実上廃刊だから寂しいな
>>87
the best magagine for boxing fun 1978年頃からfunsになってたね
譲ってくださいコーナーは本名に住所記載で平和な時代だった ボクマガとかもスキャンして電子化する人居れば良いのにな
リング誌はたまにpdf化してる人居るけど 渡辺二郎の海外防衛の記事を載せるために、その号だけは20日?位に通常月より送らせて発売された 日本人世界王者初の海外防衛達成の快挙なのに
何故か表紙が浜田剛で違和感ありまくりだった。
みんなはどう思った? あ、浜田剛史か。
まだ世界王者でもなんでもなかった。 そうだったっけ?
流石に表紙も二郎の試合では時間的に厳しいから回避したのかね 大場が死んだ時は10日ぐらいに早めて発売された 15日になって買いに行ったら
なかったのでベーマガに電話したらそう言われて本屋に注文して取り寄せた 1回目のチャンピオンカーニバルは
チャンピオンが全員防衛してたんだな。
珍しい。 かつてのワーボクみたいにどっか別の出版社から復活しないかなー ボクマガで嬉しかったのはその時のACの世界王者26人を
写真付きで経歴紹介された欄だった
セルヒオ・パルマとかカルロス・デレオンとかその後の名ボクサー100人にも載らないような
選手はそれが貴重な資料になった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています